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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第一章 
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クリスへの手紙

 その日、初めてローゼンタールの一家とフレッド、マニュエルが揃った晩餐をした。

「マニュエル、ここの神殿の仕事はどうだった?」

「いい感じでしたよ。上司になる人も親切そうな人だったし。神殿内の図書館が充実していて、ツォーハイムで見たこともないような本も沢山ありましたし。仕事の内容は今までやっていたものと大した変わりはないので、大丈夫そうです。ところで、フレッド様は今日何をしていたのですか?」

 フレッドは苦笑いを浮かべた。

「なんだかあまり何もしていなかった。明日からは何か建設的なことをするつもりだ」

 そうは言ったものの、特にやることについての当てはなかった。


 食事が終わると、どういうわけかカティヤがフレッドを自分の部屋に招いた。30分してから来るようにとカティヤは言った。少ししてフレッドは恐る恐るとカティヤの部屋のドアをノックした。

 開かれたドアの前には、淡い美しい色のドレスに髪を結い上げたカティヤが立っていた。

 フレッドは一瞬別人かと思ったが、それは間違いなくカティヤであることが分かると、彼女の豹変に驚いた。

「入れ」

 カティヤはそう短く言うと、部屋のドアを閉めた。

「どうしたんだ、カティヤ?」

 彼女は顔を赤くした。

「お前が言ったのではないか! 女の格好をしてみろと! だから、ソフィアのドレスを借りたのだ」

「ああ。そうだな。正直驚いたよ。予想以上に綺麗だ」

 フレッドは彼女の全身を眩しそうに眺めた。

「それに、……私の手を褒めてくれたのはお前が始めてだ」

「あ、いや、その、ただ思ったままを言っただけだ」

 カティヤのしおらしい言い方にフレッドは少し胸が高鳴るのを感じた。

「私は男子として育てられてきた。そして、私もそれを望んだ。騎士団でも、剣術において私の右に出る者はいなかったし、男として生きることに誇りを持っていた。しかし、お前は私に『いい女』だと言い、私を女性としてみてくれた。お前は私の立場を脅かす敵だと思っていたが、案外面白い奴だとわかった……」

 そう言って黙ったカティヤの姿にフレッドは見とれた。

 普段は騎士団の服を着て、髪を振り乱していることから、あまりそれが感じられなかったが、カティヤのぶっきら棒な物言いも今となっては、なんだか可愛らしく感じられた。


 男になれていない初心な感じがフレッドの情欲に火をつけたが、腕っ節で適うわけがないし、この女には容易に手出しをすることはできないだろうと思った。

 その晩は二人で少し談話をしたあと、フレッドは挨拶をして部屋を出た。




 翌朝フレッドが目を覚ましたころには、もうすでにマニュエルやカティヤは邸を出ていた。二人の姉妹は音楽の授業を受けているようだった。特にやることもないフレッドは、ゆっくりと朝食を取った後、昼前にまたぶらぶらと街に出た。カフェに入り紅茶とケーキを頼んだ。バニラの香りが心地よい紅茶を啜って、一口ケーキを食べた。卵とチーズの入った程よい甘みのシンプルなケーキであった。

 彼は一息つくとおもむろに手紙を書き始めた。それはマニュエルの兄であるクリスへのものだった。

 出発前にマニュエルが彼に告げたように、クリスもフレッドの無罪を信じているそうで、彼の無実を証明するためにフレッドを陥れた女アンネや殺害されたマルレーンについて調べてくれると言っていた。

 モリッツ家の者に恨みを買われることといったら、思い当たるのは、去年起こった事件についてだった。フレッドはそのことについて思いつく限りのことを手紙にしたためようと思った。

 褐曜石鉱山の取締役として多忙を極めるクリスに長文の手紙を書くのは憚られたが、「いつか時間ができたら読んでみてくれ。俺はここでの生活も満更じゃないと思っているから、お前の調査が長引いてもかまわない」と冒頭にしたためた。

