だったらライブだろ!!!!
まずは簡単なコードを覚えろ。日向はそう言った。
私は聞いた。コードってなんだよ。よくぞ聞いてくれたとばかりに日向は頷いた。
「コードっつーのは、ハートで弾くんだ」
日本語で喋れ馬鹿野郎。私は言った。日向は怒った。私たちはにゃんにゃんした。
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基本的な運指を一日中追いかけて、なんとかちゃんとした音らしきものを出せるようになった。
もっと早く覚えろと日向は言っていたが、私だって必死なのだ。なんてったって命がけだ。むしろ音楽経験ゼロからほんの数日で覚えたことを褒めてほしい。
「ま、あたしは天才だから一日で覚えたけどな」
だったら一人でやれ馬鹿野郎。私は言った。日向は怒った。私たちはにゃんにゃんした。
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今日は初めて最初から最後まで曲を弾けた。
ところどころ音を間違えたり、外したりはしたけれど、それでも一度も止まらずに完走できた。正直に言うと、心地よい達成感があった。そんな私に日向は言った。
「ちなみに今弾いたの、原曲の半分の速度だぞ」
もうやだおうち帰る。私は言った。日向は怒った。私たちはにゃんにゃんした。
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何度も死んでいるうちに何がなんだかわからなくなってきたが、今日も今日とて練習だ。
さすがにこう毎日死ぬまで弾き続けていると、嫌でも指がコードを覚える。コツをつかめば速度も上がる。同じ曲を何度も弾き直しているうちに、私は原曲の速さに追いつけるようになってきた。これなら文句ないだろう。そんな恨みがましい目で日向を見ると、彼女は満足げに頷いた。
「よっし、じゃあ練習曲はこれくらいでいいだろ。明日からは本番用の曲に入るぞ」
これ練習曲だったのかよ。私は泣いた。あの女は悪魔だ。私にはもうにゃんにゃんする気力すらなかった。
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今日は黙って練習をサボることにした。
毎日毎日練習ばかりしていられるか。私だって人間だ。人間として楽しいとか嬉しいとか、そういった感情をやる権利がある。
日向から逃げて一人で街をぶらついていると、自然と目が楽器屋に吸い寄せられた。ギターなど見るのも嫌になっていたが、それだけでは割り切れない悲喜こもごもの感情がある。これも何かの縁かと諦め、私は楽器屋に足を向けた。
そんな風にたまたま入った楽器屋で日向と出くわしたのだから、私は思わず泣きそうになった。
「あー……。すまん、探したか?」
日向はバツが悪そうに頭をかいた。この女、私が彼女を探しに来たのだと思っているらしい。瞬間の理解力で状況を把握した私は、彼女の言葉に乗ることにした。卑怯とは言うなかれ。私だって我が身が可愛いのだ。
それで、どうしてここに居たのだ。そう聞くと、彼女は陳列されたギターの群れを指差した。
「前から思ってたんだけど、お前に渡したあのギター、ありゃデカすぎだ。お前の体格だともっと小さくて細っこいほうが合ってんだろ。だから一曲弾ききった記念に一本見繕ってやろうと思ってたんだが、なっかなか決めらんなくて。時間食っちまった、悪い」
不覚にも、うるりと来た。
ありがとう、私頑張るよ。私は心からそう言った。お前素直だとなんか気持ち悪いな。日向は素っ気なく返した。私は怒った。私たちはにゃんにゃんした。
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日向から受け取ったマイニューギアを片手に、私は今日も練習に励んだ。
音楽というものはサーフィンによく似ている。音の波に立ち向かえば溺れるし、乗り損ねてもやっぱり溺れる。しかし、上手く波を掴んだ時の爽快感は格別だ。そんなことを日向が語っていたが、さっぱり意味がわからなかった。何語ってんだお前、音楽は音楽だろ。そう言ったが、日向は怒らなかった。
「優希。答えは同じじゃなくていい。お前にはお前の音楽があるんだ、だろ?」
私は言い返さなった。
私にとって、音楽とは今や特別なものではなくなっていた。音楽というものを朧気ながら理解し始めている実感がある。新たな相棒を爪弾く度に、その感覚はどんどん強くなっていった。
