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side莉々奈6

 リリアンの家族となり、一年が経ち……朝を迎えた莉々奈は、いつもの朝ではないことに気がついた。

 ワンと同じ思念で呼びかけてくる声が聞こえる。聞き慣れた少し高めの男の子の声ではなく、落ち着いてはいるものの、少し幼い女の子の声だ。


 この世界に来た時に聞いた声だった。


(おはよう、莉々奈。私も今ね、起きたの)

(キミは、誰なの?)

(私は、この世界を支え、包むもの。リリアン達は()()()と呼ぶの)


 リリアンが”世界樹のお客様”と言っていた時から予感はあった。

 でも、実際にそう言われると衝撃は大きい。

 

(あの時からずっと眠っていたの?)

(そう。でも、こうやってお話するのは疲れる。莉々奈、きて)

(きてって、どうやって……)


 森の奥地は世界樹がある禁足地だとリリアンから教えられている。

 戸惑う莉々奈に、女の子の声は不思議そうだ。


(禁足地は、ヒト族が勝手に言っているだけだよ)

(そうなの?)

(私は、私の来て欲しい時には来れるようにしているよ)


 それを禁足地と言うのでは……そう思ったけれど、莉々奈は頷いた。


(リリアンさんに言ってからでもいい?)

(リリアンは来たらだめ。体がもたないから)

(体がもたない?どういうこと?)

(ワンはいいよ)

(ワンはいいんだ)


 それっきり。突然に会話は終わってしまった。

 足元におとなしく座り、会話に割り込むことなくお行儀よくしていたワンを見ると、ふわふわの尻尾をふりふりと振った。


(ね、わんはどう思う?)

(りりなの行きたいところ、りりなのしたいこと、全部ついていく!)

(ふふ、ありがとう)


 ここ一年の間、栄養が良くなった為……リリアナが甘やかしたとも言うが、一回り大きくなったワンは後ろ足で立つと前足が莉々奈の腰に付くほどに成長した。

 ふわふわの尻尾とふわふわの毛並み、ふわふわの両耳は莉々奈とリリアナがブラッシングを丹念にしているので新雪のように光り輝いており、雪が降った時に大喜びで駆け出して行った時は居なくなったのかと二人で大騒ぎしたものだった。


(りりな、準備できたらいっしょいく!)


 二人で森の中に行くのは、まだまだ子犬のワンにとっては大冒険なのだろう。自分の弟を思い出した莉々奈はふわふわの頭を優しく撫でてやった。


(お弁当も持っていこっかな。女の子の分もね)

(せかいじゅ、ごはん食べるの?)


 わんの舌がぺろりと仕舞われ、大きな頭が不思議そうにこてん、と傾いた。

 思念だけだと完全に小さい女の子だから、巨大な樹だということをすっかり忘れていた莉々奈ははっとした。


(え、じゃあ……なんだろう。裏庭のコッコの糞、とか……?なんかこう肥料的な)

(くさいから、いらないと思う)


 花やはちみつの匂い、莉々奈お手製のシャボンの香りをこよなく愛する、フローラル男子ワン。ふわふわの毛並みなので表情はよくは分からないが、とっても嫌そうである。


 ぱたぱたと上機嫌に振られていた尻尾もピタリと動きを止めている。


 コッコの肥料はひとまず置いておくとして。

 手ぶらで行くのは失礼だし……どうしようかなと思いながら。

 とりあえず莉々奈は朝の仕事をこなすために立ち上がったのだった。


◇◇◇


 リリアンになんと説明したものかと頭を悩ませていた莉々奈であったが、なんとはなしに察していたらしいリリアンは「世界樹様によろしくね。暗くなる前には帰ってくるのよ」とあっさりとしたものだった。


 そんなわけで、莉々奈とワンは、日がすっかり高くなった森の中を歩いていた。

 足元に道はなく、柔らかい苔が生えている。思っていたより森は深くなくて歩きやすい。


 先導してくれるのはワンだ。

 ワンは森で日頃よく遊んでおり、なんと世界樹の所へも行ったことがあるそうだ。


「今日は、わんのお友達にも会えるかなあ」

(りりなに会いたいっていってたよ)


 苔むした岩をぴょんぴょんと楽しそうに超えるワン。明らかにそんなに高く飛ぶ必要はないのだが、彼のテンションの高さを物語っている。その証拠に家の周りにいる時より楽しそうで黒い瞳がキラキラと輝いている。


「え?私に会いたいの?」

(友達、名前ないから、ワンのこといいなっていつも言ってる)


 ふわふわの毛で覆われているけど、明らかにドヤ顔を決めるワンを見て、莉々奈は噴き出してしまう。


「お友達と仲良しなんだね。でも、名前が無いとこんがらがっちゃうね」

(だいじょうぶ!あだ名はあるんだよ!)


