魔法石(仮)じゃなくて精霊石です
「もしもし……こちらはシュナです。ギルさん、聞こえますか」
「ぷっ……!もちろん聞こえるよ、シュナちゃん」
恐る恐る言葉を発した私に、ヘルメットからギルの声が聞こえてきた。
ギルと私のヘルメットは特別製で、お互いの声が聞こえるようになっているそうだ。ある程度離れるとダメだけれど、この距離なら問題なし。
なんだか、うちの妹と隣の弟が小さい頃遊んでいたトランシーバーを思い出したけど、音質とかはそれより遥かにいいと思う。さすがに携帯電話程じゃないけど、不快に感じない位にはスムーズに会話ができる。
「すごい……!便利なんだね」
「そう。通信機器に関しては、ここ最近でかなり良くはなったけれど、離れた土地にはやっぱり伝令や文書が一番確実かな」
元いた世界でも、スマホやタブレットが当たり前になったのはここ十数年の間だったみたいだし、ある程度の場所まで開発が進まないと厳しいんだろうなあ。
電線も電柱もないこの世界。剣と魔法のファンタジーというにはあまりにも足りなくて、現代化を必死に進めている気がする。
でも、この国では日々を生き抜くのに精一杯で、そんな余裕すらもないんだろうなと思えた。
そうそう、あれからテッドさんとめっちゃ可愛いブランさんに別れを告げ、ギルの運転するサイドカー付きバイクに乗ってヴァルナ帝国の帝都であるトゥベールを出発したのだ。
帝都の中では道が綺麗だけれど、私たちが住んでいた街を抜け……商業用の荷馬車しか通らないような街道に出て、揺れるんだろうなあと覚悟をしていたのだけど……なんと、あまり揺れを感じない。
軽自動車に乗っているくらいの快適さなのだ。なんだこれ、どうなってるの?もっと揺れると思っていた。
なんて思っていると、前方に大きな窪みが……!
あっと思って、身を竦めて覚悟したけれど、思っていたような衝撃は全くなかった。
「ギル、全然揺れないのはなんで?」
「ん?……えーっと、まあ、オレの運転が上手だからかな」
イケメンが運転すると揺れすらも無いのか……。すごい。
この窪みも、あの枯れ枝も全部踏んでるけど。確実に踏んでいるけど……。
「じゃあ、私がもし運転するとかなったら、ガッタガタに揺れるということになるの?」
「ぷっ……!冗談だよ。運転の腕前は普通なんだ。……オレはね、運がいいんだよ」
「運がいい?」
「そう。窪みを乗り越えても、ちょっとした段差でも。運が良くって揺れないんだよ」
「なるほど……?」
よくは分からないけれど、推しが言うならそうなんだろう。
きっとさぞ強運の星の元に生まれたのだろう。私もそれにあやかりたい……。
あっ、また段差が……うーん。本当にどうともないなあ。すごい。
「シュナちゃん、あの丘まで行ったらお昼ご飯にしよう」
「おっけー!」
◇◇◇
到着した、小高い丘には何も生えていなかった。
サイドカーの後ろから大きなブランケットを取り出し、土が剥き出しの地面に敷く。
ブランさんが持たせてくれたバスケットも取り出した所で、声がかかった。
「あ、シュナちゃん。こっちにおいで」
ちょっと離れた所に手招きをされる。そして何か小さな粒を渡される。
なんだろう……小さくて、少し柔らかくベタついている……いい香りがして、これは……。
「あ、石鹸?」
「そう。帝都にさっきまでいたからね。手を洗って、うがいもした方がいいよ」
衛生面にとても厳しいギルらしい。
でも、ヴァルナ帝国の平均寿命四十五歳という話を聞いてからは、笑えない。
「はい、手を出してみて」
「?」
水なんてないけど。そう思いながら手を差し出すと……。なんと、ギルの手から水が水道のように出てきたのだ。
「えっ!?えっ!?ギル、とうとう水も出せるようになったの???」
「へっ?」
慌てる私にギルはきょとんとした表情をしたのち、笑い出した。
「家にもあったでしょ!精霊石。あれを持ってきたんだよ。ほら、シュナちゃん、石鹸使って」
「ああー、なるほど。びっくりした。とうとう手から水が出るようになったのかと思った」
ギルが苦しそうに笑っていて、少し恥ずかしい。
せっせと石鹸を溶かして泡立てる。ハンカチを取り出そうとしたら、ギルに止められて例の温風が出る精霊石で乾かされた。うちの推し、お母さんみたいな時ある。
先ほどのブランケットに戻り、ブランさんが持たせてくれたバスケットを開けると……おいしそうなサンドウィッチがぎっしりと詰められていた。そう、二段仕込みにぎっしりと。
