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赤燐の異邦人  作者: 秋月冬雪
第三章
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教室の奇妙な二人

 合格者開示から3日後に入学式が執り行われた。式の会場は入試が行われた大きな部屋だった。

 マニュエルの知り合ったドーリンゲン出身の少女テレーザも会場で二人を見つけると大喜びして、お互いに入試合格を祝った。

 入学式開始の時間が来ると、研究所の所長と数人の教育にあたる人物、そしてリッツシュタインの王妃が部屋に入って来た。フレッドはそれを見ると驚いて、とっさに顔がばれないようにとできるだけ背を曲げて、前に座っている少年の陰に隠れようとした。フレッドの横に座っていたテレーザは、怪訝な面持ちでフレッドの様子をうかがっていた。

 彼女は小声で、なぜ彼が変に背を曲げて座るのかを聞いたが、フレッドは、腰が痛むと嘘をついた。


 昔、母親に連れられてリッツシュタインによく来ていたフレッドは、この王妃のことを良く知っていた。当時、彼女はやってきたフレッドのことをいつも可愛がってくれていた。フレッドは、大好きなリーナの母親である彼女の前で、常に猫を被っていたために、王妃はフレッドのことを礼儀正しく聡明な少年と思い込んでいた。しかし、良く考えてみれば、最後に会ってから7,8年も経っていたこともあり、成長して見た目も変わったフレッドのことに気付くとは思えなかった。

(そもそも、俺がこんなところにいるとは王妃も思わないだろうしな。もし俺を見たとしても他人の空似で済ますだろうな、普通……)

 そう思いつつも、彼の正体が見つかったら大問題になるであろうことは明らかだったので、それでも用心の為に王妃に見つからないように注意を払った。


 研究員達によって入学に関する事務的なことが一通り説明されるのを、フレッドは退屈しながら聞いていた。その後、王妃が挨拶を任せられた。

 挨拶をするために一歩前に出た王妃は暗い色のドレスを着ていた。彼女は中年も半ばを越えていたが、真っ直ぐに背を伸ばした姿は美しかった。そして、どことなくリーナの面影を思わせる貌が、影に隠れるフレッドの目を捉えて放さなかった。


「皆さん、ご入学おめでとうございます。ご存知のように、この国はこの王立研究所の研究成果によって成り立っています。だから、皆様は次世代のこの国を担っていく方々です。勉強はいつも楽しいだけではないと思いますが、皆様が学業に専念できるように王家もできる限りのサポートをしていくつもりです」

 王妃の挨拶を皆は拍手で受け止めた。

 その後、研究所の所長の挨拶が続いた。所長はひょろっとした体に、ぼさぼさの伸びた髪と髭が印象的な人物だった。彼はかなりの早口で話し始めた。

「今年も外国から来られた新入生の方が何人かいたそうですね。外国への技術流出を恐れるために、外国人受験生には特別に高い合格点数が求められています。そのハードルを越えて入学した皆さんは特に勤勉な方々です。人道的な見地から、皆様が後に帰国することを止めることはできないですが、研究所の待遇に満足してここに留まる外国人研究者も多いのは事実です」

 所長は一旦言葉を区切り、新入生達を見回してから言葉を続けた。

「私もセイレンブルク出身ですが、16歳で皆さんのように付属学校に入学してから、すでに30年が経ちました。この研究所では技術を持つ研究者を差別することはありません。それは、外国人だけではなく、家柄や身分などに関してもそうです。皆さん、お互いを尊重し合い、良い研究者になってください」

 

 その後も何人かの挨拶が続き、一時間ほどして入学式は幕を閉じた。フレッドはうつらうつらといながら入学式が終わるのを待っていた。王妃にも気付かれるような様子はなかったようで、何事もなく入学来は過ぎた。

