宣戦布告
フレッドはしばらく眠ってから目を覚ました。目を覚ますとマニュエルが傍に座っていた。
「フレッド様!」
「ああ、マニュエル」
彼はうれし涙を流しながらフレッドに抱きついた。
「痛いから放せ!」
「あ、ごめんなさい」
「ラザフォード先生から、フレッド様が目を覚ましたと聞いて来たんですけど、つい嬉しくて。本当によかったー!」
マニュエルは目頭を拭いながら言った。
「フレッド様、具合はどうですか?」
「ああ、傷は痛むが大丈夫だ」
それはよかった、とマニュエルは安堵した表情を見せた。
「マニュエル、お前は容疑がかかっていないのか?」
マニュエルはすぐに彼の言ったことの意味を理解したように、一瞬暗い表情を見せた。
「幸運なことに、ラザフォード先生が証言してくれたおかげもあって、僕はスパイ容疑をかけられていません」
そう言うとマニュエルはうつむいた。
「でも、僕はフレッド様がここに運ばれてきた時、ラザフォード先生にひどいことを言ってしまいました。司祭失格です」
フレッドは笑った。
「ああ。先生が言っていたよ。マニュエルは怒ると怖いってな」
「僕はただフレッド様が巻き込まれてしまったことが、やりきれなくて。つい気持ちを抑えきれなくなって、あんなことを……」
「でも、先生やプロジェクト・チームが、もっと慎重になるべきだったというのはお前の言うとおりだ。褐曜石みたいな良く分からないものを使うのは、もっと細心の注意を払うべきだ」
マニュエルは頷いて、もう一度涙を袖で拭った。
「そんなことより、僕はもしフレッド様が目を覚まさなかったら、どうしようかとずっと怖かったです。貴方にもしものことがあったら、僕の責任ですから。今まで言いませんでしたが、王妃様からフレッド様を絶対に守るようにって言われていたんです」
フレッドは、はっとした。自分のことを当に見限っていたと思っていた母親が、マニュエルにそんなことを言っていたとは以外だった。
王妃のことを思い出すと同時に、フレッドは赤い夢の中で見た姿のことを思っていた。王妃に似たその姿が誰だったのか、夢で彼女と話したことが一体なんだったのか、もう彼には思い出せなった。
しばらくぼんやりしているフレッドを、マニュエルはまた心配そうに眺めていた。
その視線に気付いたフレッドは、「もう大丈夫だ」と言って、マニュエルの頭をポンと叩いた。
「それにしても、あの黒装束達は一体何者だったんだ?」
「正確にはわかりませんが、あれほどの機動力を持つ特殊部隊といったら、アルスフェルドの正規部隊である『黒豹』と呼ばれる連中だと、もっぱらの噂です」
「またアルスフェルドか……。お前を去年誘拐したあのカレルもたしかアルスフェルドだったよな」
「そうですね。あのカレルと『黒豹』に関連がないとも言い切れません」
そういうと、マニュエルはフレッドのベッドに腰掛けた。
クリスからの伝言によると、カレルと傭兵達はその後、ローゼンタールからツォーハイムへ連れて来られたそうだった。しかし、尋問にも答えず、結局何の情報も彼らから聞き出すことはできなかったそうだ。
ツォーハイムで彼らに対してどのような尋問がなされたのかは聞いていないが、長期の尋問にも耐え続ける意志の強さから、彼らが並大抵の者でないことは想像できた。そう考えると、カレルたちも、特殊部隊『黒豹』の者だったのかもしれないと思えてきた。
「思い起こせば、あのカレルという男の言葉巧みさは、かなりのものだった。俺だって、そこらの奴等に簡単に騙されるほど馬鹿じゃない。でも、あいつは俺から簡単に情報を聞き出して、お前をあっという間に誘拐したからな。『黒豹』にカレルみたいなやつらが揃っていたとしたら、ここの研究者でも気付かぬうちに何かしら情報を漏らしていたのかもしれない。それによって、ここまで速やかに赤の守護者が盗まれた、というのは考えられる」
「でも、僕は許せません。『黒豹』の目的は、この研究所から褐曜石の兵器『赤の守護者』を盗むことだったようです。でも、そのために無抵抗の研究員を25人も殺害したんです」
悲痛な表情を見せ、マニュエルは拳を握った。
「それで、奴らはまだ捕まってないのか?」
「国境の警備は最大限に強化されていますが、『赤の守護者』が持ち出されたという話はまだ聞いてません。だから、まだ国内にあるのではと言われています」
