6-6 赤色の少女
「お、女の子?」
初等学校の生徒だろうか。明順応が済んでいない視界と、海からの反射光ではっきりとその姿を視認できないが、小さくて細い影だ。
なぜこんな場所にいるのだろう。それよりも、安全確認ができていない今、一人で行動するのは危険だ。
ナオは慌てて駆け寄ると、少女に話しかけた。
「ねぇ、キミ!」
「きゃあっ」
「ふぇっ」
驚かせてしまったらしい。甲高い声を上げて文字通り飛び上がる少女に、ナオもつられて声を上げる。
振り返った少女は目を大きく見開き固まると、次いで見る間に青ざめる。
口を両手で押さえると、怯えたように一歩後ずさった。
だが、少女の姿をはっきりと見て驚いたのは、ナオとハルトも同じだった。
「……キミ、その髪……」
「……やめてっ」
ナオが口を開くと同時に、少女は頭を手で守るように抱える。
燃えるような赤い髪が、否が応にも目を引く。小さな手や細い腕で懸命に隠しているようだ。
小さな肩が小刻みに震えている。腕の影から僅かに見えた少女の赤い瞳に、みるみるうちに涙が溢れた。
「ご、ごめんね、怖がらせるつもりはないの。一人でいちゃ危険だから、私たちと一緒に……」
両の掌を少女に向けながら、ナオは努めてゆっくりと近づこうとする。だが、少女は首を横に振り、恐怖の色は濃くなるばかりだ。
このままじりじりと後ずさり、海に落ちてでも拒絶しそうな勢いだった。
ナオは眉を下げると、斜め後ろにいたハルトと困った顔を見合わせる。ケイよりはよほど愛想がいいとはいえ、ナオでだめならハルトが対応しても結果は同じだろう。
一歩踏み出した中途半端な姿勢のまま、ナオはその場で動けずにいた。端から見れば明らかに年下の少女を追いつめているようだ。
「下がれ、ナオ」
先に動いたのはハルトだった。ゆっくりと再び歩を進めると、少しずつ少女に近づこうとする。少女はいっそう恐怖に顔を歪めたが、ハルトの表情は揺るがない。安全を優先し、少女を初等学校へ連れ戻すつもりなのだろう。
ナオは彼の背に手をのばそうとしたが、すぐに下げた。状況を鑑みれば、彼の判断は正しい。
「ハルト、やっぱり私が……」
それでも、竦みあがる少女を見ていたたまれなくなったナオは、再びハルトの前に出ようとする。しかしそれを遮るかのように、突如として足元に何かが飛んできた。
小さく鋭い熱を感じて、反射的に後ろに跳ぶ。ナオが今まで立っていたところに何かが弾丸のように打ち込まれたと思うと、地面を円形に抉った。
「な、なにっ?」
「ナオ!?」
滑るようにして着地したナオに、ハルトが振り返って声を張り上げる。それぞれの精霊石が鋭く輝くと、今度は寸分違わぬ動きで一方向を睨みつけた。
「精霊の気配……!」
視線の先は背後。通ってきた道の、最も近くに立っていた道沿いの木の上。
そこに何か赤いものが揺らめいていた。
目を凝らす前に、それはふわりと漂うと、あっという間に二人の前に降りてくる。
「ナオっ」
ハルトはナオの一歩前に躍り出ると、彼女を背にした。
ぴりぴりと空気が張りつめる。肌を刺すような熱が辺りを包み、二人は警戒を強める。
強力な霊力。本能が警鐘を鳴らす。
そうして目の前に立ちはだかったのは、頭より一回り大きいくらいの炎の塊だった。
赤く燃え上がるそれはナオの目線まっすぐの位置の高さで、ゆらゆらと絶えず揺らめいていた。
「――その娘から離れなさいな」
怒気をはらんだ女性の声が響きわたる。一気に広がる霊力に、ナオは思わず恐怖を感じた。
ハルトは少しだけ背後を振り返ると、例の少女の姿を確認する。こちらも恐怖で動けずにいるのだろうか、その場で立ちすくんだままだ。だが、おそらく『その娘』というのは彼女のことだろう。
「聞こえたかしら。その娘から離れろと言ったのよ」
より強くなる声音とともに、炎の塊は弾けた。
炎が消えると、代わりにそこには、一人の少女の姿があった。
眩い金色のショートボブに尖った耳、つり上がった大きな目は、黒目がちを通り越して大部分を赤茶色の瞳が占めている。手足はすらりと長く、纏う服は露出が多いものだったが、見事なプロポーションを引き立てている。
何より特徴的だったのは、その背中の炎の翼。
その姿は、先ほど写真で見たものと同じだ。
「キミが、フレイア……?」
「あら、アタシを知ってるの?」
少女、精霊フレイアは腕を組むと不適に笑う。ナオを見下すように顎を持ち上げた。
強い霊力は間違いなく彼女から放たれている。だが、この美少女の姿をした精霊を目の前にして、ナオとハルトは別の意味で驚きを隠せなかった。
「ほえぇ……ち、ちっちゃい……」
ナオは心の声をつい漏らした。
その言葉の通り、フレイアの身長はナオの頭より二回り大きい程度だった。十代後半くらいの少女をそのまま縮めたような容姿は、明らかに異端だった。
確かに政府や町の人からの情報によると『小さい精霊』ということだったが、まさかここまで小さいとは思っていなかったナオだ。
しかしナオが口を滑らせたことに、フレイアは余裕めいた表情を一瞬にして消し去り、くわりと牙をむいた。
「ぬあんですってぇ!? だーれがクリオネみたいなドチビよこの小娘が!」
「ぴょえっ!? ご、ごめんなさい気にしてたんだ……」
「ナオはそこまで言ってないけど」
フレイアの文字通り烈火のごとき剣幕に、ナオは髪を逆立てて驚く。すぐさま反論を入れたハルトだったが、怒り心頭のフレイアの耳には届いていないようだ。
しかも見るからに火属性のフレイアが持ち出した例えが何故か海洋生物のクリオネである。この辺りの海には生息していないだろうし、姿と言うよりは獲物に襲いかかるときに豹変する点を重ねたのだろうか、などと余計な考察をしていたハルトである。
ハルトの何か言いたげな視線を受けてか、フレイアはようやく我に返る。今にもナオに襲いかからんばかりだった体勢を立て直すと、こほんと咳払いをひとつした。