 閉会の挨拶が終わるとすぐに、どういう訳か4人の新入生のみが教師によって呼び出された。

 そのうちの一人にマニュエルの名があった。

 マニュエルは言われるままに彼らを呼び出した教員のもとへ向かい、他の学生と一緒に部屋を出て行った。フレッドはしかたなく、部屋を出て行く他の新入生達を眺めつつ、その場でマニュエルを待つことにした。

 なぜ自分達が呼ばれたのか分からなかった4人の学生達は、不安そうな様子で彼らを呼んだ教員について廊下を歩いた。目的地に着いたらしく、部屋のドアを開けた教員は、一人ずつ順番に彼の部屋に入るように言った。まず、マニュエルが呼ばれた。


 その教員は、マニュエルの面接をしたグレアムという化学を担当する人物であった。マニュエルが部屋に入ると苦笑しながら彼を見た。

「マニュエル君、君は本来なら合格を許可される点数でなかった。ただ、君の志望動機に私達は興味を持ったので、特別に入学を許可した。私達にとっての科学とは、自然を研究してそれを有効利用することを意味する。しかし、『自然を研究することを通して、神の意思を垣間見たい』なんて言う受験生は君が始めてだった。私はそれが非常に面白いと思った」

 グレアムは一息つくと、真面目な顔をしてマニュエルを見た。

「君が奴隷身分出身からの受験であったことも加味したから入学が許可されたのだが、このままでは授業についていくのが難しいだろう。だから、特別枠で入学が許可された君や数人の入学生達には、特別課題を用意した」

 そう言うと、分厚い冊子をグレアム教員は手渡した。

「ここに書いてある内容を一日でも早く習得する必要がある。学期の始まりで、まだ余裕があるうちに、しっかり勉強することだ。がんばってくださいね」

 マニュエルはやっと受験勉強が終わって一休みしたいという気持ちであったが、それでも、研究員達が自分の考えに興味をもってくれたということが分かって、それが嬉しかった。筆記試験があれだけひどい手ごたえだったから、合格したことについてずっと疑問を感じていたのだが、やっとその理由が分かったマニュエルは苦笑しながらフレッドのもとへ戻った。

「まあ、よかったじゃないか。お前のやっていた神学が無駄にならなかったということだ」

「そうですね。それに、ここの研究者の中にも、実利だけを考えず、宇宙や真理に対する興味を持って研究をしている人がいるってことを知って、好感がわきました」

「じゃあ、俺の分までがんばって、学校でサバイバルしてくれ」

 そういったフレッドの真意も分からず、マニュエルは嬉しそうに頷いた。


 次の週になって授業が始まるまで、マニュエルは受験前と同様に熱心に勉強をした。そんな様子を見たフレッドは、「お前がんばるよなあ」と言って、マニュエルの真面目さに感心していた。そのフレッドは学校が始まるまでの間、あいかわらずワイン屋の仕事をしていた。

 お金は余分にあって困るものではない、と言い訳のように話していたが、彼はワイン屋にやって来る人々と飲むのが目当てで仕事に行っているということをマニュエルは同居している兵士アルネから聞いて悟っていた。さらに、フレッドは入学後もバイトを完全には辞めず、週末はそこで働くということにしたそうだ。

 フレッドのやる気のなさは明らかであったが、それだけでなく、彼は自分の能力を過信しているような節があり、週末の仕事が学業の妨げにはならないと主張していた。


 週が開けてとうとう授業の開始日となった。フレッドとマニュエルは研究所付属学校の学生が着る制服を着て、研究所へ向かった。

 授業がされるという教室に入った二人は、教室の隅から、そこに集まった30人ほどの学生達を見回した。

 フレッドは額に手を当てて、深いため息をついた。

「こういう集団って気が滅入るな。俺はいつも王宮付き家庭教師から習って勉強していたから、こういった場で集団行動を強いられるのは慣れていない。それに、ここでは俺だけ老けている感じがするのだが……」

 マニュエルは「そんなことはないですよ」と言ったものの、16歳くらいの学生が殆どであるように見えるし、フレッドは実年齢より年上に見えるタイプであったので、より生徒達との年齢差が強調されて見えた。

