第八話
本日は終戦記念日……祖国のために亡くなった人のために黙祷を捧げましょう……。
韓国は戦前戦後とあれだけ支援しておきながら陛下に謝れとか……ほんと何を考えているのか……。
それから二年の時が流れた。
「……そろそろノモンハンになります」
「何としてもソ連に大打撃を与えてやらねばな」
集まった会合で東條が呟いた。
「ですが叩きすぎると倍返しになる可能性もあります」
「うむ。満州とソ連の国境にはこの二年でかなりの防御陣地を構築している。万が一、ソ連が満州に入り込んでも十分に対処は出来るだろう」
東條はそう言う。
「戦車部隊も既に満州にいるし九七式戦闘機二型も新京に集結している」
戦車は九七式中戦車と九五式軽戦車改であるが性能は史実より上回っていた。
九七式中戦車は前面装甲が七五ミリで、戦車砲は九〇式野砲を戦車砲にして搭載した七五ミリ戦車砲である。
九五式軽戦車改は前面装甲を三五ミリにして三七ミリ戦車砲を搭載している。
「野砲も九〇式野砲を主力にした部隊が満州に駐留している」
また、満州に展開している陸軍航空隊の戦闘機は九七式戦闘機二型である。
九七式戦闘機二型はエンジンを中島の九百馬力のエンジンを搭載して最大速度は四九〇キロを出した。
武装は機首に七.七ミリ機銃二門と主翼に十二.七ミリ機銃二門を装備している。
また、海軍は九六式艦上戦闘機二二型が配備されていた。
エンジンは九七式戦闘機と同じ中島のエンジンであり、最大速度は五一五キロを出している。
何故九六式艦上戦闘機が五百キロ代を出しているのかというと、史実で零戦五二型以降がエンジンの排気によるロケット効果を利用し、速度向上を狙った推力式排気管を採用しているからである。
更に二機種とも最新鋭の航空無線を載せている。
「海軍航空隊もノモンハンが始まれば九六式艦上戦闘機六十機、九六式陸攻四八機が第一陣として準備しています」
山本中将が発言をする。
「……ドイツやアメリカからの工作精密機械が無ければどうなっていたことやら……」
杉山が呟いた。
ドイツから届けられる工作精密機械は日本の各工場で大活躍をしていた。
工作精密機械の活躍で陸海の将官達も工業力に関心を持ち、更にドイツから輸入をしている。
それを買うカネであるが、皇室の財産を一部削減したり朝鮮に対する投資を中止して充てていた。
ただし朝鮮からの反感もあると予想してソウルと平壌のみはインフラ等の投資を継続させていた。
造船所も各地へ分散している。
輸送船やタンカーはブロック工法や電気溶接をしたりして数を増やしたりしている。
なお、輸送船やタンカーは全て速度向上が求められ、最低でも十八ノット、最高で二六ノットと決められて機関の交換が行われている。
「……全ては準備が完了しているわけだな」
首相である平沼騏一郎が呟いた。
なお、平沼内閣の人員はほぼ史実通りであるが陸軍大臣は杉山が海軍大臣は永野修身が就任していた。
史実での海軍大臣は米内光政であるが、米内は伏見宮の暗躍により予備役にさせられていた。
主な理由は史実での女好き(ソ連大使館等の赴任でハニートラップに掛かった可能性あり)や原爆投下の天祐の言葉でたまたま会合に参加していた陛下が激怒したからである。
将樹の「後の極東国際軍事裁判で東條さんや永野さん達が裁かれたのに米内は何もされてませんから」が決め手だった。
本当は将樹や山本五十六が米内に対して引退するよう迫る予定だったが陛下の激怒により無くなったのであった。
「後は時間が来るまで待つしかないです」
「だろうな」
将樹の言葉に東條は頷いて、その日の会合はそこで終了するのであった。
そして五月十一日、第一次ノモンハン事件が勃発した。
史実で東支隊と山県支隊は負けるが、五月十五日に小松原師団長は戦車第三連隊から九七式中戦車二両と九五式軽戦車改五両を支援要請をして支援に加わっていた。
そしてソ連軍のBA-6装甲車十六両を二両を残して撃破したのである。
しかし小松原師団長はソ連軍の増援を警戒して撤退を決断。
ハルハ川東岸は再びソ連・モンゴル領となったのである。
一旦は戦闘は終了したが、部隊の壊滅に驚いたソ連軍はジューコフをノモンハン方面の司令官にして大規模な増援を送らせた。
これに対して関東軍は安岡中将の第一戦車師団(二個戦車連隊)と新たに第二戦車師団(二個戦車)を創設してノモンハン方面に送った。
なお、第二戦車師団長は牟田口少将であった。
戦車師団の運用のために牟田口が選ばれたのだ。
これにより、自身の史実を知った牟田口は戦車兵等から直接戦車の運用を学び、日本の戦車戦闘の第一人者とまで言われるようになった。
戦車は九七式中戦車等があるが、八九式中戦車改も多数あった。
八九式中戦車改は五七ミリ戦車砲を九五式軽戦車砲の三七ミリ戦車砲に交換して速度も三八キロと向上させていた。
しかし、装甲はそのままなので現地にて追加装甲が装着されて前面装甲は四五ミリとなった。
これにより速度は三八キロから三十キロまで低下したが仕方ない事である。
そして陸軍航空隊も続々と派遣され海軍航空隊も第一次陣が派遣されたのであった。
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