アルカの記憶④
「アルカ、私と結婚しようよ」
いつも通りの敗北、いつも通りの悔しさ。そしていつも通りのくだらなく楽しい会話……そのはずだった。月日が経ち、お互いが大人びた体つきになった頃、イーラが俺にそう言ってきたのは。
「……なんで?」
俺は、微かに動揺していた。確かに俺にとってはイーラが特別な存在だ、他の誰よりも面白く、一緒に居て退屈しない。だが、それは好敵手としての意味である。愛だとか恋だとか、そういったモノで家庭を築いていきたいとは考えにくい。俺はあくまでこの女をライバルとして、友として、互いに切磋琢磨をする事ができるかけがえのない存在だと思っている。
「俺はお前の事が好きだが、女として好きな訳じゃないぞ。太刀筋流麗、戦いの中でも美しいお前の、その剣に惚れたんだ。お前もそうじゃないのか?」
当然のように俺が言い放つと、彼女は顔をひきつらせた。しばらく俺から目を逸らしていたが、やがて、やけに決心がついた真っすぐな目線が、俺を貫いた。しかしそれは戦士としての物では、なかった。
「違うよ」
息が詰まった。
俺は、まず驚く。彼女が初めて、俺に対して女性の部分を見せた事。そしてそれは、俺の中のどうしようもない衝動を掻き乱した。俺はこれが怖かった、彼女に対する感情が、全く別の物になる気がして。そして俺自身が、戦士としての俺を死に至らしめる要素だという事を。
「私は、貴方に申し訳ないと思ってる。実力の差を利用して、あなたを縛り付けた。……嬉しかったの、私の青い赫雷を怖がらずに、丸ごと受け入れて認めてくれたことが」
「……やめろ」
「駄目なことだって分かってるよ、でも好きなの、認めてくれた貴方が好きなの! お願い、一回でいいの。一回で良いから、戦い抜きで私を愛して!」
「やめろ!」
何もかもが、怖い。俺は俺の中にある物が、どんどん大きくなっていくのを感じた。大きくなって、俺の誇りが押しつぶされそうになる……全部が全部、それに満たされそうになっている!
「俺はお前を愛さない、俺はお前を娶らない! 俺はお前に勝つまで、誰も娶らないし愛さない!」
「……っ!」
互いに息を荒げて、お互いに苦しんでいるのが分かる。何故だ? 剣を交え、互いに殺気をぶつけあっている時の方が、お互いを受け入れながらぶつかる事ができていた。それなのに何故、こんな、ただの会話で……俺はこんなに苦しくて、痛いんだ?
「……頼むよ」
絞り出すように、それがまるで悪い事のように、俺は小さくそう言い放った。どうしようもなく恐ろしい、今この場で顔を上げ、彼女の顔を見る事がたまらなく恐ろしい。死ぬことよりも、あるいは誇りを失う事よりも……俺は、とにかく怖かった。
しばらく俺は頭を下げていた、あろうことか自分よりも強い「敵」に。すぐに距離を取るべきか、あるいは構えて備えるべきである。なのに、俺はそれをする気になれなかった。体が震えて、金縛りにでもあったかのように、ピクリとも動かない。
――動けない俺の手に、柔らかな何かが振れる。
「貴方が、是が非でも拒絶したいのは分かりました」
それは、手だった。剣を握り続けた豆だらけの手。彼女の努力、研鑽、それら全てを象徴する……小さな女の手であり、男の様に屈強な、硬い手。そういえば彼女の手を握るのは初めてだなと思いながら、嫌に脈打つ心臓に、頭が真っ白になっていた。
「なら、最強の子を作りましょう。貴方と私との子ですもの、きっと……あなたを満足させられる強さを持って、生まれてきてくれるはずです」
彼女の顔を、見る。見なければいけないと思った。
彼女は笑っていた、泣きながら嗤っていた。自分自身を嗤っているのか? それとも、俺の弱さを笑っているのか? どちらにせよ、俺は怖くて仕方なかった。死の恐怖、イーラという人間に対する恐怖を、俺はこの数十年間で一番感じていた。
「……はい」
恐ろしく、抵抗など頭に浮かばないまま、俺は密閉された空間に入る。彼女の匂いがたっぷり詰まったそこで、俺は彼女を受け入れた。
受け入れざるを、得なかった。




