国境の町ロイト
「あれでよかったんですか、フレッド様。僕はなんだか悲しいです」
馬を走らせながらマニュエルは唇をとがらせてフレッドを見た。フレッドは冷静な表情で言った。
「ローゼンタール家の者を巻き込めない。カティヤが鉱山襲撃をしっているということは俺達が一緒に街に帰らなければ、カレルの仲間が知ることはないだろう。思うに、カレルの組織はかなり手ごわい。カレルが失踪したことはすぐに知られるだろうけど、それでも、こうしておけばカティヤが狙われることはないだろう」
「でも、カレルの仲間が全て捕まるまではフレッド様はローゼンタールに帰れないじゃないですか。カティヤさんはフレッド様がリーナ姫の後にやっと相思相愛になった人なのに」
フレッドは表情を変えずに言った。
「お前風に言えば、これが俺の『運命』なんだろう。全く、ついてない……」
二人は馬を走らせ、ツォーハイムの国境へ急いだ。
ひたすら馬を走らせ続けたが、少しするとマニュエルがもぞもぞと馬上で動くのをフレッドは気がついた。
「お尻が痛いです。それに、もうすぐ僕は体力の限界です。もう少ししたら宿屋に入りましょう」
「そうだな。気付かなくて悪かった。お前はカレルたちから受けた外傷もあるしな」
それから一時間ほど馬を走らせてから辿り着いた小さな町で二人は宿を取った。部屋に入るとマニュエルはベッドに倒れこんだ。
「ああ、やっと横になれる。こうして生きてられるのって、すばらしいことですね。僕はあのまま殺されるのではと、ちょっと覚悟してましたよ。フレッド様がここ何日か僕のことを無視してたから、まさか助けにきてくれるとは思ってませんでした」
ベッドに寝そべるマニュエルの傷をフレッドは手当した。
「手当てが遅くなったが、傷は深くない。じっとしていろよ――」
消毒薬が沁みるようでマニュエルは苦しそうに歯を食いしばっていた。
「すまなかったな、俺のせいでこんな目にあわせて。お前を疑ったりして悪かった。俺は疑心暗鬼になっていた。良く考えてみれば、お前が俺に悪さをするような奴じゃないってことは分かっただろうけど、カレルが言葉巧みに俺を騙したからな……。」
マニュエルは優しい笑顔を見せた。
「でも、フレッド様は僕を助けてくれたじゃないですか」
フレッドは反す言葉がなかった。
「それにしても、なんだかもう金がなくなりそうだ。でも、明日にはツォーハイムの国境に着くだろうしな。そうしたらお前が検問で金を借りろ」
「そうですね。なんとなしてみましょう」
「でも、フレッド様は僕がモリッツ家に戻っている間、どうしているんですか?」
「国境の近くの町でぶらぶらするしかないだろ」
マニュエルは眉間にしわを寄せた。
「事情を話してフレッド様もツォーハイム国境にかくまってもらえるように交渉します」
「そうだな。頼むぞ、マニュエル」
フレッドはローゼンタールに残してきたカティヤのことを思っていた。一件落着すればきっとまたローゼンタールに戻れるだろう。しかし、敵の正体が分からない限り、今後彼らがどうなるのか予想がつかなかった。
翌朝目を覚ますともう日が高かった。
「マニュエル、なぜ起こしてくれなかった」
「僕も今起きたところですから。疲労が溜まっていて早起きできなかったんですよ」
二人は急いで準備すると、宿を後にした。
昼過ぎに二人は国境に着いた。相変わらず国境は商人や旅人でごった返していた。馬をフレッドに預けると無骨な傭兵の姿が不似合いなマニュエルは一人で検問所に入っていった。
フレッドはぼーっと時間を潰していた。
(カティヤはどうしているだろうな。ちゃんとローゼンタールの邸に届けてもらえただろうか)
道行く人々を見ながらフレッドはただ物思いに浸っていた。
一時間ほど過ぎると、検問所からとぼとぼと戻ってくるマニュエルが見えた。
