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最悪の戦友にして最低の盟友

 四月もまだまだ初めのうちは、我ら大学新入生に与えられるイベントは極めて事務的なものである。

 オリエンテーションだの教科書販売だの健康診断だのの洗礼を受け、心に熱き情熱を秘めた暴徒たちは、由緒正しき大学生へと加工される。これであなたも大学生。おめでとう。ありがとう。これからどうぞよろしくね。

 そんな上っ面の好意がわんさと飛び交うこの場所は、学部別新入生レクリエーション会場だ。若者はとりあえず一緒に飯を食わせば仲良くなるだろうなる、ありがた迷惑な思惑がひしめく会場の片隅で、俺は一人ちびちびと烏龍茶を舐めていた。


 そう。ぼっちなのだ。


 入学してからの数日間、俺は誰とつるむこともなく、講義が終わり次第急いで部屋へと帰っていた。部屋には未だ俺のことを心配半分に疎んじるサンタクロースと、最近極力俺を視界に入れないように振る舞う黒い女が待っている。我ながら目的を見失いつつあるが、彼女たちと遊ぶことは俺にとって大学生活以上に楽しいことだった。

 そんな風に直帰ライフをエンジョイしていたものだから、新入生界隈にほんのりと勢力図ができ始めた頃には、俺はすっかり輪の外側の住民となっていた。閉鎖空間である高校と違い、大学とは関係性がオープンな反面、能動的に行動しない限り人はどこまでも孤独になれる。


 しかし、輪の外側に座すことが不幸だとは限らない。外側には外側の住人がいる。輪に入りそこねた者、孤高を好む者、そもそも輪の存在を知らぬ者。そして、全てを知った上で安易な関係性に興味を抱かず、背を預けるに足る友を見定める者。

 俺が出会ったその男は、まさしくそんな気配を漂わせていた。


「なあ、あんた」


 話しかけたのは俺からだった。

 初めてそいつを見た時、野犬が居ると思った。続けて腐臭を放つ死人だと思い直し、よくよく見れば天空を駆ける天馬のようにも思えた。総じてゾンビ・ペガサス・ストレイドッグの評価を獲得したその男は、極めて近寄りがたいオーラを存分に放ちながら水も飲まずに黙々とバタピーを齧っていた。

 男は顔も上げずに目線だけを俺によこした。その間も男はバタピーをボリボリと咀嚼し続けた。俺は拳を強く握りしめ、彼の真横に立った。

 俺は言った。


「気になったんだけどさ。バタピーのバタって何なんだ?」


 男はにたりと笑った。


「教えてやっても構わんが、一度知ったら後戻りはできんぞ」


 返事をするには、第三次世界大戦を引き起こすことも厭わない覚悟が必要だった。そうして俺は、バタピーのバタに隠された恐るべき秘密を知ったのだ。

 これが我が最悪の戦友にして最低の盟友、そして不倶戴天の仇敵となる男。(なつめ)裕太(ゆうた)との出会いであった。



 *****



 俺と棗との関係性は極めて奇妙なものであった。


 まず第一に、俺はあいつを友とは呼ばない。あいつも俺のことを友とは認めていないだろう。そもそも俺たちは互いの連絡先すら交換していないし、食事をしながら仲良く歓談に興じるなどもっての外であった。

 だというのに、俺たちは不思議なほどに顔を合わせた。自由選択の講義はことごとく被り、講義室内のポジショニングも常に近い位置だった。奴は講義室の真ん中やや左に好んで座る。奇しくも俺も似たような習性をしていたため、俺たちは気持ち悪いくらい行動を共にせざるを得なかった。


 あんまり気持ち悪いものだから、ある時俺は講義室の真ん中やや右に座った。そこに先んじるように棗が居たので、俺は心の底から嫌な顔をした。棗もまた同じような顔をしていた。多分この時、俺たちは互いに互いを諦めたのだ。


「なあ。灰原」


 授業の空きコマのこと。渡り廊下で偶然に顔を合わせた棗は、出会い頭にこう言った。


「お前、友達作らんのか」


 俺は何も言わなかった。

 返事をしたら負けだと思った。絶対に答えてやるものかという意地があった。そのままたっぷり三分間、俺たちは無言で睨み合った。棗はそれ以上質問を重ねることをしなかったが、返事を待っているのは明白だった。つまらない意地の張り合い以外の何物でもない。しかし、これが男と男の戦いなのだ。

 先に折れたのは棗だった。棗は諦めたように深く息を吐き、首を振った。俺もまた肩をすくめた。そうして俺たちはへらへらと笑った。

 棗は言った。


「友達、作らんのか」


 今度の無言は十分続いた。

 常日頃からこんなくだらない殴り合いに興じるものだから、気がつけば俺たちはすっかり『例の二人組』となっていた。互い以外の交友関係を持たない、同学年でも特に異質なワンペア。この侘しい都会砂漠で生き残るべく共同戦線を張った、二人ぼっちのしみったれた灰色たち。俺たちは今日も元気に生きている。


「灰原。お前、大学生活にどんな幻想を抱いていた」


 棗は一つ舌打ちして話題を変えた。無言の戦いに飽きたのは同感だった。

 何が言いたいのかは読めなかったが、俺は先を促した。大学生活幻想などという外連味あふれるワードを使ってまで一席ぶとうという無謀に敬意を表したのだ。ある意味では、無駄に壮大な主張を構えて論陣を張ることこそが、俺が夢見た大学生活そのものである。


