聖剣を造る者、最高で最後の一振り
夢幻にも思える虚空を見つめながら、鍛冶師ぺパスイトスは胸を痛めていた。
こうなる事は、初めから分かっていた。止めることもできたはずなのだ、彼女がこれ以上心を折られないように、自分だけが死地に赴くこともできたはずなのだ。
「……嫌われ者になってでも、か」
余計なことを考えず、今は目の前の仕事に専念することにした。鉄に不純物は要らない、玄翁を振るうこの体は、燃える創作意欲だけで満たされるべきなのだ。俺が向き合うべきなのは人ではなく、世界に名を轟かせる最強の剣なのだ。
「――さぁて、わざわざこうやって来たわけだが……要件は、まぁ分かってくれたよな?」
姿は見えない、もとより神とはそういう存在だ。ここが空間として成立せず、命と肉体を持った存在である自分がいつまでも存在できる道理もない。――俺は積み上げられていく焦りを隠し通そうと、手に汗が浮かぶ拳を握りしめた。
「……あんたが利口な神で助かった、あんがとよ。長い間、罰当たりな鍛冶師をやって来たが、思えば長い付き合いだったなぁ。――信じてるぜ、アンタのその力で、アイツを助けてやってくれ」
仕草も表情も何も分からない。しかし、長年連れ添った神と呼ばれる存在は、確かに俺の境遇と決意を嘆いている事は何となく分かる。俺の問いかけに応じなかったのも、もしかしたらこうなる事を恐れていたからなのではないだろうか? だとすればそれは、俺にとっては邪魔でしかない。鍛冶師、いいや芸術家にとって、創作活動の邪魔とは最大の苦痛なのだ。
「んじゃ、始めるか」
一切の憂いも、後悔もやり残したことも無い。鉄を打つだけのこの人生において、やり残したことはただ一つ。――最強の武器を作り上げ、世界に名を刻み込む。それが悪名だろうと、善人としての名だろうが関係ない。今回はただ、大義名分がある仕事ができるだけなのだ。
気を利かせてくれたのか、空間が転じて工場へと変化した。鍛冶に必要な物は全て揃っている、俺はそれに薄く笑い、感謝を心の中で述べる。悲しい感情が嫌と言うほど伝わってきて、薪をくべる手に乱れが見えた。
(集中しろ、馬鹿野郎。炉は、鍛冶にとっての命だろうが)
火を絶やすな、ただただ強い炎を。最高の鉄は一振り分、俺が剣を打つのもこれが最後だろう。長年連れ添ってきた肉体が、少しずつ解けていく。――これは一発勝負、剣を打つ者としての威信と、これまでの努力と研鑽を証明するための鬼門である。
鉄は神より出でし奇跡である、俺はこれで神々の武具を作って来た。今度は同じ素材で、人間の為の武器を叩き上げる。――鉄を、燃え上がる炉に叩き入れる。ぼぅっと火を噴くその熱さが、とても名残惜しく感じた。あっという間に赤熱した鉄を取り出し、腰の玄翁を手に取る。
「……お前とも、これでお別れだな」
振り下ろす、一振り! 鉄の中に眠る不純物が、火花として舞い散る。その熱さは一つ一つがとてつもないもので、体に当たる度に激烈な痛みを感じる。――そんな事は、どうでもいい。玄翁を振るう勢いは止む事は無い、体が焦げ始めようが、燃え盛る炎が腕から体に燃え移ったとしても……祈ることをやめない、打つ事を止めない! この程度で、俺の三百年を笑われてたまるか!
折り返し、伸ばし、また炉に入れる。延々と繰り返されるその工程を、神は黙って見ていた。鉄が打ち終わるのが先なのか、俺が焼け焦げてしまうのが先なのか……それを、人ではない場所から見届けているのだろう。
「神も照覧、魔も刮目。これより打ち上げるは不撓不屈の極致である。理不尽に折れず、己を曲げず、ありとあらゆる形、概念を両断する。捧ぐは我が研鑽、捧げた幾度の時こそが、この一振りに与えられる力である!」
打つ、撃つ、叩いて曲げて鍛え上げる。火花散る其れに身を焦がし、俺はやはり作る事の素晴らしさを知った。この刀は、間違いなく生涯で最も素晴らしい作品となるだろう。神々に振るった槍やら剣やらが、ただの鉄界に思える程の会心の出来。もしも神の中に鍛冶を司る者がいるのであれば、自分は間違いなくその席に座るだけの力量を持つであろう。
(罰当たりか? まぁ、大目に見てくれよな)
心の中でそう言うが、返事はない。どうやら彼は俺の覚悟を受け止め、それに答えてくれたのだろう。俺と同じ煉獄を、叩き上げられる剣の中で、彼は味わってくれているのだろう。――あんがとよ。そう一言だけ告げて、俺の顎はとうとう燃え尽きた。
――仕上げだ。赤熱する最高の剣を、引き締めるべく水にぶち込む。とんでもない音を立てながら、それは徐々に熱を失って行った。光が消え、俺は未だに燃え盛る炎に包まれている。冷えて、固まり、その鉄は輝かしい出来に仕上がったと思う。残った腕で切っ先を磨き上げる。それは永遠のように思えた。熱に崩れ去る体のことなど、俺にとってはどうでもいい。
そして、研磨の工程は終了した。最後の装飾が、とても有意義で楽しかった。宝玉をはめ込み、柄には握りやすいように最高級の革を巻く。おっと、肝心な所を忘れてしまっていた。最後の力を振り絞って鞘を削り上げ……刀身を、納める。それを合図に、俺の残った片腕は、今度こそ焦げて崩れ去った。
最高だ、と、俺は自画自賛を繰り返す。これを振るう力も、長く干渉するための時間も、俺にはもう残されてはいない。それでも俺はとても満足だった、どうしようもなく、自分が作った作品の美しさに、満たされていた。
(……走馬灯、か)
ぐるぐると流れてくる記憶の中で、自分の仕事を振り返ってみる。神以外にも、いろんな奴らに武器を打った。勇者にも打ったし、悪党みたいな奴にも打った。俺が造った武器は、一体どれだけの人を救い、どれだけの人を殺したのだろうか。今更ながら、そんなどうしようもない事を考えてしまう。――だからこそ、今回の仕事には満足している。
(最後の依頼人が、お前でよかったよ)
振り絞った力で、俺は神に最後の懇願をする。剣に宿った神は俺のか細い願いを聞き届け、最高の剣として飛んでいく。空間では無い空間を、無限であり有限のソラを。どこまでも、どこまでも飛んでいく。
たった一筋の星を、俺は最後まで見届けていた。いつまでも、瞬きすらせずに。
その星に願いは必要ない、何故なら俺の願いは、今この瞬間叶ったのだから。
(……ああ)
悔いのない、人生だった。




