6.にゃ?
柔らかい。あったかい。ふわふわ気持ちいい。
なんだか幸せな気持ちで僕は寝返りを打とうとしたんだけど。
「んん?」
あれ? 野宿の地面はともかく、安宿のベッドよりずっと柔らかいな。それになんだかふわふわくすぐったい。なんだこれ。
目を開けて確認しようと思うんだけど、まぶたがすごく重い。眠い。
「ルイさん?」
意識がまた沈みかけたところで、綺麗な声が僕を呼んだ。聞き覚えのある、心地いい声。そうだ僕、この声の人を守りたくて‥‥‥。
守りたくて、守れたんだっけ……?
途端に気絶する前の状況を思い出した。
そうだ! 崖から落ちたんだ。
「ヒヨリさんっ!?」
がばっと体を起こす。途端に目の前が暗くなって力が抜けた。座っていることも出来なくて、ベッドに突っ伏す。ぽよんとした弾力と温もりと、ふわふわとした毛の感触。
ん? 毛が生えたベッド? ってこれ、ベッドじゃないよね。
んなーお。
「うわぁっ」
頬をざりっとやすりがけされて、僕は思わず悲鳴を上げた。
「ね、ねこ? え? でかっ」
やすりだと思ったのは、大きな猫の舌だった。僕が寝ていたのはベッドではなく、大きな猫のお腹の上。どおりで温かくて柔らかいわけだ。
真っ白な体毛にうっすらと浮かぶ縞模様。宝石みたいなブルーアイ。ふさふさのしっぽ。それだけなら長毛の猫だけど、とにかくでかい。僕の身長の三倍はありそう。
ざりざりっ。
「痛たたっ」
大きな猫がまた頬を舐めた。猫の舌ってざらざらだから、この大きさだと結構痛い。頬がひりひりする。
「ストーーップ。ごめんなさい。あなたの舌は私たちには痛いんです」
にゃ?
間に入ったヒヨリさんが両手を上げてお断りすると、巨大な猫は小首を傾げた。
可愛い。けど。どういう状況??
いや、そんなことより。
「ヒヨリさん、無事ですか? 怪我は?」
僕が下になったとはいえ、かなりの高さから落ちたんだ。怪我をしてもおかしくない。
力の入らない腕をなんとか突っ張って起き上がろうともがいたけど、肩を押さえられてしまう。
「無理しちゃ駄目です、ルイさん! まだ寝ていないと」
僕を覗きこむヒヨリさんは、ぱっと見、怪我はしてないみたいだけど。顔色は少し悪い。
「私は大丈夫です。ルイさんが守ってくれたから、怪我もありません。私よりルイさんの方が酷い怪我だったんですよ」
「‥‥‥あ」
途中から記憶があいまいだけど。僕は魔法で火傷を負っていたし、背中からお腹にかけてばっさり斬られた。
それに落ちた崖はかなりの高さだったから、あちこち骨折していたはず。
それなのに、めまいがするくらいで痛みは全くないということは、ヒヨリさんがスキルで治してくれたんだろう。顔色が悪いのはきっと魔力切れだ。
「すみません。僕を治すために無理をさせてしまって」
「ルイさんに比べたら無理のうちに入りませんよ。無事じゃないのはルイさんですよ。死んじゃうかと思うくらい怪我だらけだったんですから」
じわっとヒヨリさんの目尻から涙がにじんだ。
「ひ、ヒヨリさん?」
ぐすっと涙を拭ったヒヨリさんが、指を一本立てた。
「体にどこか痛いところとか、吐き気や頭痛はないですか? この指何本に見えますか?」
「どこも痛くないです。吐き気もありません。指は一本です」
「良かった」
はああ、と大きく息を吐くヒヨリさんの顔色がさっきよりよくなった。もしかして僕のことが心配で顔色が悪かったのかな。うう、ごめんなさい。
「ルイさん」
ヒヨリさんの手が、僕の頬にそっと触れる。
え、ええ? 近い
「ほっぺた擦り傷になってますよ、『ぽかぽか』『回復』」
あ、ひりひりすると思ったら、傷になってたのか。
ドウェインたちから逃げる時といい、身体中の傷といい、ヒヨリさんにはお世話になってばっかりだ。
「ありがと「ありがとうございます!」……え?」
なんでヒヨリさんがありがとう?
