M-029 おばあちゃんの教え
この階の回廊は横幅と高さが12D(3.6m)ほどの大きさがある。80D(24m)ほど先の右壁に張り付いたバリアントみたいな生物は高さが6D(1.8m)ほどだ。素早く走り抜けることが出来そうな気もするんだけど……。
「全体が固い殻に覆われてはいないようだ。先端に2D(60cm)ほどの穴があるが、そうなるとその穴が問題だな」
「目でもあるってことか?」
「目とは限らないでしょうけど、感覚器官に攻撃手段を持つぐらいは考えないといけないでしょうね」
「餌を獲る手段を持つことは間違いない。それが何で、どのように使うかを調べないと倒すこともできんぞ」
ちょっと不安になるリードさんの言葉だったが、少し前から再び感じるようになった小さな振動も気になるんだよね。
早くこの建物から脱出しないと、生き埋めになりそうな感じがするもの。
「そうだ! 案山子を作ろう。リード古着を持ってたな。俺の古着に詰め込んで、通路に押し出してみれば少しは分かるんじゃないか?」
ヴォルテンさんの言葉に、リードさんが腰のバッグから魔法の袋を取り出すと古い革の上下を取り出した。かなりボロボロだけど嵩張るからちょうど良いのかもしれない。
ヴォルテンさんの革の上下の中に無理やり詰め込んで人の形にしている。
リードさんは自分の槍にヴォルテンさんの槍を革紐で結わえ付けて槍を長くしている。あれで押し出すのかな?
「やってみるぞ。キャシー、場合によっては【メルト】を頼む」
「分かったわ。ミーナも爆裂球を用意しといてね。向かってきたなら、階段まで戻るということで良いわね?」
「あの体では階段は無理だろう。賛成だ」
リードさんの言葉にヴォルテンさんも頷いている。私はバッグから爆裂球を取り出して右手に持った。私の槍はリードさん達の槍を繋ぐのに使ってしまったから両手が開いているのも好都合だ。
キャシーさんが魔導士の杖を構えて回廊の中央に立ったその横に私もしっかりと爆裂球を手に前方を見据えた。
まるで壁から飛び出したような殻を持ったバリアント、その手前では、リードさん達が革の上下を使って作った案山子を、槍の先で回廊の奥に押し出している。
ゆっくりと、少しずつ魔物の傍へと案山子が近づいている。
壁のバリアントモドキは全く動かない。本当に危険なまものなんだろうか?
思わずキャシーさんに顔を向けたんだけど、キャシーさんは真剣な表情で前方を見据えたままだった。
キャシーさんから視線を前に移した時だった。
ゆっくりと這うような感じで魔物の傍を通り過ぎようとした案山子がいきなり弾かれたように宙に舞ったかと思うと、先端の穴からわらわらと出てきた触手に丸め取られて開口部に引っ張り込まれていく。バリバリと音がするのは、腕や胴体の芯に入れた焚き木を齧ってるんだろうか? そうなると、あの殻の上の穴には強靭な歯があるってことになりそうだ。
バリアントは獲物を体内に取り込んでゆっくりと消化するから、やはりバリアントとは違った魔物ということになるのだろう。
「動き出した……。でも、かなりゆっくりだから無理に逃げる必要はなさそうだわ」
「確かに急ぐことはない。だが確実にこちらにやってくる。ここは、いったん階段まで退いた方が良さそうだぞ」
キャシーさんの言葉に、やれやれというような表情をしたヴォルテンさんが答えている。
やはり一端は退却ってことになるのかな? 私達は200D(60m)ほど交代して階段を下り、最初の踊り場まで下がることになった。
リードさんが下ろした背負いカゴの中から小さなコンロを取り出してお茶を沸かそうとした時だ。またしても低い地鳴りのような振動が伝わってきた。
「かなり手こずっているんだろう。だが、これで何度目だ? アキト殿をもってしてもそれほど手が掛かる魔物なんて俺には見当すらできない」
「東方見聞録を読んだことがあります。アキト様の友人達がこの世界の裏側まで出掛けてアキト様と一緒に別の世界と繋がった道を閉ざした話は皆さんも知っているでしょう? その途中で色々な魔族に出会ったそうです。この下で暴れているのもそんな魔物の1つかもしれません」
東邦見聞録……。おばあちゃんに私も見せてもらったことがある。
こんな魔物が出たらどうするの? いつも兄弟達とおばあちゃんに聞いた気がする。
おばあちゃんは、そんな私達を見ていつも笑顔を見せてくれた。
「ちゃんとサーシャちゃんが対策を考えてくれますよ。準備はリムちゃんがしてくれますから、私が正面に向かえば問題ありません」
「でも、強そうですよ。僕達ネコ族の血を引く者達は非力です」
「ネコ族は、人間族のような知恵もありませんし、トラ族のような力もありません。イヌ族のように長期間にわたって戦をするような持久力もありません。でもね、私達ネコ族には不思議な力があります。それは他の種族より劣った種族に対する神の祝福なのかもしれませんね」
それはなに!? 私達はおばあちゃんの近くによってそれを聞き出そうとした。
