6-11 逃げたい、逃げない
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ハルトが教室からヒイロを連れ出すよりも少し前に、時間は遡る。
小走りで校舎を駆け抜け、昇降口を出ようとしたナオの背中に、ようやく追いついたケイの声が投げかけられた。
「おい、ナオ! 待てよ、勝手に動くなっ」
「ケイ……」
ナオははっと顔を上げると足を止め振り向いた。ほとんど全力で走ってきたらしいケイが息を弾ませて駆け寄る。
任務を半ばで投げ出してしまった。
非難の言葉を浴びせられるかと一瞬顔を強張らせたナオだったが、すぐに観念したかのように眉を下げた。
「ごめんなさい。私、どうしても聞いていられなくて……」
「分かってる。それは俺もハルトも同じだ」
「うん、でもごめんね。それでも任務だからちゃんとする。戻るよ」
「いや、それはいい。あっちはハルトが見てる」
「ふえ?」
ケイの淡々とした言葉に、ナオは意外そうに目を瞬かせた。てっきり連れ戻しに来たのだと思っていたらしい。
「ああ、あっちはまだ授業中だから当分動きはないはずだ。その間に町の様子を見に行って、また後でハルトと合流しようって話になった」
「そ、そっか。そうだよね」
頷くケイに、ナオは自分が思ったよりも安堵した声が口から漏れたことに驚く。ヒイロから目を背けたい自身の気持ちにまた自己嫌悪に陥ったが、確かにやるべきことは他にもあるのだ。
「ねぇ、ケイ」
「なんだ?」
静かに言うと、ナオはケイの服の裾を指先で掴んだ。
「……色違いって、これが現実なんだね。私たちの町とは違う。私だってスピリストなら、任務から逃げちゃだめだよね。分かってる、分かってるんだよ……」
「…………」
俯くナオの前髪の影が震えていた。ケイは彼女をじっと見下ろしていたまま口を噤む。
目の前で起こった出来事を噛み砕いて飲み込むまでに時間がかかるのは、任務を遂行する上で決して良いとは言えない。しかし仕事だと割り切って全てを線引きできるほど、彼らはまだ大人になりきれていないのだ。
少しの間、沈黙が流れる。
ナオは細く息を吐くと、ぱっと顔を上げた。ぎこちないながらも、彼女は笑う。
「だいじょうぶ。行こう、ケイ」
「ああ」
ケイが短く答えると、ナオは掴んでいた彼の服を離した。
ナオはふいと顔を背けると一歩踏み出す。校舎を出、目の前に走る道に躍り出た。そのまま迷うことなく一方向へと向かおうとする彼女の背中を、ケイは慌てて追う。
「ナオ、どこに行くつもりだ」
「うん。さっきの爆発のところは皆で一通り調べたけど、やっぱり場所よりも火の玉の出所を調べるべきだと思うの」
先ほどまでの弱々しい声から一転、ナオは早口に言った。
すぐに先の爆発があった現場にさしかかる。今はもう鎮火され、焦げた瓦礫が積み上がっている。政府の調査が不十分なため、片付け等はまだしていない。
地面の大きな陥没を避けるように通り過ぎる。ナオはわずかに顔を顰めたが、すぐにそれを掻き消した。
「私が町に着く前に見た火の玉は気のせいなんかじゃないし、町に向かって飛んでいったでしょ。あれ以外の火もこの町で現れるなら、何かきっと共通する原因があるはずだもの。私はそれを知りたい」
ナオの目が鋭くなる。彼女の横顔を見て、言わんとすることを察したケイはまた小さく頷いた。
「ああ。あの火山島か」
「うん、行ってみたい。それに、もう一度フレイアにも会って話がしてみたい」
ナオの瞳に、町の建物の隙間から見えていた火山島が映る。
海と空の間に割り込むように聳える島は、その頭頂部から細い煙が上がっているようにも見えた。
ナオはじっと目を凝らす。明度の高い空の色に溶け込んでしまいそうだが、島の上がたしかに揺らめいて見えた。
「あれ? 火山が……」
「どうした?」
ケイの怪訝な声に、ナオは一度彼の方を振り返ると火山島を指さした。
「あそこ、煙が出てる。あの火山、町に着いたときは煙なんてなかったよね」
「そうだったか? けど一応活火山だろ、煙くらい上がることもあるんじゃないか」
「うーん、そういうものかな? 分からないけどなんか、いやな感じがする……」
ナオは火山島から目を離さない。眉間に皺を寄せると、ぽつりと呟いた。
ケイには特に何も感じなかった。霊力や魔力の気配がするとかそういった類のものではなく、ナオの直感に近いものらしい。だが、彼女は『火』だ。この火山の町においてははっきりとした根拠がなくても、そういった感覚を無視するべきではない。
町の人によると、最後に火山が噴火したのは二百年ほど前とのこと。十分な活火山と言える。『クレナ』はある程度の距離があるとはいえ、それでも火山島からは最も近い町。温泉等の豊かな自然の恵みを受けているとはいえ、常に危険と隣り合わせなのは間違いない。彼らはやはり普段から火山の動きを観察しているのだろうか。
「ふえ?」
ふと、ナオは気の抜けた声をあげた。何か、視界の隅で自身の茶髪以外に何かがちらついたのだ。そちらを見ると、ナオは顔を強張らせた。
「あれ、火の玉……!」
道の先に、小さな橙色が見える。揺らめくそれは間違いなく、小さな火の塊だった。
二人は反射的に能力を発動すると戦闘態勢を整える。道路を踏みしめるナオの細い足首に、炎の輪がちらついた。だが、不用意に近づくことはせず睨みつける。
二人が警戒を強めても、火は近づいてくるわけでもなく、当たり前のようにそこで漂っているだけだ。
ナオはじっと火を見つめる。精霊石が輝きを増すと、やはり精霊の気配がした。それも既知のものだ。
「これ……やっぱりフレイアの霊力に似てる気がする……」
フレイアの操っていた烈火を脳裏に思い描くと、ナオは声をひそめる。




