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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第五章
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彼らの守りたかったもの

「マニュエル! 俺、トイレに行って来る」

「フレッド様、さっき行ったばかりでしょう。なんでそんなに何回もトイレに行くのですか」

「トイレくらい行かせてくれ」

 フレッドはそのまま、止めようとするマニュエルを振り切ってトイレに駆け込んだ。

 目的の会議室を目の前にして一同はフレッドを待っていた。

「おなかでも壊したのかしら……」

 ラザフォードは心配そうにトイレの方向を見やった。

「フレッド様は時間稼ぎをしたいだけです」

 マニュエルはため息をついた。


 フレッドは便意も無いまま便器に腰をかけると、腕を組み状況を整理しようと思った。

(父上やクリスといった保守派は俺たちの考えに同意しないだろうな……。赤の守護者の弾を作らせるために褐曜石を渡すなんて、以ての外だというだろう。でも、考えに賛成しそうな進歩派は、俺のことが大嫌いだ。だいたい、殺人犯として流刑になってる俺が会議場に現れた瞬間、つまみ出そうとするかもしれない。……どうする!)

 

 彼はトイレを出ると、マニュエル達のもとに戻ってきた。

「マニュエル、やっぱ俺、会議に出ないわ」

「えっ! ここまで来て何をいうのですか、フレッド様!」

「いや、わがままで言っているのではない。極めて理論的な理由だ。褐曜石をリッツシュタインに渡すことに賛同しそうな進歩派は俺のこと嫌いだろ? 俺が会議にでても、彼らの神経をさかなでるだけだ。保守派の一員であるお前が説得するのが一番だ! さあ、行け! マニュエル! 我らが平和の明日はお前にかかっている」

 そのまま逃げようとするフレッドをマニュエルはつかんだ。

「フレッド様!」

 普段フレッドに対して及び腰のマニュエルが、本気で頭に来た様子を見て、フレッドは肝を冷やした。普段は柔らかな表情を浮かべるマニュエルからは想像も着かない怒りを湛えたマニュエルがフレッドを一喝した。

「フレッド様! 貴方がそうやって不真面目なのが、そもそも追放された原因の一つだったのをわかってますか? 国を守る気があるって言っていたでしょ? あれは嘘だったんですか? 貴方は仮にも王になられる方だから、僕はこれまで貴方のわがままや不真面目な態度に付き合ってきました! 褐曜石を持ち帰るとリッツシュタインで約束したのは貴方です! ここで逃げるというのなら、僕も今度こそ愛想を尽かしますよ!」

 フレッドはすっかり怯えきっていた。怒ったマニュエルの迫力について、ラザフォードからはすでに聞いていたが、本気でフレッドが彼に怒られるのは、それが初めてだった。

「悪かった、マニュエル。分かったよ。行けばいいんだろ、行けば……」

「そうです!」

 フレッドは諦めたように着ていたローブを脱いで、それをラザフォードに手渡した。


 ローブを脱いだフレッドに気付いた兵が、驚いたように彼を見たが、事情を察したのか、何も言わずに彼らを会議場に案内した。


 会議室のドアが開けられ、マニュエルを先頭にフレッド、ラザフォード、シュトルツが会議室に入ると、会議室は大きくざわめいた。

「フレッド!」

 王が息子の姿を見とめて、叫ぶようにその名前を呼んだ。

「ああ、父上、それに母上。ご無沙汰です」

 フレッドは少し恥らうように王と王妃を見た。

 王は2年ぶりに再会する息子の隣にいる女性に目をやった。

「どういうことだ、フレッドよ。リーナ姫を連れて来たのか?」

 ラザフォードはすぐに頭を下げて挨拶すると、それを否定した。王もじっくりと彼女を見た後、彼女がリーナでないことが分かった様子で、他人の空似だったのか、と驚きの表情を浮かべて言った。 


 シュトルツが王の前で自らを名乗った。彼が名乗ると、会議室は一層ざわめいた。

「なぜ、リッツシュタインの者達がここに? どうやって入国したのだ? それにフレッド様も流刑になられて、入国はできないはず――」

 大臣ディンケルが狼狽しながら言った。

「ディンケル様、リッツシュタイン国境の老司祭様の許可を得て、僕が彼らを入国させました」

 マニュエルが頭を下げてそう述べた。

「マニュエル! これは一体どういうことだ?」

 音を立てて立ち上がったのはクリスだった。彼の問いは周りの者達の思いを代表するかのようだった。

「クリス兄さん。お久しぶりです。――そして、皆様。驚かせて申し訳ありません。しかし、取りあえず、話を聞いてください。皆様のそのご様子では、領海付近に停泊しているカーラ公国とアルスフェルト公国の連合軍が持つ『赤の守護者』の射程距離にツォーハイムが入っているということをご存知でしょう。この危険な状況を解決するために僕とフレッド王子は戻って参りました」

