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俺だー! 殺してくれー!!

 築十五年。まだそこまでボロくはないがピカピカとも呼べない、ほどよく傷んだ木造アパートの前に俺たちは立っていた。


「なんだ、結構普通じゃねえか」

「どんなの想像してたんだよ」

「出入り口に人間の生首が野ざらしにされてるようなやつ」

「そんなの秋田県にしか無いだろいい加減にしろ」

「お前はなまはげを何だと思ってんだよ」


 一見普通に見えるこのアパートだが、何を隠そう立派な事故物件だ。この敷地内では最低でも一日一回は死人が出ている。アパートの二〇四号室に住む灰原氏は、そのように語った。


「最近さ、良く刺される夢を見るんだよな。何かと思ってこの前サンタクロースに聞いたら、黒い女が夜中に俺を殺してるんだと。あの子、殺すのがクセになってて最低でも一日一回は殺さないと落ち着かないらしくてさ。まったくもう、困っちゃうよね」

「よくその部屋に住む気になるよな」

「慣れれば可愛いもんだよ。ちょっと噛み癖のある犬だと思えばいい。それにさ、わざわざ気を使って寝てる間に殺すなんていじらしいじゃん?」

「お前のそういうとこ、素直に尊敬するわ」


 そんな雑談をしていた折、一〇一号室から人が出てきた。若い女だった。ふんわりとしたミディアムボブに涼し気な顔立ち。ゆるっとしたニットのロングカーディガンを羽織り、手には買い物袋を一つ提げていた。年の頃は俺たちと同じくらいだろうか。ともすれば、大学生のようにも見えた。


 あれこそが我らが大家ではなかろうか。俺は小走りで女に駆け寄った。彼女は露骨に訝しんでいたが、そんなことで怯むような俺ではない。


「失礼。月島さんですか」

「そうですが、あなたは」

「先程お電話した灰原です」

「うわ」


 灰原雅人十八才。この世に生を受けて以来、ほぼ初対面の女性に「うわ」と言われたのはこれが初めてだった。


「少しお話させていただいても?」

「すみません。急用がありますので、これで」


 月島は止める間もなく部屋の中に引っ込んでいった。すぐさま部屋に鍵がかかる音がした。有無を言わさぬ迅速かつ果断な動きだった。


「あの……。ちょっと、月島さん? おーい、月島さーん」


 声をかけても返事は無い。チャイムを鳴らしても、ノックをしても、彼女は一切のリアクションを返さなかった。何度か試したが一向に出てくる様子は無い。


「灰原、その辺にしとけ」

「でもよぉ」

「警察。呼ばれるぞ」


 周りを見ると、二つ離れた部屋の住民が扉を開けてこちらを見ていた。

 なるほど、たしかに怪しい状況だ。男が二人、若い女の家に押し入ろうとしているようにも見えるだろう。見ず知らずの隣人にゴシップをくれてやる理由はない。俺は肩をすくめて扉から離れた。


「聞く耳持たずかよ。困ったな」

「前の大家を当たってみるってのはどうだ?」

「大家の連絡先はさっき電話した奴しか知らない。そしてその電話はあの女に繋がった」

「となると……。ダメだな、クソ。やり方を変えるしかなさそうだ」


 俺たちの捜査ごっこは早々に手詰まりを迎えてしまった。

 あの女が何かを知っているのは間違いないのに、話を聞けないのではどうにもならない。正攻法ではこの通りだ。だとすると……。他に何か、できることはあるだろうか。


「いや……。待てよ灰原。まだ、何とかできるかもしれない」

「あ? なんか案があんのか?」

「大家がお前を警戒したのは、二〇四号室の住人だって聞いてからだ。だったら、その情報を伏せて聞けばいい」

「あー、第三者を間に挟むってことか? でも、お前だって多分顔が割れちまってるし、何よりあの警戒っぷりだ。そう上手く行くとは思えんが」

「そんなことしなくたって良い。お前にはスーパーウルトラ必殺技があるじゃねえか」


 棗はそう言って二〇四号室の扉を指差した。

 彼が何を言わんとしているのかはすぐ理解した。死ねと。失敗したなら巻き戻しちまえと。それは根本的な解決策であり、大変に俺好みのやり方だった。


「それで行こう。どうする棗、お前も来るか」

「ああ。せっかくだし見ておく。グラン・ギニョールは得意じゃないけどな」

「ちゃんとゲロ袋用意しとけよ」


 踊るように軽い足取りで二階への階段を上る。ポケットから抜き出した鍵はなめらかに錠前へと突き刺さり、軽く回せばカコンと小気味の良い音を立てて錠を開いた。


「ただいま」

「あ、おかえり灰原。早かったね。……その人、誰?」


 六畳間に寝そべって漫画本をめくっていたサンタクロースが、顔だけを上げて俺たちを見た。棗の姿を認めると、急いで立ち上がって裾を直す。室内をばっと見回して、散らかしっぱなしの彼女の私物(主に漫画と菓子類である)を隠すように立って愛想笑いを浮かべた。

 今まで強いて言及はしてこなかったが。この女、これで中々生活感があるタイプのサンタクロースなのだ。


「ちょっと、灰原。誰か連れてくるんだったら先に言ってよ」

「すまん。こいつは棗、大学の友人。それより今、急いでるんだ」

「そうなの? どうかしたの?」

「三十分前で頼む。よろしくな」

「なになに、どういうこと?」


 俺は靴を脱いで部屋に上がり込む。棗は中に入らず、扉の前をキープした。サンタクロースはその場で首をかしげ、黒い女は部屋の奥から棗をじっと見ていた。


「よし、行くぞ」


 荷物をおろしてクラウチングスタートのポーズを取る。それだけで何が起こるのか分かったのだろう。黒い女は、嬉々として包丁を俺に向けた。


「ふらみょーん! 俺だー! 殺してくれー!!」


 俺は全速力で駆け出し、ふらみょん目掛けて飛び込んだ。

 それは見事なカウンターが閃いて、俺の首はすっぱりと切り落とされた。

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