 実際、ローゼンタールの町並みや奇妙な三姉妹、そしてマニュエルとの暮らしも悪くなさそうだった。しかし、フレッドは母親のことも気になっていたので、無罪を証明するにこしたことはないと思った。


 フレッドがモリッツ家の者から怒りを買った事件は去年のことだった。

 そもそも事件の発端となったのは、モリッツ家内の進歩派が褐曜石販売の禁止されていたリッツシュタイン王国へ密輸を行っていたことであった。それを知ってしまったモリッツ家保守派代表のアレックス・フォン・モリッツが隣国リッツシュタイン領内で何者かにより殺害された。ツォーハイム人が立ち入ることのできないリッツシュタイン王国内に彼がどう連れて来られたのかも、なぜ惨殺されたのかも、誰にもわからなかった。

 アレックス死亡が明るみに出ると、ツォーハイムはリッツシュタインに犯人捜査と賠償金請求をしたのだが、事件にリッツシュタイン内の有力者が関与していたがため、リッツシュタインは交渉渋り、犯人捜査は一向に進まなかった。

 その後、進まぬ犯人捜査を強いるために、モリッツ家内の私兵がリッツシュタイン王の一人娘リーナを誘拐してきたのだった。

 リーナ姫は、6年前に国交が閉ざされるまで、フレッドの幼馴染で、初恋の相手でもあった。彼女がいざ連れてこられるとフレッドは抑えていた思いを隠しきれず、地下牢に幽閉されるリーナと逢瀬を重ねた。しかし、二人が密会を続ける中、リーナから得た情報によって、フレッドは犯人をつきとめてしまったのだった。

 幽閉されるリーナを不憫に思ったことと、事件の真相を知るのが自分だけであったことから、大臣達に馬鹿にされながらも単身奔走し、犯人を見つけ、リーナを無事に彼女の国へ帰させる結果となったのであった。

 そして、リッツシュタイン内の犯人は引き渡されると同時に、モリッツ家進歩派の6人の者たちが、リッツシュタイン内の殺人犯と裏で繋がっていたことと密輸を理由に逮捕された。


 手紙を書きながら、フレッドに濡れ衣を着せたアンネと逮捕された者達との関わりを考えていたが、アンネの家族は王族とも親しい保守派に属するために、彼らとの関連性が見えなかった。


 手紙を書き終わり、お茶のおかわりを頼もうと女中を呼んだ。

「お客さん、見慣れない人だねえ。旅の人かい? 昨日街で銀髪の色男が居たと知り合いが噂していたけど、お客さんのことだろうね」

 中年の女中は興味津々という感じでフレッドに話しかけた。

「やっぱり銀髪って目立ちますかねえ」

 女中は笑ってその場を去った。

(帽子も買わねばならないな。目立っても良いことはない。それにしても、小さな街というのは噂がすぐに広まるものなんだな)

 フレッドは店を出るとすぐに帽子屋に向かった。市場内にあるいくつかの帽子屋を見て、一番目立たなそうなものを買い、その後郵便局へ向かった。

「これをツォーハイムのこの住所までお願いします」

 フレッドは受付のものにそう言って手紙を渡した。

「ツォーハイムですか。お客さん、ツォーハイムの方ですか?」

「ああ。一応そうですが」

「それは珍しい!」

「そうなんですか?」

「首都ならけっこう褐曜石の取引のためにツォーハイム人もいると思いますが、ここはワインしかない街ですからね」


 フレッドは郵便局を出るとまたやることがなくなってしまったため、しかたなく街をまたぶらぶらしだした。ふと、マニュエルの勤める神殿の近くに古本屋があるのを目にした。古本屋にはカフェが隣接して建てられており、本を読みながらお茶を飲んだりすることができるようだった。丁度よい、と思い彼は足を踏み入れた。

