私はかしこくなった!!!!
エスカトレ王国のコハルの街へ行くという話をしてから、さらにひと月後。
いよいよ出発の朝がきたよ!いえええい!!!
私がこの世界へ来たのは「花の季節」が終わる頃。五月くらいだったらしい。寒いと思ったのは気のせいじゃなくって、この国……ヴァルナ帝国は北のほうに位置しているので寒めなんだって。
花の季節とかおっしゃりながら、自生してる花とかほぼ見たことのないこの町でまるっと過ごし、「恵みの季節」である雨季も引きこもり三昧のまま終え、今は「火の季節」に入って少し経ったくらい。
ちなみに、「火の季節」はこれからしばらく続くそうで、七月と八月をまとめて夏って覚えた。かしこい。
秋の「大地の季節」を経て、「氷の季節」へと入り「春の季節」で一周らしい。
一週間は六日。大地・炎・水・木・鋼・大樹と並んでおり、大樹の日が一般的な休日だ。
日付は割と適当で、今日なら火の季節で一回目の炎の日だ。
めちゃめちゃ頑張ったので、日常会話から軽い冗談まで理解できるようになったし、日付だとかお金のこととか。そういう子供も知ってるようなことも教えてもらった。
ただ、相変わらずニュアンスがうまく伝わらずにもどかしい思いをすることはあるけれど、そこは要勉強中だ。
荷造りを終え、可愛らしいキャリーバッグはもうパンパンだ。
この世界に来たときには財布とスマホ、ハンカチ。メイク直し用ポーチが入ったバッグだけだったっけ。
財布無くても、最悪スマホがあればおっけーだった頃が懐かしい……。
あっ、これはギルがあの時くれたやつ……!!などなど思い出しながら詰めたのでとても時間がかかったのは内緒です。
邪念で……違った、荷物でパンパンになったキャリーケースを持ち上げようとしたら、いつものごとくギルがひょひょいっと持ってしまったので、私の手荷物といえば首から下げた鍵と、ゴーグル付きのヘルメットだけだ。
この鍵は、こちらの世界に来た頃にタンスの下からギルが拾い出してくれた例の鍵だ。
レトロなデザインの大きな鍵で、私の持ち物ではないけれど……当時は上手く伝えることができなかった為、渡されるがまま私の物となってしまった。
無くさないようにと、革紐で下げられた上に木彫りネコモチーフも一緒に推しが笑顔で首にかけてくれたのだ。
今更自分のものではないなんて言えるはずもない。どこの鍵だか知りませんが、一生大事にさせていただきます!
短期間しか住まなかったけれど、それでも思い出の詰まった場所だから、さみしくないと言えば嘘になるけれど、次に行く国が楽しみなのも事実だ。
◆◆◆
ヘルメットを持って外に出たので、つに私もバイクデビュー!!って緊張しながら見回したけど……外には特になにもなく、キョロキョロとする私を見たギルは悪戯っぽく笑いながら戸締りをし、私の手を引いて歩き始めた。
「移動手段は預けてあるから。そこまでは少し歩くんだけど、ごめんね」
「全然大丈夫だよ!荷物大丈夫?重たいでしょう」
「こんなの全然へっちゃらだよ」
居住区から少し離れた区画の、露店が立ち並ぶ通りのいつもの買い物コースを抜け、どんどん家から遠ざかっていく。
「ちょっと寄り道してもいい?」
「大丈夫だよ。買い足し?」
「いや、必要なものは全部そろっているんだけど……この国を出る前に、どうしてもシュナちゃんに見てもらいたいものがあるんだ」
手を引かれながら、ギルと私が最初に出会ったぶっちぎりで治安の悪い通りを抜け、今まで私が行ったことのない区域に入った。
しばらく歩いてから、あることに気が付いて私はびっくりした。
土の地面じゃない!
