1-12 信じたいもの
ケイたちの周囲を飛び交う精霊たちは冷気の壁に弾かれて手出しができなかった。早々に標的をハルトへと切り替えてそちらに向かっていく。外から手出しができない冷気の層は防壁になっているが、言い換えれば閉じ込められたということだった。
「……どういうつもりだっ」
「そのまま返すぜ。どういうつもりだ」
寒さに身震いしながら吠えたシルキに、ケイは冷めた口調で返した。
「お前が友達を助けたいとかそんなの知らねぇよ。危ないって言われただろう。この状況を見てもまだわかんねぇのか」
「うるさい! 何も知らない奴が偉そうなこと言うな!」
白い息を吐きながら、シルキはケイに掴みかかった。
「こいつらは、精霊はオレを襲ったりなんかしない! スピリストだか異能者だか知らねぇが、精霊を殺すのがそんなに楽しいのかよっ!」
ケイよりも頭一つ分背の低いシルキが、ケイの服を下に向かってきつく引っぱった。今にも泣きそうに歪められる彼の顔を見て、ケイは目を見張る。
「精霊は悪いやつなんかじゃない、理由なく人を攫ったり動物たちを食ったりなんてするもんか! むしろずっと、昔からこの森を守ってくれてた……守り神みたいだ! なのに町のみんなもじいちゃんも精霊は悪いもの、異形だって決めつけてる! オレはみんなに本当のことを分からせる、そのためにここに精霊たちに会いに来たっ」
シルキはケイを乱暴に突き飛ばした。体重差があるためケイの体がその場を動くことはなかったが、シルキの勢いは止まらない。目を吊り上げてケイを指差した。
「なのにお前らが来たから……お前らが余計なことをしたからだ! 精霊たちが……オレの友達がおかしくなって……簡単に殺されて……みんないなくなってく……」
「ならなぜ精霊たちが町の子供を攫ったって言うんだよ」
「……それは……分からないけど、でもっ……」
大きくしゃくりあげながら、シルキはついに大粒の涙をぼろぼろと溢した。次々と溢れてくる涙を小さな手で荒く拭うと、駄々をこねるかのように首を横に振る。
ケイは反対に表情をほとんど変えない。泣きじゃくって言葉を紡げないでいるシルキを、しばらくの間じっと見下ろしていた。
「……確かめに来たんだな、ここへ」
それだけ言うと、ケイは顔を上げる。彼の視線の先には一体の精霊がいる。シルキを抱えて飛んでいた精霊だ。彼はまだシルキの背後に漂っていて、ケイを見てびくりと身体を震わせた。
土を擦る音がして、ケイはシルキの横を通り過ぎようとした。精霊に近づこうとしたケイの前にシルキは回り込んだ。
「やめろ! こいつに手を出すなっ!」
言うと、シルキはケイにぶつかった。唸りながらケイを押し戻そうとするが、力比べでケイが負けるはずはない。
シルキを軽くあしらおうとした時、ケイの眉がぴくりと跳ねた。彼が横に目をやると同時に、暗い木々の中で何かが動いた。
視線をシルキに戻すと、ケイはシルキの服の背中部分を掴んだ。小さな身体は軽々と持ち上がり、突然のことに驚いたシルキは手足をばたつかせた。
「下がっていろ。ここからは俺たちの仕事だ」
静かな、しかし反論を許さない強い口調だった。ケイは瞠目するシルキを片手で放り投げる。
シルキの体は軽々と飛び、木々の方に向かって綺麗な放物線を描いた。声すら出せないでいたシルキだったが、地面に叩きつけられそうになったところでようやく悲鳴をあげた。
「うわぁああ!」
「きゃっ! ないすきゃっち!」
高い声と共に、シルキの身体は何かに受け止められる。シルキが目を白黒とさせながら上を向いた。
「怪我はない? もう大丈夫だよ」
シルキの目に映ったのはナオだった。彼女がにっこりと笑うと、茶色の髪が動きに合わせてぴょこんと揺れる。シルキを覗き込むナオと至近距離で視線が絡み合い、シルキは口をぱくぱくとさせる。そこでようやく、シルキはナオに抱き抱えられていることに気が付いた。
「な、なんだよ……くそ、降ろせよ!」
「ふに?」
シルキはじたばたと暴れ出した。ナオはきょとんとした顔をしながらも、シルキを離そうとはしない。小柄な少女の細腕はシルキが驚くほどしっかりと絡みついている。
「シルキ、無事か!」
「あ、おっちゃん!」
ナオの背後から強面の男たちが次々と雪崩れ込んできた。先頭にいたのはサトリで、シルキを見るなりほっと目尻を下げた。シルキもよく知った大人たちが現れたことでようやく少し安堵した様子で表情を緩める。それを見て、ナオはようやくシルキを地面に降ろした。
武器を片手に、サトリはかがみ込んでシルキの顔を見る。手短に無事を確認すると、後ろにいた討伐隊の面々にシルキを押し付けてその場を離脱させる。
「なっ……何やってんだよナオ!」
ぞろぞろと現れた討伐隊を見てケイは目をひん剥いた。非難めいた彼の声と表情に、ナオはばつが悪そうにぺろりと舌を出した。
「何でこの人たちをこんな危険なとこに連れてきてんだよ! それじゃお前が入り口んとこに残った意味ねぇだろ!」
ケイは一気に捲し立てる。彼の周囲を包む冷気によって、白い息が小刻みに舞い上がっている。彼の意識がナオに逸れたからなのか、冷気の壁は弾けて周囲に拡散されて辺りの空気を冷やした。シルキを抱えていた精霊が拘束を逃れ上空に舞い上がる。
ナオは冷たい風に身震いしながら、負けじと言い返した。
「わかってるよ! でも私はこうした方が絶対いいって思ったんだもんっ」
「いいわけねぇだろ、一般人を任務に巻き込むなっ。政府にどやされてえのかよっ」
「それはやだよっ! でも後のこと考えると皆がちゃんと事情を知った方が良いでしょっ」
「後のことって俺たちには……って危ねぇ!」
ケイの声と同時に、一体の精霊が急降下してきてナオに襲いかかろうとした。ナオが上を向いた時にはすでに精霊の鋭い爪が迫っており、彼女は思わず小さく悲鳴を漏らす。精霊と衝突しそうになった刹那、ナオの前に黄色い影が滑り込む。
「ハルト!」
ケイとナオの声が重なった。金属音と共に精霊は弾き飛ばされて、その身体は両断される。
「はいはい、再会を喜ぶのも良いけど状況を忘れちゃダメだよお二人さん」
ハルトは剣を構えたまま振り返ると、ナオとケイを交互に見てにやりと笑う。いくつも意味ありげなその表情にケイは何か言いたげに口を動かすが、顔をしかめるにとどめる。
最初は二十ほどいた精霊たちは今や三体にまで数を減らしていたが、そのほとんどをハルト一人で斬り伏せてしまったのだ。文字通り根こそぎなぎ倒された木々や穿たれた地面、そして呆然としているシルキの様子が攻防の凄まじさを物語っており、サトリたち討伐隊も前に出れずにいた。
「…………」
討伐隊を見てハルトは一度苦笑いを浮かべただけだった。すぐに彼らから視線を逸らすと、構えていた剣の切っ先を下げる。




