竜刻のベルグエル、安らかに願う
瓦礫の中で血反吐を吐きながら、『竜刻のベルグエル』の異名を持つ英雄は虫の息であった。
全盛期の頃に殺した邪竜、想像をはるかに上回る戦闘能力……常時魔力を吹き出し続けるその肉体は相変わらず固く速く、まったく全盛期の自分はよくもまぁこんな化け物に勝利したもんだと、心の中で拍手を送った。
「……へへっ」
奥に、満足そうに逝ったであろう男の背中が見えた。やるべきことを果たし、満足に地獄へと落ちて行った……やれやれ、アイツとは生きているうちに呑みたかった。まさかあっち側で仲良く飲む羽目になろうとは、これだから英雄としての運命ってのは困る。
「お前とも、いつか飲みたかったんだぜ……?」
目の前には、俺の屈強な体をズタボロにしてきた反抗期の娘がいる。可愛げはあるが、まさか娘に殺されるとは思わなんだ、悔いているのかそれとも何も感じていないのか、ただただ俺の無様を眺めている。
「……いや、看取ってくれてるんだな」
無言のまま、変わり果てた娘は俺を見続けた。小さい頃から育ててきたが、全くデカくなりすぎだろ馬鹿野郎。色気もクソもありゃしねぇ、そんな恰好で娶ってもらえると思ったら大間違いだぞ。──そんな皮肉も言えなくなってきた、舌がもう回らない。
(お前が何をしたいのか、誰の為に「イグニス」を捨てたのか。馬鹿な父親の俺でも分かるぜ? そんなことして、あの勇者が何をするかなんて、お前も分かってるだろうに)
分かってるからこそ、なのだろうか? 女心というのはまるで水の様だ、掴み切れず、去れども触れる……自由自在に形を変えるそれらは、色と欲でしか俺には理解できなかった。
(ま、お前のやりたいことを理解し切れてねぇアイツもアイツだけどな。この際だ、世界を巻き込んで仲良く喧嘩しやがれ)
その様子を見れないのが、何とも残念ではある。しかし俺は役目を果たした、娘をなだめ、あの二人の勇者を逃がせた。一人余計な奴が混じっていた気がするが、そんな事はこの際もうどうでもいい。
だから、俺は最後に言い残す。
これが俺の、最初で最後の、娘に贈る言葉だ。
「好きに生きろ、だが、お前が思う幸せを掴め」
それを最後に、俺の身体は急激に冷えていく。血を流しすぎたのか、走馬灯が巡り巡って脳裏に輝く……それらは全て娘の顔だった。小さい娘の顔、頑張る娘の顔、幸せになりたい娘の顔、人間だったらよかったのにと夜な夜な嘆き、一人で泣きわめいていた娘の顔。
娘はそれを見て、空へと上がった。細く長い雲で尾を引きながら、流星のような光と共に去っていく。
ありがとな、俺を父親だって呼んでくれて。
ありがとな、最後に思いっきり喧嘩してくれて。
おれ、ばかだからさ。
ちちおやらしいこと、すこしもできなかったよな。
でもさ。
しあわせになってほしいのは、ほんとうなんだぜ?
なぁ、おれの、おれだけのかわいい、かわいい。
「イグニス……」