「わああ……!美味しそう。すごい量だね」
「うん。ブランさんだからね」
ギルは慣れた様子でサンドウィッチを取り出し、食べ始めた。
どれにしようか悩んで、私は卵サンドから頂くことにした。
「美味しい!」
「ブランさん、料理上手なんだよね。そして、量がいつもすごいんだよ。美味しいんだけど、量がすごいんだ」
ギルはくすくすと笑いながら、ひょいひょいと口に運んでいく。ギルは割と食べる方なのだ。たくさん食べる人を見ていると幸せな気持ちになるので、とても良い。
確かにサンドウィッチはとっても美味しい。けど、これは晩御飯の分まであるかもしれない。
「シュナちゃん。結構走ったけど……遠くに帝都があるの見えるかな」
「うん。見える」
視力には自慢がある。でも、そんなの関係なしによく見えた。
だって、遮るものが無いのだ。
そう、視界を遮る木の一本すらも生えていない荒野だからだ。
「本当に、何も生えていないんだね」
「うん。この土地に僅かに残っている精霊の加護は大地の加護と風の加護だけなんだよ。大地の加護はあるけれど、水の精霊に見放されているから、草木が生えてこない」
「でも、街のほうには飲水があったよね」
「あれは昔……ううーん」
ギルは少し言葉を探すように口籠もり、サンドウィッチを飲み込んだ。
「あれは昔、飲水だけでもと願って与えられたものだよ」
「飲水は精霊様、許してくれたんだ」
「本当に嫌そうだったけどね。でも、どうしてもってお願いしたんだよ」
困ったように笑い、ギルはサンドウィッチの残りをバスケットごと片付けた。
もちろん、とうの昔に私はお腹いっぱいになっている。
「さ、行こう。この帝国は、本当にシュナちゃんの体に悪いと思うから、なるべく早く国境を抜けたいんだ。疲れたら寝ちゃっていいからね」
「大丈夫!運転手の隣では寝ない主義だから!」
意気込んで答えた私に、ギルは嬉しそうに微笑んだ。
微笑むと、碧と菫色の宝玉のような瞳が細くなって、ああ、この美しい人も生きてるんですよね、ありがとうございます、ありがとうございますってなる。眩しい。
◇◇◇
また移動を始めてしばらく経った頃……代わり映えのしない、何にもない荒野にも飽きてきて……なんか面白い形の岩でもないかなとキョロキョロし始めた頃。
ヘルメットからギルの声が聞こえた。
「さて。日が暮れるまで移動するけど……シュナちゃん、オレに聞きたいことあるんじゃない?」
「ある!!山ほどある!!」
もちろんある。なんでそんな綺麗な金髪なんですかとか、なんでそんな美しい瞳を一つづつ持っているんですかとか、他にも色々ある!
「隠し事をするわけではないけれど……事情があって、オレは全部は答えられない。答えられることは全部教えるよ」
「分かった。答えられないことは無理に教えてくれなくて大丈夫だよ」
「逆に、オレもシュナちゃんに聞きたいことがいくつかあるんだけど。交代で聞こうか」
「あ、それいいね!そうしよう」
「じゃあ、シュナちゃんから先にどうぞ。」
聞きたいことはたくさんある。日本人のこと、異世界のこと。ギルのやろうとしていること。
でも、短い時間だけれど、私は見ていてずっと気になっていたことを聞こうと思った。
「ギルって、寝てるの?」
「……!」
「全然寝てないんじゃない?なのに運転もして、大丈夫なの?」
「ふふっ、てっきり別のことを聞かれるかと思っていたんだけど」
思わずギルの方を見るけど、彼は運転中なので真っ直ぐ前を見ており、綺麗な金髪が風に流されているのが見えただけだった。ゴーグルをしているから、綺麗な横顔なことと、口元しか分からない。
「オレは、ヒト族じゃないんだよ。前に話したこの世界の人種については覚えている?」
「うん。ヒト族と獣人、そしてヒト族と別の人種のハーフが亜人だよね。遥か東方には少数だけ竜人がいるけど、滅多に姿を表さない。行き来が何百年も断絶してる北の台地には魔族とその王がいて。その他には動物と魔物がいるんだっけ」
ヒト族は一般的な人間。ヴァルナ帝国にはヒト族しか住んでないみたい。
今から行くエスカトレ王国はヒト族と亜人が大半で、獣人もたまに居るそう。
ずーっと南下した土地には、ほとんど獣人が住んでいるそうだけれど、北上してくることはほとんどなくて、お互いのテリトリーを侵さずに暮らしているそうだ。
「すごい、よく覚えてたね。そう。オレはヒト族じゃなくって……亜人なんだ」
