M-026 レリーフから抜け出た怪物
ヴォルテンさんが小さな焚き火を作って、お茶を沸かし始めた。
コンロを使っているから、使う焚き木は少ないだろうけど、リードさんが背負ってきた焚き木と炭だけが燃料だけなんだよね。
「ほら、できたぞ。先ずはお茶を飲んで落ち着こう」
ヴォルテンさんが配ってくれたカップを受け取る。カップ半分ぐらいだから水を節約するということなんだろう。
「飲みながら聞いてくれ。ここから地下に向かうか、地上に戻るかの選択をしなければならないが、とりあえず地上を目指したい。先ずは戻れることを確認したところで再度探索を始めれば良いだろう」
「賛成するわ。深みにはまらないことがハンターの鉄則と聞いたことがあるわよ」
「俺も賛成だ。こんな仕掛けがまだあるかも知れぬ。油断はできぬぞ」
3人が私を見たから、小さく頷いて賛意を示す。
アテーナイ様は、アキトさんがここに入ってから一か月も出てこないと言っていた。
いまだにこの中にいるのだろうけど、私達の能力はアキトさん達のパーティから比べればはるかに劣っているに違いないのだから……。
お茶の残りは、空いた水筒に入れてリードさんが腰に下げた。コンロが冷えたところで、背負いカゴに皮に包んで入れている。
皆の準備が整ったところで部屋の出口の扉を開くと、【シャイン】で作った光球を通路に放った。
「前の通路と俺には違いが分からんな?」
「まったく違うわ。私はこの部屋に入る前に、ここに印を付けたの。その印が見当たらない」
キャシーさんの言葉に、リードさん達が後ろにいた私達を振り返った。
「やはり移動してるということか。となると、これからどちらに向かうんだ?」
今度は全員が私を見る。
この場合は、気の流れを逆に辿れば良いはずだ。あれだけ大量に気が流れ込んでいたんだからね。
目を閉じて気の流れを見る……。
不思議だ。気の流れが殆どない。あれほど大量に流れた気はどこに行ってしまったんだろう?
しばらくすると、緩やかな気の流れが見え始めた。かなり薄い……。その流れは右から左だから、私達は右に向かって歩いて行けば良いのだろう。
ゆっくりと目を開けた。
「分かったか?」
「変な場所ですよ。入口ではあんなにたくさんの気が流れ込んでたんですけど、ここにはほとんど流れてないんです。かろうじて薄い流れが右からやって来てます」
「何かに使われたということか? 魔法は魔気を遣うらしいが、気を使うというのは分からんな」
「まぁ、それも分かるんじゃないか? ここはミーナの能力を信じて右に向かうことにしよう」
ヴォルテンさんがそう言って右に向かって通路を歩き出した。
その後ろを槍を持ったリードさんが続く。
キャシーさんが私に向かって、両手を広げて首を傾げると、新たな光球を作って私達の後ろに送る。
後ろが暗がりだと、何かがやって来ても分からない。いくら私がネコ族の血を引くといっても、限度はあるのだ。
階段を下りたところにあった通路と同じように、この通路の壁にも不思議な生き物のレリーフが描かれている。
最初の通路よりも、より細密に深く彫られているから今にも動き出しそうだ。
キャシーさんの手を握って、そんなレリーフをながめながらリードさん達の後に続いて歩いていく。
「止まって!」
「「どうした(の)?」」
突然私が大きな声を出したから、皆が驚いて私に振り返る。
「変な気配がするんです。この通路の奥からですけど……、だんだん近づいてきます」
「アキト様ということは無いだろう。となれば魔物ということになる。どうするんだ?」
「数が問題だろうが、どのみちこの先に進まねばならない。迎撃ということで良いだろう」
横幅は10D(3m)ほどだ。通路の高さは横幅の倍はありそうだが、どんな魔物がやって来るのだろう。杖代わりの槍を足元に置くと、背中のクロスボウを持って、アブミと呼ばれる足掛けを踏むと両手で弦を引いた。
まだ、ボルトは乗せていない。相手によっては最初から爆裂球が付いたボルトを使うことになるから。
「あれか……。牛の頭にレイガル族の体とはな」
「なら、この槍で十分だ。ヴォルテンも槍を投げてから長剣を使え」
あの姿はどこかで見たことがある。たしか、東方見聞録の中だったかな。
「ミノタウロスという怪物だわ。あれは魔物ではなくてキメラと呼ばれる種よ」
「あまり参考にはならんな。それでも武器は持っているようだ。知性があるのだろうか?」
ミノタウロスが持っているのは棍棒だけど、私の腿よりも太いからあれで殴られたら即死してしまうだろう。
クロスボウの利点は敵の弱点を狙撃できることだけど、あの怪物の弱点はどこなんだろうか?
