再会
二人の傭兵も問題なく国境を通過し、マニュエルが無事に検問を突破したことを共に喜んだ。
検問所を後にすると三人はすぐに馬を飛ばし、リッツシュタインの首都へ続く一直線の街道を急いだ。
一時間ほど馬を走らせると、街道沿いの最初の町に着いた。小さいが整然とした町並みを持つ町だった。民家などの建物や街灯の様子が、セイレンブルクやツォーハイムとはだいぶ違っていた。そこでマニュエル達はまた同様の聞き込みを行なおうとした。聞き込みを始めようと町の広場まで行くと、そこには見やすい地図が立っていた。地図を見ると、そこが思ったよりも小さい町であることがわかった。
マニュエル達は地図で見つけたその町で一番大きい宿に入り、骨董品商人ドレスラーについて尋ねた。そこでも、研究所付属学校の受験生の服装をしたマニュエルに対して、多くの人が親切に対応した。
宿の受付の女に商人ドレスラーと銀髪の奴隷について聞くと、宿泊者リストを見てから、彼女は愛想良く答えた。
「その方ならこちらに泊まっていらっしゃいます。お呼びすることもできますよ」
「お、おねがいします! すぐにでも」
マニュエルと二人の兵はやっと目的の人物にたどり着いたことに喜びを隠せなかった。疲れ果てていた体の痛みすら忘れて、彼らは受付の女が商人を連れてくるのを興奮しながら待った。
5分もしないうちに身なりの良い初老の商人が現れ、やって来た不審な3人を怪訝な顔で迎えた。
「私が骨董商人のドレスラーでございます。私に御用だと聞きましたが、なんでしょうか」
商人は王立科学技術研究所の受験生らしい格好をした若い男と、二人の兵を代わる代わる見比べた。
マニュエルは祈るように手を合わせたあと、縋るような表情で言った。
「……貴方はフレッド様とご一緒ですよね?」
「フレッド……様? そんな人は知らないです。人違いではないでしょうか?」
「いえ。僕達は貴方をロイトの町から追ってきました。商人ドレスラー様で間違いありません。貴方がそこで買った奴隷を探しております!」
商人はびっくりしたような顔をした。
「ああ、もしかしてロイのことか?」
「ロイ?」
「銀髪の男だ。そう彼は名乗ったが……。私が今持っている奴隷は、そのロイだけだ。確かに、彼をロイトの町で買った」
「お願いです。その人に会わせて下さい! もし、彼が僕の探している人物だったら、ぜひ買い戻させてください。お金はちゃんとあります」
商人は驚いた顔をしたが、マニュエルの言うことを快諾すると、自分の部屋へマニュエル達を招きいれた。
(やっとフレッド様に会える!)
マニュエルはすでに泣き出しそうになりながら商人の後をついて歩いた。商人はドアを開けてマニュエルを自分の泊まっている部屋へ入れた。
そこには、ソファでいびきを立てて寝ているフレッドが居た。その周りには2,3本の酒瓶が転がっていた。
「フレッド様!」と叫ぶとマニュエルは走って行き、フレッドに抱きついた。それを商人は戸惑った様子で眺めていた。
フレッドはマニュエルに揺すられて目を開けた。
「あ。へ、お前、マニュエル。やっと助けに来てくれたのか」
そういうとフレッドは元気そうな笑顔を見せた。
再会を喜び合う二人の傍にそろりと商人ドレスラーがやってきて、マニュエルをフレッドから離して耳打ちした。
「そ、それで、貴方はこの男を買い取ってくださると……」
商人は遠慮がちに言った。
「もちろんですとも。いくら出せばいいでしょうか?」
「金貨40枚で売れると見込んでいたのですが、この際、30枚でもいいです。これ以上この男と旅をするのは御免ですから」
マニュエルが頷くと商人はほっとした顔を見せた。
「助かります。貴方がどういう事情でこの男をほしがるのかわかりませんが、彼を見てください。この様子ですよ。昼真っから酒をせがみ、飲ませないと自殺すると脅迫してきます。奴隷が普通を泊まらせるような安い宿の部屋に閉じ込めようとすれば、また脅迫してきます。だからさっさと売ってしまいたかったのです」
