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1-11 人にあらざる力


 暗い森の中で、青い影がいくつも疾風のように行き来する。


「がぁああ!」


 猛獣のような雄叫びとともに、精霊たちは突如としてケイとハルトに襲いかかってきた。

 ケイとハルトは軽やかな動きでそれを避け続ける。

 精霊たちは何度も空中で切り返し、弾丸のように標的に向かって行く。それだけではなく、彼らの攻撃のたびに風が巻き起こり、かまいたちのような斬撃となって辺りを破壊した。木は薙ぎ倒され地面を大きく穿ち、土煙を巻き上げた。静かだった森の中にいくつも轟音が響き渡る。


「やっぱりねぇ。仕方ないか」


 そう呟きながら、ハルトは次々と向かってくる精霊たちを飛び跳ねながらかわす。一度大きく後ろに跳躍して体勢を立て直そうとするが、すかさず別方向から攻撃が飛んでくる。数が多すぎるのだ。小刻みに跳びながら次々と避けはするものの、徐々に広場の端に追いやられ、ついに背中に木の幹が当たる。

 精霊たちが小さな牙を覗かせて笑みを浮かべる。三体がまとまって爪を振り上げてハルトに飛びかかった。


「あ、あぶねぇ!」


 声をあげたのはシルキだった。しかし当のハルトもケイも彼の方を見ようとはしない。

 シルキは精霊のうちの一体に体を抱えられたまま、宙に浮いている状態だ。そこそこの高い位置で留まっており、精霊たちの声や破壊音で彼の声はほとんどかき消されていた。地に着かない足がじたばたと宙を切るが、精霊は彼を離そうとはしない。


 ハルトは背にしていた木の幹を両足で蹴ると高く飛び跳ねた。一瞬遅れ、木は精霊たちの攻撃をもろに受けて根本から折れてしまう。轟音がまた森の中に響き渡った。

 跳ねた勢いのまま、ハルトは華麗に旋回し着地しようとする。宙を舞っている最中の彼に、精霊たちは容赦なく追撃を仕掛けようと向かって行った。ハルトが着地したとほぼ同時に精霊たちと衝突したが、何か金属がぶつかるような鋭い音が響いた。直後、精霊たちは弾き飛ばされた。


「グァ……ッ!」


 一体の精霊が背中から地面に叩きつけられた。ハルトはそれを追いかけると右腕を振り下ろす。直後、精霊の体は胴のあたりで真っ二つに両断された。


「キャアア……!」


 精霊の口から漏れたのは、短く弱い断末魔だった。両断された体はまるで空気に溶けるかのように一瞬で跡形もなく消え去った。他の精霊たちは仲間が消えても気にした様子はなく、動きを止めたハルトに向かって爪を繰り出す。

 ハルトは表情を変えることなく、今度は右手を横薙ぎに動かした。するとまた向かって行った精霊の体は二つに分かたれる。


「ああ……!」


 シルキはこれ以上ないほどに目を見開き、その信じ難い光景に愕然としていた。

 ハルトの右手には銀色に光る細長いものが握られている。それは一振りの剣だった。

 まばゆい金色の柄には橙色の石のような装飾具が所々に施されている。銀色の刀身は透き通りそうなほど淡い。柄が刀身に反射して輝いていたが、薄暗い森の中で異様に目立つそれはまるで精霊の命を吸い取り、さらなる獲物を欲しているかのようだ。

 鞘はどこにもない。いつの間にか剥き出しの剣だけがハルトの手にある。ハルトは剣を目の前に掲げて言う。


「さぁ、かかってこいよ」


 汚れのない綺麗な剣は、つい先刻屠った精霊の命などなかったと言わんばかりだ。存在していたことすらあやふやになるくらいに、精霊の亡骸はどこにもない。

 ハルトに応えるようにして、精霊たちはまた猛突を仕掛けた。

 そのうち何体かは柔らかいものを斬るようにして簡単にあしらわれ、また霧散する。休むことなく、ハルトの背後からまた精霊が躍り出る。ハルトの反応がやや遅れた。精霊の幼い双眸がハルトをまっすぐに捉えた瞬間、その体は硬直した。直後、精霊は姿勢を変えることなく、突如現れた巨大な氷に閉じこめられていた。

 浮力を失った体が、氷ごとぐらりと傾く。氷が砕け、精霊の体ごとガラガラと音をあげて倒れると、その場にはケイが飛び降りてきて着地する。


「油断すんなハルト! なるべく早く片づけるんだっ」

「ちゃんと気づいてたよー。でもさ、オレの後ろにはケイがいたじゃん」

「うるせぇ、軽口叩くな!」

「へーい」


 早口で気の抜けたやりとりをしながら、ケイはハルトの隣に立った。その間にも二人に向かって精霊たちが突進を仕掛けていくが、彼らは軽くそれをかわした。

 ケイの足で踏んだ場所から白い煙のようなものが噴き出ると、土を踏んだ音ではなく硬いものが砕けるような音があがった。直後、彼の周囲にあった落ち葉や土が薄い氷に覆われていた。

