山道での戦い
山道に差し掛かると、商人らしき者達が荷物を馬車の上で積み替えたりしていた。
「この山を越えると検問所があり、その先はアルスフェルトだ。運がよければ彼らはまだ我等が領内だろう」
カティヤの見上げる先は曲がり角の多い山道で、馬車では速度を出すことができなさそうだった。ここでカレル達に追いつける可能性は大きいと思われた。
フレッドはこんな山道を馬で走るのは初めてだったので、おっかなびっくりとしていたが、その数歩先のカティヤは優雅に馬を操って、すいすいと山を登っていった。
山も頂上に近づく頃、アルスフェルトの紋章を付けた馬車が前方に見えてきた。山には霧が深くかかっていために、見通しが悪かった。カティヤはフレッドを置いて先に行くとその馬車の前に立ちはばかった。
フレッドも大急ぎで馬車に追いつくと、そこには馬の手綱を握ったカレルがいた。
「カレル! 馬車を止めてくれ!」
カレルは黒い目を大きく見開くと、驚いた風にフレッドを見た。
「フレッド。こんなところでどうしたんだい」
フレッドは顔色を探るようにカレルを見た。
「マニュエルはどこだ!」
カレルはまた驚いた表情を浮かべたが、すぐにいつもの気さくな笑みを浮かべた。
「なんのことだか俺にはわからないのだが……。神殿にでもいるんじゃないのか?」
カティヤは傍で不安そうな顔をしていた。
「それでは、馬車の荷物を確認させてもらえないか?」
カレルは「ああ、かまわない」と言うと、馬車の幌の中にいた傭兵3人を馬車から降ろさせた。
「しかし、そんなに慌てて何があったんだ? 俺はちょっと、アルスフェルトの彼女に会いに行くだけなんだが。あまり時間をとらせないでくれよ」
フレッドは頷くと馬を降り、カレルの馬車に乗り込んだ。いくつかの大きな木箱が置かれていた。特に異常もないように見えたが、念のためにフレッドは開けてもいいかと聞いた。
「この中には粉類が入っているから、開けては困るよ。家族へのお土産なんだ。だいたい、なんのつもりだい、フレッド」
フレッドはいくつかの箱をブーツで蹴って行った。
ひとつの箱の前で足が止まった。蹴った箱から聞こえた音は、箱の中身が明らかに粉類が詰まったような音とは違っていた。
戸惑うことなくその箱をフレッドはこじ開けようとした。カレルは「待て!」と言ったがフレッドは止めなかった。箱は頑丈に封をされていて素手では開けられなそうだったので、剣を取り出してこじ開けようとした。それを制するためにフレッドに触れたカレルを、フレッドは押しのけた。しかし、押しのけられたカレルは体勢を整えながら笑い始めた。
「お前達、二人を殺せ!」
カレルは大声でそう叫んだ。
フレッドが振り返ると、カレルは剣を抜いて斬りかかって来た。フレッドは慌てて馬車から飛び降りてカティヤのところまで一目散に逃げて彼女の後ろに隠れた。
「なんて逃げ足の速いやつだ」
フレッドを斬り損ねたカレルはつぶやいた。
「カティヤ、こうなることはなんとなく分かっていたが、腰が抜けそうだ」
「フレッド、私が貴方を守る」
カティヤは低い声でそう言うと剣を抜いた。
「かかって来い!」
彼女は剣を構えた。カティヤの構えを見て、傭兵達は怯んだ様子を見せたが、それぞれに剣を抜き彼女めがけて斬り込んできた。
「死ね!」
剣身の大きな刀がカティヤめがけて振り下ろされる。フレッドは思わず目を閉じた。
「遅いっ!」
そう言うとカティヤは強烈な蹴りの一撃を傭兵の腹に食らわした。
傭兵は後ろに大きく吹っ飛び、口から泡を吹いた。
すぐにカティヤは近くにいたもう一人の傭兵にすばやい突きの一撃を加えた。男は押されながらも、カティヤのすばやい剣さばきを受けて、なんとか攻撃をかわしていった。
「なかなか腕が立つではないか」
カティヤは傭兵を押しながら言った。
「――しかし、私の敵ではない!」
そう言ってカティヤが大きく剣を振り上げた瞬間、もう一人の傭兵が横からカティヤの胴体目掛けて斬りかかるのが目に入った。カティヤは「あっ!」と悲鳴を出して身構えた。
しかし、その傭兵は次の瞬間頭に手を当てて地にうずくまった。どうやら、フレッドが投げた石が頭に命中したようだった。
カティヤはさらに残りの傭兵を追い詰めた。
振り上げた剣から強烈な一撃が放たれ、その男の剣が半分に折れて吹き飛んだ。
すぐに彼女は剣の柄でその男の脇腹を強烈に殴った。鈍い音が響き、男は地に倒れた。
「そこまでだ! これ以上動いたら、こいつを殺す!」
カレルは先ほどの箱の上に剣をかざして言った。
二人はそちらを振り返った。
「やっぱりそこにマニュエルがいたんだな!」
