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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第四章 
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彼女と彼のこと

 そして、瞬く間に新学期が始まった。学期が始まり生徒達が戻ってくると、静かだった研究所もまた活気を取り戻した。

 休みの間リラックスして過ごしていた生徒達の多くを現実に戻すがごとく、前学期末のテストの点数が新学期初日に開示された。

「フレッドさまぁ! 僕、全ての教科で合格点でした」

 マニュエルはフレッドに抱きついて喜んだ。

「よかったな、マニュエル。俺もラザフォード先生のテスト以外はひどい点数だったが、全て合格点だ」

 フレッドも当初のやる気の無さとは裏腹に、テストの点数を気にするくらいには学生らしい態度を取ることを学んでいたようだった。

「すごいな、フレッド。ラザフォード先生の試験の内容は、俺にはあまり理解できなかったよ。でも、総合点では俺が一番だからな!」

 クリスチャンは誇らしげに彼の点数表を見せた。

「さすがだな、クリスチャン。でも、そんなことは俺には興味がない。ラザフォード先生のテストの点は俺がトップだ。そして、それが最重要事項だ」

 フレッドも彼に自分の点数表を押し付けるように見せた。

「総合点2番目は私よ!」

 ドーリンゲンから今日戻ったというテレーザも誇らしげであった。

 ラザフォードのテストに落ちたという生徒が多かったらしく、テストの難易度について文句を言う生徒の声が聞こえた。


 がやがやと沸き立つ教室に化学教師グラハムが入って来た。

「皆さん、これから専門科の希望を取ります。2学期以降は専門ごとに分かれる授業が増えてきます。専門が固定するのは2年目以降ですが、今回の希望調査はその前段階となるものなので、真剣に考えて回答してください」

 生徒達はまたざわめいた。

「フレッド様、どうしましょう。僕達は当然『機密防衛課』希望ですよね」

「何を言う、マニュエル。俺は当然ラザフォード先生のところだ」

「えっ! でも入国証の技術を扱うのは『機密防衛課』ですよ。そこへ行けば出国の手がかりが得られますよ!」

「じゃあ、お前だけ行け。お前は一学期のテストにも無事に合格したし、落第の心配もないだろう。俺の分までがんばれ」

「ひどいですよ、フレッド様」

 彼は口を尖らせて、不満を露にした。しかし、フレッドの出国に対する近頃の無関心を感じ取ったマニュエルは、自分ひとりで帰国のための努力を続けるしかなかった。


***


 そうして始まった二学期も順調に過ぎていった。

 マニュエルが希望を出した『機密防衛課』では、偽造書類防止に使われる技術をはじめ、暗号やその解読技術などが研究されていた。リッツシュタイン王立研究所が開発した技術を国外へ漏らさないようにするための技術に関する全てを担っていう重要な部門でもあった。しかし、地味な部門でもあるため、成績の良い生徒達はこの課を志望しなかった。

 全教科の中で一番数学が得意だったマニュエルは、『機密防衛課』で低級の学生がするような、暗号解読・作成についての技術を学ぶことが嫌ではなかった。しかし、この課で学ぶことは、彼のそもそもの目的であった『自然を研究する中で、その中に散りばめられた神の法則を探す』という目的から少し外れたものになっていた。できれば、生物に関する研究や宇宙についての研究を専門にしたいと思ったこともあったが、人気のあるそう言った部門に行くには彼のテストの点数が及ばないのは明白であったので、諦めもついた。そもそも、真面目なマニュエルは、フレッドを連れて一刻も早く出国するという目標を忘れなかった。

 専門課の学習が始まり数週間して、やっとのことで『機密防衛課』の研究錬へ入ることができたマニュエルだったが、証明書作成がされる部屋は熟練した研究員のみが入室できるようになっていて、その研究課へ来たばかりの生徒は、その部屋に近づくことすらできなかった。


 一方のフレッドは『褐曜石応用技術課』に所属し、一週間に何度かはラザフォードに会えることを楽しみにしていた。『褐曜石応用技術課』で春休みに助手をしていたおかげで、フレッドにとってそこでの勉強は目新しいものではなかった。


 同級生のクリスチャンとテレーザは『医療技術課』へと進んだ。この課は人気が高く、成績の良い者達が進む課であった。医療技術課のみは技術を外国へ提供することが多いこともあり、外国人の学生達や研究者が多く集まっていた。リッツシュタイン出身の生徒達の中からも、成績、人格ともに優れた生徒達がこの課へ進み、彼らは他の生徒達の憧れとなっていた。


