ツォーハイムの会議場
ツォーハイムの王宮会議場には30人ほどの議員や聖職者、モリッツ家の者達が集まっていた。大臣のディンケルが、静粛に、と声を上げると、一同は静まった。
「皆様に集まっていただいたのは他でもありません。ツォーハイム領海にほど近い場所に停泊したカーラ公国のものと見られる戦艦のことです。多くの国民にはまだ知られていませんが、これは緊急事態なのです」
ディンケルは一同を見回した。
「その戦艦は、こともあろうにリッツシュタイン王国から奪った赤の守護者を搭載しているそうです。そして、リッツシュタイン王家に一週間の猶予を与え、降伏を要求しているそうです」
一同はまたざわめく。モリッツ家当主のクリスが立ち上がると一同は声を潜めた。
「しかし、我が国からリッツシュタインへの直接の褐曜石輸出は中止され、赤の守護者の弾を作るのに必要なだけの量の褐曜石をあの国はもっていたのでしょうか? 第三国から買うとしたら、いくらリッツシュタインだとしても、それだけの財政上の余裕があるとは思えません。我々は、リッツシュタインがあのようなものを開発しだした7年前からそれを恐れて国交を断絶しました」
諜報部長クリップナーが立ち上がり答えた。
「私達の知る限りでは、2,3発の弾がすでに秘密裏に製造されていたということです。情報は定かではありませんが、リッツシュタインは主に医療技術を海外に提供する代わりに、褐曜石を我々が予測するより効率的に各国から集めていたそうです」
クリスは拳で机を叩いた。
「リッツシュタインの奴らめ! それに我が国の友好国も、我々の知らないところであの国に褐曜石を流していたとは。しかし、リッツシュタインの王族の奴らも、これで首が飛ぶのだろうな。褐曜石を悪用する罰だ」
「落ち着け、クリス」
ツォーハイム王アウグストが口を開いた。
「諜報部長クリップナーよ、それで、リッツシュタイン王家はどうするつもりなのだ?」
「我々が昨日と今日で集めた情報で知る限りでは、王族は投降する用意をしているそうです。カーラ王国の突きつけた要求では、王と王妃とその子供達のみの首を差し出せばよいとのことで、その他の貴族達は巻き込まれることを畏れて、赤の守護者の射程距離外に逃れようと、首都から内陸部へ向けて脱出しているそうです。王族のみが城に残り、国民の命を最優先にするつもりのようです」
それを聞いた王妃は白い顔を真っ青にした。
「アウグスト。それではリッツシュタイン王妃やリーナちゃんが……」
「王妃よ。今は個人的なことを杞憂するときではない」
アウグスト王は王妃の肩をそっと擦って、彼女を落ち着かせようとした。
クリスが大臣に質問をした。
「しかし、リッツシュタイン王家が危機であることが、彼らに国交を閉ざした我々とどう関係があるのですか?」
諜報部のクリップナーは何枚かの紙を一同に見せるように持ち上げた。
「ここに、秘密裏に手に入れた赤の守護者についての情報があります。このデータがどれだけ正確なのかは定かではありません。しかし、私達の知る限りでは、今のカーラ公国戦艦の停泊位置からすると、このツォーハイム首都も確実に赤の守護者の射程内です。今のところカーラ公国とアルスフェルト公国の連合軍はツォーハイムに対して特に連絡を取ってきたことはありませんが、リッツシュタイン降伏後には、こちらに宣戦布告や侵略してくる可能性は大いにあります」
アウグスト王は頷くと、腕を組んでから、ゆっくりと口を開いた。
「しかし、それは可能性というだけであろう。カーラ公国に対して我が国は平等な貿易を行っているし、我々は友好関係にある。彼らが我々を裏切るとは余には考えがたい。貴君は無用の心配をしておられるのではなかろうか」
ざわめく一同を見据えて王が落ち着いた声でそう言ったのに対し、クリスが勢い良く立ち上がり「叔父様!」とアウグスト王に呼びかけた。
「無用の心配とは俺には思えません。彼らはあのアルスフェルト公国と組んでいるのですよ。去年ローゼンタール辺境伯領にフレッドと共に滞在していた弟のマニュエルが、アルスフェルトによる襲撃計画を知らせにやって来たことがありました。あいつはアルスフェルトの連中に殺されかかったらしい」
クリスはクリップナーに発言を促すように視線を送った。
