作戦
作戦当時の日の朝、窓から指す光を浴びて、ラザフォードはやっとのことで取れた3,4時間の仮眠から目を覚ました。彼女のすぐ傍にも何人かの研究員が机に突っ伏したままいびきをかいたり、壁際に無造作に寝そべったりして、くたくたになった頭と体を休めていた。
彼女は窓辺まで来ると、城の方を見た。
(フレッド君はどうしているかしら……)
彼女が最後にフレッドを見たのは褐曜石を運ぶ馬車の中でのことだった。それ以来、何も考えずにただひたすら急いで、砲弾の製造を行っていた。フレッドが作戦の総指揮官として、作られた砲弾の使い方を決めたということは、小耳に挟んでいたが、それを聞いたときにはフレッドのことをゆっくり考えている余裕がなかった。しかし、無事に砲弾の製造が終わり一休みした後で、ふと彼がどうしているのかが気になってきた。
(私達はやるだけのことはやったわ。あとは、フレッド君達に任せるしかないわね)
そこにいた研究員の誰もが、これから始まる作戦に対する不安と共に、自分がやるべきことをやり遂げた充実感を感じていた。
昨日の夜中には2発の褐曜石の砲弾が出来上がり、城の塔に常設されている赤の守護者に運び込まれていた。それからやっと、徹夜していた研究員達は、思い思いの場所に倒れこんで寝ていたのだった。
***
フレッドはそのころ、徹夜で大臣達と作戦の最終確認をし終わった後、やっとのことで自分の部屋に戻っていた。ドーリンゲンの傭兵艦隊もすでに出航し、予定された時間には作戦通りの位置に着くとの報告を受けていた。海辺の町に配備された私服兵も、町の人々がすぐに地域から脱出できるように準備を整えているそうだ。
全てが計画道理に進んでいるため、フレッドは安心していたが、自分が言い出した作戦であったことから、責任の重圧を感じてもいた。
3日前の作戦会議の終わりに、リッツシュタイン王から指名されて作戦総指揮者になってからというもの、フレッドは忙しく打ち合わせをして過ごしていた。砲弾の取り扱いや軍の配備などの専門家達を取りまとめる役目をしていたフレッドは、自分がでしゃばって作戦案を言ったばかりに面倒な役目を受けてしまったことを悔いたが、それで両国を救えるなら仕方ないと思い徹夜で働いた。
彼が泊まっていた城の窓からは、塔に備え付けられた赤の守護者が朝日を浴びて、赤い外装が光を反射していた。
(なんとかなるといいのだが……)
***
フレッドの隣の部屋で目を覚ましていたマニュエルは、祈りを捧げていた。彼は未だに赤の守護者を使った作戦に自分が関わっていることについて戸惑いを抱いていた。褐曜石の決められた使用法を人々に守らせる立場にあるモリッツ家の自分が、まさか、赤の守護者の使用に加担することになるとは夢にも見なかった。
さらに、『目には目を』というやり方が、本当に正しいようには彼には思えなかった。『赤の守護者』に対抗するには、それをもってするしかないというのはわかっていた。しかし、何か別の平和的方法があったのではないかという疑念もあった。かといって、彼にはフレッド達の立てた作戦以上に何か考えがあったわけでもなく、彼は一人であれこれ考えた末に、状況をただ受け入れるしかないのだろうとの結論に至っていた。
(僕達がこのような状況を経験しているなら、それは神が望まれたことだから起こっているのだろう。……全てはただ、人々の意思とは関係なく、神の意図するがままに起こっているだけなんだ)
彼はこれから起こることがらや、自分の置かれている立場について、それ以上考えるのをやめようとした。
マニュエルは自分の部屋を出ると、フレッドの部屋まで行ってドアをノックした。
「フレッド様。おはようございます!」
ドアを開けたフレッドの顔は陰鬱であった。
「マニュエルか。あんまり大きい声ださないでくれ。頭痛がするんだ。俺は今まで作戦の最終確認に呼ばれていて、あまり寝てない」
「大丈夫ですか? 何かお薬でも探してきますか?」
「いらない。ただ緊張しているだけだと思うから」
「そうですか?」
フレッドはだるそうにこめかみを押さえた。
「ああ。それにそろそろ行かないとな。作戦は全て打ち合わせ済みで、今日俺達がやることは特に無い。俺達はここから見守るだけしかできないのだが、事の成り行きを最後まで見届ける責任があるだろう。それに、予定通り行かなかったときは何か指示をだすように任されているし。まったく面倒なことになったものだ……」
「わかりました。じゃあ、行きましょう」
二人は城の中を歩いて、赤の守護者の設置された塔へと向かった。塔へ向かう途中、兵士達や研究所から来た研究員達が忙しく城内を動き回っているのを見た。
塔の上に出ると、冷たく吹いてくる潮風が強かった。フレッドは鬱陶しそうに風に煽られる銀髪の髪をかけ上げた。風が当たるせいか、赤燐の事故で負った火傷が痛んだ。
「まったく、こんなところに長くいたら、風邪引くな……」
隣にいたマニュエルは、彼がそう言ったのが風の音でとどかなかったのか、それとも無視したのか、何も答えなかった。
マニュエルはただじっと海を眺めていた。彼の目の先には海上に停泊する大きな戦艦が見えた。そこに積まれた赤の守護者も辛うじて目視できた。母船の周りにはいくつかの護衛艦が取り囲むように停泊していた。海上は波もなく穏やかに見えた。
ドーリンゲンの艦隊はまだカーラ公国から見えないように遠い位置に配置されているようだった。塔の上からだと、遠くにそれらしき船の陰を見ることができた。