「フレッド様ぁ! どうしましょう。誰も信じてくれないです。『身分証は』とか、そんなことばかり聞かれて。お金も貸してくれないし、緊急事態だというのに、モリッツ家当主の弟であるこの僕をあんなにないがしろに……。辛うじて手紙だけ至急届けてくれる約束はしましたが、身分証なしでは国境を通すことはできないって。クリス兄さんが早く返事をしてくれるといいのだけど、それが間に合うとは限らないし、どうしましょう?」
「襲撃計画についての手紙を書くことはできたんだろ。それならクリスは鉱山の警備を固めるだろう」
「鉱山のことはこれでなんとかなるかもしれないけど、もしかしたら今頃カレルが失踪したことに気付いて奴らが僕達を追ってきているかもしれません。それに、検問の兵士は僕のことを疑ってかかって、手紙を早く届けてくれるかどうかもわかりません」
フレッドはこめかみを押さえ、まずいな、とつぶやいた。カレルはおそらく自分の話した情報について仲間にも話していただろう。マニュエルの誘拐に関わった者達が、二人を追ってツォーハイムの国境に来るのも時間の問題だと思われた。
命を狙われるだろうことと、いつ起こるかわからない襲撃計画のことを思うと、二人はパニックになった。
ひとまず国境の近くの町へと身を潜め、考えを練ることにした。小さな町だが、国境沿いであることから、様々な国からの多様な業種の者が集まっているようだった。
所持金が少なかったのでカフェに入ることも躊躇われ、町の中心の広場のベンチに二人は腰掛けていた。
「マニュエル、話してくれ。奴らがモリッツ家内部の者と結びついているということはないだろうな」
フレッドは、敵がモリッツ家しか知らないような情報を知っている、とマニュエルが言ったのを思い出していた。マニュエルが言うには、モリッツ家内部の派閥について彼自身直接知らないようだが、それでも鉱山を襲撃する計画にモリッツ家内部者が関係するのは考えがたいという。
「とりあえず、逃げるしかないな」
そういい加減な結論を付けたものの、マニュエルが知る首謀者の顔はカレル以外にあと3人いるという。マニュエル達を追うとすればその3人だろうが、彼らは傭兵を引き連れてくるかもしれない。遭遇すれば二人の勝ち目はないだろう。フレッドはカティヤを連れてこなかったことを少し後悔したが、剣を交えることなくこの場を切り抜ける方法を模索しようと思った。
「偽造旅券でツォーハイムに入国すれば」
フレッドは思いつき顔を上げたが、マニュエルはそのアイデアを切り捨てるように言った。
「犯罪はだめです」
「お前なあ。でも、セイレンブルク内にいたら見つかるのは時間の問題だぞ。やつらがアルスフェルトの国内の者だというのはおそらく正しい読みだろう。だとしたら、アルスフェルトの友好国であるセイレンブルク内より、アルスフェルトと国交のないツォーハイムに入れば追随が難しくなるだろう」
「それはそうですが……。でも、普通に考えて、偽造旅券を作ってもらうお金がないと思うのですが」
マニュエルの言ったのは事実だった。偽造旅券の相場がどれくらいのものだかは不明だが、彼らの所持金はあと何回か食事が取れる程度のものだったので、それが少なすぎる金額だというのは簡単に見当がついた。
「くそっ! カティヤからでもお金をもらっておくべきだった」
フレッドは足元の石を蹴った。
二人は手紙だけで重大な報告を知らせるということに安心できないでいた。それに、どんなに早くてもクリス宛に書いた手紙が彼の元に届き、彼の使者が検問所までマニュエルに会いに来るまで遅くて4、5日はかかるだろう。二人がただその場でうろうろしていれば、それまでに追っ手に襲われる可能性は大きいように思われた。それに、襲撃計画もその前に起こってしまうかもしれなかった。だからこそ、偽造旅券で入国するのは良いアイデアだと思われた。
「一応、値段だけでも聞いてみるか……」
二人はなるべく怪しい感じの酒場へ何軒か赴き、それらしい人物を見つけようと歩き回った。やっと聞き出した情報では、ある版画家が偽造旅券を作っているとのことだった。
「やっぱり、国境沿いだとそういう商売をする輩がいるものですね。でも、やっぱり偽造旅券なんてだめじゃないですか? 司祭の僕にはそんな悪いことをするなんて無理です」
