M-025 地下に移動する部屋
不意に目を覚ます。
体を起こし周囲を眺めると、リードさんが携帯用のコンロの傍で槍の穂先を研いでいた。シャーっと長くと石が金属を擦る音が小さく聞こえる。
「ん? 起こしてしまったか」
「リードさんは眠らなかったんですか?」
私の問いにリードさんは作業を中断すると、コンロからポットを下ろして私にお茶を入れてくれた。
「ありがとうございます」
小さな私の声に顔をほころばせている。
「我等の種族は長い眠りは必要とせぬ。ミーナの半分で十分なのだが、今夜は長く寝た気がする」
「何か気になるとか?」
私の言葉に小さく頷いてパイプを取り出す。コンロで火を点けると、美味そうに煙を吐き出した。
「……気になるのかも知れん。何かが俺に警鐘を鳴らすのだ」
リードさんの言葉に慌てて気の流れを探る。
気の流れは【カチート】では遮ることができない。相変わらず、石台の奥にある階段に向かって流れているけど、乱れは無いようだ。
「俺の気の迷いかも知れん。あまり気にすることは無いぞ」
「リードさん達の種族の狩りの腕は、散々おばあちゃんから聞かされました。まるで生まれながらのハンターであると、どんなハンターでもリザル族のハンターを越えられないだろうとまで言ってました」
「ヨイマチとマキナを除いての話だ。だが、月姫殿がそこまで我等を思っていてくださったとは、帰ったら仲間に是非とも聞かせてやりたいものだ」
嬉しそうな表情を浮かべている。
おばあちゃん達はネウサナトラムの狩猟期と呼ばれるハンターの祭典で何度もリザル族と首位を争ったらしい。
リザル族が祭典に加わってからは、いつも2位だと話してくれた。
『険しい山並みを平地のように走ることができるのよ。私達はガルパスに乗っての狩りだったけど、そんな私達の横を平然と走れるんだから。その上、石器を使ってグライザムを相手にできるんだから、真のハンターはリザル族なんでしょうね』
そんな話をしてくれたおばあちゃんはもういない。サーシャおばあちゃんやリムおばあちゃんと一緒に、ガルパスのお腹にいるはずだ。ガルパスの中で、いつまでも亀兵隊を見守っていくんだろう。
お茶を飲み終えた頃に、キャシーさんが目を覚ました。
一緒に食事を作りながら、まだ夢の中にいるヴォルテンさんが目を覚ますのを待つことにしよう。
「まだ1年は経っていないのよねぇ……」
「半年は過ぎているぞ。食料は十分にあるが、上手く行けば数日でアキト殿に合うことができるだろう」
2人はあの階段の下にアキトさんがいると思っているようだけど、本当にそうなのだろうか?
私は半分ぐらいに思っている。あまり期待しすぎると、いないと分かった時に落ち込んでしまいそうだ。
食事を終えると、カップに半分ほどのお茶を飲む。
リードさんが背負ったカゴにはたくさんの炭が入っているけど、この先は煮炊きする燃料の補給が出来ないのだ。
水も少し心配だけど、魔法の袋に水を入れた大きな容器が幾つか入っているし、私もベルトの水筒と魔法の袋にある容器は手付かずに残してある。
これが半分に減ったところで、地上に戻れば良いのだろう。
「準備は良いな? ミーアもクロスボウは背負っておけよ。槍を投げて直ぐに使えれば俺達の援護ができるからな」
「だいじょうぶです。爆裂ボルトも3本入れてあります」
「なら十分だ。俺とヴォルテンも3個は直ぐに投げられるからな」
キャシーさんなら【メルト】を使うんだろうけど生憎とネコ族の特徴が色濃いから魔法を多用することが出来ない。リードさんも同じらしいから、爆裂球はたっぷりと持ってきているようだ。
キャシーさんが私達に【アクセラ】を掛けたところで、私が【シャイン】で光球を作る。
ほわほわと浮いている光球を下に下る階段に先行させると、最初に階段を下りたのはリードさんだった。
ヴォルテンさん、キャシーさんが後に続き、私が最後になる。
リードさんの前方50D(15m)ほどを光球が浮かんで照らしている。私の方にまで明るく照らすことは出来ないが、私はネコ族だ。これぐらいなら十分に後ろだって見ることができる。
横幅は8D(2.4m)ほどの階段はかなり下に向かって伸びている。
おばあちゃんの家の階段を3階分ほど降りたところで、私達は小さなホールに到着した。
ここからは北に向かって通路が伸びているが、通路の先は真っ暗だ。かなり奥があるようにも思える。
「ミーナ、何か気配はある?」
「何も……。静かですね」
ゆっくりと通路を歩き出した。左右の壁にはところどころに彫刻が施されているけど、どうやら動物を描いたようにも見える。
でも、こんな動物は見たことが無い。足が10本もあるようなガトルに似た獣には翼まで付いていた。
「東方見聞録を読んだことがあるか?」
