策士
準備は迅速に行われた。シュトルツの言う通りの量の褐曜石が馬車に積み込まれ、モリッツ家の者達に見送られながら彼らは帰途に着こうとしていた。
ツォーハイムの議会に参加した者達は、リッツシュタインから来た者達に国の行く末を託すような形で、彼らを激励するしかなかった。モリッツ家保守派の者達は、内心では褐曜石をそのような形で彼らに利用させることを快しとしなかったが、迫っている危険に対応する作として、彼らを信じるしかなかった。
馬車が出発する直前に人ごみを押しのけてフレッドの所にやってくる人影があった。
「フレッド……」
「母上!」
不安な表情を浮かべた王妃は儚気で、彼の所までなんとか歩み寄るのがやっとのように見えた。なんとかフレッドのところまで辿り着いた彼女は、震えた声で言った。
「ごめんなさいね、フレッド。――私は貴方が不真面目なのはずっと私の躾が悪いせいだと思ってきたわ。そして、自分と貴方を恥じてきた。でも、それが間違っていたと今日気付いたわ。私は貴方を誇りに思うわ、フレッド。会議場で話す貴方を見て、貴方こそこの国の王になるべき人だったとやっと私も理解できたわ。そして、私は貴方の無実を信じることにするわ。貴方を疑った私を許してね。」
王妃の琥珀色の瞳は潤んでいた。彼女は細い腕でフレッドを抱きしめた。
「愛しているわ。私のたった一人の愛しい息子……」
フレッドの胸は一杯になった。
「お願い。無事に帰ってきて。今までだって、あなたが大変な思いをしているとクリスから聞くたびに、私の心は張り裂けそうになっていたの。……なぜあの時、私はモリッツ家全部を敵に回してでも、貴方を守り、国に留まらせようとしなかったのか。それを悔いなかった日はなかったわ」
彼女の涙がフレッドの首元に伝わるのを感じた。
「こんな私を許してね、フレッド。周りの言葉に振り回されるだけの、臆病で愚かな私を……」
フレッドの目も潤んでいた。
「謝らないでください。俺は母上を恨んだことなどありません」
「お願い! 貴方一人でも、生き延びてください。それだけが私の願いよ。リッツシュタインもツォーハイムも危険だわ。もしツォーハイムが攻撃されて、私に何かあっても、貴方だけは生き残って。貴方が生きていてくれると思えば、それだけで私は幸せだから」
「お母様。俺はツォーハイムを守ります。母上を死なせたりしません。そして、いつかここへまた帰ることができたら、その時は絶対に親孝行します。お母様をもう悲しませたくないから……」
フレッドは彼を抱きしめる母親の温もりが愛おしく感じられた。それと同時に、ふと、彼が自分の母親を抱きしめるのは、一体いつ以来のことだったかを考えていた。そして、懐かしい母の温もりを感じながら、それが今まで心の奥底で彼を悩ませてきた、王妃とのしがらみが少し溶けていくようにも感じられた。
「行って参ります」
そう言って馬車から手を振る息子を彼女は見送った。
「お願い! 無事でいてね!」
去っていく馬車の後ろで彼女の声がそう響いた。
***
山脈を登る帰り道を、馬車は何事もなく順調に進んでいた。再び標高が高くなると、一行は寒さに震えながらも、ツォーハイムでやるべきことを成し遂げた充実感を覚えていた。シュトルツやラザフォードは、初めて来たツォーハイムとそこの人々の期待を背負い、これから大至急行われる砲弾の製造を前にして、少し緊張していた。
しかし、小一時間も経つと、同じような景色が続くことに一行は退屈しだした。
「フレッド君はお母さんに似ているのね」
ラザフォードは笑顔だった。フレッドは少し恥ずかしそうに「そうですか?」と訊いた。
「迷信は信じないけど、彼女を見ると、山の女神がいたらこんな感じの姿なんだろうなっておもっちゃったわ。とっても綺麗な方ね。びっくりしちゃったわ」
「いやはや本当に美しい王妃様でしたね。あのまま美術品にして飾って置きたいくらいです。しかし、彼女が言っていたように、確かに彼女の躾が悪かった責任はあるでしょうね」
手綱を引くドレスラーがフレッドの方をちらりと見てそう言った。怒ってドレスラーに掴みかかろうとするフレッドをマニュエルが羽交い絞めにした。
