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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第四章 
26/38

赤燐の暴走

「マニュエル、来い! ラザフォード先生を探す」

 そういうとフレッドはもといた研究錬へと戻る道を走り出した。

「フレッド様、隠れているようにって、グレアム先生が……」

 マニュエルに耳を貸さずにフレッドは道を急いだ。しぶしぶとマニュエルもその後ろからフレッドについて走った。

 研究錬を入ると、そこには誰もいなかったが、地下へ続く階段の方から話し声が聞こえてきた。フレッドは急いで下へ降りた。地下に開いた大穴のあった部屋へ続く扉をフレッドは空けた。重い扉を開けると、ラザフォードと目が合った。

「ラザフォード先生! 無事だったんですね」

 フレッドは彼女を見つけ安堵した。

「無事なんかじゃないわ……」

 ラザフォードは真っ青な顔をこちらへ向けた。

「『赤燐』が最大出力実験中だったのよ。そんなときに、担当者が黒装束達に襲撃されて殺され、そうしている間に褐曜石の純度が上がり続け、炉心が高温になってしまったのか制御装置が動かないの」

 それだけ言うとラザフォードはそこにいた同僚のヘンケス研究員と話をしだした。傍には、黒装束に襲われて殺されたらしい二人の研究者の遺体が転がっていた。

「すぐにでも水を注入するべきだわ。それで様子を見ましょう」

「いや、廃炉にするべきだ。このままでは研究所全体へ被害が及ぶだろう。最悪爆発することも考えられる」

「しかし、それでは国王陛下にも顔向けできません。このプロジェクトには多くの予算と歳月が投入されたんですよ! とりあえず、水を入れて様子を見ましょう」

 マニュエルは何のことだか分からず、フレッドの方を見た。

「フレッド様、何が起こっているのでしょうか?」

「お前の言葉で言えば、山の女神が怒っているということだ」

「え? じゃあこれが褐曜石から動力を得るというその『赤燐』という装置ですか」

「ああ。しかも、反応が進みすぎているようだ。このまま行けば大爆発を起こしかねない」

 フレッドは穴の中を覗いて言った。


 マニュエルはラザフォードとヘンケスの前まで行くと、今まで見せたこともないような厳しい顔をした。

「貴方達は自分達が制御しきれず正体が分からないものを遊び半分に用いて、モリッツ家の出した規則にも従わずに褐曜石を悪用した! 神を畏れないからこんなことになるんです!」

 二人は怒りを顕にするマニュエルの叫びを聞くと、顔を見合わせ、返す言葉もなくうつむいた。

「マニュエル、今はお前のお説教の時間じゃない。そんなことしている場合ではないだろう」

 フレッドはマニュエルの肩に触れ、彼を制した。マニュエルはそのままフレッドの手を引っ張り、地上に戻ろうとしたが、フレッドはその手を振り払って、その場に残ろうとした。

 

「今すぐに水を注入しよう。『赤燐』の責任者のルターさんがこんなことになった以上、正確にはそれでどうなるかわからないけど」

 ラザフォードの同僚の研究員ヘンケスが言った。

「ええ。それしかありません。私達以外のプロジェクト担当者はもう皆……」

 ラザフォードは悲痛な面持ちを浮かべた。

 煉獄への入り口をも彷彿とさせる暗い穴が目下へ広がっていた。上方から照らすランプが、不気味に連なる地下への層に無機質な影を作っていった。穴は、褐曜石をまぜた特殊なガラスの板で全体を塞がれていたが、一部が開くようになっており、そこから下へと降りることができるようになっていた。そのガラスによって、褐曜石の反応時に発される人体に有害な不可視光線を吸収することができるということを、ラザフォードから習っていた。

 ヘンケスは梯子へ続く扉を開けて、地下へ続く梯子を降り始めた。開いた扉からは地下からの風が吹き上げる。

 ラザフォードも梯子に足を開け、ヘンケスの後に続こうとした。

「ラザフォード先生、待ってください! 俺が行きます」

 梯子に足をかけたラザフォードはフレッドを見た。

「生徒の君にこんなことは任せられないわ。早く避難して! できるだけ遠くへ」

「いえ、俺が行きます。このまま先生が梯子を降りると、ヘンケスさんに先生のパンツを見られますから。それに緊急用バルブ二つを同時に回せば良いだけですよね? それは、男がする仕事です。先生の細い腕では回らないかもしれないですから」