 昼間なので空いていたが、長く座っていられそうな感じのカフェだった。

 フレッドは売っている本を眺めた。ローゼンタールの郷土史やワイン農家についての本を少し手に取って読んでみた。

 本によると、ローゼンタール辺境伯領は元々隣国アルスフェルト公国との国境を守るために置かれたという。国境の向こうアルスフェルト公国も強力な陸上特殊部隊を持った国だが、セイレンブルクとは長きに渡って和平関係が結ばれており、そのこともあり辺境伯は形ばかりの領主となり、街は安穏としている。

 その本を戻して、別の棚から喜劇の本を手に取った。ページをめくるとツォーハイムとは違うシュールな感じの笑いが新鮮な本であった。結局フレッドはその本を持つと腰かけ、クリーム・シェーキを頼んでから、その本を読みふけった。

(セイレンブルクには良い作家がいるものだな)

 フレッドは時間を忘れてその本を読み続けた。

 午後も3時を過ぎるとカフェにも人が増えてきた。

 6人掛けの席を一人で占領していたフレッドに、相席を請うカップルが現れた。しぶしぶそれを了承したフレッドは、カップルを気にすることなく本を読み続けた。

 少ししてカップルのうち、女性の方の向ける視線に気付いたフレッドは顔を上げた。

「あ、ごめんなさい。でも、その本面白いですよね?」

 センスのよい服を着た女性が笑顔を向けていた。

「はい。初めて読んだんですが、こんなシュールな笑いがあるのだと驚きましたよ」

 フレッドは本について話せるのが嬉しくて、気さくにそう答えた。

 カップルの男性の方も話しに加わった。

「失礼ですが、貴方は外国の方ですよね? でも、このセイレンブルク風の笑いが理解できるとは。笑いは万国共通だったのですね」

「そうですね。私の国ではもっと皮肉っぽいジョークとか、状況から笑いをとることが多くて、この本のようなシュールなネタは少ないですね」

「国はどちらなんですか?」

「ツォーハイムです」

「それは珍しい。僕はツォーハイムの方とは初めて知り合いましたよ。でも、ツォーハイム人もシュールなギャグが通じるということが分かって、親しみが湧きましたよ」

 その男は嬉しそうにそう言った。


 フレッドはそのカップルとしばらく談笑した。

 若者も多いそのカフェはアットホームな感じで、客同士がすぐに知り合いになれるような雰囲気があった。


「ところで、ご職業は何をしているんですか? どのような目的でこんな田舎街にいらっしゃったんですか?」

 シモンと名乗った男がそうたずねた。 

 フレッドは一番聞かれたくなかった質問に少し戸惑った。こんな時に何を言うかをちゃんと考えておかなったことを後悔した。『無職』というのも気が引けるし、あまり考え込んでも怪しまれるのが嫌だった。

「ロ、ローゼンタールの邸で、住み込みの仕事をしてます。今は休暇中ですが」

「それじゃあ、執事のミヒャエル様の下で働いていらっしゃるんですか? 一度ミヒャエル様とお話をしたことがあって。僕達は劇場で働いているんですが、あれは伯爵様が劇場に来られた際のことでした」

 フレッドはとりあえず、自分はミヒャエルの部下ということにしておこうと思った。

「そうそう。俺はミヒャエル様のお手伝いをしているんです。彼は立派で気の利く方ですよ」

 なんとか、まるめこむことのできたフレッドは一安心した。

「劇場でのお仕事とは興味深いです。何をなさっているのですか?」

「私は役者のメイクを担当してます。彼は舞台の大道具を作ってます」

「二人ともアーティストなんですね、すごいなあ」

 フレッドはなるべく話を自分のことに触れられないように、劇場のことについて根掘り葉掘り質問をふった。一通り彼らの劇場での仕事のことについて話が済むと、シモンが嬉しそうに言った。

「フレッドさんは劇場にすごく興味があるみたいですね。そうそう、ここに来週のオペラのタダ券。お近づきの印にフレッドさんにあげます。ぜひ来て下さいね」

「本当にいいのですか? ぜひ友達でも誘って来ますね」

 その後も少し談笑した後にフレッドはその場を後にした。


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