御用命は、なんでも揃うクロース商会へ
遅くなりましたが、第二部です。
魔物について追記しました。
瞼に眩しさを感じて、目が覚めた。
深い緑色の布がドーム状に張られた天井が目に入る。
最初の頃は見慣れなかったけれど、今となっては見慣れた光景だ。
テント内の空気は寒すぎず暑すぎず、適温に保たれている。
昼間は暑いけれど、朝晩は割と冷え込むこの地帯でもブランケットのみで快適に過ごせるこのテントはもちろん、クロース商会製だ。布地に精霊石を砕いた塗料が含まれているとかなんとか……高そう。
いつもより少し早く目覚めたはずだけれど、わずかな隙間から日の光が差し込んでいた。
日の光を遮ってくれる木々がほとんど無いこの国では、朝の訪れが早い。
そして当然、木々の上で楽しく囀る小鳥も居ない為、最初に目覚めた時に静かすぎてびっくりしたんだっけ。
「あれ?」
頬がやけに冷たく感じて触れると、涙の跡がついている。眠っている間に自分が泣いていたのだと気づいた。
何か夢でも見たっけ……?
この世界に来てからどんなに恋しくても家族の夢すら見たこと無かったのに……。
内容は思い出せないけれど、なんだかとても悲しい夢だったような気がする。
私が酷い目に合うとかではなくて、悲しい誰かがいて、私には何もできなくって。ただ見てることしかできない、そんな無力感しかない悲しい夢……。
しばらくぼーっと考えたけれど、だいたいの夢がそうであるように朧げな悲しい気持ちも段々と曖昧になってきてしまった。
とりあえず外に出るべく目元をごしごしと擦り、ぐーっと伸びをする。それでもまだ覚醒しきらない体を無理矢理起こし、頭をぶんぶんと振る。よーし、起きるぞ!
ちなみに、寝起きの私の頭はいつも通り大爆発である。毎回のことではあるけど、これはしんどい。
元の世界に居た頃は、寝ぐせ直しウォーターなんて使ってたらマッハで消費してしまうので、諦めて朝からシャワーでザバーっといってたっけ。
懐かしく思いながら、ぐいぐいとブラシを通す。
ツバメがクローバーを咥えたマークが付いている、可愛らしい瓶から香油を少し手にとって髪になじませる。
この世界に来た頃にギルがくれたもので、もうふたつ目だ。他の香りもあるよって言われたけど同じものを選ばせてもらった。優しい金木犀の香りが広がって、幸せな気持ちになるんだよね。
そして、いつも通り頭上で一つに束ねる。
こちらに一緒にやってきた数少ない持ち物である大き目のシュシュだ。
学生の頃に幼馴染とお揃いで買って、それ以来お気に入りで使っていたのだけど……これを買った頃にはまさかこんな壮大な旅をするとか夢にも思っていなかったな。いや、当然分かるはずもないんだけどさ。
テントから這い出るとギルの後ろ姿が視界に入ってきた。
こんな朝早くから朝食の準備をしているのだろう。スープの煮えるいい香りが漂ってきている。
「あ、おはようシュナちゃん。よく眠れた?」
木のお玉を振り回す勢いでニッコリ笑顔で振り向く推しかわいい。
「おはよう、ギル。わあ……美味しそう……!」
野営だというのに、彼は毎回何かしら必ず一品作ってくれる。
あまり寝る必要がないと言っていたけれど、一緒に旅をしていくうちにそれは恐らく間違いであることに気が付いた。
睡眠をほぼ必要としないというのが正解なんだと思う。
恐ろしく快適なテントで寝るのはいつも私だけ。
ギルは常にバイクと火の番を買って出てくれているけれど、夜中にふと目が覚めた時もバッチリ起きて銃の手入れをしてたし、絶対寝てないと思う。
「っていっても、いつものベーコンと野菜だけどね」
「フリーズドライがあるの、本当にびっくりした」
「これは大地の魔女がある物を作る過程で偶然取得した技術でね。クロース商会が特許を持っているんだ」
「大地の魔女、異世界人じゃないの?」
「ふふ、シュナちゃんがそう思うのなら、そうかもしれないね」
そう。私たちがこんな豊かな生活をしているのは、ひとえにクロース商会様々だ。
化粧水にシャンプーコンディショナー。今の宿であるテントももちろんそうだし、家具や家電……とはこの世界では言わないんだった。精霊石を用いて動くものは全て精霊具と言われているそう。
とにかく、クロース商会が無くなったら途方に暮れる人、たくさんいると思う。
富裕層のオーダーメイドから、庶民の日用品まで。実に幅広いニーズをカバーしているそうだ。
「クロース商会って、本当にすごいよね。食品から日用品アウトドア衣類、バイクまでなんでもござれだもん」
「クロース商会って、元は冒険者ギルドから派生したんだよね」
「えっ!そうなの」
冒険者ギルド。ファンタジーにしてはどこか物足りないこの世界にも、そんな王道な施設が存在するなんて……!!