 一方、童顔のマニュエルは、他の学生達と変わらないくらいに若く見えた。

「僕がいるから大丈夫ですよ、フレッド様。僕は神学校で平民の方々と共に勉強したことがあるから学生生活にも慣れてますし。何か困ったことがあれば、僕がフレッド様を助けますから」

 フレッドはさらにやる気をなくした様子で「はいはい」と返事をした。


 だるそうに机の上に腰を下ろしたフレッドのところへ、「フレッドさん!」と呼びかけ、少女がこちらへ走ってきた。それはドーリンゲン出身のテレーザだった。フレッドの前までやってくると、少女は恥らうような笑みを浮かべた。

「どうしたんですか、フレッドさん? 授業初日から元気なさそうですね。大丈夫ですか?」

 マニュエルに対しても少女は形ばかりの挨拶をしてから、フレッドに向き直るとまた質問を浴びせようとした。

「今日から授業ですね。ドキドキします。フレッドさんも緊張して眠れなかったのですか?」

 フレッドはいい加減な返事をしたが、少女は嬉しそうに言葉を続けた。

「ここで学べる日が来るなんて夢見たいです。ドーリンゲンから今年合格した生徒は私だけみたいだから心細いですけど、フレッドさんやマニュエル君と一緒に勉強できるのが嬉しいです」

 相変わらずまともな返事をしないフレッドを他所に、マニュエルは彼女が外国人として一段高いハードルがあったにも関わらず入学を許可されたことを引き合いに出して、異国の地で一人がんばろうとする彼女の勇気を称え、元気付けようとした。。

 集まって話している3人のところへ、2人の少女が笑顔でやって来た。

「女の子が私達以外にもいてよかったわ。科学技術の学校に入るような女の子って少ないでしょ。マイノリティだけど、男子達に負けずにがんばろうね!」

 テレーザも笑顔を見せて、自己紹介などを始めた。

 はしゃぎ合う少女達をよそ目に、フレッドはマニュエルにしか聞こえないような小声でボソリと言った。

「女の子が合計3人しかいないじゃないか。あー、余計やる気失くすわ」

 マニュエルは唇を尖らせてフレッドの腕をつかんだ。

「フレッド様、勉強に専念できていいじゃないですか! 貴方が女子生徒と問題を起こす確立がそれだけ減って、僕はむしろ安心してます。それに、勉強だけじゃなくて僕達には出国の手がかりを探すという大きな課題もあります」

「そもそも、俺は少女たちと問題など起こさない。お前は俺のことを色魔だとでも思っているようだけど、俺はただモテるだけだ。それに、俺が軽く入試をパスできるだけの学力があったのも、昔リーナの気を引くために努力したおかげだ。そういうやましい理由でもないと俺はやる気など出ない性質なんだ。大体、俺は勉強する気なんてゼロだってわからないのか? お前の落第の危機があるから、それで来てやっているのだ」

 マニュエルはため息をついて、それ以上の説得を諦めた。


 しばらくすると、教員が教室へやって来た。学生達は思い思いの席に着いた。生徒達はこの学校ではじめての授業であることから、緊張した面持ちで教員を見つめた。

「私は数学担当のコーラーです。よろしくお願いします。数学で学ぶ考えは全ての分野において重要な下地となります。だから、しっかりと復習して逐一身につけるように」

 コーラーはすぐに授業に取り掛かった。

 学生のレベルにも差があるようだったので、彼はまず基礎から始めた。

 マニュエルはがんばって勉強した甲斐もあり、なんとかその内容が理解できることを喜んでいた。しかし、一問目に出された練習課題を彼はひとりで解きはじめることができずに、周りを見回した。フレッドはぼーっと窓の外を眺めていたので、彼を無視して他の者に助けを求めようと考え、テレーザの様子を見ると、彼女はなにやらすらすらと計算式を書き綴っていた。

(さすがに、外国人枠で入学しただけあって、これくらいの問題なら簡単に思えるんだろうな)