「そうだよ、馬鹿な王子様。信じる相手を間違えて、君が根掘り葉掘り話してくれたからね。お前よりこいつの方が役立つと分かったから誘拐したが、こうなってはお前らをまとめて殺すしかない」
「待て! やめろ。分かった、投降する」
フレッドは自分の剣を地面に置いた。カティヤにも目で合図をした。
「物分りが良いようで助かるよ。もう一度聞こう。俺達に協力すればお前とこいつの命は保障しよう。お前も本当はモリッツ家に復讐したいのだろう? お前に殺人犯の濡れ衣を着せたあいつらに仕返しができる。俺達が戦う理由などない」
「フレッド! どういうことだ!」
カティヤは震えた声で呼びかけたが、フレッドはその声を無視した。
「分かった。協力する。俺達は友達じゃないか。お前は賢い。俺はお前に着いていこう」
「待て!」と大声で呼びかけたカティヤに、フレッドは「うるさい!」と軽蔑した目線を浴びせた。
そういうとフレッドはカレルの馬車に登り、カレルの前で右手を差し出した。
「一緒にモリッツ家をぶっ潰そうじゃないか?」
カレルはその右手を握り返した。
しかし、次の瞬間、うめき声を上げてカレルは床を転げまわった。
フレッドが油断したカレルの鼻を思いっきり左手で殴ったのだ。
「馬鹿なやつめ。俺が元々左利きだと知らずに……」
フレッドは馬車を飛び降りた。
そこにはカティヤが呆然と立ち尽くしていた。
「カティヤ、事情は説明する。でも、まずはこいつらを縛り上げるのを手伝ってくれ」
フレッドは手際よく倒れている傭兵達を縛り上げ、その間にカティヤはカレルをもう一発殴って大人しくさせてから縛り上げた。
フレッドはマニュエルの閉じ込められていた箱をこじ開けた。
マニュエルは土で髪が汚れ、体は傷だらけだったが、ちゃんと息をして眠っているようだったので、フレッドは一安心した。
「フレッド、あの男が言っていたことなのだが――」
カティヤは不安そうな顔でフレッドを見つめた。
「あの男の言っていた通りだ。俺は殺人の濡れ衣を着せられてここへ流刑になってきたんだ。お前達ローゼンタールの一家には、政治上の問題で来たのだとしか聞かされてないだろうが、ツォーハイムでは俺は立派な犯罪者扱いだ。俺はモリッツ家の者に嵌められたのだ」
カティヤは目を見開いて立ち尽くした。
「信じてくれ。俺は犯罪者ではない」
彼女は怯えた顔でただゆっくりと頷いた。
「でも、なぜマニュエルが襲われたのかは謎だ。マニュエルが何かしっているかもな」
フレッドはマニュエルを箱から抱き起こし、床に寝かせた。そして、大声で「起きろ!」と言って肩を揺らした。
マニュエルはゆっくりと目を開けた。
「フレッド様!!」
そう言うと涙を流してフレッドに抱きついた。
フレッドは、「悪かったな、俺のせいで」と言って、マニュエルの頭を優しく撫でた。
「マニュエル、体は痛むか?」
「痛いですよ、もちろん。あんな風に殴られたり蹴られたりしたの、僕は初めてですよ。善良な僕がこんな目に遭うなんて、神様のお考えになっていることはやはり人には理解できないものですね」
しかし、骨折等の大きな外傷はないようだった。
「フレッド様が助けてくれたんですよね。ありがとう!」
そういうとまたマニュエルはフレッドに抱きついた。
カティヤの強い視線に気付いたフレッドは、抱きつくマニュエルを無理やり引き離した。
「マニュエル、どうしてこんなことになったのか? 何か聞いたか?」
マニュエルはそれを聞くと、「あっ!」と大声を出した。
「そういえば、大変なんです! あいつらモリッツ家の褐曜石鉱山を襲撃しようとしていて。それで、鉱山に詳しい僕を誘拐したんですよ! どうしましょう!」
彼はおろおろとし、手を合わせて祈り始めた。
フレッドは、「祈っている場合ではない」と言って彼を制した。
「マニュエル、あいつらは一体何者なんだ? なぜ鉱山の襲撃などしようとしている」
「それはわかりません。ただ、あいつらはすでに沢山鉱山について知っているようです。モリッツ家の物しかしらないようなことまで……。一体誰から聞き出したのやら。しかも、襲撃は数日後に予定されているようです。早く兄さん達に知らせないと、取り返しのつかないことになる」
アルスフェルトの紋章を着けた馬車。モリッツ家しか知らないことを知っていること。それくらいしか手がかりは得られなかった。
「とりあえず街に戻って、カレルから聞き出せばいい」
「それもそうですが、もしかしたら街は危険かもしれません。こいつの仲間があと何人も街にはいるようです。結構大きい組織のようですし、色々なところにスパイがいます。フレッド様がカレルの馬車を襲撃したことがばれるのも時間の問題でしょう。そうなれば、僕らは狙われるでしょう。でも、どうしよう。早く兄さんに奴らのたくらみを知らせないと、大変なことになる」
