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無能勇者  作者: キリン
大魔王エデン編
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愛してる、いつまでも

 体が思っていたよりも軽くて、冷えている。血を流しすぎたのだろう、如何に回復魔法をかけてもらったとはいえ、既にほとんどの血液が抜け落ちていた。助かる道は、もとより無かったのだ。


 いや、別に死ぬことに抵抗や恐れがあるわけではない。そんなものはあの時あの日あの瞬間、産声を掻き消すような叫び声を上げた時に砕け散っていたのだから。


「死体が動いておるわ」


 煽りの声も、もうよく聞こえない。誰がどうやって自分に話しかけているのかも、前も後ろも何も分からない。


「貴様はもう飽きた、敗者は敗者にふさわしい地獄に行くがいい」


 そんなもの、俺には残されてない。既に俺は蚊帳の外、論外中の論外……不死性を手にした時点で俺の死に誇りは消えたのだ。いいや、そんなものどうでも良くなってしまったのだ。


 全部捨てたくなったのだ、仲間も立場も、自らが積み上げてきた何もかもを。


 その結果、一番欲しかったもの、欲しいと認められなかったそれは、変わり果てて死んでしまった。


 きっとこれから俺は、地獄を見るだろう。罵倒、侮蔑……ありとあらゆる屈辱と後悔を、あちら側で過ごすに違いない。だけど。


(それでもいいから、会いたい)


 ……直後、俺の心の中のぐちゃぐちゃが解けた。何百年間もの間俺を不快にしていたそれは、自らを顧みただけで、温かい羽毛のような心地よさへと変わったのだ。


 握る剣、羽織った赤いマント。彼女のかすかな匂いに、振り返りそうになった。でももう分かってる、いないんだ、もう。


(だったらせめて、きっちり守ってからだよな)

「なっ……!?」


 蒼雷、懐かしきそれが応える。今までとは全てが違う感覚、溢れ出る力……しかし俺はどれにも興味がない。俺が抱いた喜びとは、ようやく素直になれたという、ちっぽけな成果だった。


「参るッ!」


 何という安心感なんだろう、なんで今まで受け入れなかったんだろう。軽やかな心で、俺は人生最大の後悔を認めた。あのとき突き放していなければ、あんなことを言わなければ……!


 数多の攻撃に痛みは感じない、あるのは使命感……突き出した刀身はそのまま、大魔王の鳩尾を貫く。


「がぁっ……!」


 悔いても遅い、ならばせめて、今残ってる物に必死にしがみつけ。


「ォォォオオオオオオオオオッッ!!!」


 流し込む、怒りだった感情。今のこれは、自分のためのものではない、何もかも見落としてこぼれ落ちた無能が持っている、最後の宝物。ーーイーラが俺と望んだ未来を、守るためにあるモノ!


「や、やめ、やめろ。くっ、が、ぁぁぁぁぁ!!!!」


 殴り蹴られ、それでも剣から手を離さない。これを離せば、今度こそ俺は空っぽになってしまう。あの世のイーラから、罵倒の機会すら奪うことになってしまう。


 削り取られる俺の肉体、青い赫雷に焼かれる大魔王の体。俺が死ぬのが先か、こいつが動けなくなるのが先か……いいや、別に俺が倒しきらなくてもいい。きっとあいつが、いつでも正しく強いイーラの血を引くあいつがーー。


「負けんな、この、クソやろぉぉぁぁぁぁ!!!」


 姿が重なる。

 その面影は、無邪気であり、自身に満ち溢れている。でもいつもなにか言っていた、そう……戦いの最中であろうと、確かに聞こえていた言葉。


 俺の勝利を、祈る言葉。


「ーーあぁぁぁぁぁあああああああ!!!!」


 負けない負けられない。剣を握りしめ、更に奥へと差し込む! 抵抗が増す、痛みが広がる! いいやどうでもいい、ここで決めろ、これ以上の醜態を晒すな!


 魔王の抵抗を全身で受け止めながら、俺は最後の力を振り絞る。この感情を抱くのは、これが最後だろう。


(いいさ、そのほうがきっと、イーラも笑う)


 未練を断ち切り、全てを捧げる。不死性を強制的に反転させ、相手への「永久死」として放つ。後のことなど知った事か、元より俺は、問答無用で地獄行きだ!


「がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」


 苦しむ魔王、暴れ狂うそれの抵抗を受け、俺の身体が瓦解していく。不死性を切り離したことにより、数百年分のツケが来ている。このままでは、このままでは……!


(死ねない! このままじゃ死ねない! 死ぐらい乗り越えろ、根性見せろクソッタレ!)


 蒼い赫雷が強まる、走馬灯が流れ出て……それが全てイーラの笑う顔だった。涙で前が見えない、後悔ばかりが沸き上がって来る。彼女は俺に拒絶されて、ずっとこんな気持ちだったのだろうか? 酷い事をした、本当に、惨い事をしてしまった。


(ごめん、ごめん……!)


 本当は俺も言いたかった。誇りなんてかなぐり捨てて、一族の事なんて、神に与えられた使命なんてドブに捨てて。駆け落ちでもすればよかったのか? さっさと長になって、彼女を受け入れればよかったのか? 何を考えても、どんな素晴らしいアイデアが頭に沸いても、それらは全て虚しい「もしも」。すでに起きた現実は、誰にも変えられない。


 俺ができる最大限、俺がやらねばならない最低限が、青く轟く。


「――あ、ああ、うぁ……」

「はぁ、はぁ、はぁ」


 ようやく、魔王の抵抗が止む。ボロボロになった体は地面に崩れ落ち、俺も体勢を崩して膝をつく。呼吸をすることも、まともな思考を巡らせることももう、かなわない。


「――、―――――!」


 聞こえないが、聞こえる。顔も、性格も、努力家な所もお前そっくりで、俺の自慢の……いや、俺がそれを名乗る資格は無い。誰だか知らないが、あの子にたくさんの愛情を注いでくれたことを、心から感謝しなければ。


「……」


 風化していく体は痛みも苦しみも無い、むしろ安堵の喜びさえあった。これでようやく、アイツの下に行ける。行ったとしても許してはくれないだろうけど、きっと俺はその時初めて……あいつに自分の想いを、ぎこちなく伝える事ができるのだろう。


 思えば数百年、数えるのも馬鹿馬鹿しい間、アイツの事ばかり考えていた。

 なぁイーラ、俺、お前の剣が好きだよ。お前の笑う顔が好きだよ、お前の喋り方が好きだよ、お前と話す時間が好きだよ。


 俺、お前の事が好きだよ。

 好きだったよ。


(いいや、違うな)


 まだ、口はある。だから言わなきゃ、崩れ去る前に、完全にこの世から消え去ってしまう前に。


 大きく息を吸って、口の形を整える。

 世界中の人間に届くように、あの世の亡霊共の耳にさえ届くように。アイツが怒りながら、恥ずかしがってくれるように。滅茶苦茶にでっかい声で言ってやるんだ。


「ああ、イーラ。俺は、お前を……愛してる」


 吹きすさぶ風に、体が散り散りに吹き飛ばされていく。塵芥の俺は、風に舞い空を飛び、何処までも遠く飛ばされていく。

 何処までも自由で、何処までもその言葉を届けて響かせていられる。

 仲間を捨てて、誇りを捨てて、永遠の命さえ捨てて……その果てに、たったそれだけがあった。


 何もかも無くしたはずの俺は、最後の最後で、彼女に会う事ができたのだ。

 今はただ、それだけでいい。


 風がなびく、何処までも。

 声が届く、終わりなく。

 愛してる、いつまでも。


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