綺麗に石畳で舗装された広い道。
美しいデザインの街灯が規則正しく並んでいる。
でも、こんなに美しく整備されている区間なのに閑散としており、ほとんど人は歩いていなかった。
なんだかガランと寂しげに感じるのは、人が居ないからというのもあるけど、こんなに綺麗に舗装されているのに、花どころか草木の一本すらも生えていないからだと、少し歩いてから気づいた。
通りには建物はなく、本当にガランとしてる。立派な通りだけど、本当に何もない。
見かけるのは古めかしい銅像だとか石像だとか。この世界に来てから慣れ親しんだごちゃごちゃとした鉄パイプは見かけない。
この気持ち悪さは……そうか。例えるならば、何も誰も居ないオフィス街。看板ものぼりも何もないオフィス街のような、そんな気持ち悪さ。
ゾンビでも出てきそう……。そう思って周りをきょろきょろとよく観察すると、遠くに人が立っているのが見えた。警備兵なのか軍人なのか、かっちりとした服を着てしゃんと背筋を伸ばした人だけだ。よくよく見るとあちこちに配置されているので、住民ってわけではなさそう。
数人しか見かけなかったけれど、どの人も深々と帽子を被っているから、遠目からでは表情はうかがえない。
特に咎められることもないので、立ち入り禁止の区域とかいうわけではなさそうだけれど、なんだか物々しい場所でどきどきしてしまう。
はいはい!!私、特に何も悪いことしてないですよ!ってアピールしたくて背筋が自然に伸びてしまう。逆に怪しいやつだよって莉々奈によく言われてたっけ。
自然にする。自然な私ってどんなだったっけってギクシャクとした動きになってきた頃。
ギルが足を止めて振り返った。
「シュナちゃん。この先なんだけど」
私たちが歩いてきた石畳の道は、高く積まれた石塀によって不自然に塞がれている。まるで通せんぼするかのように、左右に壁は広がっている。道はまだ続いているのにだ。
不思議に思って近寄ると、石塀の上に登れるように小さな階段が設置してあった。
促されるまま階段を登りきったところで……眼下に広がる光景に私は思わず息を呑んだ。
先ほどの道が石塀の内側までしばらく続いているものの、辺りの地面ごと突然プツンと途切れて消えてしまっている。
崩れてしまった……ううん。その区画ごと陥没してしまった地面の中央には水没した巨大な要塞があった。
しかし、もう使われていない……ううん。もう絶対に使えないんだと一目で分かる。
建物の中央は、まるで隕石でも落ちてきたかのように大きく抉られている。
石柱がばらばらに吹き飛んで刺さったままだったり、辛うじて階段だったのかと思う痕跡も見える。
随分と前のもの……もはや遺跡に近いのだろう。地上に出ている部分くらい苔や蔦で覆われて風化していくだろうに、この場所には植物の気配は全く無いからそのままだ。
陥没した地面のあちこちから、澱んだ色の水がごぼごぼと溢れて流れていく。
それらの筋はどんどん繋がり川となって、町のほうへと流れ込んでいっている。
きっと、この要塞は修理することも撤去することもできないんだ。
「大きな建物の跡……?町の環境が悪いのは、もしかして」
私の言葉にギルは頷いた。
いつも元気いっぱいの尊い笑顔が陰っている。
「昔々、そこは要塞に守られた王城だったんだ。自分の身の丈に合わないものを欲しがった人たちが住んでいたんだよ」
「王城……。もしかして、地図に書いてあったお城のマークって」
ギルは肯定し、金の長い睫毛がそっと伏せられる。そして、目の前の惨状の跡へと視線が向けられた。
「”太陽に近づきすぎた英雄は翼を焼かれ地に落ちる”ってね」
「それって……」
イカロスじゃん。ギリシャ神話じゃんってめっちゃ思ったけど、そのまま話を聞くことにした。
「ヴァルナ帝国の人たちは、五百年前のこの事件を氷の魔女の厄災って呼んでる」
「氷の魔女……」
私は、この世界に来てから色んなことを学ぶ過程でたくさんの絵本を読んだ。
今回の旅で近くを通ることになる、地図中央に描かれた木が世界樹と呼ばれる大樹だということも、もう知っている。
なんの絵本を読んでも必ず出てくるのは世界樹と精霊。そして、魔女たちの存在。
昔はいろいろな魔女がいたんだって。
元の世界のおとぎ話では魔女って怖い存在だけど。この世界では善き魔女と表現されていた。
