ぐちゃぐちゃになりますように
廃ビルの一室で日向は寝入ってしまった。
窓日の差す暖かい場所でじっとしていたからか、日向は気がつくと寝息を立てていた。私は彼女を置いて、一人で廃ビルを後にした。
気持ちは凪のように静かだった。なんとなく、あそこにいけば彼女に会えるだろうと思った。運命に導かれているような、そんな不思議な感覚がした。
いつか私が覚悟を決めた、病院の屋上。サンタクロースは、その場所でじっと空を見ていた。
「来たんだね」
探したよ。私は言った。うん、とだけ彼女は答えた。
「それで、どうするの」
結論を出す前に、まずは答え合わせからだ。どうして二度目と三度目の現象が起きたのか。それを紐解かなければならない。
一度目の事件には、廃ビルの崩落に巻き込まれるという明確な契機があった。その事故を避けた結果、本来起きるはずだった不幸を埋め合わせるために現象が発生し、私はそれに巻き込まれた。しかし、二度目と三度目の現象には契機となる事故は無かった。
そもそもこの考えが間違っていたのだ。本来起きるはずだった不幸を埋め合わせるために、不幸が起きる。このパターンで現象が発生したのは、最初の一回目だけだった。
二度目と三度目の現象が発生した理由は別にある。それはつまり。
「本来あるべきではない幸福があったから、それを埋め合わせるために不幸が起きた。そう考えてるんだね」
肯定した。
この幸福という奴には、嫌というほどに思い当たるところがあった。最初の現象を乗り越えてから、日向と過ごしてきた時間は、間違いなく幸せだったのだ。
幸福の正体が分かれば後は逆算するだけだ。どうしてこの幸福があるべきではないのか。そんなことは分かりきっている。私は、あの屋上で死ぬべきだったということだ。運命だか因果だか知らないが、現象を引き起こしているそれは、私が生きることを明確に否定している。
だから。
私が生きて幸せになるほどに、現象は規模を広げながら何度でも繰り返されるのだ。
以上が、私が出した結論だ。答え合わせを終えた後、私たちはしばらく佇んでいた。柔らかな春の風が、屋上に干された真っ白なリネンをはためかせていった。
「こんなつもりじゃなかったんだよ」
サンタクロースは言った。
「こうなることを考えなかったわけじゃない。だけど、何かがどうにかなるのかもって思ってた。いつかきっと、このルールを打ち破る何かが見つかるんじゃないかと思って、私は。でも……」
彼女は静かに語っていた。運命を受け入れる殉教者のような、凪いだ感情がそこにあった。
それは私と、よく似ていた。
「私にはもう、幸せが何なのかわからない」
サンタクロースの目には、深い後悔が刻み込まれていた。
その時私は理解した。彼女も私と同じだったのだ。私たちは皆、同じ地獄に落ちていた。
「ごめんなさい。恨むなら、私を恨んでください。どうか、自分を責めないでください。全ては私が始めたことです」
私は首を振った。誰かを責めたいとは思わなかった。
いつかのように、私はサンタクロースにお願いをした。もし過ちをやり直せるのなら、一つだけ無かったことにしたいことがある。自分ではできないから君に任せたいと、そう言った。
彼女は泣きそうになりながら頷いた。
今、屋上の縁でこの日記を書いている。これを書き終わったら終わらせるつもりだ。
この日記は日向に宛てた手紙でもある。私が出した結論を、どうか彼女が誤解しないように。私は自分の意志でこれを選んだのであり、日向が気に病むようなことは何一つ無い。もっとも、我が最愛の友である日向ならば、こんなことをせずとも私の言いたいことは伝わってくれるだろう。
さて。事情説明はこんなところだろうか。
ちょうどこの日記も後一ページだ。最後のページには、今の気持ちを記して終わりにしよう。
*****
葛藤に意味なんてなかった。
決意に意味なんてなかった。
努力に意味なんてなかった。
挫折に意味なんてなかった。
熱意に意味なんてなかった。
諦念に意味なんてなかった。
正義に意味なんてなかった。
悪徳に意味なんてなかった。
幸福に意味なんてなかった。
不幸に意味なんてなかった。
私が生きたことに、意味なんてなかった。
私が死んだことに、意味なんてなかった。
世の中の
幸せな
何もかもが
ぐちゃぐちゃに
なりますように