「ルイさんがいなかったら私は殺されていました。本当にありがとうございました」
へ? いやいやいや。
「いや、僕はボロクソにやられて逃げただけですよ。ヒヨリさんが回復してくれなかったらあっさりやられてましたし」
「そんなことないです! 格好よかったです!」
僕の頬から手を放したヒヨリさんが深々と頭を下げた。
「守ってくれて、ありがとうございました」
「……あ……」
そっか、僕。はじめて誰かを守れたんだ。
その事実が、じわじわと沸いてきて、僕の胸をいっぱいにして溢れそうになった。
やば。泣きそう。
「すみません。こんな風にお礼を言われたのはじめてで」
目頭と頬が熱い。何度もまばたきをして、熱を落ち着かせた。
「これから色んな人にいっぱい言われますよ」
お世辞でも嬉しい。けど、そんなことはないと思う。
「はは、頑張ります」
「あんまり頑張り過ぎないで下さいね」
「あはは。頑張らなきゃ死ぬから頑張っただけで、あんなこともうないですよ」
「ふふ。そうですよね」
よかった。ヒヨリさんがやっと笑ってくれた。
「‥‥‥あの、ところで」
さっきから興味津々といった感じで、澄んだ青い瞳を向けている巨大猫を見る。
子猫にするみたいに僕をくるんと包んでいて、さっきからひげがこしょこしょと当たっていた。ちょっとくすぐったい。
敵意は全く感じられない。ヒヨリさんに止められてから舐めるのを止めているし、僕たちの会話を大人しく聞いているから知性もありそう。
もしかして。もしかしてだけど、この猫って。
「私もよく分からないんですけど、この猫が川に落ちた私たちを助けてくれたんです」
落ちた川は流れが速く、意識のない僕を抱えては思うように泳げなくて、溺れかけたんだそう。
僕なんて放っておいて自分の命を優先してくれたらよかったのに、と思うけど、それが出来る人ならドウェインたちの前に立ち塞がったりしないよな。
とにかく溺れそうになっていたら、突然光が僕たちを包み、水の中から川辺にいた猫のところまでふよふよと浮いて移動したんだって。きっと浮遊魔法だ。ってことは、やっぱり。
「あの。この世界の猫ってこれが普通なんですか」
「そんなわけないですよ。普通の猫はこれくらいの大きさで、ネズミとか小動物を獲ったりする動物です。魔法なんて使えません」
「なんだ、猫は一緒なんですね」
僕が慌てて首を横に振ると、世界の共通点を見つけたからか、ヒヨリさんがほっとした顔をした。
「こんなに大きな猫はモンスターか聖獣です。敵意がないですし、ここの空気は澄んでますから聖獣かと。聖獣は聖女を助け、瘴気を浄化してくれる存在なので」
にゃう。
猫が青い瞳をゆっくりと瞬かせた。しっぽが小さくぴくぴくと揺れる。
すごいなぁ。伝説の存在がここにいる。
僕を包む柔らかい毛並みをそっと撫でた。
聖獣は勇者か聖女の前にしか姿を現さない。
もう一人の聖女がどうなのか知らないけど。ヒヨリさんは偽物なんかじゃない本物の聖女だ。
聖獣が大きな頭をすりっと僕のおでこに当てた。そのまますりすりとこすりつけながら、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「私よりルイさんに懐いてるみたいですよ」
聖獣がぴくっと耳を動かし、今度はヒヨリさんに頭をこすりつけた。ヒヨリさんより僕に懐いてるって言ったから、そんなことないよって意思表示かな。
「ヒヨリさんと一緒にいるから仲間認定してくれてるんですよ。弱ってるからヒヨリさんより僕に世話を焼いてくれてたんでしょう」
ヒヨリさんのおまけで、僕にも好意的に接してくれたんだろうな。
「ボロボロでしたものね。回復スキルが途中で上がってくれて本当に良かったです」
え?
僕はぽかんと口を開けた。
「どうしました?」
「ええと、途中でスキルが上がったって言いました?」
「はい。経験とか熟練度でレベルが上がるんですよね? ルイさんが戦ってくれていた時、何度もかけたからだと思うんですけど。F級からE級になったんです」
そんな馬鹿な。スキルの等級が上がるなんてはじめて聞いた。
「医者じゃないからなんとも言えないんですけど、ルイさん血を吐いてたから多分内臓やられてましたし、背中の傷は凄かったし、骨折も一か所じゃなかったですし。スキルが上がらなかったら死んでたかも」
そういえば回復スキルの効きが急によくなった時があったな。あれってスキルの等級が上がったからだったのか。
聖獣といいスキルの成長といい、ヒヨリさんは本当にすごい聖女だ。