ファンタジー大好きだった私の血が騒いじゃうぜ。
「そっか。シュナちゃんには話してなかったっけ」
おいしそうなスープをお椀へと移しながら、思い出したかのように言う。
冷たい空気に白い湯気がもわっと立つと、とても美味しそうでよだれが出てきそう。あれ?よだれ出てきてない?大丈夫?
少し心配になって口の端を拭った私を見て、ギルは笑った。
「少し長くなるし、とりあえず食べながら話そうか」
◆◆◆
この世界には、私の知っているヒト族や亜人の他に魔族という存在がいるそうだ。
魔族は魔王の眷族であり、言語を解しヒト族と同じように暮らしていること。
もっとも、ここ数百年ほど魔族たちは北の台地に引きこもっているので今もそうかは不明だそう。大昔ははぐれ魔族っていう逃げ足の早そうな個体が各国を訪れたりして国交があったそうだけれど、今現在は完全な鎖国状態らしい。
北の広大な台地には魔王により強固な結界がかけられており、特にヒト族は立ち入ることもできないそうで情報も古いままなのだという。
魔族たちは統制がされており、滅多に姿を見ることはできないが魔物は違う。
文字通り『地中から湧いて出てくる』そうだ。
魔物にも二種類の存在がおり、魔獣と魔物に分別される。
魔獣とは下位の生き物で、特に縄張りを荒らさねば害の無いものの総称だ。
自然発生し、その辺に住み着いて自然界に宿っている聖力を摂取して生きている。見た目は大型の虫だったりウサギに角が生えたようなものや、羽の生えたネズミなど様々らしい。
魔獣の上位にあたるのが魔物。他者を害することを喜びとし、高い知能を有するもの……討伐の際に手ごわい相手となるのが魔物だ。
同じく聖力を摂取して生きているが、野生生物や植物の聖力ではなく、より濃い聖力……すなわちヒト族や亜人たちを好んで狩るのだという。見た目は様々で、ドラゴンのような見た目だったり双頭の動物だったりするそう。
魔物の中でも、稀に魔族に昇華する者達がおり、そう言った者達は北の台地を目指すのだそう。
「街道を切り開いたり、山を切り開く。そういう時には前もって大規模な魔獣狩りが行われるんだよね」
「そっか。工事中に襲われる前に狩っておかないとなんだ」
「そう。縄張りを荒らすのはこちらの都合で申し訳ないけれど、生活がかかっているからね」
話しているうちに、頃合いの温度になったスープにギルは口を付けた。
あれ?幻覚かな。ただのお椀が高級なティーカップに見える。なんだ、この気品溢れるイケメンは……。
「問題は後者の魔物だ。こちらは力も知能もあってね……困ったことに鉱脈や鉱山によく湧くんだ」
「おおう……それはとても困る」
「いつ湧くかは分からないから、鉱山や鉱脈では護衛を雇ったんだ。その仕事の斡旋や他の仕事の紹介をしていくうちに段々と冒険者ギルドの形態になっていったんだ」
なるほど。必要に応じて出来上がり、便利だからと広まり、腕自慢たちが集まり冒険者になっていったということなのかな。
猫舌な私にも飲める程、スープは程よく冷めていた。このフリーズドライ野菜には味もついていて、お湯に入れるだけでおいしくて。鍋に入れてベーコンを入れる必要は本当は無い。
なんでか聞いたら、ギルは「だって、鍋で作ってよそってもらったら美味しいでしょ」って笑って答えてくれたので、私は尊さで倒れそうになったことがある。
「冒険者ギルドが各地に出来て、ある程度固まった頃に……うーん。まあ色々あって便利グッズだとかを売り出し始めたギルドが出てきたんだよね」
「便利グッズ……ああ、テントだとか?」
「一番最初は髪の毛に使う香油だったんだって」
クロース商会の香油。それは私がつい先ほど使用した金木犀のヘアオイルだ。ま、まさかそんな歴史ある商品だったなんて……。
「それが爆発的ヒットをして、それから次々に色々作って……冒険者ギルドの片隅で行商してたけど、奥方にプレゼントするために貴族が来たりだとかで面白いことになったらしいよ」
空っぽになったお椀を洗いながら、ギルは楽しげに双眸を細めた。
「そっか。冒険者の集まるカウンターに貴族が……それはヤバそう」
「色々なトラブルも起きてね。お姫様が来ちゃったりとかね」
「えっ、ええええ!!!お姫様行動力やばすぎる」
「ね、ヤバいよね。さすがに大騒ぎになって、それで別にお店を持つことになって。そこから色々あって今の形態になっていったんだよ」
まるで思い出話をするかのようなギル。さすが、私の推しは博識だなあ。
「……オレも、一応冒険者なんだよね」
お椀を精霊石の力で出した温風で乾かしながら、ギルがポロリとこぼした言葉に私はポカンと口を開く。
「お、王子じゃなくて?」
「お、おうじ?違う違う。いくつか副業もあるけど……基本的に冒険者だよ」
「その副業に王子は含まれますか?」
「ふはっ、だから何、その王子って。シュナちゃんて本当面白いよね」
お椀を片付け、今度はテントを畳むのだろう。私は駆け出してテントの中のまとめてある私物とブランケットを持ち出した。
「オレはね、王子さまどころか、孤児だったんだよ」
「えっ」
一緒にテントを畳んでいた私の手が止まる。
これはいけない。非常によろしくない。もしかして私、大好きな推しの地雷を今までずっと踏んでいたのではないだろうか。
あまりの無神経さに指先の血の気が引いていく。
「あ、大丈夫。大丈夫だからね、シュナちゃん。オレは全然気にしていないし、家族もいるから」
「そっか、そうだったんだ……。よかった。いや、良くはないけども」
魔物が湧き出るこの世界。親や子を無くした人だってたくさんいるかもしれない。元の世界とは全然違うと改めて感じると同時に、他の人と話す機会があったら気をつけないとなって思った。
「オレは小さすぎて、母さんのことしか覚えていないんだ。ジルは……あ、オレの兄貴なんだけど」
「お兄さんですと」
聞きましたか???
