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メンタルくそつよ大学生のめっちゃ楽しい死に戻り  作者: 佐藤悪糖
3章 青くて春な馬鹿だから
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流しからは水の音がした

 交差路で棗と、アパートの前で月島と別れた。分かれる前に少しだけ今後の方針を話したが、結論はまとまらなかった。どうすれば良いかなんて、誰にも分からなかったのだ。こうなったらもう、本人に直接聞いてみるしかないかもしれない。俺はそう考えていた。


 部屋の扉を開けると、煌々と照らされた照明が出迎えてくれた。ただいまと言えば、六畳間からおかえりと返ってくる。初めのうちは戸惑いこそしたが、今ではすっかり慣れた光景だった。


「今日は遅かったねー。何してたの?」

「ちょっとな。すまん、腹減ったか?」

「ナポリタンスパゲティを所望します」


 我が家に住み着いた赤いのと黒いのは、基本的には飲食を必要としない。しかし一人で食べるのが寂しかったので何度か勧めたところ、赤い方は飯に付き合ってくれるようになったのだ。フィンランドの伝承を名乗るこの女はキャラに似合わずパスタを好み、おかげで我が家の主食はもっぱら麺類となっている。


「レトルトになるが、それで良いか?」

「なんでもいいよ。贅沢言わない」

「たまには炙りカルビとねぎ玉ご飯が食いたいって言っても良いんだぜ」

「そんなお金なんて無いくせに」


 ごもっともである。まあ、パスタは別に嫌いじゃない。安くて楽なところが特に。

 茹でたパスタに買い置きのレトルトソースを投入する。これ以上無いほどの手抜き料理だが、一人暮らし初心者が凝った料理に手を出そうなどと考えてはならない。不慣れな内は物事はミニマムに始めるべきなのだ。使いきれずに腐らせてしまった生クリームの失敗から、俺はそれを学んでいた。


「黒いのー。お前の分も置いとくからな」

「ふらみょんの分は作らなくて良いってば」

「こういうのは気持ちの問題なんだよ」


 お皿を並べて手を合わせ、声を揃えていただきます。黒い女は相変わらず部屋の隅で座り込んでいたが、そういうものだ。

 なお、我が家にテレビなどという文明的なものは無い。そもそも食とは己の内への問いかけだ。外なるものを喰らい、体に取り込み血肉へ変える。かように神聖な儀式の最中、他事に囚われるようなことなど合ってはならぬのだ。それはそれとして、ふと気になったことがあったので俺は神聖な儀式を投げ捨てた。


「そういえばさ、サンタクロースって年いくつなんだ」

「女性の年齢を藪から棒に聞きますね」

「いやなんか、気になって」


 理由なんてものはない。ただ、時間を自在に操る彼女の生態について知りたくなっただけである。


「言ってもいいけど……。ねえ、驚かない?」

「驚かない驚かない」

「じゃあ言う。十四万と十九歳」

「へー。悠久の生き物じゃん。醤油取って」


 悠久の生き物は醤油を取った。俺はナポリタンに醤油をかけた。


「言っといてなんだけど、ちょっとは驚いてほしかった」

「そんなわがまま言われてもな」

「さては信じていないな貴様」

「まさか。それとも、嘘なのか?」

「……本当は、十四万と十七歳です」


 なんでこの人、上方向にサバを読んだのだ。背伸びしたくなるお年頃なのだろうか。氷河期生まれの考えることはよくわからない。


「ちなみに俺は平成生まれだ」

「知ってる。見れば分かる」

「これからの未来は俺に任せろ」

「別に私のものじゃないけど、まあ、頑張って」


 気持ちの入っていないエールを貰ってしまった。しかしやる気は出た。明日を生き抜く活力は、誰かから与えられるなおざりな承認なのだ。なので人類の皆様はもっと灰原に期待してほしい。


「で、さっきの焼肉の話なんだけどさ」

「これまた唐突に話題が変わりましたね」

「思いついたんだけど、焼肉食べた後に死に戻れば無限に焼肉が食えるんじゃないか? どうよこれ、大発見じゃね?」

「できなくはないけど、君はそのために命を懸けるのか」


 うーむ、そう言われるとそうかもしれない。少し考えた後、俺は深刻な面持ちで頷いた。


「覚悟はできている」

「しなくていい」

「炙りカルビのために死ぬなら本望だ」

「死なれる方が望まないからやめてあげて」


 そうだろうか。もしも俺がカルビだったら、自分を喰った人間に一矢報いたいと思うだろう。俺たちは日々そんな怨念を受けながら生きているのだ。しかし野菜は心優しいので食べられても人間を恨んだりしない。だから人間はもっと野菜を食べるべきだ。いや、俺がキャベツだったとしても、やはり人間は恨むだろう。おのれ人間許すまじ。