「何言ってるんだ? お前は少なくとも、ローゼンタールまで戻ればお前の部屋にちゃんとした入国証が置いてあるだろう。それなら、別に偽造旅券で国に入っても犯罪にはならないだろ?」
マニュエルは狐につままれたような顔をしたが、とりあえずフレッドに従うことにした。
二人はすぐに酒場で教わった版画家のアトリエへ向かった。
町外れにあるその画家のアトリエの外壁にはいくつか鉄格子で覆われた窓があり、そこから版画作品が見えるようになっていた。一見、何の変哲もないアトリエに見えた。
「へぇ、綺麗な絵ですね」
マニュエルはそこに飾られた、具象化された鳥の絵を見て声をあげた。他にも柔らかな線の美しい動物の絵を何枚か見ることができた。
フレッドは玄関をノックした。すぐに痩せ細った若い男がドアを開けた。
「少し、版画を見せてほしいのだが」
男は二人の風貌を見ると、怪訝な表情を浮かべた。
「商人の方ですか? どうぞ……」
以外にもあっさりと男は二人をアトリエへ入れた。版画を刷る道具や積み重ねられた紙の山。そして並べられた額縁。偽造旅券を作っているようには到底見えなかった。
「どんな版画をお探しですか? 失礼ですが、画商の方ともお見受けしないようですが」
フレッドは取りあえず版画家の様子を探るために、何枚か家に飾るための風景画が見たい、と言った。男は何枚かの版画を探し出してフレッドに見せた。フレッドは絵を見ると大げさに感動した様子を装った。それを聞いた男は喜んで自分の作品や展覧会について二人に語って聞かせた。
「貴方の作品は本当にすばらしい。ぜひ家に残していた家族に貴方の作品を贈りたいものです」
「聖典に入れる挿絵にもちょうどいいですね。なんだか神々しい作品ですね」
二人はできる限りのお世辞を言った。その版画家の作品の質はたしかに、なかなか良いものであった。しかし、二人は版画を買う金などもちろん持ち合わせていなかったし、とりわけ興味もなかった。フレッドはそろそろ本題に移ろうと思った。
「ところで……。俺達はもちろん貴方の作品に興味もある。しかし今はちょっと別のお願いがあって来たのです」
なんとか本題を切り出したフレッドに対して、版画家はあけすけに深いため息をついてみせた。
「はぁあ。そんなことだと思いましたよ。僕の作品をまともに買う人なんてそうそう居ないですからね。あんた達、どちらの方ですか? 服装からしてアルスフェルト辺りのご出身ですか? ツォーハイムへの入国希望ですか。偽造旅券なら一人金貨三枚です」
男は露骨にがっかりした様子を見せて、ぞんざいにそう言った。
二人は顔を見合わせた。自分の達の所持金といったらもう銀貨9枚程度であった。
「お金がないなら帰ってください」
版画家は乱暴に椅子に座り込んで、手にペンを持ち、二人を無視して作業を再開しようとした。二人は取りあえずアトリエを出た。
「昨日野宿でもしていたら、お前の分だけでもなんとかなっただろうに」
フレッドは悔しそうに言った。
「お金、どうしましょう……」
マニュエルもすでに偽造旅券を手に入れる気になっているようだった。
「死にたくなかったらお前が体を売れ。お前ほどのふんわり系男子ならすぐに金が溜まるだろう」
本気と冗談が半々といった感じで、フレッドがマニュエルを詰った。
「何を言うんですか! そんな恐ろしいことを! それなら僕は死を選びます」
フレッドは深いため息を着いた。
「王子と貴族の息子が、これっぽっちの金に困って命を落とすとしたら、とんだ喜劇だよな」
フレッドは猫背になって歩きながらボソボソとそう言った。
「短時間で大金を稼ぐ方法。そんなのあるでしょうか。借金をしようにも、何か担保となるようなものがない限り、金を受け取ることはできないでしょうし……」
「それだ!」
フレッドは指を鳴らした。
「え! なんですか。担保にするようなものなんてないでしょう」
「いや、ある」
不敵に微笑むフレッドをマニュエルは理解できずにいた。
