幸せになってほしかった
情報を整理した後、私たちは途方にくれた。
今回の現象は今までとはスケールが違う。なにせ街を丸ごと吹き飛ばす大災害だ。ギターをべんべん鳴らしてどうにかなるようなものではない。音楽で世界が救えてたまるか。
ならば元から人口の多い都心に行けばどうだろう。私たちはそれを試した。学校をサボって東京行きの電車に乗り、目も回る人並みの中で目を回した。初めて見る大都会にテンションが上がったのは否めない。状況も忘れてあっちこっちと遊び回り、夜になれば渋谷センター街のマクドナルドから眠らぬ街のネオンを二人で見ていた。
「どうなるんだろうな」
日向は言った。なんとかなるでしょ、多分ね。私は答えた。彼女は苦笑していた。互いに口にしなかったが、なんとなく予感はあったのだ。きっと今回もダメなのだろうと。
遊び疲れたのか、日向はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。隕石が落ちてくるまでにまだ時間はある。その間に私はかねてより疑問に思っていたことを考えることにした。というよりも、今この日記を書きながら考えている。
考えるべきは、現象の起因となった本来最初に起こるべき偶然の不幸についてだ。
最初の事件では廃ビルの外壁崩落という偶然の不幸があった。あの事故は、私が巻き込まれずとも必ず発生していた。それを避けた結果、現象はダンプカーを突っ込ませた。
二度目の事件では偶然の不幸はなかった。私がどこにいようともガス管は爆発し、私は必ずそれに巻き込まれた。巻き込む人を増やして現象が撒き散らす不幸を分散させると、ガス管は爆発せずに大雨が降った。
三度目の事件。今回も偶然の不幸らしきものはなかった。隕石が降ってきて、何もかもを吹き飛ばした。
二度目と三度目の事件は一体何を契機に発生したのだろうか。思い返せど心当たりはない。転びそうなところを踏みとどまっただとか、急に雨が降り出したので折りたたみ傘を使っただとか、そんなことはあったけれど何も死ぬほどの不幸ではないだろう。だとしたら……ううむ、わからん。
こんがらがってきたので原則に立ち返ってみよう。ルールは一つ、幸福には総量がある。現象は幸福の総量を調整するために存在している。なので、本来あるべきだった不幸が無くなった時、現象は不幸を埋め合わせる。しかし、その本来あるべきだった不幸に思い当たらないと来た。
だったら、そこが間違っているのではないか。つまり二度目と三度目の事件で現象が発生した理由は、本来あるべき不幸が無くなったからではない。たとえば、不幸ではなく、幸福が
幸福が
本来あるべきではない幸福があったから
だから現象が起きたのなら
それは
つまり
落ち着け
大丈夫だ
そんなはずは
でも
日向が起きた
気づかれてはいけない
これは仮説だ
この女に気づかれるわけにはいかない
今日はここまでにする
*****
案の定というかなんというか、やはり私は死んでいた。
東京だろうと問答無用とばかりに隕石は降ってきた。前回よりは一回り小さかった気がするが、それでも隕石は渋谷の街を灰燼に帰すくらいのことはやってみせた。爆裂した巨岩が高層ビル群を薙ぎ払い、ガラスが割れて建物が崩れだしたところまでは覚えている。私はそのまま崩落に巻き込まれて死んだのだろう。
それ自体は予想していたことなので、驚くようなことではない。それよりも私は考えないといけない。主観記憶にして昨晩立てた仮説についてだ。
今日は日向の居ないところで考えごとをしたい。後で怒られるかもしれないが、その時はその時だ。
*****
私は日向に連絡せず、駅向こうの廃ビルで考え事をしていた。もし日向がどうしても私に用があれば、きっとここを探すだろう。連絡しなかったのはそもそも携帯電話を持っていなかったからだ。