ドレスラーは押し殺していた怒りを顕わにしてマニュエルにすがりついた。
「私は彼の銀髪が珍しくて、迷わず買いましたが、私の良心を利用する彼のわがままさには辟易としておりました。ものの美しさが分かると自負しておりましたが、彼は本当に外見だけです!」
フレッドは「ふん!」と鼻で笑って、空いているワインのボトルをラッパ飲みした。
「フレッド様、止めて下さい。飲みすぎですよ。それに、商人さんに一体何をしたんですか?」
「マニュエル。俺は時間を稼ぐためにわざと横暴に振舞っていたんだ。そうすれば、こいつが諦めて、リッツシュタインに入る前に俺を手放すかと思ったからな。そういう作戦だったんだよ」
フレッドはかなり酔っ払ってる様子で呂律の回らない舌でそう言った。それを聞いたマニュエルは苦笑した。フレッドが普段からわがままなのを知るマニュエルは、着き合わされた商人がむしろかわいそうになってきて、彼はひたすら商人に平謝りした。商人に30枚の金貨を支払い、兵に酔睡したフレッドを担がせて部屋を出ようとした。
しかし、そこで商人が少し迷いながらもマニュエルを呼び止めようとした。
「あの……、もしかして貴方はツォーハイムの方ではないですか? この男が酔っ払って、ツォーハイムの悪口を言ったり、自分がツォーハイムの王子だとか管を巻いたりしていたのですが」
マニュエルは一瞬考えたが、正直に、そうだ、と返事をした。
彼の返事を聞いた商人は不安そうな様子でマニュエルの目を覗き込んで、さらに尋ねた。
「失礼ですが、どうやってこの国に入ってこられたのですか?」
「実は、偽造旅券を使って……」
驚いた様子の商人は腕組みをして考える様子を見せた。
「よろしければその偽造旅券をちょっと見せてください。私はあなたを兵に差し出したりしません。貴方はロイのような男を買い取ってくれた大切なお客様ですから、感謝しております。商人の誇りにかけても、お客様の不利になるようなことはしません」
マニュエルは商人にやましいことなど無いように思えたので、自分の偽造旅券を差し出した。
商人は偽造旅券を光にかざすようにして見た。
「これはどこで作らせたものですか?」
「ロイトの町です」
それを聞いた商人は、旅券の紙を少し指先で撫でてから、それはまずい、と言って考え込んだ。
「私が思うにこの旅券ではおそらく出国できません。この国は入るのは易く、出るのは難しいのです」
商人ドレスラーが言うには、国を出る際には入る際とは比べ物にならない厳しい検査がされるそうだ。リッツシュタインにより発行される本物の旅券には、褐曜石を微量に混ぜた特別なインクが塗られていて、その部分を特殊なランプにかざすと、薄っすらと文字が光るという。その技術を持っているのはリッツシュタインだけであり、外国で同じものが偽造されることは考えられないという。一見本物にそっくりな旅券でも、特殊な技術によってすぐに偽者は見抜かれるそうだ。もしその検査に引っかかったならば、版画家も言っていたように、最低2年は牢に入れられるという。
「この国は錬金術師の開発した技術の秘密を守るために、出国者を厳重にチェックします。それに、その男は奴隷としてこの国に連れて来られた。つまり旅券がありません。だから、もし出国したければ、最低3年はこの国で自由民として就労して税金を納める必要があります。そうすれば公式の旅券が得られます。貴方も、奴隷からの解放者として登録すれば、3年後には出国できるでしょう。しかし、書類の偽造は重い罪であるため、大抵の技術者や印刷所も、きっと引き受けてくれないでしょう。私の考えでは、3年待つのが妥当だと思います」
商人はそう言った後、「私がこの男を買ったばかりに」と、深く頭を下げて謝った。