「へー、そうなんだ。亜人ってあんまり寝ないの?」
なるほど。見た目に反して重たい荷物をひょいっと持ったりするのは亜人だったからなんだ。
「あ、じゃあもしかして、精霊石を使った時に他の人と威力が違うのは亜人だから?」
「うーん、まあ、そんな感じ、なのかな」
「なるほど」
市場の人たちは、火を使うにしろ水を使うにしろ、ギルのように精霊石をぽんぽん使いはしなかった。ううん、多分あれだけ精霊に見放されてしまった土地だから、使うことができないのほうが正しいんだと思う。
ヴァルナ帝国には、ヴァルナ帝国で生まれ育ったヒト族しか住民権はないって聞いたから、ギルはテッドさんやブランさんみたいに帝国人ではないんだろう。
「亜人は、あんまり寝なくて大丈夫なの?」
「うーん。亜人の種類によるんだろうけど。オレはあまり睡眠を必要としないかな」
「そっか。でも、疲れたらちゃんと休んでね」
「……うん。ありがとう」
なんだか、通信が悪かったみたいでギルの声が震えていた。
「さて。オレが聞きたいのはね、シュナちゃんの居た世界の機械だとかそういうもの!」
「えっ!そんなのでいいの?」
「精霊の加護が戻るとは限らないからね。代替えになりそうなものが知りたいんだ」
そこから、ギルに電車だとか発電所だとか。そういう話をしているうちに日は暮れ……。
こちらの世界に来て初めての野宿をすることとなったのだった。
.✫*゜・゜。.☆.*。・゜✫*.
足元に当たる冷たい感触で、私はまた夢の中で目覚めたことに気がついた。
いつものハンギングチェアから立ち上がって、夢の中だけれどぐーっと伸びをする。
今まで気づかなかったけれど、海の中に、一つだけ金色に輝く大きな星が見えた。
他の星より一際眩しく輝いていて、でも他の星と違って寄り添ってくれる光が無い。
あんなに眩しく輝いているのに、なんだか寂しそう。もっと近くで見てみたくなって、浅瀬を進んでいると……。
「お嬢さん、あまり進むと溺れてしまいますよ」
フードをかぶった人……星海の防人に呼び止められた。
「でも、あの大きな星を近くで見てみたいの。少し寂しそう」
「お嬢さんは優しいんですね」
「防人さんは、なんでいつもフードをかぶっているの?」
私の勘がイケメンだと告げている。フードの下が見たいと。
「私の顔は怖がる人がたくさんいらっしゃるので。普段は隠しております」
「そうなの?」
獣人とか、亜人とかなんだろうか。
「それでもご覧になりたいというならば、お見せしますが」
そこまで言われてたら見てみたい。でも……。
「見てみたいけど、防人さんが嫌なら見せなくて大丈夫だよ」
「お嬢さんが、怖がらないと約束してくれるならば」
「ううーん……」
ローブから覗く手は普通に人間の手だし、そんなに怖く無いと思う。
もし亜人だとして、蛇の頭がついていたとして……多分大丈夫な気がする。
あ、待ってまって。最悪を想定して泥みたいなのとか、白いお面みたいな顔だとか。そういうのを想像して……。
「うん、多分大丈夫!」
「ふふ、お嬢さんは面白いですね」
防人さんは、ローブをゆっくりと外した。
中からは、月光が溢れ出したかのような銀髪。長く伸びたそれは後ろでゆるく編んであった。
深い菫色の瞳は美しく、その月光のような銀のまつ毛に縁取られており、もはや芸術である。
「えっ!?どこが!?全然怖くないよ!?」
「この銀の髪と銀のまつ毛。そして菫色の瞳は魔の系譜たる証です」
防人さんは編まれた髪をうっとうしそうに払い、目を伏せた。
「そんなの全然、すごく綺麗だよ!!!世界の宝だよ!?」
私の言葉に、防人さんはそれはそれは幸せそうに目を細めた。
みているこっちがなんだか赤面してしまいそうになるくらい、幸せそうだった。
「私の大切な人もそう言ってくれました。私の宝物だよと。大切な、大切な……ああ、名を呼ぶことができない」
そこまで言って、本当に悲しそうに目を伏せるから、なんだか私も泣きそうになった。
ここをずっと一人で守るこの人に、私が何かしてあげられる日はくるんだろうか。
そんなことを思ったけれど、目が覚めたとき、私はいつもこの夢のことを忘れてしまっている。
だから考える時間なんてなくって。再びここで目覚めた時はいつもこの風景が美しくて、いつも胸がいっぱいになっている。
何も言えないまま、波音が大きくなり、現実の私に朝が訪れる。
.✫*゜・゜。.☆.*。・゜✫*.
ブランさんは痩せの大食いです。