「クリス様の言うとおりです。襲撃計画の真偽についてははっきりと分かっていませんが、セイレンブルクに派遣されている我が国の諜報部員によると、そういう噂はセイレンブルク内では時々聞かれたとのことで、計画自体は実際に存在したと考えられます。おそらく、マニュエル様がもたらした情報によって鉱山の警備が固められ、彼らの計画が頓挫したと考えるのが妥当だと思われます」
さらに、クリップナーは、アルスフェルトが褐曜石を盗もうとしたことを諦めたわけではないとの意見を述べた。近年、財政難と国土の荒廃が進むアルスフェルトにとって、ツォーハイムの鉱山を襲撃して得られる利益によって国を立て直そうとするのは合理的なものであったのだろう。
ざわめく議員達を静めるために、王は咳払いをした。
「それでは、そのアルスフェルト公国がカーラ公国と組み、リッツシュタインを征服した後に、我が国に侵略してくるというのが、貴君の考えであるのだな」
クリップナーは一瞬躊躇ってからアウグストを見据えた。
「陛下、その通りでございます……」
その発言に議員達は混乱した様子を見せてお互いにひそひそとささやきあった。
それを遮るように王は言った。
「リッツシュタインの開発した赤の守護者は町一つ吹き飛ばす力を持つ、と余は聞いている。もし、カーラ公国が我らの敵となった場合、我らの勝つすべは無かろう。我が国にはそれに対抗する兵器などない。余の考えでは、カーラ公国連合軍に使者を遣わし、友好関係を求めることが最善だと思う。どんな不平等条約を突きつけられたとしても、そんな蛮族に支配されるよりはよかろう。公式に宣戦布告される前に、こちらから降伏すれば、カーラ公国も悪いようにはしないであろう」
クリスがイライラした様子で王を睨むと、それに反対した。
「しかし、アルスフェルトのような蛮国相手に条約締結を望めるのでしょうか? あいつらは、モリッツ家が伝承にしたがって管理・採掘してきた鉱山を野蛮にも襲撃しようとしていた奴らですよ? こちらが下手に出たものなら、利益を重視するあまり、伝統的なやり方を無視して褐曜石を採掘することを要求するかもしれない。安全を重視するモリッツ家の採掘方法が守られなくなったりしたら、一般の人々の健康に有害な赤い褐曜石さえ採掘され、国民の健康被害は深刻なものになるでしょう」
王は目を閉じ、考え込む様子を見せた。
「分かっている。だが、我が国には対抗すべき手段がない」
クリスは悔しそうに歯をかみ締めた。
「万事休すか……。畜生!」
「大臣よ。カーラ王国に赴き、我が国との友好関係を強めるよう働きかけるのだ」
王は悲愴な表情でなんとかそれだけ言うと、ただうな垂れるしかなかった。
「陛下、それでは具体的なお話に入りましょう。交渉に向かわせる者についてですが……」
その時、一人の兵が静かに会議場に入ってきて、大臣に報告をした。
「マニュエル様がどういうわけか、リッツシュタインからお戻りになりました。数名のご友人を連れて会議場に入ってお話したいとおっしゃっていますが、いかがしましょうか?」
クリスは驚き立ち上がった。
「マニュエルだと! あいつはリッツシュタインに入国したきり戻れなくなっていたのを、一体どうして出て来れたんだ? 大臣、お願いします。ぜひ彼をここへ呼ぶ許可をお出しください」
大臣はそれを快諾すると、兵士はすぐに会議場を後にしてマニュエル達を呼びに向かった。
「それにしても、あいつは、リッツシュタインの混乱に乗じて脱出でもしたのだろうか……」
「どちらにせよ、喜ばしいことではないか、クリスよ。余も、マニュエルが戻って来る事ができなくなったことを案じておったのだ」
王は複雑な表情でクリスを見た。
アウグスト王は、フレッドもマニュエルと一緒に戻って来ていたらと望んだが、その儚い望みをすぐにうち捨てた。フレッドの流刑はもちろんそのままであり、ツォーハイムの国境を跨ぐことは許されていないため、フレッドが仮にリッツシュタインを抜け出せていたとしても、ツォーハイム首都にまで至ることはないことを知っていた。
(あやつも、アルスフェルドの襲撃の一件で大変な思いをしたそうだ。もし、マニュエルと共にリッツシュタインを抜け出せていたとしたら、ひとりでうまくローゼンタール領へ戻っているとよいのだが……)
王には10人ほどの愛人に生ませた子供達がいたが、いくら流刑になったからと言って、その長男であるフレッドのことを忘れたことはなかった。
(あやつにはかわいそうなことをした――)