「フレッド君……。わかったわ。私じゃ役に立たないかもしれない。緊急事態だから、頼むわ」

 そういうとラザフォードは場所をフレッドへ譲った。

 ヘンケスとフレッドは梯子を下り、上から入り口を閉じさせた。恐る恐ると梯子を下りる二人は、やがて三つめの層へ辿り着いた。

 仄かな熱が下方より感じられる。最下層の穴の底は上方からのランプにより照らされてはいたが、辛うじて周りがみえる程度に暗かった。

「いいか、フレッド君。そこにあるバルブを僕の合図に従って同時に回すんだ。そうすれば炉心に水が注入される」

 フレッドは頷いた。

 ヘンケスは一瞬考えてから言葉を続けた。

「もしそれでも反応が収まらないようなら、そっちの滑車を回して炉心を塞ぐしかない。それから、そこにあるレバーを下げれば、蓋の下に鉛の砂が注入される。そうすれば、反応は完全に止まるだろう。しかし、そうしたら廃炉になってしまうから、それは最終手段だ」


 フレッドはバルブに手をかけてヘンケスの合図を待った。

「一、二の、三!」

 二人は全力でそれぞれのバルブを回した。

 水の注がれる音がする。ヘンケスは炉心に注がれる水を見てしばらくしてから、ほっと息をついた。

「おそらくこれで大丈夫だ。何も見えないけど、ここは炉心から体に悪い不可視光線が放たれている。さっさと上へ上がろう。長くここにいれば寿命が縮むからね」

 ヘンケスが梯子に手をかけた。フレッドも水面を眺めるのをやめ、炉心から背をそむけた。

 その時、背後で小さな爆発音が鳴り、熱風が吹き上げた。

 フレッドは衝撃で壁に打ち付けられ、気を失った。


***


 フレッドが目を開くと、水底からの赤い光の反射が眼に飛び込んだ。 

(生きて……る?)

 周りを見回そうとしたが、左腕と脚が燃えるように痛んだ。熱風を受けた側の皮膚が火傷していたようだ。もう片側の体には特に外傷はないようだった。

「――ヘンケスさん?」

 押し出す声で彼に呼びかけるが、返事はない。ヘンケスは爆発時にフレッドより炉心から離れていたため、火傷を負っていないようであったが、それでも全身の皮膚から血がにじみ出ていた。

(この赤い光が、本当に死の光だとでもいうのか?)

 フレッドは起き上がろうとして上半身に力をいれたが、火傷のせいで体が思うように動かず、すぐにまた倒れこんでしまった。

(早く逃げなければ。体が動くうちに……。今なら間に合うだろう)

 彼は這うように動いて、なんとかはしごに足をかけようとした。

(マニュエルとラザフォード先生は無事だろうか?) 

 一瞬そう頭に浮かんだ。彼がふと見上げた上方には褐曜石でできたガラスに水底からの赤い光が反射されていた。ガラス板の向こう側はそこから見えなかった。

(そうか。あのガラスが壊れていなければ、この光が害をなすことはないだろう。でも、このままではあのガラスはもつのだろうか。このままでは褐曜石の反応がより進んでしまう……)

 そんなことを一瞬考えたものの、自分の焼け爛れた左腕が恐怖を駆り立て、息苦しさだけが彼を飲み込んでいた。

 生きたい、と彼は思った。「死にたくない」という言葉が心の中で繰り返され、徐々に呼吸が早くなっていく。

(死にたくない。俺は死にたくない。死ぬのは嫌だ……。俺はまだ生きている。助かりたい!)

 炉心のすぐ傍で赤い光に当たっている自分が無事であるのが不思議だった。

(なぜ生きているのだろう、ヘンケスさんは死んだのに。赤い死の光を浴びてもなお、俺は生きている)

 また一瞬上方を見上げるが、ガラスの向こうは見えない。

 赤い光がかすかに上方への梯子を照らして、にぶい無機質な石の壁に影を作る。

 梯子をつかむ自分の両手を後方から照らす光が、ぼんやりとした影を作り出していた。


(だめだ。助けないと……。このままではマニュエルやラザフォード先生が。そして他の人たちも)

一瞬冷静になった頭が、やるべきことをやるように、と彼に言った。


 力を振り絞り起き上がると、フレッドはヘンケスが言ったように、炉心に蓋をするための滑車を回してから、鉛の砂を注入するためのレバーをおろした。

 鉛の砂が注入された音が蓋の下で鳴り響いているのをフレッドは聞くと、フレッドはその場に倒れこんだ。

(これで、マニュエルや先生達は助かるだろう)

 梯子まで戻り、それを昇るだけの力はもう残っていなかった。

 

