6-14 火と火山
「どこ行くの、フレイア! あの火山に何か起きてるの!?」
フレイアの飛ぶ速さは火の玉の比ではない。ケイとともに必死で食らいつきながら、ナオは甲高い声を張り上げた。フレイアは振り返ろうともしない。
地を強く蹴って跳躍したナオの手足に、炎の輪が纏わりつく。それを流れる視界の隅にとらえたとき、頭の中で何かがちりちりと燃え上がるような感覚が走った。
「いたっ……」
鋭い頭痛を覚えて、ナオは唸り声をあげた。
「ナオ!?」
前方で頭を抱えた彼女を見て、ケイが目を見開いた。
ナオは痛みに歪んだ顔で肩越しに振り返ると、首を横に振った。
「なんでもない、だいじょうぶ……。ケイ、私先に行くね!」
「お、おい! ナオッ……」
フレイアの後ろ姿はどんどん遠ざかる。叫ぶように言うと、ナオはいっそうの魔力を足に込めて地を蹴った。
ケイの狼狽えた声を背中に聞き流しながら、ナオはフレイアを見失わないことを優先させ、速度を上げる。ナオの方がケイやハルトよりも足が速いのだ。
「フレイア、どこに向かってるの……?」
フレイアの赤い翼をその目に捉えながら、ナオはひとりごちる。
ほどなくして見えてきた大きな建物に、ナオはようやく気づく。それはひときわ大きな建物、初等学校の校舎だ。元来た方向へ戻っているのだ。
真っ先に思い浮かんだのは、今はあの校舎の中で授業を受けているであろうヒイロだ。フレイアは彼女の元へ向かっているのだろうか。
だが、フレイアは校舎の上を速度を落とすことなく飛び越える。
一直線に向かうのは、校舎の向こう側へと続いている道の先だ。ナオは迷うことなく飛び込むと、一気に駆け抜けた。
木々のアーチを抜けて、視界が開ける。
そして、最初にフレイアに出会った岬へと辿り着いた。
輝く海を背にして、フレイアは翼を閉じると旋回し、ようやく動きを止めた。
「誰がついて来いと言ったのよ」
息を切らして追ってきたナオを見やると、フレイアは心底鬱陶しそうに目を細めた。
肩を大きく上下させながら、ナオは宙に漂うフレイアをまっすぐに見上げた。
「目障りなのよ、アンタ」
フレイアはそう吐き捨てると、すっと手を掲げる。ゆらゆらと揺れる赤い炎を纏うと、眉根を寄せてナオを睥睨する。
「フレイア……あのね、キミのその火の力、あの火の玉と似た感じがするの」
「はあ? だからアタシじゃないっつってんでしょ!?」
フレイアは翼をばたばたと激しく動かして激昂する。ナオは首を横に振ると、懇願するように顔を歪めた。
「フレイア、話を聞いて。この町でおかしなことが起こるなら何か原因があるはずだよ。もしかしたらキミも知らない何かがあるのかもしれない、だからっ……」
「何をごちゃごちゃと……アンタたちがこの町に来たからややこしくなったんじゃないのっ!?」
叫ぶように言うと同時に、フレイアは勢いよく手を振り下ろした。彼女の纏う炎が巨大な火柱にまで膨れ上がる。
立ち尽くすナオにめがけて、フレイアは躊躇うことなく炎を放った。
「きゃあっ!」
悲鳴をあげつつもナオは間一髪、地面を強く蹴ると宙を舞い、大蛇のような炎を避ける。
標的を捉えられなかった炎は地面に激突し、大きく陥没した。焦げた臭いとともに、黒煙が立ち登る。一瞬にして穿たれた巨大な大穴を見て、ナオは言葉を失った。
フレイアの舌打ちが聞こえ、ナオは顔を上げる。
休む間もなくまた炎を纏う彼女を見て、ナオは本能的な恐怖を覚えた。
フレイアの周りに霊力が渦巻いているのがわかる。今までに出会ったどの精霊たちよりも、それは強く感じられた。
「アタシの火を避けたことは褒めてあげる。でも、次は火だるまにしてあげるわ」
灼熱の炎の中で、フレイアの赤茶色の瞳が鋭く輝く。どちらかと言えば炎を思わせるその色が、氷のように冷たい光を放った。
それは物理的な霊力の塊だろうか。目に見えない圧力を感じて、ナオは身構えたまま動けない。
潮の香りを含んだ風が唸る。まるでフレイアを恐れているかのように。
畳みかけるように、フレイアは再び手を掲げる。
まるで生きた蛇のように渦巻く炎は彼女に合わせ、ゆっくりととぐろを巻いた。
「アンタはスピリスト。身の程を知らず、魔力に手を出した愚かな人間でしょう。それもこのアタシに『火』だなんて」
フレイアの口調が、わざとらしくゆっくりになる。唇に不気味な弧を描くと、炎は容赦なく牙をむいた。
「アンタみたいな小娘、アタシの敵ですらないわ! さっさとこの町から出ていきなさいなっ」
竦んだ足が、動きを一瞬躊躇わせる。フレイアはその隙を見逃してはくれない。
「きゃ……!」
真っ赤な揺れる舌を出して大口を開けた炎に、ナオの小柄な体躯はなすすべなく呑み込まれた。
掲げた手を、フレイアはぐっと握りしめる。途端、一気に集束する炎が巨大な火柱になり、大爆発を起こした。
吹き荒れる煙と爆炎が、フレイアの金髪を大きく靡かせる。
フレイアの大きな瞳が、黒煙の中で揺らめいた影を目ざとく捉える。直後、彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……フン。さすがにこのくらいじゃ死なないのね」
舞い上がる火柱とともに、黒煙が空へと連れ去られる。
自身も炎に身を包み、ナオは両手を前へと突き出した姿勢でその場に立っていた。
焼き切れそうなほど精霊石が赤く、眩く輝いている。フレイアの業火と対照的に今にも燃え尽きそうなナオの炎は、かろうじて彼女を守っていた。
「……フレイア」
ナオはフレイアをきっと見上げると、荒い呼吸を繰り返した。
彼女の纏う火はやがて燃え尽き、片足を地につく。
目に見えて消耗しているナオとは対照的に、フレイアは涼しい顔で嗤う。
まるで獲物を少しずついたぶる鷹のようだ。
「なるほど、自分の火の中にいればアタシの火は届かないってことね。けど、それも完璧じゃなさそうだけど」
鈴を転がしたかのような軽やかな声で、フレイアは言う。
乱れる呼吸に妨げられて、言葉が上手く紡げない。ナオは悔しげに唇を噛むと、鋭い痛みが全身を駆けめぐった。
辛うじて火だるまになるのは防げたものの、身体の至る所に火傷が刻まれている。脈打つたびに響く痛みに、ナオは顔を歪めた。
「フレイア、今のままじゃ何も解決しないよ。せっかく町の人と上手く付き合っているのに。ヒイロちゃんだって……」
「うるさいっ」
ナオの言葉を、フレイアは炎と供に遮る。腕を一閃、また苛烈な炎がナオめがけて一直線に飛んできた。
跳んで避けようとしても、足が痛みに悲鳴をあげる。ナオはその手に炎を生み出すと、フレイアの炎を迎え撃った。