 彼女が解答を書き終えるのを見ると、マニュエルは申し訳なさそうに助けを求めた。テレーザは的確に解法へのヒントを彼に与たので、それによってマニュエルはなんとか自分で答えを導くことができた。

(後は、これが合っていれば……)


 しばらくすると、数学教師コーラーは無作為に誰かを当てようと、生徒達を見回した。

「そのうちには顔と名前を覚えるつもりだが、最初のうちは申し訳ない……。じゃあ、そこの銀髪の君」

 フレッドは周りを見回して、それが自分のことだと理解すると、思いっきりうろたえた。

「え、なんですか?」

「何ですか、じゃなくて答えは?」

「え? 俺が答えるんですか? なんで?」

 何人かの生徒が鼻で笑い声を立てた。

「フレッド様、練習問題の答えを言ってください! 授業はそうやって進むんです」

 慌ててそう言ったマニュエルの声を聞いた生徒達はさらに笑い声を上げた。

 フレッドはやっとやるべきことを理解した様子で、自分の書いた答えを述べ上げた。

 教師コーラーは深く頷いた。

「そうですね、解法は間違っていないが、最後のところで計算ミスをしている。数学では理論を理解することが重要ではあるが、計算ミスには注意することだ。実際の研究の現場では、計算ミスが命取りになることもある」


 授業が終わるとフレッドは頭を抱えて、ため息をついた。

「……だから、庶民と一緒に学校に行くなんて嫌だったんだ」

 マニュエルは彼が王位継承者として特別な環境で育ってきたことを考えると、集団授業になれない様子に、同情を寄せずには居られなかった。

「フレッド様。そのうち慣れますよ。練習問題だってちゃんと理解していらっしゃったではないですか? 慣れるまでは大変だと思いますが、フレッド様ならきっと適応できます!」

 フレッドを励まそうと、彼を褒めたり賺したりするマニュエルのところへ、何人かの男子生徒がやって来た。

「君はなぜその人を『様づけ』で呼んで、敬語で話すの? 僕達は同じ学生じゃないか」

 背の高い少年が笑顔でそう言った。

「えっと、それはその……。特に深い意味はありません」

 マニュエルは頭を掻きながら困った顔でそう言ったが、フレッドは面倒そうにため息をついた。

「じゃあ、『様づけ』で呼ぶな、マニュエル。俺はここでは庶民だそうだしな」

 フレッドの言葉を聞くと、マニュエルはすぐに頭を振り、「そんな無礼なことはできません」とそれを否定した。

 少年達は二人がどういう関係なのかを興味深かそうに眺めていたが、仕舞いには大笑いをはじめた。

「君達、面白いな。僕はクリスチャン。セイレンブルクから来た」

「僕はマニュエルです。どうぞお見知りおきを」

「君はずっと敬語なんだね。変なの」

 別の少年が笑った。

「いや、まあ、習慣で……」

 マニュエルは照れたように笑った。

「セイレンブルクか……」

 フレッドはローゼンタールの一家のことを思い出していた。伯爵夫妻や三姉妹たちのことが恋しかった。彼が通った古本屋の友達はきっとフレッドが突然いなくなったことを心配しているだろう。1年間暮らした美しい街に帰れる日はくるのだろうかと考えると憂鬱だった。

 フレッドは少しクリスチャンと話をした。彼はローゼンタールの近くの村から来たそうだった。やはり、セイレンブルクにおいては自然科学を学ぶ機会は少なかったそうで、ソフィアとフレッドがしていたように、本を取り寄せてもらい独学をして受験に備えていたそうだった。

(ソフィアはまだ地下室での研究を続けているだろうか……)

 彼はふいに、寡黙なソフィアが時々見せた笑顔を思い出した。


 そうこうしているうちに、次の授業の担当講師グレアムが部屋に入って来た。その時間は化学だったが、そこでもフレッドは集団での授業に慣れないことから失態をおかして生徒達に笑われては、マニュエルの後ろに隠れて拗ねていた。 


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