「それで、お前はそのリッツシュタインの奴らを連れて来て、どうするつもりだというんだ? こいつらのせいで、100年に及んだ我が国の平和が脅かされ、民が危険にさらされることになろうとしているのだ。俺はモリッツ家の代表者として、褐曜石を悪用するこいつらを許すわけにはいかない。すぐにでも処刑してやりたいくらいだ」

 多くの会議参加者がクリスの意見を支持するように拍手をした。

「待ってくれ、クリス。お前の言いたいことはよく分かる。しかし、二人を処刑したところで何が変わるというんだ? まずは冷静になって、シュトルツさんの話を聞いてくれ」

「フレッド……。いいだろう。こいつらの話を聞こうじゃないか」

 クリスは褐曜石鉱山の責任者として、また、モリッツ家の伝統を受け継ぐ者として、赤の守護者の開発者への憎悪を煮えたぎらしていた。しかし、フレッドの親友でありよき理解者として、フレッドが何の意味もなくリッツシュタインの者を連れてこないことを分かっていた。

「私は赤の守護者の開発者のシュトルツです。赤の守護者の開発に反対していた皆様の前にこうして姿を現すのは大変心苦しいことです。お詫びしても済まされないことは分かっています。しかし、科学者としての自惚れがこのような事態を招いたことを反省しております」

 深く頭を下げるシュトルツと一緒に、ラザフォードも頭を下げた。それに対して野次が飛ぶ中で、ラザフォードは頭を上げて一同を見回した。

「こうなってしまった以上リッツシュタインがどうなるかは分かりません。しかし、私達は二度と同じ間違いを繰り返さないように、カーラ公国の赤の守護者を奪還し、リッツシュタインの持つ赤の守護者とともに廃棄するつもりです。そして、褐曜石の使用も、今後はより慎重に行うつもりです」

 しかし、議員達の怒りは収まらなかった。

「今頃お前達リッツシュタインの者がそんなふうに謝ったところで遅すぎる! お前達は自分達の間違った判断により、お前達の王を失い、研究所を蛮族に明け渡すことになるんだ。これは山の女神の怒りである」

 中年の司祭が立ち上がり怒りを顕にした言葉を言ったのを聞いて、彼に賛同する者達が一斉に声を上げた。


 フレッドが一歩前へ出て、両手のひらで机を2度ほど打った。そして、毅然とした態度で一同を見回した。

「待ってくれ! 神の祟りだなんだと言ったところで、何が変わるのか? 俺はただこの国を救いたくて、恥を忍んで還ってきた。――恥じるべき恥なんて本当はないけど、そんなことはどうでもいい。俺はただ国を守るためだけにここにやってきた。それができたなら、その後は、また流刑地へでも喜んで戻ろう」

 一度言葉を区切り、全員の顔を見回してから、彼は言葉を続けた。

「今、ツォーハイムがどんな状況にあるかは分かっているな? お前達は、俺と同じように国と民を守るべき意思があるか? 俺が聞きたいのはそれだけだ。国と民を守る以上に重要なことがあるという者は、今ここで名乗り出ろ!」

 琥珀色の目が鋭く一同を見回した。誰もがただ沈黙をした。

「見ろ! お前達の誰もが、ただ国を守りたい。違うか? 惑わされるな! お前らの利益や信念、そんなものはこの国そのものにくらべて、ちっぽけなものじゃないか?」

 彼は会議室の片側に座る進歩派たちの一団に向かって話した。

「お前達が、俺のことを煙たがっているのは分かる。でも、お前達なら柔軟な考えができると信じている。俺はリッツシュタインで1年を過ごした。だからわかった。どこの国であろうと、そこに生きる人々は同じだ。国境を閉ざして褐曜石を流さないようにするのが、根本的な解決方法ではないことを俺は学んだ。必要なのは話し合いだ」