***


 入学してから一年が過ぎようとしていた。再びやって来た学期末に、生徒達はテストの準備で忙しくしていた。

 そんな矢先、カティヤからしばらくぶりの手紙が届いた。

 フレッドは届いた手紙をすぐに開けて、すばやく目を左右に動かしながらじっと読んだ。


『フレッド、元気にしているか? 貴方が私の元を去ってからすでに一年ほどが過ぎた。あれから切ない日々が過ぎていった。私は毎晩貴方のことを思い出しては泣いていた。しかし、私はそれでも貴方が帰って来る日を待って、女性らしくしようと、ダンスを習ったりしていた。3ヵ月ほど前、騎士団で毎年開かれるダンスパーティがあった。私は去年まではいつも騎士の正装をして出席し、誰とも踊ることは無かった。しかし、お前も知っている騎士団員のエリックが、私をパーティに誘った。彼は、お前が居なくなったことで落ち込んでいた私を励ましたかったそうだ。ダンスパーティでのエリックとの夜は楽しかった。そして彼は、ずっと昔から私のことを想っていたと、気持ちを打ち明けた。お前には悪いが、私はエリックの気持ちを突き放すことができなかった。お前がリッツシュタインで楽しく過ごすことを祈っている。さようなら』

 

 手紙を読み終えたフレッドは床に崩れ落ちた。

 マニュエルが驚いて彼に駆け寄ると、フレッドはその手紙を無言でマニュエルに渡した。マニュエルは渡された手紙に素早く目を通した後、大きなため息をついた。

「フレッド様。でも、貴方だってラザフォード先生に首ったけじゃないですか。なぜ落ち込むのですか? カティヤさんが幸せに暮らしているなら、喜んであげればいいじゃないですか」

 フレッドはマニュエルの言葉が聞こえなかったように、ただぼんやりと床を眺めていた。マニュエルは彼の肩に手を置いた。

「フレッド様、これでラザフォード先生一直線ですよ。カティヤさんに気兼ねすることなく、アタックできるじゃないですか」

 マニュエルはフレッドの落ち込んだ様子から、それ以上何を言っても無駄だということが分かり、放っておくことしかできなかった。


 それはテスト一週間前の出来事だったが、フレッドはそれ以降勉強に手がつかないでいた。マニュエルや他の者達の励ましも虚しく、テスト前の一週間、彼はただ酒を飲んで過ごしていた。

 それでも、初日のテストがラザフォードの担当であったことと、彼女がフレッドのところへ来て「がんばってね」と小声で言ったことで、少し生気を吹き返したようだった。しかし、マニュエルはフレッドにかまっているほど彼自身にも余裕がなかったこともあり、フレッドのテストがどうなったのかなどにあまり構うことができなかった。


 そうして二学期目最後のテストが終わると、フレッドとマニュエルはまた助手の仕事を手伝うことになった。マニュエルの属する『機密保持課』は助手を募集していなかったため、彼は再び前回と同様グレアムのところで助手をすることにした。マニュエルはグレアムと気があったし、彼とは入試の面接以来の仲であったので、彼の下で過ごすことに異論はなかった。


 助手の仕事の初日にフレッドがラザフォードの部屋に入ると、彼女は笑顔でフレッドを迎えたが、カティヤに振られたショックをまだ引きずるフレッドの憂鬱そうな顔を見ると、ラザフォードは心配そうに彼のすぐ近くまで歩みを進めた。

「フレッド君、元気がないみたいですね。それに、テストの採点をもう終えた数学のコーラーさんが、フレッド君はあと一点で落第だったと言っていたわ。私の出したテストは相変わらず一番の成績だったけど、何か病気でもしてたの?」

 彼の目を覗き込むラザフォードと目が合うと、フレッドはまた少し元気を取り戻した。

「ちょっと体調を崩していただけです。でも、こうしてまた夏休み中はラザフォード先生と毎日会えるから、すぐに元気になりますよ」

「フレッド君はいつもそんなことを言って私をからかうんだから」

 そう言って彼女は照れくさそうに笑った。

「からかってなどいません。俺は貴方の傍にいられたら、元気になれるんです」

 彼女は一瞬びっくりしたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。

「じゃあ、その元気を使って、じゃんじゃん作業を進めてちょうだいね!」

(また、はぐらかされたか……)

 フレッドは小さく舌打ちをした。


 言われたとおりにフレッドは黙々と作業を進め、一週間が経った。

 その日もフレッドは一日中、淡々と成されるべき単純作業をこなしていった。根が不真面目なフレッドにとって、すでに慣れてしまった単純作業を来る日も来る日もするのは苦痛にも等しかったが、ラザフォードのためだと思うとなんとか手を動かすことができた。その日も、ひたすら実験に使う試料の処理をしていた。

 夕方になり、勤務時間が終わりに近づいたころ、ラザフォードは彼の作業の進捗を見に来た。

「あら、もうそんなに捗ったのね。助かるわ。私達のプロジェクトは人手が足りないから、こうやってフレッド君が真面目に手伝ってくれると、私達研究員は実験をスムーズに進めることができるわ」

 ラザフォードの言葉を聞くと彼は誇らしく感じた。照れたように微笑するフレッドに、彼女は言った。

「そんなに捗ったなら今日はそろそろ帰りましょうか。がんばってくれたお礼に晩御飯をご馳走するわ。研究所が学生の助手に払う賃金って本当に少ないから、これくらいしてあげないと気が咎めるわ」

 フレッドは彼女の突然の誘いに天にも舞い上がるような気分になった。


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