6-3 火山の町
「ふゅ?」
ふと、耳元で風を切るような音がした気がして、ナオはさらに気の抜けた声をあげた。
僅かな熱を感じて、ナオは勢いよく振り返る。橙色の小さな塊が見えたが、直線的に通り過ぎて行った。
ナオは首を傾げる。確かに何かがすごい速さで横切ったが、今はもう何も見えない。
「ふえ? 今何か通り過ぎていかなかった? 熱くて小さい……火みたいなの」
「火? そうかな、お前が出したんじゃないの?」
答えたのはハルトだった。同じようにきょろきょろと辺りを見渡すが、それらしきものはやはり何も見えない。
「わ、私じゃないよっ」
「どうかなー。お前『アベリア』の町で緑の妖精さんに火の玉って言われてたじゃん」
「もう、ちがうもん! 私火の玉じゃないもん!」
もはや風船のようなふくれっ面をしながら、ナオは抗議の拳を振り回す。顔立ちは可愛らしいというのに台無しである。
ナオの変な顔を見て、ハルトは腹を抱えて笑いながらも目を眇めてみせる。彼の精霊石が僅かに光った。一応発動して確認はしてくれるらしい。それに気付くと、ナオはもう一度辺りを探ってみるが、やはり何も感じない。
「でも、やっぱり気のせいかな。ハルト、何か気配感じたりしない?」
「さっきは発動してなかったからなぁ。今は何も感じないよ」
「そっか」
ナオは頷く。自身も何も感じないし、ハルトが言うならばそうなのだろう。
納得した様子の彼女を見て、ハルトも発動を解いた。
「ま、とりあえず行こうぜ」
ハルトに促されて、三人でまた歩き始める。もう町は目と鼻の先だ。
歩くペースが遅いケイを半ば放置して、ナオは軽やかな足取りで道なりに進んでいく。すれ違う人たちが増え始めると、ほどなくして町へと到着した。
肌に触れる空気がやや湿気を帯びる。
独特の臭いが漂って来たが、それよりも多くの人で賑わう町並みに、ナオは声を弾ませた。
「うわぁ! なんか素敵だねっ」
ナオは町を指さすと振り返る。彼女につられて笑みを浮かべながら、ケイとハルトも町並みへと目を向けた。
先日の『カリス』の町のような都会ではなく、道もそれほど広くはないが、ところ狭しと多くの人々が行き交う。
煌びやかなネオンや高いビルはなく、どこか庶民的な低い建物が多い。壁や道も、辺りの景色に溶け込んでしまいそうな趣がある。
湯浴みを堪能してきたのか、ほんのりと頬を上気させ、しっとりと纏まった髪を風に遊ばせている人も多い。一目見て観光客と分かる彼らに、自慢の商品を手にした商売人たちが慣れた様子で客寄せをする。
どこを見渡しても笑顔。町は活気にあふれていた。
観光客に混ざって歩くと、やや空気が湿気っていることに気づく。ナオは自身の腕に触れると、また顔を上げた。
「なんか湯気みたいなのが見えるね」
蒸気が所々の建物から上がっている。温泉があるのだろうか、これでは多湿になるのも当然である。触れた腕は汗と湿気が混ざってしっとりしていた。
もはや色々と諦めたような表情をしたケイは、すんと鼻を鳴らす。
「湯気よりもなんか変な臭いしねぇ?」
「ああ、硫黄の臭いだね。それはしょーがないよ」
あっさりと答えたのはハルトだった。彼の言うとおり、口に出しても仕方がないことくらいケイも理解している。ケイは返事もせずに、また流れてきた汗を拭った。
ナオはふと、斜め後ろに見えていた火山島に目を向ける。
「こんなに人が多いのに、精霊は本当に町に来るのかな」
追って、ハルトとケイも火山島を見る。
海から盛り上がった小さな島は、町からは近いとはいえ、それでもそこそこの距離がある。精霊は生まれた場所に縛られているが、霊力の強さに比例して行動範囲も広くなる。少なくとも弱小とは言えない精霊が、そこに住んでいるはずだ。
仮に精霊がやってくるとしても、ひとつ間違えば町にとっては驚異になりかねない存在だ。あまり人に関心がない精霊も多いので、わざわざ人里に足を運ぶというのも珍しい。
「この町、精霊とはどういう関係なんだろう」
そう呟くと、ナオは再び視線を前に戻す。辺りを興味深そうに見渡しながら町を歩いていると、ふと目が合った露店の店主に声をかけられた。
「お嬢さん観光かい? ここは火山の町だ、特産品のアクセサリー、一つどうだい?」
店主の男性はナオを手招きすると、綺麗な天然石のあしらわれたネックレスやブレスレットを取り出した。流れるように滑らかな営業に、ナオはつい足を止めてのぞき込んだ。
瞳を輝かせるナオの横顔を、ケイは珍しそうに見やる。時々忘れそうになるが、ナオは歳相応に可愛いものが好きなのである。
滴型に形成された、赤い石のイヤリング。琥珀のような黄色い石がいくつも繋がったブレスレット。唐草模様を象っているらしい、アンティークなデザインの青い石の指輪。どれもとても綺麗だ。
「あ」
ふと、ナオはひとつのペンダントに目を止めた。
丸く研磨された半透明の紫の石が、繊細なデザインの台座にはめ込まれている。周囲にあしらわれた小さな透明な石が、紫色を上品に引き立てている。とても綺麗なデザインだった。
「うわぁ、きれい」
「だろう? それが気に入ったのなら、お嬢さん可愛いから特別にサービスするよ」
店主はそう言うと、本当にかなりの破格を提示してきた。それを迷わず衝動買いしてしまったナオはとてもご満悦だ。
丁寧に包んでもらったペンダントを、ナオは嬉しそうに受け取る。店主はそれを満足げに眺めていた。一歩後ろに突っ立っているケイとハルトのことなど全く眼中にないようだった。
「……女の子ってこういう時いいなぁ」
「そうか?」
ハルトが両手を頭の後ろに当てながらのんびりした口調で言う。ケイは真顔を傾けただけだった。
背後から聞こえてきた二人の声に、ナオは本来の仕事を思い出した。




