M-018 迷宮の底にあるもの
「起きて、起きて、早く!」
キャシーさんが私を揺すりながら声を掛けていた。
目を擦りながら体を毛布から起こすと、キャシーさんが私の耳元に顔を寄せる。
「次の魔物が来たみたいなの。早く準備をして!」
小さな呟きに、私は慌てて身支度を整えると、キャシーさんの後ろから通路の奥を覗き込んだ。
何かが動いてるけど、よく見えない。そんな事を考えてたら、光球の1つが通路の奥に向かって動いて行く。
「ガルパンだぞ! この迷宮内は全て魔物だけのようだな」
リードさんが私達に教えてくれた。その姿はずんぐりした蛇に見えるけど、胴体の太さは私の胴体ほどもあるし、全長は5mにも満たない。蛇にしては長い舌を伸ばして周囲を確認しているようにも見える。
「あの舌に見えるのは触手なんだ。先端に毒針があるから、少し厄介だな」
「なら、私が【メル】で攻撃するわ。2発放ってミーナはボルトを撃ちなさい。それで少しは弱るんじゃないかしら?」
「そうだな。俺達も槍を持っている。20Dで投げれば奴を倒せるだろう」
リードさんの言葉にヴォルテンさんも頷いている。攻撃方法が決まったみたいだ。
私はクロスボウの鐙に足を掛けて弦を強く引いてトリガーに掛けた。ボルトケースからボルトを1本抜いてクロスボウにセットする。膝撃ちの姿勢を取って、キャシーさんを見上ると、私を見ていたキャシーさんが小さく頷く。
「距離50D(15m)で私が【メル】を2つ放つわ。その後でミーナがクロスボウを撃って!」
「分かりました。2回目の【メル】の後ですね」
ズリズリと嫌な音を立ててガルパンが私達に近づいてくる。通路の真ん中で私は膝撃ちの体勢でガルパンが近づくのを待つ。既にクロスボウの射程に入っているし、照準はガルパンの長い舌を出している口に合わせている。
私の両隣にリードさんとヴォルテンさんが槍を持って立っているから不安はない。
「【メル】!」……「【メル】!」
私の後ろから鋭い呪文が起こった。私の頭上を2つの火炎弾が飛んでいくと、ガルパンの頭に立て続けに着弾して炎が上がる。その炎が晴れると同時に私はクロスボウのトリガーを引いた。
「いまだ!」
リードさん達がガルパンに走りよると、20D(6m)ほどのところから槍を投げる。近いから外れるわけがない。
ガルパンが頭を起こして体を震わせている。頭を潰しているから叫び声すら立てられないようだ。
半身を持ち上げて悶えていたが、全身をブルと震わせ、通路にばたりと倒れた。
「やったのか?」
「どうやらそうらしい。溶けて通路に浸み込んでいくぞ」
私達が見守る中、ガルパンは通路に溶け込むように姿を消した。残ったのは私のボルトと槍が2本、それに青い魔石だけだ。
「魔石狩りなら、この迷宮は最適だな。距離が遠いのが難点だ」
「ああ、だが地下深くなれば黒レベルでも苦労しそうだ。アキト様は銀だったな?」
「消えた全員が銀を持つ身だ。たぶん最下層まで行ったに違いない」
でも、それはアキト様達だから出来る行動だろう。私達には到底無理、まだ私のレベルは赤だもの。
「さあ、出口に向かいましょう。この迷宮は魔物が住むことが分かればそれでいいわ」
「もう一つ問題があるぞ。確か、『命を作る』だったな。それが分からん」
リードさんはなおも考えているけど、出口に向かうことには賛成のようだ。謎が1つ残ったけれど、私達の本来の目的はアキト様を探すことだ。
それに、アキト様なら知っているかもしれない。私達のレベルではこの階がいいところだ。
地図を頼りに迷宮を出口に向かって歩いていると、先頭を歩いていたリードさんの歩みが止まった。
私達に向かって手招きしているので急いでリードさんのところにキャシーさんと走り寄った。
「あそこだ。見えるか?」
リードさんが30D(9m)程先の天井に浮かんでいる光球の右下を指さしている。
最初は何か分からなかったけど……。
「「アッ!」」
私とキャシーさんがほとんど同じタイミングで声を上げた。
壁からゆっくりとムカデのような魔物が迷宮の通路に体を伸ばしている。まるで壁から出現しているように見えるけど、ここまで迷宮を歩いてきたけど、壁に穴なんてなかった筈だ。
「バカな。無から有は生まれんはずだ!」
「現実に生まれている。ここまで壁に穴など一か所も無かったぞ」
「だとすると……」
「命を作り出す……。このことなんだろう。確かに魔物とはいえ命が生まれている」
この迷宮が魔物を生み出すなんて……。
この光景を、アキト様は見たことがあるのだろうか? アテーナイ様とカラメル族の長老はこれを知っていたんだろうか?
