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5-16 夢なんて見ない


「…………くそ」


 吐き捨てながらも、ハルトは辺りの気配を探りつつ、少女のデータに目を通した。

 少女は三年前、両親を亡くし、遠い親類である夫婦に弟と一緒に引き取られた。事実関係は明らかになっていないが、そこで日常的に虐待を受けていた疑いがある、と記されている。


「虐待……」


 思わず声に出すと、ハルトは息を呑んだ。


 それで家を飛び出したのだろうか。

 そして何らかのきっかけがあって、能力を得たのだろうか。

 わずか十三歳の少女が、この冷たい世界をただ、生き抜くために。


「……考えても意味ないか」


 自身に言い聞かせてメールを閉じると、ハルトは携帯電話をポケットに押し込む。

 代わりにその手に持った短剣をぎゅっと握りしめた。気配に導かれるまま、再び走り出す。


 ふと、脳裏に過る。

 この場所、「ドリームランド」で、少女は確かにこう言っていた。


「甘く、素敵な夢を見せてあげる」と。


 言葉の通り、ふわふわとして、とろけるほど甘い砂糖菓子のように、深いところを擽って響く声で。

 まるで彼女自身が溺れていくように、儚い目をしながら。


「……何が夢だ。そんなもの」


 低い声でそうこぼすと、ハルトはきっと目を吊り上げ、前方を睨みつけた。


「オレは夢なんて見ない。オレが見ているのは、やらなきゃならない使命(こと)だけだ」


 気配が強くなる。

 少女との距離はおそらく近い。相手も少しずつ移動しているようだが、ハルトの足の方が上回っているようだ。

 ゲームコーナーを通り過ぎ、巨大な風船を携えた着ぐるみたちとすれ違うと、いっそう煌びやかなアトラクションが見えてきた。

 少しずつ赤く染まっていく空に柔らかな音楽を響かせて、たくさんの回転木馬が回っている。

 無数の電球がぴかぴかと光る。お姫様が乗るような馬車も、王子様が乗っているような真っ白な馬も、ゆったりと上下しながら回っている。

 夢の中にいるような、淡い色のお菓子を乗せて。そして、そのどれよりも輝く笑顔の子供たちを乗せて、くるくると。

 メリーゴーラウンド。そのアトラクションの前で、白い服を着た少女が荒い呼吸をしながら俯いていた。

 大粒の汗を滴らせて、伏せられた睫の下に見えた瞳は力なく揺れている。この夢の国に不釣り合いなその横顔は、残酷なまでに浮き彫りになっていた。

 ハルトに気付くと、少女は一度大きく肩を踊らせて振り向く。帽子の下から、漆黒の目が大きく見開かれたのが見える。


「……くっ!」


 少女の体力はおそらくもう限界に近い。それでも、動こうとしない足を叱咤して、少女はまた逃げ出した。

 ふらつく少女を捕らえようと、ハルトは手をのばす。


「おい待てっ! いい加減にしろ、それ以上は……」

「うるさいわね! ほっといてよっ」


 鬼のような形相で、少女は再び振り向くと金切り声をあげる。白い帽子を荒く掴むと、ハルトの顔面に思い切り叩きつけた。


「うぶっ!?」


 突如として視界と呼吸を阻まれ、ハルトは妙な声をあげて怯む。その隙に、少女は白い服を引き裂いて脱ぎ捨てると、元の黒い服を着た姿で走り去った。

 彼女の赤茶色の長髪が、尾のように大きく揺れる。


「ちょ、待てっ」


 ハルトは帽子を地面に叩きつけると、再び少女を追いかける。

 元々被っていた黒いテンガロンハットが、少女の背中で揺れていた。

 少女の魔力も残り少ないのだろう。精霊石により、魔力は体内で常に増幅されてはいるものの、限界はもちろんある。使いすぎると動けなくなるだけでなく、命を落とすことさえある。彼女はそれを分かっているのだろうか。

 少女の目の前に、人が乗れるくらい大きなカップが回るアトラクションが迫る。彼女は強く地面を蹴ると、二度の跳躍でそれを飛び越えた。

 アトラクションを楽しんでいた家族連れが大きくおののきながら、少女を見上げている。その後を、ハルトも同様にして飛び越えた。


「ああもう、いい加減にしろよっ」


 このまま縦横無尽に暴れていては、園内がパニックになりかねない。スタッフは政府から連絡が行っているのか、ハルトを見かけても冷静に客を誘導しているが、それも限界がある。

 ふと、軽快な音楽がハルトの耳に届いた。そちらを向くと、鮮やかな色の衣装を纏ったたくさんのスタッフや、うさぎの着ぐるみたちが音楽に合わせて踊りながらパフォーマンスをしている。パレードだ。周りに観客も多く集まっている。


「やばっ」


 ハルトは声をひきつらせた。

 このまま行くと、少女とぶつかる。少女は足を止めようとしない。むしろ彼女の能力的には、人が多い方が攪乱しやすい。

 ハルトは手にしていたままだった短剣の柄を握りしめる。前方を走る少女の背中を今一度鋭く捉えると、彼は右手を一閃して短剣を放った。


「きゃあっ!」


 悲鳴をあげながら、少女はその場で転倒して地面を転がる。剣が彼女の足を掠めるように投げたのだ。 少女は太股に描かれた赤い線を押さえると、苦悶の表情を浮かべる。

 だが、それもかみ殺すと、少女は痛む足を庇いながらもまた立ち上がる。

 憎悪に満ちた目でハルトを睨みつけると、少女は驚くスタッフやパレードの観客たちを避けて跳躍する。


「あ! くそ、まだあんなに動けるのかっ……」


 ひとまずパレードに突っ込むことは阻止できたものの、ハルトは思わず顔を顰める。

 少女は跳ねる。目の前にあった、巨大な円を描いて回る複雑な骨組みを伝って、上へ上へと登っていく。

 幾重にも重なるそれは均整が取れていて、幾何学的な模様にも見える。

 円の外側にいくつもぶら下がった、七色の乗り物がゆっくりと回転するのを足場にしながら、少女はまるで舞うように上昇する。

 ハルトは目を見開く。真下から見るとより大きくて圧倒され、遠くから見るとひたすらに惹きつけられたその乗り物の名を、茫然と口にした。



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