推しにお兄さんがいるそうです。兄貴って言ってました。えっ、こんな神が与えた奇跡がもう一人いらっしゃるんですか、見たいんですけど。
「元々はね、ヴァルナ帝国の生まれらしいんだオレ」
支柱の抜けたテントを、ギルが畳んでいく。私は支柱の継ぎを外して小さくしていく。
「母さんと兄さんと暮らしてて。近所に優しいおじさんもいてさ。幸せだったのは覚えているんだけど……色々あって、母さんもおじさんも殺されちゃってさ」
「えっ」
「ヴァルナで生まれた人間は、名を縛られるから帝国から出ることができないんだけど、なんでかオレもジルも出れたからさ、儀式をなぜか受けていないってことになる。きっと複雑な家庭だったんだろうね」
なんでもないようにギルは笑った。その瞳には翳りは無くて、彼の中では終わったことなのだろうと分かる。分かるが、私の理解が到底追いつかない。
「儀式を受けてないことが幸いして、国外へ逃れることができたオレ達は色々あって、とある人に拾われて。今の家族と出会って、育ててもらった。それからなんやかんやあって、冒険者になったんだよね。生意気で、向こう見ずなガキだったんだけどね。オレは本当に恵まれていたんだ。色々な経験をさせてもらったし、色々な人と出会ってたくさん旅にも出れた」
何か言うべきだとは思うけど、何も言葉が出てこない私の手から、束ねた支柱を優しく受け取り、ギルは続ける。
「今はね、育ての親とジルには会うことが出来ないんだ」
これには、碧と菫色の宝玉のような瞳が少し翳った。
「……遠い所にいるの?」
「いや……」
ギルは少し遠い目をしてから、目を伏せて「近いけれど、すごく遠い所にいる」とだけ答えて、袋に詰めたテント一式を持ってバイクへと向かった。私も自分の小物入れを持って追いかける。
「二人は、オレの大好きな人たちで。オレの命なんて惜しくない大切な人たちなんだ。だから、オレの全てを賭けて助ける方法を探してた所だったんだ。……長い時間がかかったけど、シュナちゃんに会えた」
荷物を積み込み、ギルはこちらを向いて少し腰を屈めて視線を合わせた。
綺麗に澄んだ瞳に射抜かれ、私は一瞬呼吸を忘れる。
「どういう、こと……?」
「シュナちゃんは、オレの希望の星なんだよ」
「私、特に何の力も無いけれど……」
本当に申し訳ないんですけど、無くしたモノを探し出せる透視力とかも無いし、なんならあんまり頭も良く無いですし……。
ギルは何も答えず笑い、その大きな手で私の頭を撫でてくれた。
私の推しであり、命の恩人であり、大切な友人となったギルにとって、私という存在はなんなんだろう。
「私も、ギルの家族を助けたい」
「シュナちゃんは今まで通り一緒に居てくれたらいいよ。危ないことからはオレが必ず守る」
「一緒に居るだけでいいの?」
「うん。一緒に居るだけで楽しくて明るい気持ちになるし」
「全然お役に立てていないのでは……?」
「ははっ、一人じゃないことが大事ってオレの育ての親は言ってたよ」
ギルは悪戯っぽく笑って、碧の瞳だけを閉じてウィンクして見せた。
くっ、キザ……!!!でも似合っている所が憎い……!!!!やっぱり推せる……!!!
春を思わせる暖かな菫色の瞳を見て、ふと既視感を感じた。
厳しい冬を連想させる菫色の瞳を、どこかで見たことがある気がした。
ずっと我慢して、春の訪れを待つような、そんな……。
この世界に来てからの知り合いを頭の中に並べるけれど、紫の瞳の人なんてギルしか居なくて不思議に思う。
でも、私は両方とも菫色の瞳をどこかで見た気がする。そう、どこかで……。