リードさんが慎重にムカデに近づくと、手に持った槍で頭を潰した。
早めに出るに越したことはない。私達は足早に迷宮の中を進んでいく。
階段を上がったところで休憩をとる。この階なら、出るのが大きなバリアントだから、囲まれても何とかなりそうだ。キャシーさんが作ってくれた【カチート】の障壁の中で私達はゆっくりと眠りについた。
どうにかこうにか迷宮を抜け出し、出口の石壁の隙間から外に抜け出したときにはホッと一息ついた感じだ。
魔物が外に出ないようにと、入り口の扉をおさていた大きな石を取り除くと、ゆっくりと迷宮の入り口が閉じる。
周りを見渡して、危険な獣がいないことを確認したところで焚き火を作った。もうすぐ夕暮れのようだ。
夕食が済むと、リードさん達はパイプを取り出し、私達はお茶を楽しむ。
「一つ分からぬことがある。後ろの迷宮の目的だ。誰が何のために?」
「魔物が次々と作られるって事だな。だが、無制限ではなさそうだ。数が決まっているのかも知れないな」
魔物を飼っているんだろうか? 数が増えないってことがこの場合重要な事なんだと思う。無制限に増えたら、迷宮は魔物で溢れてしまう。
「前に同じような迷宮があったわよね。でもあれは破壊されていたわ」
「ああ、そうだな。破壊したのはアキト様達だろう。だが、迷宮の魔物の数が決まっているのなら迷宮から溢れ出ることはない」
「待てよ、もしもだ。……迷宮の魔物の数の制限が何かで決められているとしたら。それを破壊したとすれば……」
「迷宮は魔物で溢れかえる。それが起こったという事か?」
「たぶんな。だから爆裂球で迷宮の入り口を閉ざしたんだ。あの奥は魔物で溢れかえっているに違いない」
そんな話をリードさん達がしているけど、私は少し違った事を考えてた。溢れているというのも数を限って考えていると思う。私は全ての魔物がくっつき合ってあの中を満たしているんじゃないかと思っている。それでも次々と魔物が生まれたら、やがては迷宮自体を破壊してしまうのではないだろうか?
破壊された迷宮は2度と魔物を生み出さない。あの迷宮の破壊はかなり前のようだから、たぶん今ではもぬけの空のはずだ。一体化した魔物は迷宮の破壊と共に姿を消してしまっているだろう。
夜が更けたところでキャシーさんが【カチート】で私達を取り囲んでくれた。
やはり、星空の下がいいな。迷宮は雨や風は無いんだけれど、きれいな星空が無いんだもの……。
『……やはり、最深部には到達出来なんだか……』
小さなリビングには4人程が座れるテーブルセットに暖炉があった。この部屋は初めて訪れる。
『ここは、我の暮らした離れじゃ。今では誰も住んではおらぬ』
陶器のカップにお茶を入れて私の前に出してくれた。自分のカップにもお茶をそそぐと、私の顔をジッと見ている。
『じゃが、あの迷宮の仕組みはおおよそ理解したようじゃな。ミーナが想像した通りじゃ。最深部にその秘密があるのじゃが、知らずとも良かろう。あの迷宮が魔物を生み出し、数を常に一定に維持する。そのような仕掛けらしい。そして、その仕掛けが破壊された場合は短時間に迷宮が魔物で溢れかえる。
婿殿達が最深部にたどり着いたとき、ミズキは直ぐにその仕掛けを破壊した。たちまち無数に魔物が出現して婿殿達はほうほうのていで出口までたどり着いたそうじゃが、魔物を野に放すことを防ぐために100個以上の爆裂球を同時に炸裂させて迷宮を塞いだのじゃ』
アテーナイ様はどこまで知っているんだろう?
知っているなら最初から教えてくれればいいのに……。
『残念ながら、我にはその仕掛けというか、その場所に何があったか、婿殿は教えてくれなんだ。しっかりと心の片隅にその情景を押し込んでおる。じゃが、ミズキがその場を見て直ぐに特大の【メルダム】を放ったところを見ると、おぞましいものを見たに違いない』
「恐ろしいもの、ということでしょうか?」
私の言葉にアテーナイ様は優しく微笑みを返してくれた。
『いや、婿殿にしてもミズキにしても恐ろしいという感情を我に見せたことは無かった。たぶん婿殿達が一番恐ろしく思っているのは人間、いや己自身かもしれぬのう。それを考えると、婿殿がおぞましいと感じたその場の光景はおおよその想像は出来るつもりじゃ。たぶん非人道的な行為が行われていたのじゃろう。しかも、その行為を止める手立てが無いとなれば、その場で楽にしてやるのがせめてもの救いじゃろう。はっきりとは言わぬが、我の想像はさほど的外れとは思わぬ』
何が行われていたかというのは、おぞましいことらしい。となれば、残りは1つになる。
『それが、あの堤防の役割じゃよ。オデットの予知夢は何を見たか。いまだに誰にも語ろうとせぬ。語ってそれが現実のものになることを恐れておるようじゃ。まさに言霊の考え方じゃな。じゃが、我はそれを笑う事も出来ぬ。たぶんそれが連合王国最大の、いやこの世界の受ける試練じゃろう。何も言わずに従うテーバイ王国の領民は、それだけ女王の偉大さを信じておるのじゃろう。連合王国のかつての王国では無理じゃろうな。それこそ国運を掛けた大工事じゃ。完成までにはさらに年月を必要とするじゃろう……』
キャシーさんの母様はいったい何を見たんだろう。その答えは、アキト様を探せば分かるのだろうか?
私を優しく見守っていたアテーナイ様の姿が段々と薄れていく。たぶん自分の眠りの中に私は沈んでいくのだろう。




