M-016 神殿
私達は尾根を回りこむようにしながら、磁石とヴォルテンさんの持つ端末の位置情報を使って、東へと歩き続けていた。
そんなある日のこと、焚き火を作って少し長めの休憩を取っていた時に、ヴォルテンさんが急に立ち上がった。
何かを手に持って、しきりに体を回転させるように動かしている。
「どうした?」
心配そうにリードさんが声を掛けた。
「コンパスが狂ってる。皆のコンパスはだいじょうぶか?」
私は急いでポケットからコンパスを取り出した。ミーアお婆ちゃんのコンパスは特別せいだ。バビロンから持ち帰ったと聞いたことがある。
コンパスを取り出して、親指に金具を引っ掛け拳の上に載せて蓋を開いた……。
コンパスの指針が不安定に揺れ動いたかと思うと、クルリと回る。まるで北を示す針が安定しない。
「ヴォルテンさん……」
私の不安な声に、ヴォルテンさんが優しく微笑んでくれた。
「どうやらってこと?」
「ヴォルテン、通信機は?」
リードさんの言葉に、ヴォルテンさんが頷くとバッグから通信機を取り出して操作を始める。電鍵をカタカタと叩くように打つとレシーバーを耳に当てて返事を確認しているようだ。
しばらく通信機を操作していたがあきらめてバッグに戻すと、今度は端末を取り出した。
仮想スクリーンを開いて、現在地を確認しようとしたようだが、開いたスクリーンには何も映らなかった。
「これが原因だな。まったく通信が出来ない。これではアキト様達は外界と連絡は取れない」
「かなり近付いたって事だろうな。この結界のような通信障害がどこまでも続いてるとは思えん。通信障害の範囲から出れば連絡をする筈だ」
でも、周囲を見渡してもどこにでもある荒地にしか見えない。ということは、磁石を狂わせる原因は地面の下って事なんだろうか?
「方向を知る手立てはいくらでもある。そう、心配するな」
リードさんが私達を照らすお日様を指差した。簡易な方法だけど、お日様の位置で方角は分かるし、夜になれば北の空に動かずに輝く星もある。
「そうね。でもこれからこの辺りをどう探すの?」
「もう少し進んでみよう。この近くなら直ぐに影響の無い場所に移動できるはずだ。それをしないというなら、ずっと進んだ場所って事になる」
そんなヴォルテンさんの言葉に従って、東に私達は進んでいくことにしたのだが……。
「あれを!」
キャシーさんが小さな崖の近くで石像を見つけて、私達に教えてくれた。
「石像だが、雑な作りだな……。ん! 奥に何かあるぞ」
先を急ぐべきなのかも知れないけど、アキト様の手掛かりがあるかもしれない。私達は、少し斜面の上にある石像を目掛けて歩いて行った。
石像は2体あったようだ。少し離れた場所に崩れた石像の残骸が残っていた。
石像はどうやら人を模したような形なのだが、少し体のバランスがおかしい。手が長くて、足が短い。そのうえ、リードさん並みの筋肉質の体系は、連合王国のどの種族にも当てはまらない。
「あれが神殿ってわけだな」
少し先を歩いていたヴォルテンさんの呟きが聞こえてきた。急いで私達が駆け寄って見ると、確かに神殿に見えなくもない。
「前に見たた破壊された洞窟の装飾と似ているぞ」
「魔道文字のようだ。これをアキト様達は自在に読めると長老は話してくれた」
石像は無骨な仕上がりだが、崖の一角に彫刻されたように作られた神殿の柱の上に掲げられた石版はかなり滑らかな仕上がりだ。そこに大きく2行に渡って不思議な文字が刻まれている。
「こっちに焚き火の跡があるわ! やはり、ここに立ち寄ったと考えられるわね」
「焚き火はそれ程大きくない。ここで休んで中に入ったんだろう。神殿を出た後はそのまま立ち去っている」
神殿には大きな1枚岩が扉のように立ちはだかってるんだけど、これって動くの?
