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5-18 あと少しだけ


「そんな……そんなことって……」


 リサはぽろぽろと涙を零す。震える手に力を込めると、銃をぐっと握りしめた。


「そんなこと、あの人は教えてくれなかった。この力は好きに使えばいいって、それだけで……」

「あの人?」


 譫言のようなリサの言葉に、ハルトはぴくりと眉を跳ね上げる。


「あの人って何? お前に精霊石を渡した奴って誰なの?」


 早口で言うと、ハルトは観覧車の太い骨組みの上を一歩踏み出す。少しずつ動いている観覧車は、不安定に軋む音をあげた。

 もうすぐ一番高いところに到達するようだ。斜め上に進む角度が小さくなってきている。一瞬だけ下に目をやると、騒ぎを聞きつけた人やスタッフが集まってきているのが小さく見えた。

 ハルトが近付こうとしていることに気付くと、リサは一歩後ずさる。人が乗れるとはいえ、ゴンドラの上はさほど広くない。リサは足元を振り返ると、より一層の恐怖に顔を歪めた。


「答えろ、リサ。政府がお前を追っている理由はそれだ。誰に精霊石を渡された!?」

「し、知らない。これをもらったらすぐ、あの人は消えたの。それから会ってもいないわ」


 リサは首を小刻みに横に振る。また一歩彼女が後ずさると、ハルトは容赦なく距離を詰めようとする。彼の口調はだんだん強いものに変わっていった。


「知らないって、じゃあ何でそいつと会ったんだっ? 精霊石なんてもの……」

「来ないで! 大声を出さないでよ!」


 リサはぎゅっと目を瞑って叫ぶ。思わず引き金を引いて銃を数発発砲すると、そのひとつがハルトの頬を掠める。狙いは全く定まっていない。

 だが、発砲の衝撃の反作用に、不安定だったリサの足元は大きくふらついた。踵がゴンドラの上からはみ出ると、重力に引き寄せられて背中から身体が傾く。


「……あっ……!」


 リサの身体は、大きく弧を描いた。真っ逆さまに落ちて行こうとする彼女に、ハルトは手をのばす。だが、あと少しのところで空を切った。


「リサ!」


 ハルトはリサを追ってゴンドラから飛び降りた。

 悲鳴をあげるリサを空中で抱き寄せると、ハルトは彼女を庇って地面へと落下する。

 風と重力を遮るように包み込まれた体温に、リサははっと我に返る。観覧車の真下で、ハルトは彼女を抱きしめたまま倒れ伏していた。

 リサは半身を起こすと、必死でハルトの身体を揺さぶる。


「ちょ、ちょっと! ねぇっ」

「捕まえた」

「え?」


 涙目のリサの手首を、不意に伸びてきたハルトの手が掴む。固まるリサをよそに、ハルトはやれやれと身体を起こした。

 そのままリサを引っ張って立ち上がるハルトは、どこを見ても大きな怪我をしている様子はない。頬の傷はもう、治りかけていた。


「ど、どうして? あの高さからどうやって……」

「オレの能力は魔力で剣を作り出して操れるんだ。人が乗れるくらいのものもね。ぎりぎりだったけど、地面に叩きつけられるまえにオレらの身体を乗せてすくい上げた。一瞬死んだかと思ったけど」


 得意げに言いながらも、ハルトは青い顔をして深々と息を吐いた。上を見ると、先ほどまで乗っていたゴンドラが丁度一番上に到達したところだった。今更ながら、リサは恐怖に息を呑む。


「なんでそんな無茶してまであたしを助けてくれたの?」

「うん? 任務で生きて捕まえて来いって言われたし」


 しれっと言って顔を背けたハルトに、リサは何も返せなかった。

 夕日を受けて、ハルトの金髪が赤く染まっている。彼の横顔はとても綺麗で、目が離せない。

 リサの視線に気付いたのか、ハルトは振り向くと彼女の腕をぐいと引き寄せた。


「お前、もうほとんど魔力残ってないだろ。もう抵抗すんなよ。政府に着く前に死ぬぞ」

「え、あ……」


 ハルトに身体を引っ張られて、リサは狼狽えた声をあげた。

 抵抗など無意味だ。リサとて、それくらいのことはもう理解していた。悲しげにうなだれると、重い足を動かしてハルトについていく。

 前髪に隠れたリサの表情を透かし見たかのように、ハルトは振り向くと表情を柔らげた。


「オレができることなんて、本当はほとんどないんだ。だけど、お前を捕まえる代わりに、見届ける義務がオレにはある。そこまでは一緒にいるから」


 落ち着いた声音に、リサははっと顔を上げる。目に映ったハルトはどこか悲しげで、それでも優しい顔をしていた。


「だから政府なんて、利用されるくらいならこっちが利用してしまえばいいじゃん。少なくとも追われて、隠れて、逃げ回るよりは」

「……そうかもしれない。けど、わからないわ、あたしには」

「……あ、しまった」

「え?」


 急に顔をひきつらせたハルトに、リサは目を瞬かせた。辺りを見渡すハルトの視線を追うと、リサも青い顔をして固まる。

 何事かと集まったスタッフやドリームランドの客たちが彼らを取り囲み、大騒ぎになっていたのだ。

 園を人に非らざる速さと動きで駆け回るわ、観覧車をものすごい勢いで登るわ、あげく派手に落下して無傷だわ、一般人からすればとんでもない奇行の数々。騒ぎになるのも当然である。


「……あー、リサ。お前、あと一回でいいからあの香り使える? ちょっとこれは後で怒られそう……」


 空いた手で頭を掻きながら、ハルトはぼそぼそと言う。


「ええ。香りは魔力の消費が少ないし、それくらいなら」


 リサは頷く。確かにこの騒ぎを放っておけば、後々面倒なことになりそうだ。リサの幻惑能力を使えば、記憶を攪乱することができる。

 礼を述べると、ハルトは一瞬考えたそぶりを見せる。彼の横顔を不思議そうに見るリサの方を振り向くと、彼は僅かに唇をつり上げていた。


「……ねえ、オレさ。田舎育ちだから観覧車なんて見るの初めてなんだ。お前遊園地って来たことあるの?」

「え、ええ。昔両親と弟と一度だけ。たくさん乗り物に乗って、楽しかった。いい思い出よ」

「そか。オレはまだないから乗ってみたかったんだよね。ゴンドラの上じゃなくて、ちゃんと中から景色が見たい」


 ハルトは観覧車を指さすと、いたずらを思いついた子供のように目を眇める。

 その顔に、リサもつられて笑う。少しぎこちないけれど、確かな笑顔を見せた。


「……そうね。ここはドリームランド。あと少しだけ、夢を見てもいいかしら」




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