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メンタルくそつよ大学生のめっちゃ楽しい死に戻り  作者: 佐藤悪糖
3章 青くて春な馬鹿だから
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「誰かの幸せを願うことが、間違っているわけがない」

 春はあけぼの世は情け、三千世界の(からす)は死んだ。春とはいかにも陽気なものだ。長い冬が終わりを告げて、タンポポ大好きな俺たちは浮かれ騒ぐ。新居目指して街を歩いていた。新生活。駅から歩いて十数分の閑静な住宅街。バストイレ付きのワンルーム。見慣れぬ町並み。桜を散らして吹く風。シリンダー錠に鍵を差し込む。俺は、扉を開け放った。


 そこに、彼女が居た。


 いつもの表情だった。困ったように眉を落とし、所在なさげに立ちすくむ。風が吹けば倒れてしまいそうな儚さは、しかし水に浮いた油のようにくっきりとした境界線を描いて周囲を拒絶した。痛みに怯えて。迷い苦しんで。多くのことを諦めながら。それでも彼女は、誰かを巻き込むことを良しとしなかった。

 俺は、この顔を覚えている。


「これが、四十二回目だ」


 サンタクロースは言う。答えを出すには縁起の良い数字だ。


「君は四十一回すべてを忘れて、四十一回死ぬことを選んだ。何度も何度も試したさ。それでも君は、過程は違えど最後には必ず死を選ぶ。そんなことをしたって、私がまた時を巻き戻す確証なんて無いのにね」


 彼女は逃げも隠れもしなかった。俺たちが出会ったこの場所で、俺に相対し続けた。

 サンタクロースは言う。


「最初の一回目、君が気がついたのは四年時の冬だった。このアパートを引き払うという段になって、あの包丁を見つけて自死を選んだ。二回目は三年の夏だった。ループを繰り返すごとに選ぶまでの時間は短くなり、四十一回目ではついに引っ越した当日に死を選んだ」


 彼女は震えていた。何かを恐れていた。それでも逃げずに、立ち向かうように立ち続けた。

 サンタクロースは言う。


「君の死を軸にして時間を巻き戻す以上、記憶を完全に消し去ることはできない。君は積み重ねてきた死の数だけ記憶を蓄積した。少しくらい覚えてるのは何もおかしなことじゃない。だけど、普通はどこかで諦めるんだよ。いくら朧気な記憶があったって、死ぬのはいつだってその時の自分だ。なのに君は、一度も諦めなかった」


 この時になってようやく、彼女が何を恐れているかが分かった。不幸な答えだった。それでも俺は、彼女の前に立ち続けた。


「教えてよ」


 サンタクロースは言う。


「君は一体、何者なんだ」


 俺は答えた。


「ただの馬鹿だよ」



 *****



 以前の俺がどうだったかは知らないが、今回の俺は多くのことを覚えていた。

 サンタクロース。棗裕太。月島千秋。黒い女こと日向向日葵。それから、正体不明の人物ユウヤケユウキ。知らないはずの名前たちが、至極自然に俺の記憶に同居していた。


「ずっと聞こうと思ってたんだが」


 俺は言った。


「なんで日向向日葵でふらみょんなんだ」

向日葵(サンフラワー)のふらみょんだけど」

「その珍妙なあだ名はマジでやってんのか」


 俺はニヤリと、サンタクロースはくすくすと笑った。


「それ、あの子にも言われた」

「あの子って?」

「夕焼優希」


 彼女の目には手探りの覚悟があった。その名前に触れることは、サンタクロース自身大きな苦痛を伴うのだろう。何気なく微笑む顔に、押し隠した痛みがにじみ出ていた。


「灰原はさ。幸せが何かって分かる?」


 軽々しさを懸命に装いながら、彼女は言う。


「人生に意味が無くなってから、誰かを幸せにしようと決めた。世界に関わることをやめてから、誰かの不幸を消していこうと決めた。手が届く限りの小さな小さな世界改変。それが私にできる全てであり、私に許された全てであり、私が望む全てだった。だから私はサンタクロースを名乗ったんだ」


 言葉の一つ一つが悲鳴だった。痛切な嘆きを、慟哭を、淡々と言葉に変えていく。見ているだけでも痛々しい。


「だけど、時代が下るにつれて人間は複雑になっていく。夕焼優希はその極めつけだった。お金があっても、物があっても、愛があっても、あの子は幸せにはなれない。あの子には未来が無かった。未来が無いから、どんなに頑張っても幸せになれなかったんだ。それでも私は、あの子に幸せになってほしかった。だから私は、失敗した」


 言葉の節々に色濃い後悔が漏れ出す。サンタクロースの顔は重く沈んでいた。


「結果としてあの子は果てのない地獄を見た。幸せを求めた分だけあの子は苦しんだ。私はそれを間近で見ていた。怖かったし、吐きそうになったし、恐ろしくて仕方なかった。何度も逃げ出そうと思った。だけど私は逃げられなかった。それは私が望んだ地獄だったから。私が願った幸せが、誰かを不幸にする様から、目を背けてはいけなかったんだ」