「暴力はだめですよ、フレッド様。でも、なんだか王妃様とも仲直りできてよかったですね」
フレッドは頷いた。
「それにしても、お手柄だよ、フレッド君。君が上手く連中を説得してくれたおかげで、ちゃんと褐曜石を持ち帰ることができた。これで上手く行けばリッツシュタインと研究所は敵の手を逃れ、ツォーハイムも救えるだろう。あとは私達が急いで褐曜石の弾を作るだけだ。ラザフォードさん、帰ったら徹夜ですよ。今のうちに寝ておいてください」
シュトルツがそう言うのを聞いて、ラザフォードは頷いた。
***
山道を降りた馬車は、リッツシュタインの街に入り、何事もなかったように研究所に向かった。
褐曜石を積んだ4台の馬車が研究所の門へ入ると、研究者達は歓声をあげて彼らを向かえいれた。
「シュトルツ課長! お待ちしておりましたよ。うまくいってよかったです。準備は整えてあります。早速、砲弾の製造に取り掛かりましょう」
彼らはすぐに褐曜石の濃縮作業に取り掛かかろうとした。
「時間が無い! 皆、できるかぎり急いでくれ!」
シュトルツは研究者達を指揮して動き回った。予定通り、8トンの褐曜石から2つの弾を作る工程が開始された。ラザフォードも専門家の一人としてシュトルツを手伝い、寝る間も無く作業を続けた。
「これで、私達の研究所を守れるわ……」
ラザフォードは希望に胸を高鳴らせた。
フレッドとマニュエルはその間リッツシュタインの城にいた。二人は王族や大臣達の集まる会議に出席していた。
二人は、彼らが留守だった時から現在までの状況などをリッツシュタインの大臣や王から聞いた。今のところ、リッツシュタイン領海に停泊する戦艦に目立った動きはないことから、褐曜石がリッツシュタインに運び込まれたことも知られてはいないようであった。また、敵に情報が漏れないように、国民にはまだ研究所が砲弾を準備していることは秘密になっていた。
敵はどこに隠れてこちらの様子を探っているかは分からなかったが、ツォーハイムへ山脈を越えて行く道のことはリッツシュタイン内でも知るものは少なく、もちろん外国からきたアルスフェルトの者達にはそんな経路があるということ事態、知る由もなかっただろう。そこを彼らが通ったことで、敵に全く気付かれなかったのだと考えられた。商人ドレスラーの独断による経路の変更が上手くいったことを、彼を御者に指名した大臣は喜んでいた。
既に残された猶予はあと3日になっていたので、その会議では、褐曜石の弾ができてからのことについて、すみやかに作戦を立てることが急がれていた。
出席者達はそれぞれに、印刷された資料を眺めたりしながら、会議を進行する大臣の言葉に耳を傾けた。
「赤の守護者の弾ができるまで、あと2日は必要だと研究者達からの報告があります。そうなると、与えられた猶予の最終日に、こちらが行動を起こす必要があります」
大臣はそう言うと席に着いた。
リッツシュタイン王達は、フレッド達一行が褐曜石を持って帰国してからというもの、諦めかけていた自分達の命が助かる可能性が大きくなったことを喜んでいた。会議に参加していた王も、心なしか表情が明るかった。
「それでは、赤の守護者の弾が出来次第、敵を撃沈すればよいではないか?」
「陛下、そう簡単にはいきません。うまく敵艦に命中させることができたとして、それにより敵艦の積んでいる褐曜石の2発の砲弾に引火した場合、海辺に住んでいる国民に被害が及びます」
「それでは、彼らを避難させればよいではないか」
「しかし、こちらが変な動きをするのを見たなら、敵艦が攻撃してくる可能性があります」
一同は沈黙し、思い思いに考えをめぐらせていた。
「――簡単なことだ」
フレッドは沈黙する他の者達に業を煮やすように立ち上がり、印刷された海図の上に彼が殴り書きしたものを一同に示した。
「俺に考えがあります。大体の計算ですが、例えばこの位置。ここに一発目の『赤の守護者』を発射する。敵戦艦の奴らは、海上から少し離れた位置に着弾する赤の守護者の爆発を目撃して、こちらに褐曜石の砲弾があることを知るだろう。その直後に、敵戦艦から見える位置にツォーハイムとリッツシュタインの旗を掲げる。やつらは、それにより、両国が共同戦線を張ったということを知ることになる。そして、こちらがこの短時間に砲弾を何発作ったのか向こうは知らないだろう。それで敵艦は恐れをなして撤退することだろう……」
