生還
「どうしてくれるんですか?」
マニュエルは彼が普段見せないような剣幕でそう言った。
「フレッド様がこんなことになったのは、貴女達が褐曜石をおもちゃのように使うからです。モリッツ家の定めた使用方法を守らずに他国から買い取った褐曜石をこんな風に利用して! そのせいでフレッド様が!」
ラザフォードは一瞬怯んだが、マニュエルの目を真っ直ぐに見据えた。
「利用できる資源の新しい利用方法を模索するのが科学者の勤めよ。それを放棄したら人類の進化はないわ。私は人々の生活を良くするために研究をしてきたのよ」
「なぜ進化しなければならないんです? そして、そのためにフレッド様やヘンケスさんを犠牲にしてもいいのですか? それだけの価値が、あなたの言う『進化』にはあるんですか? 僕には貴女のしていることなど下らない遊びにしか見えない」
「私達は誰も犠牲にするつもりはなかったわ。そして、資源も軍事力もないこの国がやっていけるのは、私達研究者の好奇心があるからよ。褐曜石鉱山を所有するモリッツ家出身の貴方にはわからないでしょうね。私達にはそんな地の恵みが元々与えられていなかった。だから、私達は何かしなければ生きられないのよ。そして、進化しようとすることをやめたら、そのときには崩壊が始まるのよ。今の水準に留まりたければ、動き続けなければならない。そして、それを動き続けさせるのが私達研究者の役目なの」
マニュエルはうつむいた。
「でも、貴方達は自然を支配できると自惚れている。山の女神の伝承を守るモリッツ家の言うことを意味のない伝承だといって無視した。本当にそれが意味の無い伝承だとしたら、なぜ何百年にも渡って受け継がれるのでしょうか? 伝承は僕達を守ってきた。そして、それを伝えて行くのが土地の人間の仕事です。一方で、そこに価値を見出さず、自分勝手に行動した貴方達が生み出した結果がこれです。それでもまだ貴女は伝承を馬鹿にしますか? どちらにせよ、フレッド様が目を覚まさなかったら、僕は貴方達を許しません」
「これは事故よ。ちゃんと人が制御していれば、こんなことは起こらなかった」
ラザフォードは震えていた。フレッドが負傷し、ヘンケスが亡くなったことについて誰よりも悲しんでいたのは彼女だった。しかし、彼女の研究者としてのプライドが、彼女を自己弁護させていた。
「そうですね。でも、フレッド様が廃炉にしなければ、この辺一体が爆発しただけでは済まなかったでしょうね。僕や貴方だって――」
マニュエルは悔しそうに歯を食いしばった。
「『赤燐』に『赤の守護者』、そんなものがこの世にあってはならないのです。貴方達は自然と共に生きるのではなく、自然を利用することしか考えない」
「それを望んでいるのはこの国の全ての人々なのよ。私達研究者だけではない」
「僕には分かりません。なぜ貴方達リッツシュタインの国民は神々の意思を尊重せずに、それを無視して生きられるんですか?」
ラザフォードは表情を緩めた。
「貴方は随分信仰心が強いのね。この国では珍しいことね」
マニュエルは少し落ち着いた様子で頷く。
「司祭の僕からすれば、貴方達が信仰なくして生きられるのが不思議です」
「私達は、私達に何も与えてくれない神など信じない。私達が信じているのは、自分自身だけなんでしょうね」
微笑を浮かべた彼女は言った。
マニュエルは言いたいことを言い尽くしたのか、それ以上何も言わなかった。
「――フレッド様は助かるでしょうか?」
ラザフォードは頷いた。しかし、彼女自身その確証はなかったが、このままフレッドが死ぬようには思えない、なんだかの確信だけはあった。
「ええ。医師団はそう言っているわ。彼らは驚いていたわ。奇跡だって。彼らもモリッツ家の血筋の者が褐曜石の毒へ耐性を持つことについて、本で読んで知っていたそうだけど、実際に見るのは初めてでしょ。ヘンケスさんの遺体があんな状態だったのに、フレッド君の体には目立ったダメージは無いって。ただ、火傷はひどいらしいけど……」
ラザフォードは炉心が封じられた後に、地下から運び出されたフレッドの姿を思い出していた。彼の姿を目にしたとき、目を閉じた彼は一瞬死んでいるように見えたが、彼女が触れたフレッドの体は温かかった。
彼女は初めて、いるのかいないのか分からない神に向けて祈った。
(どうか、フレッド君を助けてください)
マニュエルはそんな彼女を冷たい目で見ていた。
***
目を開くと、その場にぼんやりとラザフォードが見えた。
「フレッド君!」
ラザフォードは彼に抱きついた。
「痛っ!」
焼けるような皮膚の痛みに、フレッドは押し付けられたラザフォードのやわらかな胸の感触を楽しむこともできなかった。首を動かすと、全身に包帯が巻きつけられているのが見えた。
フレッドは2日間目を覚まさなかったそうだ。彼が目を覚ましたそこは研究所内の医療研究錬だという。
「ヘンケスさんと『赤燐』は、どうなったんですか?」
ラザフォードはとたんに表情を暗くし、ヘンケスが亡くなったことを言った。
「フレッド君、でも、君のおかげよ。あのままだったら『赤燐』は研究所を巻き込む大爆発をしていたでしょう。君が研究所を救ってくれたのよ」
「でも、貴女の大好きな『赤燐』は廃炉になってしまいました。鉛を投入しましたから」
「そんなことどうでもいいわ。君が生きていてくれたから……」
ラザフォードはフレッドの右手をそっと握って、彼女の大きな瞳を潤ませた。
