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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第三章
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モリッツ家の伝承

 ラザフォードの案内した研究錬には4,5人の研究員が仕事をしている部屋があった。意外と研究室内に何も装置らしい装置がないことにフレッドは驚いたのだが、その様子に気がついたのかラザフォードはニヤリと笑うとフレッドを呼んだ。

「特別に、君に面白いものを見せてあげるわ」

 そういうと、フレッドを誘って地下への階段を下りていった。

 階段を下り切って厚いドアを開けると、そこには広大な地下への空間が広がっていた。部屋の中央に空いた大きな穴は、全体にガラスのような覆いがされているが、その下は数段の段差があり、奥に行くほど、どんどん狭まって行き、一番底の方には水が張られているのが微かに見えた。

「本当は見せちゃだめなんだけど、フレッド君がやる気のある生徒だから特別にと思って。すごいでしょ。通称『赤燐』。これが私がやってる研究よ」

 彼女は茶目っ気のある笑顔を見せた。

「褐曜石を濃縮させて純度を高めると、赤い色にまで至るんだけど、そうするとあの石は大きな熱を出すの。そこから出た熱が水を蒸発させ、その蒸気を使用するための施設なの。研究所の地下にこんな大穴があるなんで驚きでしょ?」

 フレッドは眼前に広がる穴の底を食い入るように見つめた。彼はそのような褐曜石使用のための原理があることは、すでに授業で聞いてはいた。それでも、実際に広大な空間に開く穴を目の前に圧倒されていた。

「私は上の階にいる五人と一緒にこの蒸気の利用に関する技術を研究しているのよ。ところで、君は『赤の守護者』を知ってるわね?」

「たしか、この国を守るための兵器ですよね。城の塔に立っている赤い大砲みたいな――」

 ラザフォードは頷いた。

「うちの課は、その『赤の守護者』の研究がメインなんだけど、その弾を作るために使われた褐曜石のカスをここで使っているの。いくら残りカスでも、純度を高めれば水を沸かすくらいならできるわ。リサイクルってやつよ。私は武器なんてすきじゃないけど、武器のプロジェクトがあるから、こういった研究もできるってわけ」

 彼女はそういうと、フレッドを連れてまた地上階への階段を上がった。

「褐曜石については、まだまだ分からない性質が沢山あるわ。たとえば、熱くなり過ぎると、赤い猛毒の光を出すとか、そのことについてはまだまだ実験段階なの。それに純度が高まりすぎるとボカンと爆発することも考えられるわ」

「それって危ないんじゃないですか?」

「大丈夫よ。純度も温度もちゃんと制御されてるから。それに、分かっている限りだと、鉛を使って反応の進行を制御することが可能で、いざとなれば鉛の投入により爆発を防げるわ。それは、過去に行われたもっと小型の実験施設で証明済みよ」

 彼女はさらに、穴を覆う薄い茶色をしたガラスを指差した。

「この褐曜石を使った防御ガラスがある限り、生物に対する毒性は防げると分かっているわ。ガラスの外側にいれば、毒の害を受けることもないし、過度にこの装置について不安に思う必要はないわ」

 フレッドは頷いた。

 ラザフォードは装置をフレッドに紹介できたことが嬉しかったようで、踊るように階段を飛び跳ねて上がった。

「褐曜石は私のロマンなの。だから、私は一度ツォーハイムの鉱山へ行ってみたいと思っているの。あそこを管理するモリッツ家なら、なにか褐曜石についてもっとすごい情報を持っているのではないかと思っているの」

「そうなんですか。でも、鉱山内部なんて別に楽しいものじゃないですよ。山がくりぬかれているだけですから。モリッツ家だって、褐曜石について御伽噺を知っているだけです」

 何気なくそう言ったフレッドを、驚いたようにラザフォードは足を止めて見つめた。

「えっ! あなた、モリッツ家の鉱山に入ったことがあるの?」

 フレッドは慌てた。いくらなんでも自分がツォーハイム出身だとは言えないからだ。

「えっと、聞いた話ってだけです。ツォーハイムなんかに行ったことないですよ」

「そうよね。鉱山には鉱山管理者のモリッツ家しか入ることができないと聞くもの。でも、国交が無くなることを知っていたら、その前に私は絶対にツォーハイムに行ってみたでしょうね。」

 彼女は残念そうに言った。

「そういえば、関係ない話だけど、最近ツォーハイムの王子が追放されたって聞いたわ。何があったのかしらね」

 フレッドはギクリとした。すでに自分の追放がこの国まで噂になって広がっていることに驚いたのだった。

「そ、そうですね。全く何があったんだか……」

 彼は惚けて笑って見せた。


 上階へ戻ってからすぐに、彼女はフレッドに仕事を与えた。仕事は単純作業が殆どであるようだった。顕微鏡を覗いて点の数を数えるといったものや、粉の重さを量り測定試料を作成するといったもので、フレッドは多少退屈していたが、ラザフォードの傍に居られるのが何より嬉しかった。