「ドレスラーさん、あなたが謝ることはありません。良い情報をありがとうございます。でもどうしましょう。それじゃあ3年もこの国から出られないということでしょうか?」
同情の眼差しを向けて商人は、「難しいでしょう」と言った。
それを聞いたマニュエルは、自分が奈落の底に落とされたように感じた。
「やっと、やっと帰れると思ったのに……」
涙が流れ落ちる。彼は床にしゃがみこんで泣いた。マニュエルは自分から進んでローゼンタールに同行したこともあったが、家族思いである彼にとって、定期的に故郷に戻れなくなるということは耐えがたかった。フレッドを見つけたので、やっと帰国できると希望を抱いた矢先に、突然目の前が真っ暗になった。
フレッドはマニュエルの泣き声を聞いて目を覚ますと、千鳥足でマニュエルのところまで来て、「泣くな、みっともない」と言った。
「でも、でも、帰れないんですよ! どうしたらいいでしょうか、フレッド様」
「確かに困ったものだな。しかし、俺もお前もこうして生きているし、この国の中では自由だ。3年くらいすぐ経つだろう」
フレッドはマニュエルの頭をポンと叩いた。
「諦めずに偽造旅券を作ってくれる者を探そう」
優しい声で彼はマニュエルの顔を覗き込んでそう言った。
その様子を眺めていた商人は、おろおろとしながら口を挟んだ。
「王立研究所の技術者と深い関係があれば、もしかすると……」
マニュエルは顔を上げた。
彼を不憫に感じた商人は、首都にある王立研究所の研究錬に特殊なインクで印刷をする機密管理部門があり、書類はそこで製造されるということをマニュエルに語った。
「首都へ行ってみて下さい。何か手がかりがつかめるかもしれません」
マニュエルはまだ泣きべそを書いていたが、立ち上がるだけの希望をその言葉から得たようであった。フレッドはマニュエルの袖を引いて、ドレスラーの部屋を出ようとした。
「短い間だったが世話になったな、おやじ」
調子よくフレッドはそう言った。
「でも、あんな不味いワインを飲んだのは生まれて初めてだった」
それを聞いた商人は、呆れたようにため息をついた。
「もうお前にはこりごりだ、ロイ。――いや、フレッドとか言ったな。マニュエル君を困らせるんじゃないぞ。お前のような奴を引き取ってくれた天使の様なお方だ。大切に彼の言うことを聞くのだぞ」
フレッドはドレスラーを馬鹿にしたように鼻で笑うと、マニュエルを連れて退散した。
***
フレッド、マニュエルと二人の兵は宿屋を出た。出たはいいが、行き場に困ってその場に立ち尽くすしかなかった。
「これから、どうしましょうか……」
「あのオヤジが言ったように、取りあえず首都へでも行こう」
「はい。フレッド様。でも、もうお金があまり残ってません」
フレッドは落胆し、「またか!」と、はき捨てるように言った。
マニュエルは兵二人に向き直ると頭を下げた。
「これまで無理をさせて申し訳ありませんでした。フレッド様に無事合うことができたことは、貴方達のおかげです。心よりお礼申し上げます。ぜひ兄に言って褒美を沢山もらってください」
マニュエルは手を合わせた。
「それと、一度モリッツ家に戻り、僕達のためにお金を持って来てください。ツォーハイムからリッツシュタインへの直接の送金はできませんから。あと、手紙なども、国境で検閲されることでしょうから、貴方たちから直接クリス兄さんに僕達の無事を伝えてください」
兵二人はそれを了承すると、国境への道を戻っていった。
「マニュエル、お前、なんだか短い間に成長したな。お前って、泣き虫だし、そんなにテキパキした奴じゃなかったような気がするが」
「僕は、自分が兄さんのように物事をスムーズに運ぶ力が無いと思っていました。昔からおっとりしすぎで。でも、フレッド様を助けようと思ったら、色々がんばれたんです」
フレッドは真っ直ぐマニュエルに向き直ると、「ありがとう」と照れたような笑顔を浮かべて言った。




