この灰色を焼き尽くすために
四人。部屋に集まっていた。
俺と、棗と、月島と、サンタクロース。部屋の隅に座る黒い女も含めれば、五人の人間が狭い六畳間に詰めていた。
誰一人、何も話さなかった。
「それで」
口火を切ったのは、俺だった。
アイスブレイクなどといった気の利いた考えがあったわけではない。ただ、確認しなければいけないことがあった。
「お前はどうしたんだ」
聞くまでもなく、薄々分かってはいた。
酒井の供述と日記帳の記述には明らかに矛盾する点がある。この日記帳を信じるならば、夕焼優希は日向向日葵と同じ学校に通っていたはずだ。だが、あの学校にそんな名前の生徒は居なかったことは確認が取れている。
それが意味することなんて、一つしかない。
「あの子の願いを叶えたよ」
サンタクロースは落ち着いていた。感情的になることもなく、淡々と事実だけを述べた。
「過去に戻って、あの子が生まれたことを無かったことにした」
歯を噛む音が聞こえた気がした。棗か、月島かは分からなかった。俺自身かもしれない。誰でも同じことだった。
どうして自分が生まれてきたことを否定しなきゃいけない。そんな結論があってたまるか。そこにどんな力学があろうとも、こんな不幸を認めてたまるか。
「だから今私たちがいるのは、優希ちゃんが生まれてこなかった世界だ。でも、この子だけはあの子のことを全部覚えている。君たちが巻き戻る度に記憶を持ち越したようにね」
黒い女は部屋の隅でじっと座っていた。彼女は顔を伏せたまま微動だにしない。誰かを殺そうとも、誰かの顔を見ようともしなかった。
「幸福には総量がある。だからふらみょんは不幸を分散して、優希ちゃんの不幸を軽減できないかと考えた。その手始めに自分の首を吊ったんだ。それでも足りなかったから、今は目についた人を手当たり次第に殺してる。そんなことをしてもあの子は帰って来ないって何度も言ったんだけど……。私にできたのは、ふらみょんの時間を止めて、生きても死んでもいない状態を維持することだけだった」
私たちの話はこれで終わり、とサンタクロースは目を閉じる。長い息を吐く彼女の顔色は悪かったが、張り詰めた様子は幾分か鳴りを潜めていた。
「だけど。あなたも日向さんも、なんとかしようって、ずっと頑張ってたのですよね」
月島は穏やかに言うと、黒い女の前に座り直した。黒い女の反応は無かった。月島が優しく抱きしめても、それは同じだった。
「おい、月島。危ないぞ」
「良いですよ、危なくても」
「殺されるのは俺の仕事だろ」
「そんなつもりはありませんが……。それでも、良いです」
月島は譲らなかった。黒い女を抱きしめたまま動こうとしない。日向は微動だにせず、ただされるがままだった。
「私は灰原さんや棗さんのように、それが悪と言い切るつもりはありませんが。あなたのやっていたことにたとえ何の意味が無かったとしても、私はそれを肯定します。少なくともあなたの行動は、私が知る限り最低最悪の大馬鹿者を惹き寄せました。だからもう、後のことは、私たちに任せてください」
「なんかいい感じの流れで俺罵倒されてない?」
「あなたの行動は、空気が読めなくて人の心が分からなくて絶望的に金欠な最低最悪の大馬鹿者を惹き寄せました」
「ねえ今言い直す必要あった?」
俺の抗議は聞き届けられなかった。月島は黒い女から離れて隣に座る。こうして見ると、仲睦まじい姉妹のようにも見えた。
仔細は置いておくとして、月島の言う通りだ。後のことは俺たちに任せておけばいい。何か、手段を探すのだ。この状況を覆す術を。日記の中に手がかりになることは書かれていなかっただろうか。そう考えた時、ふと気がついた。柄にもなく黙り込んでいるやつがいる。
「棗、どうかしたか?」
「あー……。いや、ちょっと、気になるところがあってな」
棗は日記帳を何度もめくっては、記述をつぶさに確認していた。手元のスマートフォンでカレンダーアプリを開いて日記帳と見比べている。しばらくそうした棗は、唐突に顔を上げた。