「勘の良さと瞬発力。さらに夜でも遠くまで見ることができるこの目ですよ。貴方達はハンターになるんでしょう? ギルドに行って、丸1日隅っこのテーブルでハンター達を見ていれば分かるわ。力自慢のトラ族だけのパーティではいくら頑張っても黒どまり、銀レベルのハンターのパーティには必ずネコ族がいるのよ」
一番力が弱いネコ族がパーティに加わって初めて銀レベルを狙えるってことらしい。勘と言われてもあの頃は何のことかわからなかったけど、この旅で少し分かった気がする。身に迫る危険がある程度分かるのだ。
だけど、あのバリアントのような魔族が危険な代物が、私には思えないのが不思議な気がする。
「どうした、ミーナ。じっと考えていたようだが?」
私にお茶のカップを差し出していたのはリードさんだった。頭を下げてカップを受けとると、一口飲んでみた。さわやかな風味が口の中に広がる。これってリードさんの種族が作ってるお茶みたいだ。中々王都には出回らないとお母さんが嘆いていたのを思い出した。
「ありがとうございます。このお茶を飲むの久しぶりです。おばあちゃんに分けてもらった葉をお母さんが大切に使ってました」
「これって、リードのところのお茶なんだろう? もっと作れば良いんだよ」
「そうもいかぬ。これは10種類以上の薬草を混ぜて作るのだ。我等で消費出来ぬものを外に配っておるのだが、売り物ではないからな」
キャシーさんが「もったいないわ」とリードさんの言葉を聞いて呟いてたから、キャシーさんもこのお茶が気に入った一人というわけだ。
「東方見聞録はおばあちゃんの家にあったんです。小さいころから、おばあちゃんにその本を読んでもらいました。その会話を思い出してたんですが、おばあちゃんはその中に出てくる魔族やキメラと戦うことも考えていたようです」
「何だと! あの本に出てくる魔族やキメラはほとんどが怪物だぞ。グライザムとはわけが違う」
ヴォルテンさんが驚いたように声を荒げているけど、きっと読んでもその怪物たちを相手にしようなんてことは考えてもいなかったのだろう。
リードさんとキャシーさんはお茶のカップを持ってジッと私を見ている。話に続きがあると感じているようだ。
「サーシャちゃんの指示に従えば良い。準備はリムちゃんがしてくれる。私は正面に立つだけだと……」
「2万に足らぬ戦力で20万を超える軍を迎え撃って勝利したのがサーシャ様だ。その知略は我等には到底たどり着けるものではない。敵の矢をかいくぐって必要な物を必要な数だけ必要な時を前に届けるのはリム様を置いて他者には無理だろう。兵站は数学でもあると長老に教えてもらったが、数字が戦に必要な理由は俺には見当もつかん」
「その2人が準備をすれば、ミーア様が敵を片付けるのは簡単だということになるんだろうな。そんな仲間が俺にもいたなら安心できるんだが……」
ヴォルテンさんのぼやきに2人が声を出さずに笑っている。
私達では不足か? と暗に言っているようにも思えるんだけどおばあちゃん達3人はそれこそ兄弟のように暮らしていたみたいだからね。日頃からの付き合い方からして違うんじゃないかな?
「だがミーア殿は、誰もが恐れる片手剣の使い手ではあるが、ネコ族であることも確かだ。トラ族でさえ恐れる相手に物怖じもせず突入する話を聞いた時には、向こう見ずな娘であると思った時もあったな」
「そうよね。その辺りはどうなの?」
何か、危機感が無くなって来た感じがする。でもあの動きではここまでは来られないだろうし、来るとしてもかなり後の話だ。
「おばあちゃん達が暮らしてたのはアキトさんの家だったそうです。男性はアキトさん一人で、外にはミズキさんとディーさんにアルト姉さんの3人のお姉さんがいたと話してくれました」
小さな山荘での暮らしは、ハンターとしての暮らしだったらしいが、途中で軍を指導することになり、最後は軍の要職に就いたようだった。
通常のハンターが相手をするには問題となる獲物を色々と狩ったらしく、おばあちゃんの部屋に飾ってある大きな牙はおばあちゃんが1人で狩ったらしい。お兄ちゃんが手伝ってくれたと言っているけど、実際に倒したのがおばあちゃんであることは間違いないらしい。
「あの象牙は俺も神殿で見たことがあるぞ。あれをネコ族の少女が倒せるとは俺は今でも信じられん」
「おばあ様に聞いたことがあります。欠点を突くなら、力入らないそうですよ。たぶんミーア様があの牙の持ち主を倒したというならば、そのような戦をしたのでしょう。ネコ族の機敏な動きがあれば私達には無理かもしれませんが、ミーア様なら……」
そこにおばあちゃんの話してくれた瞬発力というのが入るんだろうな。
敵の弱点を知れば、ネコ族でさえ大きな魔物だって倒せる。ということを教えてくれたに違いない。
でも、そうだったなら、そうはっきりと言ってほしかったな。私はお姉ちゃん達と違って頭だってそんなに良くないんだから。