「いくら『黒豹』でも、あんなでかい物を運び出そうとしてその辺をうろうろしてたら、すぐバレるのではないか?」
それもそうですね、と言ってマニュエルは腕を組み、考え込んだ。
「俺だったら、あんなデカイものは海路で運ぶだろう」
「たしかに、海の方へ運んでいったという話もあるらしいけど、リッツシュタインの面する海はどこでもカーラ公国の海上兵団によって警備され、不審な船はすぐに捕まるでしょう」
フレッドはまだ眠そうに目を擦った。
「でも、『赤の守護者』って噂どおりそんなにすごいのか?」
「ラザフォード先生に聞きましたが、町ひとつなら簡単に吹き飛ばす威力があるとか。『赤の守護者』があるおかげで、まともな軍を持たないこの国が侵略されずに済んでいたそうです」
「それはおそろしいな。そんなのが、今どこにあるかもわからなければ、こうなってしまった以上いつ打ち込まれるかもわからないんだろ」
二人は背筋がぞっとするのを感じた。
「『赤の守護者』はもう一台がリッツシュタイン城の塔に常に配備されているけれど、肝心の砲弾は研究所が管理していて、それも全て盗まれたとか」
「でも、『赤の守護者』の弾丸っていうのはそんなに何個もあるのか? 弾丸にはすごい量の褐曜石が使われるとかいうじゃないか。リッツシュタインはそれに必要な褐曜石を持っていたのか? ツォーハイムはできるだけ褐曜石がリッツシュタインに流れないようにしていたのにな」
「二発だけできていたそうです。褐曜石の需要は軍事関係意外にも高いから、弾の製造に必要なだけの量の褐曜石を手に入れるまで時間がかかっていたとか」
「でも、『黒豹』の奴らもそんなでかい大砲を持ってふらふらしていたら見つかるのは時間の問題だろう。――さっさと見つかるといいがな」
そうですね、と言うとマニュエルは立ち上がった。
「さあ、そろそろお話はお仕舞いにして、僕は仕事に戻らないと。研究員が減ってしまったので、僕に手伝うようにってグレアム先生がいってますので」
フレッドは横になるとマニュエルと話したことについて考えを巡らせていた。どうも腑に落ちなかった。そんな大きな大砲を容易に陸路で持ち出せるものなのだろうか。そんなことを色々と考えていたフレッドは、痛み止めの薬が効いているせいもあり、再びまどろみに落ちた。
頬に触れる湿った感覚に彼が目を開けると、それがラザフォードの唇であったことがわかった。
「ラザフォード先生……」
「あ、起こしちゃった? ごめんなさい。寝顔が可愛らしくてつい」
「いえいえ、どんどん続けてください。よろしければ最後まで」
彼女は頬を赤らめたが、すぐに真面目な表情になった。
「フレッド君は今のところ怪我人としてここで収容されることになったわ。スパイ容疑がかかっているから、その後のことはまだわからないわ。今は君の処遇をちゃんと議論しているほど私達には時間が無くて保留ってことになっているの」
彼女が焦燥した様子を見てフレッドは訊いた。
「何かあったんですか?」
「ええ、事態は深刻よ。カーラ公国がアルスフェルトと組んで宣戦布告してきたのよ。カーラ公国の戦艦がここから盗んだ『赤の守護者』を積んで、我が国の領海に待機しているわ」
「やはりそうか。カーラ公国が関わってなかったら、あんな大きい大砲を持ち出すことは不可能だと思っていたんだ」
カーラ公国はリッツシュタインの友好国として、今まで海軍を持たないリッツシュタインの領海を守護してきたのだったが、そのカーラ公国の裏切りが、今回のような事態を可能にしたという。
海を支配するカーラ公国と、陸上の特殊精鋭部隊を持つアルスフェルトが結びつくことで、赤の守護者を盗み出すことが可能となったのだった。元々両国は軍事に優れるという点を除いては貧しい国であり、特にアルスフェルトはここ数年続く凶作もあり、他国を侵略することで国力を回復しようと図ったのだろう。アルスフェルトによるツォーハイムの褐曜石鉱山の襲撃も、その一連だったのだろうことが想像できた。しかし、それはマニュエルとフレッドの働きにより、計画の時点で頓挫していたのだろう。
カーラ王国の裏切りはリッツシュタインにとって晴天の霹靂であった。しかし、周辺国に技術を頑なに明かさず、開発した技術により富を蓄えるリッツシュタインの体質への不満も、昨日今日に始まったことではなかったと、フレッドには思えた。