 フレッドは目を閉じた。


***


 どれだけ時間が経ったのだろうか。

 気が付くと、一面の赤い空間が広がっていた。目を閉じている感覚があるのに、赤い空間が見える。その奥のどこかで声がしたことにフレッドは気がついた。

「汝は一体何を思った?」

 かすかな女性の声が聞だった。目が開けられないので、それが誰の声だからわからない。ただ、瞼を通して赤い光が感じられるだけだった。

「お前は誰だ?」

 声の主はその問いに対して沈黙を守った。しかし、話は続いた。

「汝は王になる子供として生まれた。なぜ汝の務めを果たさなかった。大地の定めに従わず、自分の治めるべき地を離れた」

「俺が国を負われたのは俺のせいじゃない」

「本当にそうか?」

 正体不明の声の主へと手を伸ばそうとするが、腕が痛んで動かない。

「そうに決まっているだろう。モリッツ家が俺を嵌めたからだ」

「汝はその気になれば、汝の土地に残れたはずだ。国を治めるべき自覚もなく、我が子供達の他愛無い争いから顔を背け、汝は逃げたのだ」

「俺が逃げただと? 確かに派閥争いやら、そういうのが面倒ではあったけど、それでも自分で望んで国を出たわけじゃない! 誰が好きで殺人犯の濡れ衣を着るか!」

 声に対して、そう答えたものの、彼は一瞬それが事実であるかどうか迷った。

 記憶の底に浮かんでは消える声の主の影が、彼を睨みつけているのが感じられた。

「我が民の上に汝が立っていたのではない。汝は歯車のひとつというだけだ。汝は国を守るべき役目の歯車として生まれた」

 声の主らしき姿が、また現れかけては消える。

「それなら、なぜ俺はあいつらに嵌められて国を追われた? 俺は国に残っていたとしたら、いくら面倒だからと言って、別に王となることを厭わなかった」

「お前が逃げ出すことを望んだから、お前の望みはかなえられたのだ。お前はずっとそれを望んでいた……」

 フレッドはハッとした。そして、それを否定することができなかった。だが、まさか自分が国から逃げ出したいと思っていたことが、そんな形で実現するとは思わなかった。

「こんな風に父や母を悲しませてまで、俺は国を出ようとは思ってなかった!」

 彼はそう叫んだが、頭が混乱するだけだった。

「歯車はお前だけではない。全ての人間に定められた位置と役割と運命がある。一つの歯車が狂えば、その歯車に合わさる、全てが崩れて行く。お前はお前に定められた運命を放棄して、そのまま生きるつもりなのか?」

「俺は今ここでできることをやっているだけだ。過去のことは何も変えられない」

 声の主は少しの間沈黙した。

「お前が生まれた瞬間から、お前を取り巻く者達は、お前を王になるべきものとして見ていた」

「何が言いたいんだ?」

 声の主は答えなかった。

 閉ざされた彼の目は何も見えないのに、体が下方へ圧力と共に動いていく感覚がある。彼にはなぜか、それが死を意味するものだと咄嗟に理解できた。

「自分に与えられた運命を全うしなかった者への罰だとでも言いたいのか? 俺の無関心がそんなに罪だったとでもいうのか。……俺は死ぬのか?」

 声の主は沈黙するだけだった。死への恐怖か、それともただの混乱からか、彼は話し続けた。

「俺には能力が足りないと思っていた。執政者には向かず、モリッツ家内部の問題を解決できるほどの王にはなれないと思っていた。だから、何を真面目にやっても無駄と思った。すべてのことがただ無意味に思えていただけだ。馬鹿なやつらの引き起こす問題にはうんざりしていたんだ」

「だから汝は逃げたのか?」

「逃げてなどいない……」

「それでもお前を王になるべき者として信じ、行動した私の子供達がいたのをお前は忘れているだろう」

 声の主は怒りもなくそう言った。


「お前は誰だ?」

 瞼の裏に微かにフレッドの母である王妃に似た面影の女性が写る。しかし、その声は王妃のものとは違った。

「私の血はお前達の中に、そして大地の中に流れている。その全てを守るのが王の勤めだ」

「しかし、俺はもう王位継承者ではない。だけど、守りたい人を守るために、結果を省みずに動くことを俺は少しだけ学んだ。俺は彼らを守れただろうか――。俺はそれを知らない。でも、守れたらいいと思った」

「それは、お前が自分で決めたのか?」

「ああ。今までも全てを俺は決断してきた。きっとその決断は間違っていたかもしれない。これからも自分で自分の行動を決め続けていくのだろう。でも、そのときには、彼らを守ることを決め続けていくだろう」

 彼は声の主の姿をやっと目にした。

「……そうか。お前は――」

 声の主が微笑するのが見えた。

 砕けていく記憶の後ろで、広がる暗黒の中にすべてが吸い込まれていく。

「汝は己のやるべきことを行え。お前に流れる血は大地の宿命を担う」

 吸い込まれていく寸前に微かにそう言った声が耳の奥にこだました。


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