「入りたければ、仕掛けを探さなくてはならないな」
そんな事を言って、リードさん達が神殿を調べている。
私は、その文字をジッと眺めていた。
『不思議な文字じゃな。かつて、婿殿が知らずに魔道師の杖に装飾用としてこのような文字を刻んだことがある。3本作ったようじゃが、今では家宝となっておるはずじゃ。2本はエルフ族に、1本はモスレム王国のとある一家が所持しておる。エルフ族の長老の杖に匹敵するそうじゃ……』
『娘よ、この文字の意味を知りたいのか?』
いつの間にか、私は心象世界に入っていた。傍らにはアテーナイ様と長老様が並んで丸い列柱に支えられているような石版を見上げている。
『長老殿、この文字を読む事が出来るのか?』
『我等の電脳ライブラリを参照しながら、おおよその意味は分かるが、アキトのようにあの文字を直接読んで、文字間の意味を読み解く事は出来ぬ。じゃが、概略でもわかれば役立つじゃろう』
そう言うと、長老様はジッと文字を睨みはじめた。
『いにしえ、過ぎ去る……。命、作り出す。時間、越える、階層と力、封、開、炎、最後は皿じゃ』
『ふむ……。難解じゃな。開き方は皿に火を点ければ良いという事じゃろう。問題はその前じゃ、命を作るとはちょっと問題がありそうじゃのう』
『確かに、その秘儀がこの奥で行なわれたという事じゃな』
やおら、アテーナイ様が私を見た。
『ミーナよ。この封印を開いて確認するが良い。婿殿の思惑の一部を見ることが出来るやも知れぬ』
フラリと倒れ掛かったところを、キャシーさんが抱き止めてくれた。
リードさん達が作った焚き火のところにそのまま抱えられて運ばれると、ヴォルテンさんがお茶をカップに注いで渡してくれる。
「アテーナイ様に会ったんだろう? 新しい事が分かったか?」
皆の視線が私に集まる。
でも、覚えているのは断片的なものだ。
「あの扉を開いて中を見るべきだと……。カラメル族の長老が、あの文字を断片的に教えてくれました……」
簡単に先程の話を聞かせてあげる。
3人はお茶のカップを持ったまま、ジッと私の話に耳を傾けている。
「すると、皿に火を焚けば、あの扉が開くんだな?」
「問題はその先だな。命を作ると言う事が良く分からん。思い通りに命を弄ぶのは、人道に外れるぞ!」
「連合王国の人口を100倍にするのが対策の1つならば、今度の話とは少し違うんじゃない?」
災厄とは一体なんだろう。数と命……。その2つは違うものにも思えるんだけど。
もしかしたら、災厄とは複合した災いって事なんだろうか?
「まあ、とにかく入ってみようぜ。皿とはたぶんあの石細工のことだろう。そこに焚き火を作れば良いってことだな」
ヴォルテンさんが、神殿の入口前にある直径3D(90cm)ほどの丸い窪んだ石を指差した。
ものは試しって言うからね。直ぐにリードさんとヴォルテンさんが焚き火の焚き木を、皿に移動し始めた。
全ての焚き木を移動すると、焚き火の炎が勢い良く燃え上がる。と同時に、大きな1枚岩の扉がゆっくりと中心を軸に回転を始めた。
1D(30cm)ほど開くと、ヴォルテンさんが焚き木を1つ取って中に放り込んだ。その焚き木が消えるまでリードさんと2人でジッと見守っている。
「だいぶ奥がありそうだな」
「ああ、近くに横道も無さそうだ。ずっと奥に伸びているように見える」
扉が開くまでには時間が掛かりそうだ。
その間に私達は装備の確認をする。どう見ても怪しい神殿だものね。何が出てくるか分からない。
ボルトを数えて、取出しやすいようにケースに並べておく。腰のグルカはいつでも抜けるし、ちょっと太目の杖には、短剣の刀身を革紐でしっかりと結ぶと、ケースを被せておいた。
「準備は良いようだな。キャシー、入る前に光球を2個作ってくれ。俺達の動きに合わせて確か移動出来るんだよな?」
「その通りです。私達の前30D(9m)と頭上におきましょう」
私達が入口に立っていると、ヴォルテンさんとリードさんが大きな石を運んで来た。どうやら、扉が閉じないように、石で固定しておくみたいだ。必要無いようにも思えるけど、不安があるならやっておいた方が良いのかもね。
「動きが止まった。石を挟んであるから、閉じ越えられる事は無いだろう。キャシー、頼むぞ!」
ヴォルテンさんの言葉に、キャシーさんが【シャイン】を使って光球を2個作ると、1個を回廊の奥に移動させる。もう1つは、私達の頭の上にふわふわと浮かんでいる。
最初に回廊に足を入れたのはリードさんだ。槍を小脇に抱えた臨戦態勢でゆっくりと先に進んでいる。投槍を持ったヴォルテンさんが後に続き、私達も回廊へと足を進める。
10D(3m)の断面を持つ石の回廊がずっと奥に伸びていた。
アテーナイ様が不吉な事を言っていたけど、果たして何が待っているのだろう?
そんな回廊を進んでいると、突然リードさんの足が止まる。
「どうしたの?」
「分岐路だ。左に進む回廊がある」
リードさんが身を屈めると、ベルトからナイフを取り出した。回廊の曲り角の壁ギリギリまで進むと、天井の光球を指差してゆっくりと移動させるように指先で合図している。その合図でゆっくりと光球を移動していたが、リードさんの手が急に大きく開いた。光球はその位置で止まってる。
「異常なしだ。ヴォルテンどっちに進むんだ?」
「そうだな。左に行くか。キャシー、マッピングを頼むぞ」
ナイフの刃先を鏡代わりに使って曲り角の先を見たんだわ!
『ハンターは何でも利用出来ないとダメよ』とは、お祖母ちゃんに良く言われた言葉だ。こんなふうに利用することを言いたかったんだね。




