王の回想
アウグスト王は2年前のことに思いを巡らせていた。
(フレッドの奴は、なぜ、自分の無罪を証明しようと最後まで抗おうとしなかったのか。余には、あいつが無罪であるのに、あえて罪を負ったように見えた。それとも、本当にあやつは使用人の女を殺したのだろうか……)
彼にはフレッドが本当に有罪であったとは思えなかった。以前から奇行が目立つことがあるフレッドであったし、彼が真面目に振舞うところを王は殆ど見たことがなかった。しかし、それでもフレッドのことをどこかで信頼している節があった。
アウグスト王は、フレッドが追放される前年に起こった、モリッツ家保守派の当主が殺害された事件のこと覚えていた。その事件をフレッドがほぼ単独で解決した際に、フレッドがそれまで見せたことのない行動力を王は知ることなり、密かにフレッドに対して期待を寄せていたのだった。
(あやつは馬鹿ではない。もし本気で無罪を証明する気があれば、何かしら自分で行動をおこしていたのではないだろうか。それとも、余や周りの者達があやつの言葉を信じるかどうかをためしていたのだろうか)
王にはなぜか、そのときのフレッドの沈黙が意図的なものであったように思えた。
2年以上前のその日、法務官三名と王、そしてモリッツ家でクリスに次ぐ力のあるラース・フォン・モリッツ公爵が会議室にてフレッドの処遇について話し合っていた。ラースは同じモリッツ家でも進歩派に属し、クリスや王とは対する立場にあった。
「――余にはフレッドが情事に及んだ娘を殺すなどとは信じがたい」
王は沈んだ声で一同に語りかけた。
「しかし、王子の従姉妹アンネはフレッド王子が使用人の女を殺したと言っているのです。それに、フレッド王子も事情聴取に来た法務官にまともな返答をしなかったというじゃないですか。それが何よりも彼の有罪を物語っているのでは?」
公爵は王を蔑むように見据えていった。
国の実力者である二人の間に流れる気まずい雰囲気に、公正を期そうと思う法務官達も言葉を失った。
「お前達が去年の事件によって追放されたウォルフガング派だということは分かっておる。精々お前達は、あやつらのために仕返しでもしたいと思って、フレッドにあらぬ罪をきせようとしたのだろう」
王が感情的にそう言ったのに対し、法務官は「そのような発言はお慎みください」と言って彼をいさめた。公爵は鼻で笑うと、ふてぶてしく言った。
「何をおっしゃっているのですか? 被害者の主であるアンネはクリス達と同様保守派の家のものです。それがなぜ、フレッド様を嵌めなければならないのですか? 我々進歩派とアンネのつながりはありません。フレッド様を無罪になさりたい気持ちはわかりますが、陛下の考えは理に適いません」
王はそれを聞くと何も返すことばがなかったが、ラースを睨みつけた。
法務官の一人は、それを見ると、怒りに震える王を室外へ連れ出した。
別室に来た法務官は呆れた様子であった。
「アウグスト陛下、あのような発言はフレッド様のお立場を悪くするだけです。どうか冷静になってください」
「冷静になどなっていられるか! 余には愚息がそのような恐ろしい犯罪を犯すようには思えない。それに、モリッツ家進歩派の奴らには我らが王家を落としめんとする十分な理由がある」
「たしかに、フレッド様が無罪だとしたら、王家と進歩派の対立が原因であることはありえるでしょう。しかし、フレッド様の無罪を証明する術はありません。ラース様の言うとおり、アンネは保守派の人間で、フレッド様を嵌める動機がありません。それなのに、もしここでフレッド様に与える罰を軽いものにした場合、進歩派は何をしでかすかわかりません。去年の事件では、密輸とアレックス様の殺害に関与した進歩派の容疑者に対して、必要以上に重い罪が課せられました。その翌年である今、もしフレッド様に十分な罪が課せられなければ、進歩派の不満はより強いものになります。そうなっては、進歩派だけでなく保守派ですら、王家に対する反発をつよめることになるでしょう。モリッツ家の王家に対する不満は昔から大きいものです。これ以上両者の溝を大きくしないため、そして国の安定を考えた場合、フレッド様を流刑にでもするのが適当かと思います」
王はその言葉に対してすぐには言い返すことを思いつくことができなかった。
「たしかに、あやつの無罪を証明はできなかろう。そもそも、あやつの不真面目さが余には理解できない! なぜあやつは無罪だとしたら、それをまともに主張しないのだろうか」