泉の善き魔女、森の善き魔女、鋼の善き魔女……色々な魔女たちが描かれていた。
現れる時代は様々だけれど。彼女たちはヒト族の善き友として手を取り合い、世界を発展させていったのだという。
魔力はあるが、その力を存分に振るうことのできないヒト族の為に精霊石を作ったのも魔女たちだ。
でも、恐ろしい氷の魔女の出現により、ヒトは世界樹へと近づくことはできなくなり、すべての魔女と精霊の王たちは一斉に姿を消し、精霊石の力は弱まり……氷の魔女の呪いだけがこの国に残ってしまったのだと。
なんだかふわっとした話だけど、私の読んできた絵本は全部こんな感じだった。
突如現れた恐ろしい魔女の呪いにより、帝国は汚染されてしまう。
勇者に退治されたわけでもなく、そのままフェードアウトする氷の魔女。
別にめでたしめでたしになる訳でもなんでもない。
絵本だからかもだけど、オチがふわっとしてるし、氷の魔女の意図がよく分からないなと思っていたけど……。
「ね、ねえギル。氷の魔女は、なんでこんなことを」
「……」
ギルと目が合った。
遥か五百年前のおとぎ話。それを語るだけなのに、彼の色違いの瞳は翳りを増していた。
引き込まれるように目が離せないでいると、珍しく彼の方から目をそらした。
「きっと、こんなことになるとは思っていなかったんじゃないかな」
「自分で呪ったのに?」
ギルの口が何かを言ったけど、高台のこの場所ではよく聞き取ることができなかった。
「ごめん、よく聞こえなくて」
「いいんだ。独り言だよ……。この話は五百年も前の出来事でね。それもたった数人のために起きた災いなんだけど。今、生きているこの国の人たちにとってはさ、本当に御伽噺のような話なわけで。でも実害は残ってるってさ、すごく迷惑な話だよね」
シュナちゃん、おいでと手を引かれ、私は促されるまま階段を降り始めた。
「この帝国の人たちは、それでも適応して生きている。帝国の掟が彼らをここからは簡単に出してはくれないんだ」
先を降りていくギルの顔は見えない。でも、なんだか少し怒っているんじゃないかなって思う。
「適応して生きているけれど、この帝国の人たちの寿命は短い」
「どれくらいなの?」
「四十五まで生きられたら長生きかな」
そんなの、元の世界だと早すぎる死になっちゃう。
「オレは、この帝国が滅びようがどうでもいい。ただ、ここに生きる人たちの為にどうにかしたいんだ」
階段を降りて、見上げたギルの表情は決意に満ちていた。
「オレは、シュナちゃんとエスカトレに行く。シュナちゃんとじゃないと意味がないんだ」
「私に、何かできるの?ギルがいないと何にもできない、ただのお荷物だよ?」
なんだか自分で言っていてしょんぼりしてしまう。
ネガティブになっても何もいいことないし、嫌いなんだけど。でも本当にそうなんだもん。
「大丈夫。シュナちゃんは一緒に居てくれるだけでいい。それにこの帝国は、シュナちゃんにとっても良く無い環境だし、オレか必ず守るから。一緒に行こう」
確かに。平均寿命四十五歳の場所とか、私じゃなくても普通に環境良く無い。
「私は、ギルが行くところ、どこでもついていくよ」
ギルはどこか申し訳ないような、でも嬉しそうに小さく笑った。
そんな顔しなくていいのに。
私とか、拾ってもらってこんなに親切にしてもらって。返しきれない恩返しを通りに銅像立てるだけで大丈夫かな?もう通りの名前ごと買い取ろうって決意してるくらいなのに。
いつものキラキラ笑って、間違った方向に全力投球しちゃう、そんなお茶目なギルが大好きなんだよ。
私にできることなら、なんでもしよう。いつか元の世界に帰る時の為に後悔は残さないんだ。
大丈夫。推しのご当地グッズの為に日本横断したこともあるんだよ。やればできる。成せば成る。
ちょっとでもこの気持ちが伝われ!!!って、この世界での大好きな推しへの想いを込めて、繋がれた右手にぎゅっと力を込めた。
「明日からしばらく留守にします」
「旅行でもいくの?」
「ご当地に行かないと買えないグッズがたくさんある」
「えっ、柊奈、ま、まさか……」
「大丈夫。イベントに合わせて連勤も終えた」
「大丈夫じゃないよ!?財布が死ぬよ!?」
「この為に働いてるからね!」