 ワンと話しながら、一人と一匹はどんどん森の奥へと進んでいく。

 本来、世界樹周辺の森はこんなに穏やかなものではない。


 さすがに魔物こそは居ないが、大きな狼や猪、狐、鹿。しかもそれらはだいたいが精霊が宿っており森の番人の役割を果たしている。代わり映えのしない風景は方向感覚を狂わせ、奥へと進むことは容易ではない。


 奥地には希少価値のある輝きの実や鉱石、霊泉や周辺には薬草があるのは分かっていても採取できることは極々稀なのだ。そもそもそこにたどり着くまでの難易度が高すぎるのだ。


 そんなこととは露ほども知らない莉々奈は、バスケットをぶら下げ、まるでピクニックに行くかのような気軽さで森の奥へと進んでいったのだった。



◇◇◇



「わあ……!すご……!!」


 森の中央についた莉々奈は……眼下の景色に言葉を失った。

 森が終わり、なだらかな坂が続いている。

 その先には、エメラルドグリーンの美しい円形の湖があった。

 火山湖のような綺麗な円形で、その中央には大きな樹木が鎮座していた。


 しかし、不思議なことにそれは常識の範囲内の樹木で、遠く離れた土地から見えるような巨大樹ではない。


 不可思議だが、これが世界樹なのだという確信が莉々奈にはあった。


 しかし、エメラルドグリーンの湖は深く、樹木に行けそうには思えなかった。


「もう目の前なんだけど……ううーん。ワンはいつも泳いで行っていたの?」

(ここから先、行ったことない。あかいのがダメっていってた)


 見るからにしょんぼりと毛並みが枯れてしまったワンをぎゅっと抱きしめて撫でてやる。


「ここまで案内してくれてありがとう、ワン。大丈夫、私泳ぐのは得意なのよ」


 幼馴染と通い始めた水泳教室。ある程度泳げるようになった幼馴染は中学で辞めてしまったが、莉々奈は高校まで通っており、選手コースにもいた程の腕前だ。だが、いかんせんこの服では濡れてしまう。


 莉々奈としては濡れてしまっても全然構わないのだが、帰った際にリリアンがものすごく心配するであろうことが容易に想像できるため、なるべくならば避けたい所だ。


 とりあえず、様子を確かめようとなだらかな坂を下り湖畔へ向かうと……。


「やっと会えた!!!」

 

 莉々奈は前から凄い勢いですっ飛んできた物体に抱きつかれて後ろへひっくり返った。しかし衝撃はなく、ワンが素早く後ろへ回って受け止めたことを知る。


「こ、この声……もしかして」


 ワンに礼を言い、抱きついたままの女の子を抱きとめ、上体を起こす。


 光り輝く金の髪は緩くウェーブしており、ふわふわだ。


「寝ちゃってごめんね、莉々奈!初めまして、会いたかったよ!!」


 喜びでキラキラと輝く両目は湖と同じエメラルドグリーンだった。


「かっ」

「か?」

「かわいいいいいいい!!!!」


 つい、幼馴染の妹にしていたように抱きしめてぐりぐりしてから、莉々奈は我に返った。


「あ、ごめんね。お人形さんみたいに可愛かったからつい……」

「えへへ、ちょっと苦しかったけど嬉しい」


 頬を真っ赤にしてはにかむ様子も可愛くて、幼馴染がいたら「天使なの?天から遣わされてきたの??」って間違いなく言っているなと莉々奈は思った。


「あ、でもその声……もしかしてキミが”世界樹”なの?」


 半信半疑、でも確信を持って尋ねた莉々奈に、女の子はこっくりと頷いた。


「初めまして、莉々奈。私の世界へようこそ……遅くなっちゃってごめんね」


 ぺろり、と舌を出して、幼い少女の姿をした世界樹は挨拶をしたのだった。



◇◇◇


 生まれた瞬間に、彼女は理解をした。

 自分は、この世界の核を包み支える存在であることを。


 幸いなことに、細いながらも根と枝葉があったので核にしがみつくように寄り添ってみることにした。

 そうすると、不安定だった核はしっかりと丸い形を保てるようになった。


 随分と長い間そうしていたように思える。

 気がつくと、ひょろひょろだった根は長く伸びて、北の岩でできた土地以外の全てを覆っていた。

 空を貫く枝葉は星々に届きそうな長さになっており、世界中どこでも見渡せるようになっていた。


 世界も発展していっており、多種多様な生き物が増えていてあちこちでいざこざが起きていた。

 自分の役目は核を安定させることなので、この根で生きとし生ける者をなるべく護ってやらねばならない。

 しかし、いつの間にか世界は広く単純ではなくなっていた。


 そこで、自分の力から精霊たちを生み出した。

 幸いなことに、自身は女だったらしく生み出すことに苦はなかった。


 巨大な力を有する精霊たちは各自、王を名乗り眷属たちを生み出して世界を安定させた。

 北の台地に住まう魔族や魔人たちとは相性が悪いらしく、よく争ってはいたが、この核が存在する聖域に関係ないので彼女にとっては些末なことだった。というか、どうでもいい。