***


 その日家に帰ったフレッドは、すでに帰宅していたマニュエルにその日の出来事を語って聞かせた。

「それはよかったですね、やっとラザフォード先生と仲良しになれそうで」

 マニュエルもフレッドの恋路の進展を祝ってくれた。しかし、地下に開いた大穴についてフレッドが話すと、彼は驚きを見せた。

「ここには褐曜石をそんな風に使う施設があるんですか……。そういう原理があるとは聞いていたけど、まさかそんな大規模な装置があるとは、僕は正直不安です。褐曜石の純度を高めるとか、褐曜石自体の構造を変化させるのはモリッツ家の決めた使用条項において禁止されています。褐曜石はそのままの状態で微量を混ぜ込んで物質を強化させるというのが、モリッツ家の認める正しい使い方なんです。それを守らないと、褐曜石は人に害をなします」

「そうなのか? なんだか毒性のある光がどうのとか、ラザフォード先生も言ってたけど、どうしてそうなるんだ?」

「科学的な原理は僕達が知るところではないです。でも、褐曜石は本来ならば、山の女神がモリッツ家の者が使うためだけに与えたという特別な石なんです。褐曜石が国を支える産業となった今でも、モリッツ家の鉱夫たちは山の女神を怒らせないように気をつけて作業をしていますし、純度等の成分を変えないことは、女神が地に与えたものに対する感謝と尊敬の気持ちなんです。与えられたものをそのまま使う。それが女神の子孫達モリッツ家とそれ以外の人々との間の取り決めなんです」

 フレッドはあくびをした。

「そんなの迷信だろ」

「迷信かもしれないけど、褐曜石については、リッツシュタインの研究者でも解明できない性質が色々あります。だから、伝承に従うべきだと僕は思います」

 マニュエルは、彼が知っている伝承について語って聞かせた。

 それは鉱山を管理するモリッツ家に代々語り継がれているものだという。伝承では、雪を被った山の女神が地へ降り立ち、それが土地の人と交わり、モリッツ家の祖先となったという。だから、モリッツ家の者は皆、女神から受け継いだ雪山の色の髪を持ち、その女神の子孫達のみが褐曜石を採掘することを許されるという。褐曜石は元々、その女神の血からできたものだそうだ。そして、女神の子孫達は、採掘された褐曜石の使用方法を、他の人々にも守らせるという役目も負っているという。それがモリッツ家という名家の発祥であり、ツォーハイムの国においてモリッツ家が権力を持つ理由だという。

「でも、お前は銀髪じゃないではないか。っていうか、俺が銀髪だし!」

「モリッツ家も混血してるから全員が銀髪ではないですよ。でも、銀髪率は高いじゃないですか。それに、貴方のお母様であるお妃様は銀髪です。彼女はモリッツ家の先代当主の娘ですからね」

 フレッドは久々に彼の母親のことを思い出した。銀髪に琥珀色の目。たしかに彼女の容姿は雪山を連想させる美しさがあった。そんなフレッドも、性格は父親譲りであったが、外見においては母親にそっくりであると誰もが言った。

 物思いにふけるフレッドを他所に、マニュエルはさらに弁を振るい続けた。

「褐曜石の鉱山では、銀髪の者だけしか鉱山に入ることは許されないんです。クリス兄さんが言うには、鉱山内では市場に流通している安定した褐曜石だけじゃなくて、赤みの強い不安定な褐曜石もあるのです。しかし、女神の守護を受けた銀髪の子孫達は、女神の守りを得て、赤い石の怒りを受けないとか」

 フレッドはそんな話を聞いたようなことがあったことを、やっと思い出した。モリッツ家が採掘に関わるのと同様に、王家はモリッツ家の守護を任されていた。だから、鉱山や採掘についてあまり彼は関わっていなかったのだが、御伽噺程度にはそういった伝承を聞いていなかったわけではない。

「そっか。それで一度両親と鉱山に行ったときに、俺と母上しか鉱山見学が許されなかったのか。でも、俺は特に深い理由があるとは思えなかったけどな。それに、俺達が銀髪だからって、特に体が頑丈だとかいうのが無いしな。1学期だって俺は4回も風邪を引いて学校を休んだ。むしろ体が強いのはお前じゃないか?」

 面倒くさそうにフレッドはそう言ったが、たしかにモリッツ家の鉱山で働く事務員や鉱夫達は全て銀髪だったのを思い出した。

「とにかく、結論から言えば、褐曜石の成分調整なんて危険です! 赤い色が他の岩石とちょうど良く混ざることで、褐曜石は安定を保っているのです。『赤の守護者』も褐曜石の赤い色素の純度を高め使用しているようですが、女神はそんなことをしたらお怒りになります。女神の決まりを守らないと、彼女の怒りによって多くの人は死に至り、地は荒れ野となるとの伝承があります。だから僕たちの国はリッツシュタインと国交を閉ざしたんです」