とは言いつつそんな急用なんてないだろうと高をくくっていたが、日向はすぐにやって来た。息を切らせて彼女は走り、私の顔を見つけると心の底から安堵した顔をしていた。今にも抱きつきそうな彼女を押し留めつつ、私は皮肉った。そんなに私に会いたかったか、と。
「なあ、優希? 優希なんだよな? 無事か!? 大丈夫か、体は動くか? 声は聞こえてるか!?」
なんだ、この反応は。
巻き戻りが起きたのだ。体は動くし声も聞こえるに決まっている。そもそも私の顔なんて、こいつは飽きるほどに見てきたはずだ。なのに、日向に冗談を言っている様子は無かった。
「ああ、そうか……。じゃあ、やっぱり、そう、なんだよな……」
今度は私が聞く番だった。一体どうしたんだと。私の質問に答えず、日向は聞き返した。
「なあ。今日は何年の何月何日だ?」
とてつもない悪寒がした。
私は呆然と今日の日付を答えた。日向はそれを聞いて、噛みしめるように頷いた。改めて私は聞いた。お前、一体いつから巻き戻ってきたんだ。
最初、日向は言い渋ってから明日の日付を答えた。私は、彼女の目を見てもう一度強く聞いた。お前は何年の何月何日から戻ってきたのだと。
「……あー、騙そうとは思ってたんだけどな。やっぱ苦手だわ、こういうの」
彼女は白状した。
日向向日葵は。三十六年後の未来から巻き戻ってきていた。
あの日、私は即死しなかったらしい。
崩れ落ちる天井から日向をかばい、頭部を負傷して私は意識を失った。しかし幸か不幸か、すぐに病院に搬送されて一命をとりとめた。とりとめてしまった、とも言う。
それから三十六年に渡って私は一度たりとも目を覚まさず、彼女はそんな私をずっと支え続けてきた。しかし五十三歳になった日向はある日自宅で意識を失ったと言う。
「すまん、多分熱射病だ。あの日はやけに暑かったんだよ。あたしが先にダウンしちまったから、お前もそのまま逝っちまったのかもしれない」
そんなことはどうでもいい。
それよりも、どうしてお前はそんなことをした。震える声で私は聞いた。怒りだとか、悲しみだとか、そんなものでは説明できない感情が私の中に渦巻いていた。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
殺せばいいじゃないか!
私は叫んだ。日向は表情を消した。日向が怒っているのは分かった。それでも私は、言葉を止めなかった。
私が死んだら巻き戻るのは知っているだろう。三十六年も待つくらいなら、さっさと終わらせるべきだったんだ。
「そんなこと、できるわけねえだろうが!」
日向は私に掴みかかった。
「あたしだって散々迷ったんだ! 時間なら腐るほどあったからな! ああそうだよ、それを考えなかったっつったら嘘になるよ! 何も知らねえくせにそれを勧める奴らの言葉も嫌ってほど聞いてきたよ! でもな!」
烈火に燃える瞳の奥に、日向が経験してきた多くの葛藤が垣間見えた気がした。
「あたしは……! お前に、幸せに、なってほしかったんだよ……!」
この時になって、私はずっと先送りにしていた後悔をようやく自覚した。
幸せになってほしいと願った友を、自らの手で不幸にしてしまったことへの、取り返しのつかない後悔を抱いていた。そして同時に分かってしまった。今しがた私が感じたこれを、日向はずっと抱えてきたのだろう、と。
ごめん。私は言った。ごめんなさい。それだけでは、とても足りなかった。
いかに時間が巻き戻ろうとも。彼女の経験してきた三十六年は、無かったことにはならないのだ。
私たちは廃ビルの一室に座り込み、しばらくの間じっとしていた。
私は何も考えられなかった。いや、考えるべきことはもう終わっていた。後はもう決断するだけだった。
本当ならもう何度かループを繰り返して、自分の考えが正しいことを確認しようと思っていた。しかしそれは許されない。もう二度と、日向にこんな辛い思いをさせたくない。たとえ僅かでもその可能性があると分かった以上、次のループへは進むわけにはいかない。
答えは出ている。決めるべき時は、今だった。