 ある程度、世界が安定してしまったので彼女は退屈を持て余した。

 たくさんの精霊王を生み出した母でもある存在だが、生まれたその時からずっと子供に近い存在でもあった。

 退屈を持て余し、遊び相手がいないことに寂しさを感じた。


 大切な核はモノを言わないただのエネルギーの塊であるし、自身の命を分け与えて生み出した精霊王たちは「我が主」と言って遊んではくれないのだ。寂しい。


 そこで、世界樹と呼ばれる存在になった子供は探したのだ。

 

 一緒に聖域を守ってくれ、かつ楽しいことを提供してくれそうな自身の守り人となる人材を。


 世界樹たる彼女の莫大な聖力を溜め込んでも壊れない、器の大きいモノ。


 それを探すのはなかなかに大変だった。

 何百年もかけて探すが、なかなか見つからない。


 ヒト族や獣人、亜人でも時々は器が大きいものが居たのだが、相性が良すぎて器がすぐに満たされてしまう。


 器が満たされすぎると壊れてしまう。器が大きいものは世界樹の声を聞いてくれる数少ない存在であり、世界樹にとって大切な存在だ。壊すなんてとんでもない。

 

 北の台地に住まう魔族は器が大きいものが多いが、あの一族は特有の魔力で満たされているからいけない。相性が悪すぎて粉々に割れてしまうだろう。


 世界樹は悩み……その頃にはすっかり伸びきった根を異世界に飛ばしてみた。

 自身と相性が良く、しかし満たされないような、そんな良い存在を探して。


 いろんな異世界を見て……世界樹は見つけたのだ。

 自身の聖力を半分以上渡したとしても壊れなさそうな、柔らかく大きな器を有するモノを。


 しかしながら、そのモノはまだ母親の胎内にあった。

 そして幸運なことに、もう一つの候補も近くに存在した。

 だが、そちらも残念なことにまだ母親の胎内にあったのだ。


 しかし、何百年も待ったのだ。世界樹にとって子が生まれ成長するのを待つことなぞ造作もない。


 二人が誕生し、世界樹が思った通り大きな器を持っていた。

 闇の色に近いけれど、魔のものではない。優しい……穏やかな夜のような、包み込むような優しさをもった色の器だった。


 少し大きくなった彼女らは、仲良く暮らし始めた。


 それは、世界樹たる子供が憧れていたような関係性だった。


 それを眺めているのはとても心躍り、癒された。


 世界のことも、聖域もしっかりと抱きしめながら、その二人を見ているのが世界樹の楽しみとなったのだ。


 守り人にするのは一人だけだ。


 しかし、この二人を大好きになっていた世界樹には、一人だけを取ってもう一人を悲しませることはできなかった。


 二人は大きくなり、このまま時が流れて老いて死んでゆくのまで見守ろうと世界樹が思い始めた頃……事件は起きた。


 最初に見つけた方の命の危機である。


 世界樹は、伸ばしていた根を巻き付けて……そのまま自分の世界へと引き込んだのだった。


◇◇◇


「あの時私を助けてくれたのは、根っこだったのね」

「でも、でもね。異世界のものをこちらに持ってくるっていうのはすごーーーく疲れちゃって」


 世界樹たる少女は両手を大きく振って、説明を続けた。


「久しぶりに、あんなにたくさんの聖力を使ったから寝ちゃったの」


 勝手に連れてきて、しかもあんな所に放り出してごめんね、とうつむいて謝った。


「そっか……本当なら、あそこで死んでいたんだね。ありがとう」


 少女の前に、莉々奈は膝をつき、そっと小さな両肩に手を乗せた。

 一体、この小さく見える両肩にどれほどの責任を背負ってきたのだろうか。


「怒ってないの?」


 恐る恐る、尋ねる少女に莉々奈は微笑んだ。


「家族や友達にもう会えないのは寂しいし、辛いよ……」


 世界樹たる少女が眠りについたほどの消耗なのだ。恐らく戻ることは不可能だろうと思えた。そして何より、こんな優しい子にそんなことを再びさせたくはなかった。


「でも、でもね。私はまだ生きてる。そして、生きていたからこそ……ワンやリリアンさん。ジョシュアさんにスーさん……それに他にもたーっくさんの人たちに出会えたの。そして、私はキミにも逢えた」


 少女のエメラルドグリーンの瞳がまるくなる。


「私には、この世界で役割があるんだよね?だから、私は私にできることをするし……キミにまた笑ってほしいかな」


 少女の顔が歪み……泣きそうな顔で笑った。


「ありがとう、莉々奈。私の守り人になってくれる?」

「もちろん、喜んで」



 

思いのほか長くなってしまったので、一旦区切ります。

次話、世界樹の守り人誕生です。

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