6-8 ヒイロ
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状況を報告すると、政府からはひとまず町に留まるように指示された。
ヒイロという少女については、彼女から目を離さないようにと言われただけだった。おそらく監視と護衛を兼ねろという意味だろう。それに加え、本来の任務である町の、ひいてはフレイアの動向の調査を続行せよということだ。
ケイとナオの二人は今、初等学校の応接室にいた。
「あの子……ヒイロちゃんってどんな子なんですか」
ケイと並んでソファに腰掛けながら、ナオは正面に座っている女性を上目遣いに見ながら言う。
三十代半ばくらいと思われる女性はちらりとナオを見やると、いかにも面倒くさそうにまた目を伏せる。
数秒の沈黙。漂う気まずさにナオが目の前にあったお茶に口をつけたとき、女性はそっけなく答えた。
「そうね、気味が悪い子よ。けど、勉強はよくできるわね」
女性はこの町の初等学校の教師だそうだ。
あの後、糾弾する人々からヒイロを庇いながら彼女を自宅へと送り届けようとしたら、この初等学校に案内された。
まだ昼を少し過ぎた時間帯だ。もう少し学校で授業があるらしい。廊下では子供たちが甲高い声をあげて元気に走り回っている。
例の火の玉の爆発が原因で起きた火事は、すぐに鎮火された。
ケイたちはもちろん、この町の政府支部の職員たちも何かの機材で一通り調査をしたが、何か霊力や魔力が大きく動いた気配はなく、またそのような波動も観測できなかった。一部の店や観光施設は一時閉鎖に追い込まれたものの、子供たちを下手に動かすよりは、校舎に待機させて家族に迎えに来てもらう方が良いとの判断だった。
ほんの一年ほど前まで、ケイたち三人も同じように故郷の町の初等学校に通っていた。懐かしさに思わず目を細める。
ちなみに、スピリストは原則として十二歳未満の子供は存在しない。理由は単純明快、義務教育を修了していないからである。その後の進路は自身で大学校を選んだり就業したりとさまざまだが、一部を除き、初等学校を出てすぐスピリストになる者は少数派だ。
「……あ、あの、先生。授業が終わったらヒイロちゃんを家に送りたいんですけど、何時くらいになりそうですか?」
「あと一コマ残っているだけだからすぐ終わるわ。それに、住んでる場所ならここだから送らなくて大丈夫よ」
「えっ、ヒイロちゃんは普段ここに住んでいるんですか?」
大して関心のなさそうな教師の返答に、ナオは目を丸くする。
「ええ、半年ほど前から。あの子のお祖父さんが亡くなってから、他に身よりがないから学校の寮にいるのよ」
「そうなんですか……」
ナオはしゅんと眉を下げた。思わず隣にいたケイと目を合わせる。
身よりもなく、加えて町の人間たちにもあのひどい言われようだ。歳が近く同性のナオが相手であっても、ヒイロが心を開かないのも無理はない。
目の前に座る教師は、口元に笑みさえ浮かべていた。
ナオはそれに気づかない振りをして、太股の上で拳を握る。そんな彼女の肩に、ケイは黙って手を置いた。
「それも後二年のことね。あの子は今十歳、卒業したらここに縁はないから」
「そうか。それで彼女の部屋は?」
「後で案内するわ。今から授業だから、その後でいいなら」
「ああ、助かるよ。ありがとう」
答えたのはケイだった。悲しげに瞳を揺らすナオに、話は終わりだと言外に告げる。
教師は立ち上がると、会釈をして応接室を立ち去る。授業の準備があるという。
ケイはナオを促すと、教師に続いて部屋を出た。授業の邪魔をしなければ、学校の敷地内は自由に歩いて良いとのことである。
予鈴が鳴り響く。
昼食を終え、昼の休憩時間を満喫していた子供たちは名残惜しそうに各々教室へと向かっていった。
予め聞いていた教室を探すケイたちを見て、子供たちは物珍しそうな顔をするか、元気に挨拶をした。詳細を知らされていない子供たちにとって十三歳のケイたちは、やや身体の大きな生徒の一人と思われているのかもしれない。