すでにミノタウロスとの距離は100D(30m)もない。クロスボウの射程圏内だから、発射しても良いだろう。
先ずは心臓を狙って……、セーフティを解除してトリガーを引いた。
「何だと! 奴の心臓の位置は違うのか?」
「怪物だからな。次は槍だ!」
私の放ったボルトはミノタウロスの右胸下部に根元まで突き刺さった。
だけど、怪物は何事も無かったようにゆっくりと近付いて来る。ヴォルテンさん達も驚いているけど、一番驚いたのは私だろう。だって、血も流れないんだもの。
「おかしいわ。ヴォルテンはともかく、リードさんの槍はザナドウ狩りに使われた槍でしょう? あれだけ深く刺さってるのに、血が流れないなんて……」
「動物ではない?」
「たぶんね。あの姿が作られたもので、本来は全く違う生物ということになりそうだわ」
ヴォルテンさん達の戦いを眺めながら私達は周囲に注意している。
通路が狭いから一度に戦えるのはどうしても1人になってしまう。ヴォルテンさんとリードさんが交互にミノタウロスの相手をしているのだが、あれだけ切り傷を負わせているのに、血が流れないのが不思義なことだ。
「どりゃ!」
気合の入った声と共に、ミノタウロスの頭が切り落とされたけど、怪物は気にもしないでヴォルテンさん目掛けて棍棒を振るっている。
その首のあった場所から触手のようなものがうねうねと出てきた。いくつかの触手の先には目のようなものが付いている。
「呆れた……。あれって、トリファドみたいね」
「トリファドですか?」
「トリファドだと!」
触手を長剣で切り取っていたヴォルテンさんが確認している。
どうやらトリファドは長剣切り刻むのが難しいみたいだ。
「歩く灌木だな……。なら、これに限る!」
前で怪物相手に長剣を振るっていたヴォルテンさん達が、突然私達目掛けて駆けてくる。私の視界を遮るように、リードさんが覆いかぶさって来た時、鋭い爆発音が聞こえてきた。
リードさんが私から離れて再び得物を握った時、私達が見たものは胸から上が吹き飛んだ怪物の姿だった。
「やはり、トリファドが母体だったようだ。後は【メル】で焼けば良い」
ヴォルテンさんがキャシーさんに振り返って頷くと、キャシーさんが【メル】を唱えて火炎弾を怪物に着弾させる。
辺りに火の粉を飛ばしながら勢いよく怪物の体が燃え出した。
「まったく驚かされる。あんな怪物相手ではな」
「急所が無いってのも問題だな。結局は焼くしかない」
怪物から落ちた槍を手に取って、まだブスブスと音を立てている怪物の焼けた姿を突き刺している。
魔物だったら魔石があるはずだ。それを探しているのかな?
「ちぇ、魔石は無いみたいだな。先を急ぐぞ!」
ヴォルテンさんが魔石探しを諦めて通路を進んでいく。私達も遅れないように後に付いて行った。
何度か角を曲がったけど、この通路は1本道らしい。
足が疲れ始めた頃に、上に上がる階段を見つけた。階段の周囲は通路の数倍のおおきさがある踊り場になっている。
気の流れが階段の上からこの通路に降りてきているのが分かるから、間違いなくこの階段を登れば良いはずだ。
「ようやく見つけたな。少し休んで食事にするか」
「そうだな。休息は大切だ。また、あんな怪物がやって来るかも知れんからな」
食事は、この中に降りてくる前にたっぷりと作った平たいパンと携帯食のスープだ。
カップに半分ほどのスープだけど、食事の後のお茶を考えているのかもしれない。
簡単な食事を終えると、カップ半分のお茶を少しずつ飲みながら、希薄な気の流れを何気なしに見ていた。
ヴォルテンさん達はパイプを咥えている。いつもは咥えているだけなんだけど、今日はちゃんとタバコの葉を入れているようだ。
そんな2人がジッと見ているのは階段の反対側にある壁のレリーフなのだが……。
あることに気が付いて、カップを落としてしまった。
「驚いたか? どうやらミーナの考えている通りらしい」
残ったポットのお茶を私のカップにリードさんが注いでくれた。カップ半分にもみTないけど、もう一口は飲めそうだ。
「どういうこと?」
「あれだ。あのレリーフを見ろ」
キャシーさんが状況説明を要求してるから、ヴォルテンさんが壁を指さして教えている。
今度はキャシーさんが驚く番だった。口に手を当てて壁のレリーフを凝視している。
「抜け出したの?」
「そうなんだろうな。現にレリーフの跡だけが残っている。それもさっきのミノタウロス像だからな」
通路のあちこちにはたくさんの怪物のレリーフが彫られていた。この先、地上に戻るまでに一体どれほどの怪物が私達の前に現れるんだろう。