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手を叩く音が聞こえた時、それが自分たちに向けられたものだと気が付かなかった。
弾いている間は必死で気が付かなかったが、何人かのギャラリーが私たちを囲んでいた。彼らがくれたまばらな拍手。それをどう受け止めればいいのか、私には分からなかった。そんな風に私は困っていたが、日向はいつも通りだった。
「さっきのセッション、サビ前のタタタンがワンテンポ遅れたぞ。気抜くな」
ねえ、ギャラリーいるけど。私は聞いた。あー、いんじゃね? 日向は片手を上げて挨拶としていた。
なるほど、これでいいらしい。私は一応会釈を返した。彼らの反応は曖昧なものだったが、それ以上の何かをしようとは思わなかった。
私たちに求められているのは愛想ではない。音楽なのだ。
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その曲を弾ききった時、何かがハマった感覚がした。
セッション自体は特別なものではなかった。日向が引っ張る主旋律に置いていかれないよう、必死に弦をかき鳴らすいつもの演奏だ。私は何度かミスをしたし、良い演奏だったとは言い難い。しかし、何かが違ったのだ。
私はじっと手を見た。手のひらには今もまだ熱が残っていた。何度か手を閉じて開いて、私は感触を確かめた。そんな私を日向がからかった。
「ギタリストっぽい顔するようになったじゃねえか」
そうなのかな。私は聞いた。その感覚、忘れんなよ。日向は満足そうに頷いた。
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「もう教えることはない」
今日、日向は出会い頭にそんなことを言った。
正直に言って私は困った。私の技術はまだまだ未熟だ。日向のアドバイス抜きに、一人でやっていけるとはとても思えない。
「免許皆伝ってわけじゃねえぞ。前も言ったが、お前にはお前の音楽がある。これ以上の口出しはノイズになっちまうって話だ。だから、今日からはお前の音を探し行け」
彼女の言っていることは少しだけ分かった気がした。
以前から朧気に感じている音楽への理解。あの感覚は今も私の内に強くある。今ならば、私は音楽を理解できるような気がした。
*****
ひたすらに。ひたすらに。ひたすらに。ただただ無心で楽譜の海へと潜り続けた。
息を止めて、海の底に沈む宝石を一つ一つ探すように、輝く音を拾い集める。目を閉じればよく見えた。音の海は波ばかりではない。一度潜れば、深くて青い海がどこまでも広がっている。
見つけ出した音を弦に乗せて爪弾くと、一音ごとに青い世界が広がりだす。無心の集中が作り出した無限の音階。どこまでも。どこまでも。深く、深く、降りていく。
底はまだ遠い。しかし、それでも、私は理解した。たとえ一部であろうとも、私はそれを理解した。
海の果てには、光り輝く星がある。
*****
気がつけば、私は大歓声の中に居た。
何がなんだか分からなかった。これはどういう状況だ。というか、そもそも自分が何をしていたのかも思い出せない。私の手にはギターがあって、隣には日向が居て、手のひらには強い熱が灯っていた。
「やったじゃねえか」
日向は満面の笑みで私の背中を叩いた。その時になって、私はようやく頭が追いついた。弾いたのだ。私の、私たちの、音楽を。
「やっぱお前センス良いわ。あたしの音とも相性が良い。お前にギターを渡したあたしの目は間違ってなかった」
何言ってんだ、最初は散々こき下ろしたくせに。私は言った。そりゃ名コーチだからな。日向は悪びれずに答えた。私は笑って肩をすくめた。
その時、急に雲模様が変わった。またたく間に天候は急変し、あたり一帯にバケツを返したような大雨が降った。集まっていた大勢のギャラリーは雨に降られて、我先にと逃げ出した。
なるほど、これが大勢に分散された不幸ってやつのようだ。爆死に比べればなんとも可愛らしい。なんだかとてもおかしくて、私たちは濡れるのもお構いなしに雨の中でげらげらと笑い転げた。
「なあ。あたしらの将来の夢ってなんだっけ」
そりゃ世界一のギター・デュオっしょ。私は答えた。日向は我が意を得たりと頷いた。
ずぶ濡れの私たちは、雨よりも熱くハイタッチを轟かせた。