 フレッドのことを嫌悪していた進歩派は、彼らに向かって話すフレッドに対して、驚いたようにお互いの顔を見合わせた。


 フレッドはすぐに反対側の席に集まる保守派の一団に顔を向けた。

「お前達は、王族である俺が自分達の意見を代表する者だと思っていただろうな。実際にそれは間違ってはいない。褐曜石が危険なものだというのは、俺が身を持って体験した」

 彼は左側の袖を捲り上げた。そこにはまだ直りきらない火傷が痛々しく残っていた。

「褐曜石は危険だ。無闇に利用すると、この怪我程度では済まない。それでも、言おう。そこに可能性がある限り、俺たちはできることをやるしかない。山の女神がいたとしたら、俺たちが生きて国を守ることを何より願うだろう。民や国への愛は義務や伝統に勝ると、頭の固いマニュエルすら言ったのだ!」

 突然話を振られて驚いたマニュエルだったが、フレッドの方を見て深く頷いた。

 フレッドはリッツシュタイン王の書状を開いて一同に見せつけた。

「ここに書いてある通りだ。リッツシュタインは我が国との友好を望んでいる。そして、両者の敵であるカーラ公国連合軍を我が国と力を合わせて退けることを申し出てきたのだ。彼らはリッツシュタイン城に残ったもう一台の赤の守護者を使い、連合軍を退けるだろう」

 一同がざわめいた。フレッドの言葉をじっくり聞いていた者達は、彼の言った『赤の守護者を使わせる』という言葉に動揺した。しかし、大きな声でフレッドは続けた。

「考えてみてほしい。連合軍が望むものはなんだろうか? 俺の考えでは、彼らがリッツシュタインを実際に爆撃することはないだろう。リッツシュタインの価値は研究所と有能な技術者にある。城は研究所に隣接している。その街を爆破するような馬鹿な真似をするだろうか。研究所がなくなれば、リッツシュタインを支配する意味はない。――しかし、我がツォーハイム王国には利用できるような人材はない。クリスから聞いていると思うが、アルスフェルトは以前にも鉱山を襲撃しようとした。そんなやつらなら、宣戦布告もせずにツォーハイムの首都を爆破し、人々が死に絶えて警備の薄くなった鉱山の褐曜石だけを奪いに来ることがないと言えるか? 俺が敵軍ならそうするぜ」

 会議場は混乱の渦に包まれた。

「助けを求めるべきは、リッツシュタインではなく、俺たちの方だと分かったか? 生き延びたい奴や、国を救いたい奴は、この二人の研究者に協力するんだ!」

 フレッドの声が響いた。彼が言葉を終えると、会議場は静まり返っていた。それぞれの者が、フレッドの言ったことを考え、それぞれが混沌とする頭の中で思考をまとめようとしていた。

 

「フレッド、俺はお前の言うことを信じよう。モリッツ家当主として……」

 そう言ったクリスは保守派の座る席を眺めたが、反対する者はいない様子だった。

 進歩派のラース・フォン・モリッツがゆっくりと立ち上がった。

「私は異論ない。リッツシュタインが作ったものは、彼らでしか撃つことはできないだろう。もちろん、フレッド王子が流刑にも関わらず帰国したことは許しがたいが、この点について今回は目をつぶろう」

 それだけ言うと、彼は不愉快そうに席に着いた。

 その様子を見た王はフレッドの元へ歩いていくと、息子の肩に手を置いた。

「フレッド、余はお前に賭けてもいいと思う」

 王は、他にもフレッドに言いたいことが沢山あったのだが、その場は自分の意見を表明するだけにとどめるべきだと思った。今皆が必要なのは、自分が口にする肯定だけだと分かっていたからだ。そして、それがその場にいた者達の意見を代表するものであることを確信していた。

「父上、ありがとうございます。俺たちは褐曜石を持ってすぐにリッツシュタインへ戻ります。――クリス、褐曜石の準備を頼む」

 その言葉を皮切りに、クリスはすぐにシュトルツと共に、褐曜石を運び出すための打ち合わせを始めた。モリッツ家の鉱山関係者もそれに加わり、会議は自然と終了を向かえ、人々がせわしなく動き出した。


「フレッド君、なんだか立派だったわよ。君があんなに雄弁に話すところを初めて見たわ。貴方はもしかしたら立派な王様になれたことでしょうね。この国のためにも、いつか貴方の容疑が晴れるといいわ」

 ラザフォードがフレッドの傍に寄ってきた。傍に来ると、彼がまだ緊張で震えていることに気が付いた。彼女は、本当にフレッドが国を背負うべき立場にある者だったのだということをその目で見て、不思議な気分であった。彼女の言葉を聞いて微笑みかけたフレッドが、彼女の目に別人のように映った。


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