「あのあと、マニュエル君に散々怒られちゃったわ。あの子は怒ると怖いわね。――危険の可能性があることを知っていて行った研究のせいで、『フレッド様』を怪我させたって、すごい剣幕だったわ。……でも、彼が怒るのも当然のことよね」
彼女はマニュエルの怒った顔を思い出すように上方を眺めては苦笑した。
「私達は好奇心を安全よりも優先していた。それが科学者ってものなの。科学者なんて火遊びをする子供と同じね。でも、それによって人が傷つかない限り、私達は火遊びをやめることができなかった」
話しならが彼女の目にはまた涙が溜まっていた。
「あいつが、そんなことを……。それにしても、俺はどうやって生き延びたんですか?」
彼女の表情が陰りを見せた。
「そのことだけど……。マニュエル君からも話を聞いたわ。彼は、どうせばれるからって、彼と貴方がモリッツ家の血筋を引いていると私に話してくれたわ。医師団が君の体を調べて結論付けた答えでも、あなたはモリッツ家の純粋な血筋の者だと。その銀髪に、褐曜石の発する有害可視光線への耐性という特異体質。褐曜石の赤い光を浴びて生きていられるなんて、それ以外には考えられないって」
ただし、マニュエルがモリッツ家のものであることについて知っているのはラザフォードだけだと、彼女は付け足した。
「マニュエルが言っていたな。山の女神の子孫とかなんとか。まさかあの御伽噺が本当だったとはな……」
「ツォーハイムではそういわれているらしいけどね。私達の国では、君やモリッツ家の褐曜石の燐光への耐性は、長年有害物質にさらされた人々が世代を超えて得た適応進化だと思っているわ」
彼女はフレッドの手を強く握ると、しばらくそのまま、じっとフレッドを見つめていた。
「私はあなたを信じたい。フレッド君。でも、モリッツ家の直系である君やマニュエル君がこの研究所に仮名を使ってまで入学したという事実について、考えられることはひとつだけ」
フレッドは自分の置かれた状況を理解した。
「――スパイとしてモリッツ家から来たと、そう言いたいんですね」
ラザフォードは口を閉ざしてただじっとフレッドの目を見た。
「でも、あなたが研究所を救ったのは事実よ。君がヘンケスさんと一緒に死んでいたら……。あのままだったら、防護ガラスも耐えきれずに割れて、私を含めた多くの人が死んでいたはずよ」
フレッドはため息をついた。
「こんなことになるなら、さっさと研究所から逃げておけばよかったなあ。でも、貴方の前でいい格好しようとしたら、とんだ目に合いましたよ」
彼は微笑した。
「スパイ容疑のかかった俺は、どうなるんです?」
「分からないわ。研究所へのスパイ行為への罰は、見せしめという意味も兼ねて普通なら重い刑が科せられる。でも、研究所の皆は、君に救われたことを感謝しているわ。『赤燐』が爆発すれば被害を受けるのは私達の研究錬だけじゃなかったでしょうから」
ラザフォードはフレッドの手を包むように両手で握った。
「私ができるだけのことをするわ。もし貴方がスパイであったとしても。貴方は私の命を救ったから」
「ラザフォード先生にそう言ってもらえるだけで十分です。って、俺はカッコつけすぎか。それにしても火傷が痛くて死ぬ」
「そうだわ。包帯を取り替えないと」
彼女は横になっているフレッドの寝衣を手馴れたように脱がせようとした。
「え。突然何を?」
フレッドは慌てた。
「あら、ごめんなさい。君が目を覚ますまで何度もこうやってたから。フレッド君の裸にはもう慣れちゃった。そのまま動かないで……」
「ラザフォード先生に服を脱がせてもらえるなんて、なんだか変な気分になりますよ」
「変なこと言わないで頂戴!」
ラザフォードは手を動かしつつ顔を赤らめた。
願ってもない状況に興奮して生唾を飲み込むフレッドだったが、さすがに包帯を解かれる際にはひどい痛みにうめき声を上げた。
「ごめんなさい。気をつけてるんだけど、やっぱり痛いわよね」
「大丈夫です。貴女から与えられる痛みなら、それは性的快感です……。って、俺はそういうキャラじゃないんだけどな」
軽口をたたきつつもフレッドは歯を食いしばり包帯が解かれるのを堪えた。
包帯の下の皮膚は赤く腫れていた。
「でも、そんなに深い火傷じゃないらしいわ。火傷の面積が広いから、それがちょっと危険だったそうだけど。体の左側だけだし、傷跡も時間が経てば殆ど残らないそうよ」
上半身を露わにしたフレッドとラザフォードは目が会ったが、彼女は恥ずかしそうにすぐ目をそらして、桶に入れたお湯を取りに行った。
そして、塗らした布巾で彼の火傷のない部分の体を拭き始めた。
二人は何も言葉を発することができなかった。
「――ありがとう、フレッド君」
ラザフォードはそれだけ言うのがやっとだった。フレッドはそれを聞くと微笑した。
「俺は自分がモリッツ家の血を引いていることが嫌だった。そして、俺を国から追放したモリッツ家を恨んでいた。でも、こうして貴女を救うことができたから、今やっと自分の血筋を誇れることができるようになった。だから、貴女にありがとう……」
「追放……? フレッド君、君はもしかしてツォーハイムの――」
「それ以上は言わないで……」
フレッドはそのまま彼女の顎を優しく持ち上げるとその唇を奪った。
二人の間の止まった時を、フレッドの奇声が破った。
「っつ! 痛って! 先生!傷口さわってる!」
「あっ。ごめんなさい」
彼女は慌てて一歩後ろに離れた。
「うふふ。さっさと包帯巻かないとね」
彼女はフレッドの頬にいたずら気をこめた軽いキスをすると、傷口を消毒しだした。
「痛っ! や、やめて!」
「だーめーよっ!」
部屋にはフレッドの情けない叫び声が響き渡った。