さらに、カーラ王国自体も、リッツシュタインが『赤の守護者』を所有していたために、その恐怖からリッツシュタインにこれまで逆らえずにいたというのはあっただろう。
ラザフォードはさらに真剣な眼差しでフレッドを見据えると言った。
「カーラ公国の戦艦は海上で待機し、リッツシュタインが1週間以内に王族の首を差し出し、研究所の管理を連合軍に明け渡して降伏しないと、街を爆撃すると言っているそうよ!」
「王族の首――リーナや叔母様が……」
フレッドは青ざめた。
「フレッド君、君はやはりツォーハイムの王子だったのね。だからこそリーナ姫を知っていた」
彼は素直に事実を認めると、ラザフォードは笑い出した。
「最初っからおかしいと思っていたわ。君の立ち振る舞いはあまりに普通の人と違っていたから。でも、まさか奴隷だと思っていた人が王子様だったとは、なんだか笑っちゃうわ」
「――それより、王家や研究所は、連合軍に対してどうするつもりなんですか?」
「まだわからないわ。私達研究所の者達は、研究所の持つ他の兵器を使って対抗できるかどうかの手段を模索したわ。でも、『赤の守護者』越える兵器は存在しないと思う。王宮では、大臣達を中心に、命欲しさに降伏しようと言う意見の者が多いらしいわ。それを受けて、王家も国民を守るために命を差し出そうという意思をしめしているとか」
フレッドがそれを聞いて狼狽する様子を見たラザフォードは彼の手を握った。
「私に考えがあるわ。貴方はリーナ姫を殺させたくないみたいだしね」
彼女は真っ直ぐに、押し黙るフレッドを見据えた。
「褐曜石さえあれば、こちらにも『赤の守護者』がある」
フレッドは訝しげな目でラザフォードを見返した。
「君に褐曜石を持って来てもらうわ」
それを聞くと、フレッドは驚き、そんなことはできない、と否定した。
「実を言うと、俺はツォーハイムで無実の罪を着せられて流刑にされたんです。そんな俺に何ができるというだ? 国境で追い返されるのがオチです」
「最初、君を人質に褐曜石を要求しようと思ったわ。でも、そんなことはしたくないし、強引な揺すりなんて何も生まないと思うの」
「でも、それならどうやって?」
「交渉するのよ。連合軍の艦隊が留まっている位置からは、ツォーハイムも『赤の守護者』の射程範囲よ。それをタネにツォーハイムと交渉して、ツォーハイムから褐曜石を運ばせ、『赤の守護者』の弾を作ればいいのよ」
「それでは、今、ツォーハイムも危機にあるということですね」
ラザフォードは頷いたのを見て、彼は考え込んだ。
(カーラ公国がツォーハイムを爆撃することがあるだろうか……)
彼はすぐに結論を出せないでいた。しかし、リーナを救うために、そしてラザフォードのためにも彼女に協力しようと思い、それを取りあえず承諾した。
「ありがとう、フレッド君。私はあんな奴らに研究所を明け渡したくないの」
フレッドはその言葉を聞くと、苦笑いした。
「これでお相子ですね。俺は出国するために、貴女の助手になっていつか偽造旅券を作らせようと考えていた。もちろん、貴女を利用しようと思っていただけではなく、貴女の傍にいたいから助手になっていたんですけどね。でも、今度は、貴女が俺を利用する番みたいですね」
冗談半分に言ったフレッドは、握られていた彼女の手を引き寄せると、そのまま抱き寄せた。
「だいたい、ずっと前から俺は言ってたじゃないですか。貴女のためならなんでもするって」
フレッドの胸に顔をうずめたラザフォードは鼻で笑った。
「でも、それは私がリーナ姫に似ていたからでしょ?」
「最初はそうでした。でも、僕はだんだん貴女自身に恋をしていた。それに、貴女はリーナよりよっぽど巨乳だ」
「またそんなことばかり言うのね。――でも、私みたいな農家の品のない娘に合わせるのは大変だったでしょ」
「そんなことないですよ。貴女は賢く人間的にも魅力的だ。貴族の女にはない強さも持っている」
ラザフォードは恥ずかしそうにフレッドを見上げた。フレッドは軽く彼女の髪を撫でた。
「さあ、このお楽しみの続きは、全てを終わらせてからにしましょう。そしたら、あなたの巨乳をゆっくり堪能させてもらいます」
ラザフォードは照れながら小さく頷いた。
「行きましょう。時間はあまりないわ。まだ怪我人のフレッド君には悪いけど一緒に来てもらうわ」
ラザフォードはフレッドを伴い、研究所内の会議室へ向かった。