研究員達が彼らの横で忙しく赤の守護者の発射準備を進めていた。あと、1時間ほどで発射準備が整うそうだ。
研究員達にとって、赤の守護者を実戦で使用するのは初めてだという。小さな規模での発射実験は過去にされたことがあるが、褐曜石の輸入が制限され、入手価格が高かったことから、実際の弾を爆発させるのはこれが始てだそうだ。今までの念入りな研究結果によって、爆発させた際の規模や爆発の様子はすべて計算されつくしていたが、赤の守護者を開発した者達にとって、現実にその爆発を見る日が来るとは夢にまで見たことだった。
動き回る彼らから隠しきれぬ強い好奇心が感じられるのを、マニュエルの青い目は切なそうに眺めていた。
「なぜ人は争うのでしょうね……」
彼の金髪の髪が風に吹き上げられ舞っていた。
「さあ、なぜだろうな。たぶん、人間って言うのはそういう風にできているんだろうな」
「悲しいことですね……」
二人はそれ以上何も言わなかった。
***
「赤の守護者の発射準備ができた」
シュトルツが海を眺める二人のところへやって来た。彼は誇らしげに赤の守護者を眺めた。
「フレッド君、君が作戦の指揮官だとは驚きだが、確かに君の働きは大したものだった。もう一度私からも礼を言おう。――さあ、それじゃあ発射の許可を一応出してくれ」
「わかりました。それでは、お願いします」
フレッドは無表情に彼を見て言った。
シュトルツはすぐに他の研究員達や兵に指示をして弾の装填を開始した。
「発射準備完了」
「すべて異常なし」
「方位、誤差修正、確認しました」
兵や研究員達に緊張が走る。
「撃て!」
シュトルツの合図と同時に轟音が鳴り響き、一面が煙に包まれた。フレッド達はその煙を吸い込み咳き込んだ。
煙の隙間から眩しい光が目に飛び込み、誰もが一瞬目を閉じた。目を開けると巻き上がるキノコ雲が目に飛び込む。次の瞬間激しい波動が彼らのいる塔にまで吹きつけた。海上の着弾位置からは、リング状に持ち上がった海面が円状に広がっていく。すぐに、耳を劈く轟音がすべてを飲み込んだ。
それは一瞬の出来事だった。塔にいた者達は、ただそれを呆然と立ち尽くして見ていた。ショック状態で立ち尽くす研究員や兵達の中には、何秒かすると平静を取り戻す者が出てきた。
「成功です。着弾しました!」
「それでは予定通り、作戦開始です」
まだショックに立ち尽くす人々の中で、徐々に動き出す者達が増えてきた。
研究員達は2発目の装弾を開始した。
兵達は協力しあって、塔の上からリッツシュタインの国旗の横にツォーハイムの国旗を掲げるために忙しく動いた。海辺の地域でも同様に次々と国旗が掲げられていくのが見えた。
海上では、着弾地点に近い側にいた敵艦隊の小さな護衛艦一つが高波に飲まれて消えたのが見えた。
その後、ゆっくりと赤の守護者を積んだ戦艦が引き返して行くのが見えた。フレッド達はその様子をしばらく眺めていた。
しばらくするとフレッドはその様子を見て焦りを感じてきた。彼はひとりの兵を呼び止めた。
「おい! まだドーリンゲンの傭兵艦隊は来ないのか?」
「予定では、そろそろ来るはずなのですが……」
兵は情報を得るために塔を降りていった。
フレッドは、『赤の守護者』を搭載したまま逃げていく敵艦隊がゆっくりとリッツシュタインから離れていくのをイライラしながら眺めていた。
(もしかして、ドーリンゲンの傭兵艦隊は赤の守護者の爆発の威力に怯えて、出撃をやめたのだろうか……。でも、このまま敵艦隊を逃がすのはまずい……)
シュトルツもその様子に気づいたようだ。
「フレッド君、ドーリンゲンの艦隊がこない。このままでは敵艦は逃げていくぞ! 作戦通り、二発目を発射しよう。いまならぎりぎりでこちらの射程内だ。そろそろ海辺の国民も避難しただろうし、いまなら行けるぞ! 作戦は君に一任されている。さあ、発射の許可をだしてくれ!」
シュトルツや研究員達はフレッドを焦った顔でじっと見た。
フレッドは海上を眺めたまま沈黙した。
「だめだ。このままやつらを逃がしてやれ。弾はあと一発しかない。そして、あんなものは二度と発射させない……」
「どういうことだ、フレッド君! しかし、奴らはこのまま赤の守護者を持ち去るだろう。それが危険だと分かっているのか? それに二発目の発射も君の立てた作戦のうちだろう。今更何を言うんだ? 作戦通りに戦艦を撃とう!」
フレッドは冷たい目でシュトルツを睨んだ。
「作戦は作戦だ。俺はあんなものを二度も見るのはごめんだ。それに、良く考えてみろ。二発目を撃っても、それが的中するという保証は無い。もし二発目を撃って、それが外れたとしたら、奴らは今度こそ無我夢中になってこちらにぶっぱなすだろう。そっちの方が危険だろ。だからこのまま、こちらもいつでも発射できる状態で、敵の監視を続けろ」
「フレッド君、しかし!!」
「俺が指揮官である以上、これが命令だ。もし俺の判断が間違っていたとしたら、俺が責任を取る。それとも、シュトルツさん、貴方が責任を取るというのか?」
「……」
シュトルツは黙り込んだ。
「フレッド様、僕はあなたの判断は正しいと思います」
沈黙していたマニュエルが小さな声でそう言った。
「あんなものがあってはいけない。そして、もう一発撃つなんて以ての外です」
青い目が、じっと去っていく敵艦隊を見つめていた。