「言うまでもなく、俺たち若者は承認欲求の獣だ。未熟さゆえに何を成し遂げる術も持たないが、無知ゆえに肥大した自尊心はいつだって他者からの承認という甘露を求めている。見ろ」


 棗は渡り廊下の窓越しに中庭を指差した。そこでは数人の男女が集まって、芝生の上で何やら踊りめいたものを繰り広げていた。少し離れたところにいる男が、その奇妙な寸劇を余念なくスマートフォンから撮影している。

 ダンスと呼ぶには出来が悪い。衣装もなく、専用の撮影機材もなく、そもそも練度が足りていない。何かしらSNSに投稿したいからとりあえず集まって踊ってみたといった様子であったし、事実その通りなのだろう。


「あれが、今どきのキャンパスライフだ」


 棗は彼らをそう評した。


「勘違いするなよ。あの珍妙な踊りは、決して非難されるような謂れのものではない。あれはまさしく若者が思い描く理想像であり、今を生きる大学生が賛美する紛れもないリアルだ。ああ、そうとも。確かに俺はあれを冷笑する。だが、同時に彼らは俺を冷笑するだろう。若者の中で醸成された文化・モラル・一般常識は、承認欲求の充足こそを無二の価値観とするからだ。あれこそが、今の時代を象徴する『正しい』薔薇色のキャンパスライフそのものだ」


 なんともまあよく回る口だ。

 正直に言って、俺はこの時棗への幻滅を覚えた。この手の言説など手を変え品を変え腐るほどに聞いてきた。結局は『他人とは違う考え方の俺カッケー』のヴァリエーションだ。埋没を嫌うが故に他者をあざ笑う様ははっきり滑稽であったし、その裏に見え隠れするのはまさしく彼が冷笑した承認欲求そのものだった。


「嫌な奴だな。つまりお前は、あそこで踊ってる奴らも、あそこで踊ってる奴らを指差して笑ってる奴らも、どっちも笑ってやろうってわけだ。イタチごっこなら付き合うぜ。俺がお前を笑ってやるよ。で、俺を笑うのはどこのどいつだ?」

「俺は今、お前にこの話をしたことがこの大学で勝ち得た最大の正解だと確信した」


 英文を直訳したような表現をするやつだった。まだ何か言いたいことがあるらしい。先を促すと、棗は口を湿らせた。


「いいか灰原。無能は悪だ。未熟は悪だ。愚鈍は悪だ。だから俺たちは誰もが悪だ。険しい困難を成し遂げられないものは、全てを奪われるに値する大罪を犯している。お前は必死になって何かを成し遂げようとしたことがあるか?」

「そんな情熱があったらお前と話すことも無かっただろうな」

「そうだ。俺には情熱なんてものはない。仄暗い情念、諦めた願望、折れた信念を後生大事に抱えて生きてきた。そして俺は、お前の目にも俺と同じものを感じている」


 こいつは本当に気持ち悪いやつだ。そして同時に、俺は何やら運命めいたものを認めざるを得なかった。

 棗裕太という男の考え方は、気持ち悪いくらいに俺の考えと似ていたのだ。


「俺たちには何もできない」

「価値あることなんて何一つやってこなかった」

「何をどう取り繕おうとただの一般人だ」

「特別ってやつに見放された量産型だからな」

「平凡に勉強して平凡に進学した。これから平凡に就職して平凡に現実を知って平凡に死んでいくだろう」

「それが人生ってやつだ。学校でもそう習ったさ」


 卒業式の声合わせのように言葉が重なっていく。内容に反して、俺たちのボルテージはじわじわと上がっていた。

 棗は言う。


「でもよ、それって」


 俺は答えた。


「ムカつくじゃんね」


 結局のところ、俺たちはどうしようもないくらいに若者なのだ。

 自分たちなら何かができるという無根拠な自信に満ちあふれて、衝動に身を任せてくだらない何かをやりたがる。どんなに自分を騙そうと、どんなにクールを気取ろうと、一度動き出した感情は全てを正当化して前へ前へと突き進む。

 若者が若者であるがゆえに、俺たちはこの衝動に逆らうことができない。棗は狙ってそれに火を付けた。こいつはとんでもなく悪いやつだ。そして俺は、喜んでその火を受け入れた。


「で。だったら何をやるんだよ」


 そんなわけだから、俺はすっかり踊る気になっていた。こいつになら騙されても良い。そんな風にすら思っていた。


「焼くんだよ。灰色のものを全部かき集めて、片っ端から火をつけて回る。炎は大きければ大きいほど良い」

「ふうん。灰色ってのは、つまり何を指すんだ?」

「どうにもならないもの。停滞したもの。諦めてしまったもの。辛気くさけりゃ何だって良いぞ」


 人に火を付けておきながら、棗には具体的に何をするというプランは無さそうだった。悪い上に嫌な奴だ。自分は扇動者(アジテーター)に徹して、何をするかは他人に決めさせる。そんなところが気に入って、俺は棗の評価を一つ上げた。


「そういうもんなら、一つ心当たりがあるぜ」

「よし、やるか」

「決断がはえーな」


 俺はけらけらと笑った。決定事項で既定路線だ。ここまで来て、やっぱりやめようなんて話が出るはずがない。出会って数日だと言うのに、そんな戦友めいた信頼すら覚えていた。


「なあ棗。先に聞いておくんだけどさ」

「なんだよ」


 くだらん前置きはやめろとでも言いたげな顔だった。だが、この話をするには先に断る必要がある。確かにこいつはこれまで出会ってきた中で最もイカれた男であるが、それとこれとは別なのだ。


「お前、幽霊とかって平気か?」

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