 フレッドは話を聞きながら退屈したように、ワイングラスに並々と酒を注いだ。

「いや、女神とか関係なくて単純に兵器が危険だからだろう。どうでもいいけど、お前にその研究を止める力はないだろ? 俺達は出国に要る書類さえ手に入れられないのに、お前がどうこう言っても、何も変わらないじゃないか」

 マニュエルはしゅんとしたが、気を取り直したように言った。

「でも、フレッド様は山の女神様の特徴のあるお姿だから、女神の怒りに遭うことはないでしょう。フレッド様だけでも無事で居てくれたら、今はそれで諦めます」

 山の女神の子孫――、フレッドは自分の銀髪の前髪を引っ張ってみたが、それが有難いものには全く見えなくて、鼻で笑っただけだった。


***


 学期休みも半分を過ぎる頃には、ラザフォードはフレッドともだいぶ打ち解けて話すようになってきた。フレッドも彼女をリーナと重ねることが減ってきて、だんだん彼女自身に対する興味も出てきていた。

 ラザフォードは昼休みなどには、自分自身についても時々語って聞かせた。

 彼女の父親は農夫であったが、ラザフォードは子供の頃より技術に興味を持っており、まじめに勉強をして15歳には研究所付属学校へ入学したという。

「私も子供の頃は苦労したわ。勉強したくても農作業を手伝えといわれたし、女が技術者なんてみっともない、ってね。嫁の貰い手がいなくなるぞって、皆が言ったわ。田舎ってそ皆そうなのよ。でも、私は諦めなかったから、ここまで来れたの。仕事一直線だったわ」

 そういうと彼女は過去を懐かしむような表情を浮かべた。

「私も苦労したといえばそうなんだけど、フレッド君とマニュエル君が奴隷身分からの解放者だということは、君が入学して間もなく、他の教員から聞いたんだけど……、貴方も苦労したのね」

 フレッドは一瞬、彼女の言ったことにどう反応したらよいものか迷った。

「……まあ、色々大変でしたよ。俺は傭兵によってセイレンブルクで人買いに売られて、そこからリッツシュタインの商人に買われて連れて来られたんです」

 ラザフォードはフレッドに同情するような表情を浮かべて彼を見つめていたが、フレッドは自分の言ったことに少し嘘が含まれていることで内心気まずかった。

「でも、俺は今こうしてラザフォード先生の傍で助手をできていることが幸せです」

 それを聞くと、彼女は少し照れたように笑った。

「また君はそんなことを言うのね。でも、そう言ってもらえると私も嬉しいわ」

 それは少し照れの混じった表情だった。

「そういえば、君は私を始めて見た時に、リーナ姫と私を間違えたわね。もしかして君は王宮で働く奴隷だったの? なんだか君のしぐさとか、食事のときのマナーとかを見てると、まるで貴族様と一緒に過ごしたみたいな優雅さがあるじゃない?」

「いえ、それはその……」

 言葉を濁して一瞬彼は考えた。

「俺はリーナ姫のファンってだけですよ。それに奴隷の主は骨董商でした。ただ、厳しい人物だったので、エレガントに振舞うように常に言われてましたから、なんとなく礼儀作法が身についたみたいな……」

「そうだったの。でも、あなたはなんだか奴隷だったようには見えないわ。裕福な暮らしをして来た恵まれた人のような感じがするもの。そんな訳ないのに、おかしいわね」

 彼女はそう言って首を傾げたが、それは気のせいだ、と言ってフレッドは話をはぐらかした。

「私達王立研究所では、奴隷身分の出身だからって、人を差別したりはしないわ。だから、君も安心して働いてね。同僚にも数人奴隷身分出身者が居たわ。きっと貴方もその同僚たちみたいに立派な研究者になれるわ。でも、もし何かあればすぐに私に相談してね」

 彼女は穏やかな笑顔を彼に向けた。

 フレッドは頷いてから、彼女の目を少し真剣に見た。

「――でも、奴隷身分の出身者を、ひとりの男としてみることはできませんよね?」

「それはどういうこと?」

 フレッドは苦笑すると、何も答えずに作業に戻った。


***


 フレッドもマニュエルも研究所施設内にて、証明書に使われる特殊なインクを製造する部門を探したが、聞くところによるとその場所は研究所の奥深くで何重にもガードがされており、その部門と関係ない研究をしているラザフォードやグレアムは立ち入ることが禁じられているという。

 『機密防衛課』と名指されたその場所に立ち入ることは困難を極めるだろうということだけが、二人が1ヶ月の休みの間で手に入れた唯一の有力な情報であった。


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