「と言うか、時を戻す力を使ってやることが焼肉食べ放題か……。君ってつくづく馬鹿だよね」

「そんなに褒めるなよ。照れるじゃないか」

「奇遇にも褒め言葉で間違ってない」


 言われて気づいたが、俺は死に戻りという特別をいまいち有効利用できていないのかもしれない。やったことはと言えば黒い女の心を折ったり、サンタクロースの心を折ったり、月島千秋の心を折ったくらいだ。女の子のメンタルをぐちゃぐちゃにすることに関しては一定の成果を上げていたが、ここらでそろそろマシな使い方を心得ても良いのかもしれない。


「そうだな……。確かに、やろうと思えば宝くじを当てたりとかもできるんだよな」


 本気でやろうと思ったわけではない。ただ、思いついたので言ってみた。俺としてはそれくらいのつもりだったが、彼女は居住まいを正して俺に向き合った。


「あのですね、灰原さん」


 妙な気迫があった。


「時を巻き戻しているのは私です。いつもあなたが死んだ後、あなたの心臓が鼓動を止めたことを確かめてから時を戻しています。私はあなたに死んでほしくないし、この子に誰かを殺してほしくないから時を戻しています。あくまでも、善意で、これをやっています」


 朗読するように、サンタクロースは滔々と語った。事前に用意してある言葉のようだった。


「あなたが炙りカルビのために命をかけるような、常識知らずの馬鹿であることは重々承知しています。しかしながら、あなたが時たま妙ちくりんな良識を発揮することも存じています。だからこそ、期待せずにはいられないのです。灰原さん。私の言いたいこと、わかりますか」


 噛んで含めるように言われてしまった。ノーとは言えない圧がある。こんな絡め手を用意してくるあたり、彼女の本気具合が伺い知れた。


「嫌だなあ。サンタクロースさんの善意を利用するような真似、するわけないじゃないですか」

「灰原さんならそう言ってくれると思っていました」

「ところでなにゆえ敬語なのでしょうか」

「それはですね……。えっと、ちゃんと聞いてほしかったから?」

「俺が今まで君の話を真面目に聞かなかったことがあっただろうか」

「ある。いっぱいある。何度も何度もありました」


 そんなにいじめたかなぁ。一昨日、ギロチンで切断された首は十数秒意識があるという話を聞いて、真偽を確かめようとしたのが悪かったのかもしれない。サンタクロースは嫌だ嫌だと言っていたが、医学の進歩のためと言いくるめて敢行したのだった。ちなみに実験結果は忘れた。

 パスタもひとしきり巻き終えたのでお皿洗いの時間である。我が家の家事は原則として分担制になっている。今日の皿洗いはサンタクロースの当番だ。彼女が流しに消えていったので、俺は六畳間に寝転がった。


「そういえばさー。今日ちょっと人と会ってきたんだよ。酒井明俊って人」

「へー。誰それ? 有名人?」

「うんにゃ」


 腹ごしらえが終わったので。

 本題に入るには、こんな頃合いが丁度いい。


「日向向日葵の元担任」


 流しからは水の音がした。


「日向のこと、色々と教えてくれたよ。当時はとんでもない不良だって噂されてたとかな。実際のところはそうでもなくて、目付きの悪さと一匹狼的な気質が誇張された根も葉もない噂だったのかもしれないともフォローしていた。今となっちゃ確かめようも無い話だ」


 返事はない。流しからは水の音がした。

 俺は続けた。


「そんな風に噂されていたからか、日向は一学期の途中から学校に来なくなっていた。結局そのまま最期まで真面目に学校に来たことは一度も無かったんだと。でも、そんな日向が、一度だけ学校に来たことがあった」


 流しからは水の音がした。

 俺は続けた。


「その日、日向は学校に来るなり、手当たりしだいに掴みかかるような質問をした。彼女は人を探しているようだった。だけど彼女が言う人名には、誰一人として心当たりがなかった。望む答えが得られないことを悟った日向は、翌日に自宅――この部屋だな――で首を吊った」


 流しからは水の音がした。


「気になった酒井も後になって調べたそうだが、いくら調べてもそんな名前の人間はどこにも居なかったそうだ。学校の内にも外にも。この街にも。探した限り、世界のどこにも」


 流しからは水の音がした。


「なあ」


 流しからは水の音がした。


「ユウヤケユウキって、誰なんだ」


 流しからは。


日向(・・)ちゃん」


 サンタクロースの声がした。


「殺していいよ」


 枕元に、黒い女が立っていた。

 黒い女は俺を殺した。

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