「そうだな。暗号の文章を書いて郵便で送ったら、それは遅すぎる」
「襲撃が数日後だとは言ってましたが、それがいつかは僕も聞いてないし」
マニュエルはただ、おろおろとした。
「それなら直接ツォーハイムまで言って話したらよい。それが一番早いだろう。私がお前達をツォーハイムまで護衛する」
カティヤが会話に割って入って来た。
「そうだな。直接俺達が行くのが一番だ。俺は入国できなくても、マニュエルが直接行って報告すればそれが一番早いだろう」
「フレッド様は来なくて大丈夫です。僕が一人で行きます」
「いや、またお前にもしものことがあったら困る。俺は国境まで何があってもお前について行く。俺のせいで、お前をこんな目に合わせてしまったし、もうこれ以上お前を傷つけたくない」
フレッドは一息ついてから、カティヤを厳しい顔で見た。
「しかし、カティヤ。お前を連れては行けない。お前をまた危険にさらしたくない。すでに一度、お前は傭兵に斬られそうになった。それに、これはツォーハイムの問題だ。お前には関係がない」
「ダメだ。弱いお前達をそのまま行かせたとなれば騎士の名に恥じる」
フレッドはカティヤに向き直ると、彼女の肩をきつく抱きしめ、そして頬にキスをした。
「お二人はいつからそういう関係に……」
マニュエルが好機の目を向け呟いた。
「でも、ダメだ。この傭兵とカレルさえ隠しておけば、お前は無関係でいられる。お前が鉱山の襲撃計画を知っていると分かったら、お前も命を狙われる。お前やローゼンタール家の者達を巻き込めない」
「それでもいい。私はお前に着いていきたい!」
カティヤはフレッドにしがみついた。
「カティヤ、お前のことは大好きだ。しかし、この旅は一刻を争うし、危険なものになるだろう。俺にもしものことがあった場合、お前がローゼンタールの当主にならなかったらどうする。お前の体はお前だけのものじゃない。そして、そのためにずっと騎士として、女性であるお前自身を隠して修行してきたんだろ」
カティヤの頬を伝う涙がフレッドの首筋に当たり、そこに熱い感覚を与えた。
「大丈夫、きっといつか戻ってくる。流刑者の俺にはローゼンタール以外行くところはないからな。――でも、もし俺が戻ってこなかったら、その時は良い男を見つけて女として幸せになれ。お前は誰よりも美しい強い女だ。誰しもお前に魅了されるだろう。ダンスを習うと言っていたな。お前と一緒にダンスパーティに行きたかった。もしいつかそれが叶ったなら、朝までお前と踊りたい……」
フレッドは彼女の手を握った。彼の手は冷たく、震えているようにも感じられた。
「お前を連れて行きたい。でも、お前にはお前の守るべき場所がある」
カティヤはそれ以上何も言うことができなかった。
3人は少し考えた末に、行動を開始した。
フレッドとマニュエルはそれぞれカレルと傭兵の服を剥ぎ取り、それを着た。マニュエルはほぼ裸だったし、フレッドもフードのついたアルスフェルト商人の服装により、目立つ銀髪を隠そうとしたからだった。
そして、馬車の中にあった木箱の中身を捨てて、そこへ気絶している傭兵達、カレル、さらにカティヤを詰め、外から封をした。それから山の登り口でフレッド達が抜かして行った馬車が、そこまで登ってくるのを待った。馬車がやってくると、それを止めてフレッドは話かけた。
「ちょっと、頼まれてくれないかな。連れの傭兵が体調を崩したので、急いで街まで行きたい。それで、貴方にこの馬車の荷をローゼンタールの邸まで大事に急いで届けてほしい。もし引き受けてくれるなら前金としてこの場で金貨三枚を渡そう。そして、無事に届けてくれたらさらに十枚をローゼンタール伯爵から受け取ると良い。それでどうかな?」
提示された大金のせいで、その馬車の主人は快諾した。
ひとまず、箱に詰めらた傭兵とカレルは、ローゼンタール邸の地下室に監禁することにした。カティヤはそこに居たことを誰にも知られないようにと、箱の中に隠れたのだが、邸に帰り次第、暗号を使ってマニュエルの兄クリスに手紙を書くことを了承した。
フレッドとマニュエルはそのままその場所を後にしたが、木箱の中のカティヤはフレッドのことを想い、声を殺して泣いていた。まだ、彼がカティヤに触れた手の感覚が残っていた。
自分を始めて「女」として見てくれた人。自分の生き方について無意識では疑問を持っていたカティヤだったが、自分の幸せがなんなのかを考えたことはなかった。それを教えてくれた人。初めて、女として生きてみたいと思わせてくれた人。彼女はただフレッドの無事を祈っていた。