教室にたどり着くと同時に、廊下の向こうから見覚えのある金髪と一人の少女が並んで歩いて来るのが見えた。
「あ……ハルト、ヒイロちゃん」
「よ、お二人さん。色恋の話は終わったー?」
「そんな話してねぇよ」
ハルトは右手をひらひらと振りながらにこやかに近づいてくる。ヒイロはそんな彼の横で俯いていた。腕を組んで低い声をあげたケイを見て、またびくりと肩を強ばらせる。
ヒイロに気付くと、ケイは気まずそうに頬を掻いた。
「あー、悪い。別にお前に言ったわけじゃ……」
「わかるわかるー、ケイ顔怖いもんねぇ」
「うるせぇっ」
「ほーらそういうとこがこわーい」
「ぐっ……」
すぐさまハルトの余計な突っ込みが飛んできて、ケイはあっさりと言い負かされた。
そんな二人を無視し、ナオはヒイロの目線に合うようかがんで、彼女の顔を覗き込んだ。
「ヒイロちゃん、授業が終わったらお話いいかな」
「…………」
ヒイロは答えない。ナオの顔を見ようとすることもなかった。
仕方なく、ナオはそのままの姿勢でハルトを見上げると、彼は黙って首を横に振っただけだった。
ヒイロの監視という指示もあり、学校に任務について話を通しておく間、ハルトが彼女の側にいた。だが彼の様子を見るに、ヒイロが同じ調子だったのは想像に難くない。
ヒイロは無表情のまま、教室の扉を開いて席へと向かう。もう間もなく授業が始まる。
「うわぁ、こっち来んな色違い!」
ヒイロが教室へと一歩踏み入れた瞬間、扉の近くで話をしていた数名の男子生徒があからさまに顔を歪めた。
男子生徒が持っていた消しゴムが弧を描き、ヒイロの額に当たって跳ね返る。ヒイロは一瞬目を瞑ったが、床に転がる消しゴムをじっと見つめ、手で額を撫でただけだ。
代わりに割って入ったのはナオだった。
「ちょ、ちょっと! だめだよ、ヒイロちゃんはキミたちの仲間でしょ?」
「うるせーババア! こんな奴仲間なんかじゃないっ」
「ふ、ふえ……」
固まるナオに、男子生徒は舌を出す。同じ教室にいるということはヒイロと同い年なのだろうが、小柄なヒイロと違って体格のいい少年だった。
「うちのママが言ってたんだ、色違いは精霊の生まれ変わりだって。悪いことをしたから、神様が罰を与えたんだってさ」
男子生徒があげた高い声は、教室内だけでなく廊下にまで響きわたる。
隅にいた女子生徒のグループが顔を寄せ合い笑い始める。
ひそめる声。くすくすという笑い声は、どんな喧噪の中でも決して紛れることなく、残酷なまでに耳に届く。
ナオはじっと男子生徒を見つめる。吸い込まれそうなほど大きな瞳に、男子生徒がたじろいだ。
「……キミのママはそう言ってたんだね。なら、キミ自身はどう思うの?」
「し、しらねー! でも、色違いは悪いやつなんだ! 先生だってそう言ってるっ」
「……そっか……」
男子生徒はナオを追い払うように手を振り回すと、ぷいと顔を背けた。そのまま逃げるように席へと戻って行ったが、ナオはただ、その小さな背中を見送っていただけだ。
ヒイロは俯いたまま、黙って自身の席につく。
悲しげに眉を寄せることも、怒ることもない。ただ空気と鼓膜を振動させた音が伝える情報を、脳が認識せずに通り過ぎたかのようだ。
スピーカーからベルが鳴るとともに、先ほど応接室で話をした女性教師が教室に入ってきた。ナオは慌てて廊下に出る。授業が始まるようだ。
女性教師が目の前で閉じた扉は、ひときわ大きな音をあげる。ナオにはそれがまるで、ヒイロの拒絶の音のように聞こえた。
「……とても、悲しいはずだよね。なのにどうして。いつだって、どうしようもないの」
「ナオ。それ以上はよせ」
立ち尽くすナオを、ケイは静かに制する。
「分かってる、ごめんなさい」
言葉とは裏腹に、ナオは小さく首を横に振った。
「……色違い。滅多にいないはずなのに、こんなところで会うなんて思わなかったから」
消え入りそうなナオの声に、ケイもハルトも何も言えなかった。