 色のない瞳には絶望だけが落とし込まれていた。


「私にはもう、幸せが何なのかわからない」


 蝕むような灰色が、そこにあった。

 幸せを求め続けた彼女がたどり着いた、灰色の結論だった。俺には彼女の絶望が分からない。ただ、どういったものだったかを伺い知ることしかできない。それでも、これがサンタクロースの希望を殺した答えだということは、嫌というほどに分からされた。


「そんなもん、俺だってわかんねえよ」


 幸せを語るには俺はまだ物を知らない。こいつに分からなかった答えを、俺が見つけられるとは思わなかった。


「幸せだとか、不幸だとか、考えたこともねえわ。今を生きるだけで精一杯だ。そういうのは老後にやることにしてる」

「そう。灰原は幸せなんだね」

「そりゃ相対評価だ。誰かにとっての幸せは、誰かにとっての不幸せでもおかしくないだろ。ただ生きることが幸せな奴もいれば、一秒でも早く死にたい奴だっている。そういうもんじゃないのか」


 こんなものは一般論だ。何の役にも立ちやしない。そんなことは分かっていた。


「私は、あの子に幸せになってほしかった」

「なら、そうすれば良い」

「願ったことがなんでも叶うほど現実は単純じゃない」

「そうだな。でも、願うことは間違いじゃないだろ」

「そう思った分だけ、あの子は深く苦しむことになった」

「失敗の原因を挑戦に求めてどうするんだよ」

「その失敗で、誰かの人生を取り返しがつかないくらいに無茶苦茶にしたとしても?」


 コンマ一秒に渾身の覚悟を決めた。もしも命をかけろと言われたら、俺はそうしただろう。それがやり直しが効く無限の命ではなく、たった一つの命だとしても。


「それでも、足を止めたら終わりなんだよ」


 本気で誰かの人生に立ち入るなら、相応のものを懸けないとならない。安全圏から言葉だけの施しをするような真似はまったくもって不誠実だ。それが出来ないのならば善意はただの自己満足に変わる。だから俺は、この一瞬に、命をかけた。


「サンタクロース。お前はまだ誰かを幸せにしたいのか」

「したいよ。多くの幸せが多くの人々にあってほしい。いつでもそう願ってる」

「だったらそうすれば良い。その気持ちは間違いなんかじゃない。俺は俺以外の何者でもないが、灰原雅人が保証する」

「でも……! 私がそれを願ったから、あの子は地獄を見たんだ!」


 何を言っているんだ、こいつは。

 こんなことは馬鹿でも分かる理屈だ。どうしてサンタクロースを名乗る者が、こんな単純なことを見失う。


「誰かの幸せを願うことが!」


 それは、正しいことなんだ。祈るような気持ちで叫んだ。


「間違ってるわけがねえだろうが!」


 そこにどんな理屈があろうとも、誰にも否定させはしない。全人類幸せになれ。どこでどんな風に生きる誰もが、どこでどんな風に生きられなかった誰もが、無条件で幸せになれ。誰も彼もが幸せになれ。そう願う気持ちが間違っているはずがない。そのために積み重ねた努力が、間違っているなんてあり得ない。


「無能は悪だ。未熟は悪だ。愚鈍は悪だ。だけど、何かをやろうとする気持ちは悪じゃない。失敗と挫折を繰り返した人間を俺は心から尊敬する。泣き叫ぶほどの強い後悔を美しく思う。俺にそんな特別は訪れなかった。でもなサンタクロース、お前にはやりたいことがあるんだろ。なら考えようぜ。間違っていたのは動機じゃない。お前は何も間違っていない。間違っていたのは、やり方なんだ」

「簡単に、言わないでよ……! あの子の場合は、いくら考えたって、やり方なんてどこにも無かった!」

「言い切るにはまだ早いだろ。教えろよ、何があったかを。俺は、お前の力になるためにここに来た」

「ただの馬鹿のくせに。君が手伝って、何になるんだ」

「少なくとも、考える頭は三つ増えるぞ」

「一つじゃないんだね」

「お人好しの友達が二人いるからな」


 話している内にサンタクロースは涙声になっていた。うつむいてぐずぐずと泣く彼女を、俺は静かに見守った。やがて彼女は目元を拭い、赤く腫れた瞳を開いた。


「そこまで言うなら、やってみなよ」


 サンタクロースの手には一冊の手帳があった。使い込まれた茶皮の手帳。紙は日に焼けて黄ばみ、端はところどころボロボロになっていた。彼女はその手帳を、宝物のように大切に持っていた。


「これは?」

「あの子のことが分かる、この世界に残された唯一の手がかり」


 彼女はそれを、差し出した。


「夕焼優希の日記帳だ」

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[良い点] 真理だなぁ
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