「もちろんありますよ。あれは、マキナのユングさんが書いた書物でした」
「その中に、このような獣の記述がある。いくつもの動物を継ぎ合わせたような獣を、キメラと呼ぶらしい」
私の前でヴォルテンさんとキャシーさんが、そんな話をしながら歩いているけど、この彫刻が変に緻密に彫られているのが私には気になるところだ。
急に動き出すなんてことが無いことをさっきからおばあちゃんに祈ってるんだけど……。
急に前を歩いていたリードさんが立ち止まった。
どうやら扉を見つけたらしい。
「どう見ても扉だが、取っ手が無ければ動かせんぞ」
「壁からは凹んでいますね。彫刻のこの部分だけが汚れています。ひょっとして、引き戸ではないのでしょうか?」
私達の世界は扉は押すか引くかで開けられる。キャシーさんの話では、横にスライドする扉というものもあるらしい。
良く見ると、彫刻の窪みが他の部分よりも凹んでいるし、左右が汚れてすり減っているようにも見える。
「まぁ、悩むよりもやってみた方が良いかも知れん。リード頼んだぞ」
ヴォルテンさんの言葉に、リードさんが窪みに手を掛けた。
私は背中のクロスボウにボルトを乗せていつでも撃てるようにして身構える。
ズリズリ……、石をすり合わせる音と共に、扉が横にスライドしていく。こんな扉もあるんだなと感心していると、キャシーさんが光球を作って隙間から中に放った。
魔物が飛び出してくるかと思ったけど、どうやら無人の部屋のようだ。
階段の入口と同じような文字とも装飾とも思える壁画が壁一面に描かれている。
「何もないな? まぁ、ちょっと気疲れしたところだ。ここで休憩をするぞ」
ヴォルテンさんの言葉にバッグから毛皮を取り出して、キャシーさんと一緒に座り込んだ。
リードさんが取り出した携帯コンロでお茶を作っていると、リードさんは入口の扉を半分閉めている。
魔物が一度に入り込まないようにとの考えなんだろう。
ヴォルテンさんはゆっくりと部屋の彫刻を眺めているけど、内容が分かるのだろうか?
カップに半分ほどのお茶だけど、疲れを取る効果はあるみたいだ。
何もない部屋の床は先ほど歩いていた通路と同じ石畳だけど、少し違っているのに気が付いた。
「キャシーさん、この床の石畳ですけど、なぜ色違いの敷石が使われてるんでしょうね?」
「あぁ、あれね……。こっちにもあるわね。全体を見れば良いのかしら? ちょっと部屋の隅に行ってみましょう」
壁際まで移動すると、改めて床の色違いの敷石を眺める。
これは……、まるで魔法陣のようにも見える。ぐるりと丸く円になるように並んでいるし、気のせいか淡く光っているようにも思える。
「キャシーさん、あれって魔法陣ですよね。光を放っているように見えるんですけど」
「えっ! まさか……、ヴォルテン、リード、こっちに来て!」
キャシーさんが2人を呼び寄せると私の事を話している。そんなにおかしなことなんだろうか?
「確かに輪を描いているが……」
「光ってはいないな。ミーナには俺達と異なるものが見えるということか?」
「ネコ族の勘は私達を遥かに凌ぐわ。でも、これを魔法陣と呼ぶのは……」
その時、部屋が振動を始めた。思わず身を屈めて壁を背にする。
部屋の入口が独りでに閉まり、周囲の壁の絵文字のような彫刻のあちこちから光がこぼれだした。
私達がさっきまで見つめていた魔法陣が輝きを増してゆっくりと回り始める。
「何だ! この異変は」
「ミーアが正しかった、ということだな。この魔法陣が動く気配を感じたに違いない」
意外と冷静に状況を2人が話しているけど、私は叫び声を上げる寸前だ。
いつの間にか、下に落ちるような軽い浮遊感が伝わってくる。まるでこの部屋全体が下に落ちているんじゃないだろうか。
そんな振動が突然終わった。さっきまでの浮遊感は最後に私を押し付けるような感触が伝わって来てそこで止まった。
「ん? 終わったみたいだぞ」
「問題は、これが何のために起きたかということだ」
「ひょっとしてですけど、私達はこの建物の下に移動したんじゃないでしょうか?」
私の言葉に3人が一斉に私に顔を向けた。
「そんな馬鹿な話は無いだろう。外を見れば分かるはずだ」
リードさんが先ほどの扉を開けた。そこには先ほどと同じような通路が続いている。
一見変わりは無い。だけど……。
「ミーナの言う通りかも知れないわ。光球が無いの!」
部屋の外は真っ暗だった。この部屋にはキャシーさんの作った光球がほわほわと浮いているけど、通路には私の作った光球が残っていなければならない。光球が急に消えることなど無いはずだ。1度作れば一晩中光り続けるのが光球の特徴でもある。
「では、本当に俺達は下にいどうしたということか?」
私が頷くのを見て、皆の表情が強張った。
いったいどこまで落ちたのだろう。それに帰る道はあるんだろうか?