 ケイを中心に周囲に冷たい空気が流れている。

 ハルトは半袖から覗く自身の腕をさする。寒いのだ。それは上空にいたシルキも同じで、彼は身震いした。

 シルキを抱える精霊も寒さに震えたのか、その細い腕に力が込められる。背後から抱えられていたシルキには精霊の顔は見えない。シルキは周囲を飛び回る精霊たちと、彼らと対峙するケイとハルトを見るしかなかった。目まぐるしく飛び回る彼らに、シルキも視線を忙しなく動かしていた。


「スピ、リスト……」


 掠れた声がシルキの口から漏れた。

 まだ幼い彼には状況の理解が追いつかない。寒いだけではない、恐怖も重なって、彼は小刻みに震えていた。

 シルキは震える手を伸ばす。何も掴めなくても、何かを掴むように弱々しく握った。


 精霊たちが傷ついていく。突如現れた人間に殺されて、次々と数を減らしていく。

 一方的で無慈悲な虐殺だ。屍すら残さずに、一人も逃すことなく。精霊を、森を、屠っていく。


「……やめろ」


 握りしめる手に力を込めると、シルキは叫ぶ。


「やめろぉ――――っ!」

「シルキ!?」


 あまりの声量に、ケイとハルトは驚いて頭上を振り仰いた。その一瞬の隙をつかれ、ハルトは精霊の攻撃をもろに食らってしまう。

 ハルトの体はあっさりと弾き飛ばされてしまい、蹴られたボールのように跳ねながら地面を転がった。木にぶつかって止まるとすぐに跳ね起き、彼は剣を構える。


「ハルト、大丈夫かっ!?」


 血相を変えたケイに対して、ハルトは笑顔で空いている手を振った。ダメージはなさそうだ。


「だーいじょうぶ! それよりあいつは?」

「ああ、シルキ……」


 ケイはほっとしながら頷いた。駆け寄ってきたハルトと二人、シルキの真下へと走って行った。

 シルキを抱える精霊が何かを感じたのか、シルキと共にゆっくりと下降する。やがてケイたちの少し上くらいの位置まで来ると、向かい合う形で留まる。

 シルキの腰あたりに回された精霊の青い手が小刻みに震えている。その表情はシルキに隠れて見えない。

 休まず続く他の精霊たちの攻撃をいなしながら、ケイはシルキに向かってゆっくりと近づいていった。


「寄るな!」


 シルキは甲高い声で叫んだ。ケイは思わず足を止める。

 シルキは目と眉を吊り上げてケイを睨みつける。シルキの背後から、精霊がおずおずと顔を覗かせた。

 見た目はシルキと同じ年頃の少年らしい風貌の精霊の顔は、不安と恐怖の色に染まっていた。しかしその瞳はまっすぐにケイを捉えている。


 荒れ狂う精霊たちは本能めいた動きで攻撃を仕掛けてきている。ただケイたちを敵と見做し、排除しようとしている。そこに戦略も何もなく、それだけだ。恐怖も何も感じていない様子で突っ込んで来ては、返り討ちに遭って消え去っていく。

 しかしこのシルキを抱えている精霊だけは違う。明らかに自我を保ち、自らの意思でシルキを守っているのだ。


「おい、お前……」

「寄るなっつってんだろ! スピリスト……この精霊殺しの悪魔め!」


 シルキは三度叫ぶとケイを遮った。その言葉に、ケイは意外そうに目を瞬かせる。


「精霊殺し?」

「そうだ、これ以上こいつらに手出しさせるもんかっ」


 シルキは精霊の手を振り解くと地面に着地した。

 精霊の前で両手を広げる。シルキは小さな体で精霊を背に庇ったのだ。ケイはそれを見て目を丸くしたが、すぐに一度瞑目すると、短く息を吐き出す。


「ハルト。悪い、そっちは任せる」

「あいよー」


 軽い口調を置いて、ハルトは剣を構えて跳躍した。そのまま彼は再度精霊たちとの戦闘へと興じる。

 ケイはシルキに向けて右手を上げた。手首の青い石が光を強めると、彼の手を中心に冷たい空気が噴き出る。

 凄まじい冷気があっという間に辺りを包み込む。冷たい空気の壁が、まるで障壁のようにシルキとその背の精霊を閉じ込めた。


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