フレッドの言葉に一同は様々な反応を見せた。
「しかし、それでは敵が赤の守護者を持ったままである」
リッツシュタイン王が腕を組み替えた。
フレッドは頷いた。
「もちろん、敵艦を食い止めなければならない。しかし、それには赤の守護者を使う必要はない。これからすぐにドーリンゲンの傭兵艦隊に要請し、気がつかれないように戦艦を接近させ、敵が撤退しだしたのを合図にこちらが奇襲をかける。敵は、地上からは赤の守護者に狙われ、海上からはドーリンゲンに襲撃されることになる。うまくいけば、敵はドーリンゲンの艦隊に対して降伏するだろう。そうすれば、血を流さずに『赤の守護者』を奪い返せる」
大臣達は頷きながら彼の言葉を聞き逃さないようにと集中していた。その様子を確認しながらフレッドは言葉を続けた。
「――俺の考えでは、彼らはそもそも赤の守護者を発射する気もなければ、発射のための準備もしてはいないだろう。彼らは、王家が1週間後に首を差し出し降伏するものだとばかりに油断しているに違いない。赤の守護者の弾を全部研究所から持ち出したのだからな。まさかこちらがこの短時間に赤の守護者の弾を再び作れるなんて想像もしていないだろう。セイレンブルクでは、『兵は詭道』という言葉がある。リッツシュタインが降伏するものばかりだと思って油断しているだろうところを突かれたら、敵はパニックに陥り戦闘能力を発揮できなくなる。相手がカーラ王国の艦隊よりよっぽど弱いドーリンゲンの傭兵艦隊だとしても、奇襲をかけられたなら、こちらの勝機は大きい。赤の守護者の威力がどの程度のものだかは誰も見たことはないが、全く命中させなかったとしても、海上からその威力を見た敵たちは恐怖で動けなくなるだろう」
王達は感心したようにフレッドの言葉を聞いていた。
「ツォーハイムにはこんな優秀な策士がいたとはな。貴君が子供のころツォーハイム王妃に手を引かれ来ていたころは、ただのいたずらな子供だとばかり思っていたが……」
王はフレッドを見て微笑した。
「よかろう。それでは早速ドーリンゲンに使者を送り、艦隊の出動を要請しよう。傭兵艦隊の出動にはもちろん莫大な費用が必要だが、王家の財宝を売るでもしてなんとかするしかない……」
しかし、フレッドはテーブル上に組んだ手をせわしなく動かした。
「だけど、もちろん俺はこの作戦がうまく行く保障などできない。海辺の地域にあらかじめ私服兵を待機させて置いてください。こちらが赤の守護者を打ち込んだのを合図に、私服兵達を使い、人々を迅速に内陸に非難させましょう。ドーリンゲンの艦隊が敗れるとか、そう言ったもしもの時には、敵艦に二発目の『赤の守護者』の弾を打ち込み、その場で敵艦隊を壊滅させるしかないだろう」
「わかった。貴君の言うとおりにしよう。反対する者はいるか?」
一同を見回した王は、皆がフレッドの作戦を肯定するように頷くのを見た。
「よかろう。それでは大急ぎでドーリンゲンに使者を派遣してくれ!」
王の命を聞いた何人かの者が、すぐにその場を後にした。
「ところで、フレッド王子よ。余は貴君にこの作戦の指揮を任せたい。いくら緊急のこととはいえ、すでに取り決めたように、我々はすでにツォーハイムと同盟国である。だから、同盟国の王子であるそなたに指揮を取らせるのは間違ってはいなかろう。――貴君のモリッツ家を説得して褐曜石を持ってきた交渉術、そして、先ほど説明した作戦。見事である。リッツシュタインの貴族達の多くは、すでに首都から逃亡してしまった。このような状況において、貴君ほど冷静に判断できる人材は今のリッツシュタインにはいなかろう。貴君を総指揮官に任命する我が命を受けてくれるだろうか」
フレッドはため息をついた。それは面倒に思えたし、責任を取るのも嫌だったが、毒を食らわば皿までと思い、王の命をうけることにした。
「わかりましたよ。俺にできることならやりましょう」
なるべくうんざりしている内心を隠すようにして、彼はそう答えた。