「ここさ」
フレッドが自分を指差したのを見て、マニュエルは「だめです!」と大声を上げた。
「お前だけでもツォーハイムに入国するんだ。そして、クリスに会って来い。俺は数日間人買いの下で過ごす。俺がどこかへ売られる前に戻って来い」
マニュエルは頭を振って、「ダメです」と繰り返した。
「考えてみろ。人買いの館に居れば俺は追っ手に見つかることは無いだろう。アルスフェルトの奴らも、まさか貴族の俺達がそんなところにいるとは思わないだろ? ここでぐずぐずしていたら、いずれは二人とも捕まるか殺されるかするだろう。それに、検問所から出した手紙がクリスに着くのだって、どれくらいかかるかはっきりとしない。その間に鉱山が襲撃されたらどうするんだ? 鉱山を守るのはモリッツ家の務めだろ。俺のことは気にせずに行くんだ!」
フレッドはマニュエルの頭をポンと叩いて、「言うとおりにしろ」と言った。
「執政者とは国を守るために生まれた。そのために身を捧げる覚悟くらいはできている。それに、お前がすぐに戻ってくるって信じているからな」
残りの銀貨でフレッドの身なりを整えさせてから、二人は商館へ向かった。マニュエルが泣きべそをかいているのをフレッドがあやして、なんとか入り口を入った。
「貴方は人買い商人さんですよね。僕は傭兵なんですが、外国で捕まえた奴隷を売りたいのです。でも、そのうちお金を持って受け取りに来ます。だから、今すぐお金を貸してください」
商館の木のテーブルの前には、変わった帽子を被った、髭の長い老人が腰掛けていた。傭兵の格好をしたマニュエルを訝しがるように睨んでから、立ち上がるとフレッドの全身を眺めた。口を開けさせて歯を見たり、上半身を脱がせて皮膚を調べたりした。フレッドが無言で言われるようにされているのを見て、マニュエルは胸が押しつぶされるような苦しさを感じた。一通り老人がフレッドを眺めた後、老人は口を開いた。
「この男を売るなら、お前さんのような貧相な傭兵風情に返せるだけの額ではないが、いいかな」
老人はマニュエルの顔をまっすぐ眺めて訊いた。
「どこから捕まえてきたかは私には関係のないことだが、この男は貴族か何かだろう……。今後は悪い商売はするものじゃないぞ」
そういうと、老人は金貨20枚をマニュエルに渡した。
マニュエルは涙が流れ落ちないうちにすぐ商館を後にした。
(フレッド様……。ごめんなさい)
マニュエルはすぐさま版画家のところへ金貨を持って向かうと、普段の彼のおっとりした様子とはかけ離れた低い声で、さっさと偽造書を作れ、と言った。
版画家はその様子をいぶかしんだが、言われるように偽造旅券を作った。版画家が作業している最中も、マニュエルは背を見せたまま涙を流して祈っていた。
出来上がった旅券証は申し分ない出来だった。飛び出すようにアトリエを出たマニュエルは自分達の乗ってきた馬を売ると、足の速い馬を新たに買い、さらにかつらと女物の服を買って検問へ向かった。マニュエルは数時間前に検問に来たばかりだったので、偽造旅券を使っても怪しまれないようにと女装したが、女装したマニュエルはどこから見ても普通の女性司祭に見えた。
検問所を通る際には、それでもさすがにマニュエルは不安だった。馬を引いて出来るだけ愛想良く微笑みかけた。
「どこから来たんだい?」
検問の兵隊が彼をじっと見つめるので、マニュエルは怪しまれているのかと思い、冷や汗が噴出した。出来る限りの裏声でマニュエルは可愛らしく返事をした。
「私、ツォーハイム首都で司祭をしております。セイレンブルクの聖地巡礼からの帰りでございます」
兵士はいぶかしむ様にマニュエルを見た。
「それはいいんだが、貴女のような美しい方が一人で旅をするなんて危険だ。国境の辺りには悪い輩もいる。今後はそんなことが無いようにしてください」
それを聞いたマニュエルはほっとして、笑顔で、ありがとうございます、と言って国境を越えた。
国境を抜けると既に日が沈み始めていたが、彼は休みなく馬を走らせた。