彼は息子のことを愛おしくも、その人生に対するやる気のなさを忌々しく思えてならなかった。
保守的に伝統的な褐曜石の採掘方法を行うクリスを中心とする一派と、利益重視の新しい採掘方法や褐曜石の販売規則を緩めようとする進歩派であるラース派の対立は、リッツシュタインとの国交が断絶されてからより激しいものとなっていた。
同じモリッツ家であることから、クリス派とラース派が直接対立することはなかった。しかし、クリス派は保守的な態度を取る王家と結びつき、王家を彼らの代理とすることでラース派と対立構造を持っていた。
去年処刑されたウォルフガングは、進歩派の有力者であった。国交を断絶し、褐曜石の輸出を禁じたにも関わらず、彼らはリッツシュタイン内の有力者と結びつき、秘密裏に直接褐曜石を安価で売っていたのだった。
フレッドは去年起こったリーナ姫誘拐事件の際に、リーナとの恋愛関係の中で偶然この秘密貿易を暴きだし、ウォルフガングらの失脚を招いたのだった。それにより、処刑されたウォルフガングの意思を継ぐ現ラース派の矛先がフレッドに向けられたのだろう事を王は思っていた。
アウグスト王と話した法務官が苦しげな表情で王を見守る中、王は自らに言い聞かせるように言った。
「フレッドが去年の事件を解明したのは、大したものだった。それが、あやつ自身の立場を危うくしたのは確かだが、あやつのしたことは間違ってなどいない。褐曜石というのは、リッツシュタインの科学技術を持ってしても、その仕組みを解明できないようなものである。分からない物である以上、伝承に則った保守派のやり方を支持するのが王家の仕事である。それが民を守ることになるのだから。民の命を守るのが王の仕事である。だからこそ、進歩派の犯した罪は重く処罰されなければならなかった」
法務官は深く頷いた。
「しかし、民の意見も分かれております。伝統的な採掘方法を緩和することで、国の経済を発展させようと望む多くの国民は、進歩派を支援しているようです」
「分かっておる。安寧よりも経済の発展、それを望むものはいつでも居ろう」
左様でございます、と法務官は頭を下げた。
「だがな、リッツシュタインの開発したような『赤の守護者』、あのような物は国を滅ぼしかねない。我が国がリッツシュタインにあのまま褐曜石を売ったとしたら、彼らがいつか我が国を『赤の守護者』の餌食にしないと、誰が保障できようか」
その一方で王は、貧しい中でも長きに渡る平和が享受されるなかで、隣国リッツシュタインやセイレンブルクの富を羨み、保守的な王家に反対する国民達の声があることを無視しきれないでいた。事実、褐曜石という大きな富を有しているのにも関わらず、諸所の隣国に比べてツォーハイムの市民の暮らしは質素なものだった。
『赤の守護者』の開発が始まり、リッツシュタインとの国交断絶を決めた6年前の騒動の際にも、国民の反発は一時的に激しいものとなっていた。
当時、国交断絶に反対する市民達が城の城門まで押し寄せて来た日のことを王は覚えていた。
「お前達王族は良い暮らしをしているが、お前達の下らない政策で俺たちは住む家さえ失った!」
押し寄せて来た市民団体代表がそう叫ぶ声を、王は忘れることができなかった。
王は彼らに呼びかけた。
「余は、市民の健康と安全を第一に考えたまでだ」
そう言った自分の言葉がどれだけ彼らに届いたのかを、彼は知らなかった。
リッツシュタインが赤の守護者を連合軍に奪われたと聞いた時、アウグスト王は一瞬心の晴れた思いがした。自分達が守ってきた保守的な姿勢がこれで漸く国民に再評価され、進歩派は、王の擁護する保守派に屈することになるだろうと思った。
(褐曜石を悪用する者共に天罰が下ったのだ)
しかし、事態は彼が思うより深刻なことがすぐに分かった。
国内の保守派や進歩派といった対立が子供の遊びにすら思えるような脅威が、目と鼻の先に差し迫っていたのだった。
進歩派は揃って褐曜石を密輸した過去を後悔したが、すでに時は遅かった。
大臣が緊急議会を召集すると、議会開始までの短い時間の間、保守派の中には感情的に進歩派を責めようと身構えていたものも居たが、いざ議会が開始されて深刻な事態が明らかになると、集まった者達はただ差し迫る脅威をどのように国が一丸となって乗り越えるかを模索しようと考えた。




