無能勇者、再会に涙する
その竜はしばらく俺のことを見つめた後、首だけになった大魔王エデンに目線を移した。
「ひっ……ひぃぃ!!」
近づく腕、牙……獰猛な顎。それらは怯える大魔王を嘲るように近づいたり離れたり……まるで鑑賞するかのような素振りを見せた。
ーー咀嚼。
唐突に行われたその行為は、大魔王に絶望の暇さえ与えない。汚い音を立て、赤色の血を滴らせながら……その竜は、世界を脅かしていた大魔王を完食したのである。
「……っ!」
如何に敵とはいえ、姿形は人間に近い存在だ。目の前で生きたままミンチになっていく様を見るのは、余りにも吐き気を催す。
……いいや、今重要なのはそんなことではない。
確か、エデンはあの竜のことを「アルト」と呼んでいた。あれ程の実力者の怯えよう、敬語を使っていたことから、あれは本物の邪竜であることは間違いない。
そしてその邪竜は、俺を喰らおうとこちらを見ている。一歩、一歩……確実に距離を詰めてきている。
「……! くそっ!」
体が動かない、指一本動かせない! ずしん、ずしんと、こうしている今も捕食者は迫ってきているというのに! 魔王は死んだ、使命を達成したも同然……でも、俺はまだ死にたくない!
しかし体は動かない、とうとう竜に見下された俺は、絶望の淵を彷徨った。牙が迫り、俺を喰らおうと顎が大きく開く。
瞼を閉じ、腹を括った。
「根性がなくて英雄が務まると思ってんのか? こりゃぁ、老害が手本を見せてやるかねぇ」
直後耳に入ってきたのは、かつて死闘を繰り広げた大英雄の声だった。荒々しく、されども頼もしく……その名はベルグエル、かつて邪竜を殺した者の名だ。
輝かしいその一撃は聖剣のものだった。鍛え抜かれた肉体と最高峰の武器、鬼に金棒の具現の一撃が、竜に直撃する。
(無傷……!?)
傷どころか、苦しむ素振りすらない。まるで鍛え抜かれた鉄のような外殻に阻まれ、大英雄の一撃は無力化されたのだ。
だがそれでも、大英雄は笑ってみせた。
「お膳立てはしてやったぞ、あとは尻尾巻いて逃げるんだな! 元勇者!」
「ーーああ! 任せろ!」
え? 俺の耳が違和感を覚えた瞬間、体が担ぎ上げられた。俺の他に誰かいるのか? さっきの声は、いいや……このキラキラした肌は、金髪は……?
「久しぶりだな、ガド」
いいやありえない、あり得るはずがない。俺は無能で足手まとい、こいつがわざわざ助けに来てくれるわけがない。第一、あいつは俺をかばって石になって……それで。
……それで、何なんだよ。
認めるしかないじゃないか、この体温を、心臓の音を、近くにいるだけで元気になれる明るさを。こんなやつ、こんな最高にいいヤツ、この世で一人しかいないじゃないか……!
「……アーサー!」
「ああ、俺だ。烏滸がましいかもしれないけど、お前を助けに来た」
そう言って、俺を背負った最高の勇者は走った。背後には世界最高峰の戦いが繰り広げられている、舞台は人類の脅威の総本山である魔王城、役者は生ける伝説『竜刻のベルグエル』、復活した邪竜アルト。にも関わらず、俺は泣きながら彼の背中にしがみつき、惨めったらしく再会を喜んでしまっていたのだ。