「サンタクロース。夕焼優希が最後の日記を書いた日に行くことってできるか?」
「え、いや、できなくはないけど……。過去改変を元に戻さないといけないからあんまり気軽にはやりたくない。あの子に会ってどうするの?」
「どうするも何も、決まってんだろ」
棗は真顔で目を瞬いた。
「この灰色を焼き尽くすんだが」
*****
棗の話は半信半疑で受け入れられ、検証を進めるにつれてそれは確信に変わっていった。
これが事実だとしても、解決には大変な困難が伴う。しかし解決策であることには変わりがない。それに、この手のことは俺がもっとも得意とすることだ。困難上等、望むところである。
「じゃあ、本当に行くけど。大丈夫?」
今回やるのはいつもの巻き戻りではない。現時点の俺のまま過去に飛ぶ、時間跳躍だ。サンタクロース曰く、時間跳躍は巻き戻りに比べてパラドックスの懸念が生じるため、多人数の跳躍は難易度が跳ね上がるらしい。なので、実際に飛ぶのは俺だけだ。
「何度も言ったけど、私たちはこれから過去を改変する。直接変えるのはたった一人の人間の命だけど、バタフライエフェクトがどうなるかなんて私にも分からない。ひょっとすると、君たちがこうして出会うこともなくなるかもしれないんだ。本当に良いの?」
サンタクロースはラストダンジョン突入前のシステムメッセージめいた戯言を放った。それこそ何度も聞いた話だ。ちょっと待って、なんて言葉が出てくるはずが無い。鼻で笑ったのは、月島だった。
「この二人と出会わずに済むなら、本望ですよ」
「ちょっと待ってくれサンタクロース。灰原のことはどうでもいいが、月島とだけは会えるようにしてくれないか」
「俺からも頼む。棗はどうせ放っといても会うだろうが、月島と金輪際の別れになるのは心苦しい」
「やだこの二人気持ち悪い」
サンタクロースは苦笑いしながら首を振った。残念だ。俺と棗はどす黒い運命の糸で結ばれているが、月島と会えなくなる可能性はリスクとして存在する。しかし、それもこれも覚悟せねばならない。俺たちにはやり遂げなければならないことがある。俺は涙を拭って月島の手を握ろうとした。払いのけられた。
「また会おうぜ、月島。きっと、巡り会えるさ」
「ああ。俺たちの友情は永久不滅だ。そうだろ、月島」
「控えめにしとけよ馬鹿ども」
千秋ちゃん冷たい。しんどいわ。
お別れなんてものはしなかった。そんなことを言ったって、俺はこれが二人との別れになるとは微塵も思わなかったからだ。月島とはなんだかんだで会うだろうし、棗と別れるとしてもこんな別れ方ではないだろう。きっと俺たちは、寒風吹きすさぶ断崖絶壁で壮絶な死闘を繰り広げた後に、今生の別れを刻むのだ。死闘、そうだな。多分野球拳か何かだ。
「灰原」
そろそろ行こうというタイミングで、棗が言った。
「頑張れよ」
珍しいことを言う奴だ。おう、とだけ返した。俺たちは顔を見合わせて、あまりのらしくなさにへらへらと笑った。
そして俺は、サンタクロースに促されて目を閉じた。ぐわんと頭が揺れた。妙な感覚だった。空気を感じなかった。重力を感じなかった。ありとあらゆる物や音を感じなかった。ただ体の中で鼓動だけが鳴り続け、自分以外の全てが消えていた。場所、というものから切り離される孤独。どれほど時間が経ったのかは分からない。体感時間はすっかり麻痺していて、一秒と一時間の区別がつかなくなっていた。
突然、俺は放り出された。冷ややかな風が髪を揺らし、はためくリネンの音が耳孔を打った。靴の裏から堅いタイルの感触がした。ゆっくりと手を握ると、血液がじんわりと末端に満ちていき、手のひらに暖かさが籠もっていた。目を開く。快晴の空から降り注ぐ、まばゆい光に目がくらんだ。何度か目を瞬いてピントを合わせる。ここは、病院の屋上のようだった。
風になびくシーツの向こうに。
一人の少女が立っていた。




