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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第五章 擾乱の半島編

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95 倭館の内紛

 翼龍による非戦闘員の脱出が行われ、それが結果として陽鮮軍の強襲を引き起こすこととなったことで、多少なりとも倭館内部の警戒が疎かになったことは否めない。


「何だ、お前たちは!?」


 剣や槍で武装した陽鮮人武官が東館の厨房に乱入するまで、厨房に詰めていた宵たちは陽鮮側の不穏な行動に気付くことはなかったのである。

 突然現れた陽鮮人たちによって、夏の暑さや火の所為で熱気の籠る厨房の出入り口は完全に塞がれていた。


「何をしているのです、あなた方は?」


 厨房の者たちを庇うように、宵は前へ出た。将家の人間として、武官たちと対峙するのは自分だという義務感からの行動だった。


「おい、お姫さん!」


 後ろから料理長の咎める声が聞こえるが、宵はそれを無視して内禁衛将・鄭孝顕の顔を見上げた。


『ふむ、小娘の分際で見上げた度胸だな』


 陽鮮人武官を束ねる男が陽鮮語で何かを呟いたが、当然、宵には判らない。


『まあ、いい。来い』


 そう言って、鄭は万力のような力で宵の腕を掴み、引っ張った。


「何やってんだ、あんたら!?」


「動かないで下さい!」


 陽鮮側の行動に殺気立つ料理掛たちを、宵は押し止める。残りの武官たちが剣や槍で彼らを脅しつけていたので、このままでは死傷者が出かねないと、咄嗟に判断したのだ。


「この者たちに、私を殺すつもりはないでしょう」


 恐らく、陽鮮の者たちは人質が欲しいだけなのだろう。秋津人たちが裏切って仁宗国王を李欽政権側に引き渡すことを防ぐための人質が。

 すぐにその程度のことを察してしまえるほどに、宵の思考は冷静そのものだった。


「だから彼らをあまり刺激せず……むぅ!?」


 だが、言葉の途中で宵は布を噛まされてしまった。

 秋津語が理解出来ない陽鮮人にとって、秋津語で人質たる宵と料理掛の者たちが会話していること自体、警戒すべきことなのだろう。何か自分たちに抵抗するための合図でもしているのではないかと疑うのは、当然である。


『無駄口を叩くな、小娘が!』


 衝撃でよろめいてしまうほどの張り手が飛んできた。だが、腕を掴まれている所為で宵の体が倒れることはなかった。


『来い、倭奴の娘』


 再び、宵の腕が引っ張られる。内禁衛将が秋津人の蔑称を使ったことだけは判った。

 武器を持った武官たちに囲まれた宵は、ただ従うより他になかった。






 畳の剥がされた一室まで連行された宵は、放り投げられるようにして床に叩き付けられた。

 痛みに顔をしかめる暇もなく、複数人が宵の肩や背中を押さえて抵抗を封じてしまう。

 せめてもの抵抗として内禁衛将を睨み付けるが、堪えた様子はない。むしろ、酷薄な表情で宵を見下ろしてくるだけだった。


『おい、そのまま小娘を抑えていろ』


 抜いたままの剣を片手に提げたまま、鄭将軍が宵の足下に回る。何だろうと思っていると、不意に右足首を掴まれた。

 乱雑に掴まれた不快感は、だが次の瞬間に灼熱の激痛に変わった。


「―――!?」


 痛みのあまり、叫びや呻きすら出てこなかった。思わず目を見開き、体を仰け反らせてしまう。

 反射的に暴れそうになった宵の体を、武官たちがさらに強く床に押さえつける。


「むぅぅぅぅ―――!?」


 そして、二度目の激痛に宵は堪えきれずに呻きを発してしまった。激しい痛みに襲われながら、少女は口に噛まされた布を噛みしめて耐えようとする。

 腱を、切られた。

 もう、どうやったて逃げ出せない。

 止血のためだろう、切られた両足に布がきつく巻き付けられる。それもまた傷口を刺激し、宵はさらに布を噛む力を強くして無様にのたうち回りそうになる己の体を押さえつけねばならなかった。

 激痛に支配されながらも、宵は唯一、自由になる首を巡らせて周囲の状況を確認しようとする。

 ここは西館の一室、会議などを開くために設けられた広間だ。

 西館は今、仁宗国王ら陽鮮側関係者にあてがわれた区画になっている。西館の中でも特に格の高い奥の上座敷に、昨日まで貞英公主と熙王子が泊まっていた。今は、仁宗国王の仮の御座所となっている部屋である。

 部屋にいるのは、自分を連れてきた鄭将軍を始めとする武官連中と、講修官・金寿集だ。国王・仁宗の姿は見えない。

 流石に、国王の御前で血生臭い行為は慎んだらしい。あるいは、不遜な倭奴を国王の前に引き出すのは不敬とでも考えたのだろうか?

 ただ、不思議なことに講修官・金寿集が内禁衛将・鄭孝顕に詰め寄って何事かを詰問している。

 もしかしたら、自分の身柄を確保することは、陽鮮側の一致した行動ではなかったのだろうか?

 とにかく、言葉は判らずとも目に見える情報から状況を把握しようとする。鄭将軍と口論になっていた金講修官は、やがて険しい顔をして館の奥へと消えていった。やはり、何かしら意見の食い違いが陽鮮側に生まれているのだろう。

 相変わらず、己の身が危ないというのに、頭は不自然なほどに冷静だった。

 そして、こんな連中の前で無様を晒してやるものかという、将家の姫としての意地も芽生えていた。

 だが、それ以上に景紀に迷惑をかけてしまう自分が嫌だった。自分は、あの人の足を引っ張るために、ここまで付いてきたわけではないのだ……。

 こんな状況ですら、景紀が自分のためにどのような行動をとろうとするのかを予測してしまう己の頭が、今はただただ恨めしかった。


  ◇◇◇


「よ、陽鮮の者たちが、あんたの姫君を人質にとって西館に立てこもったんだ」


 その瞬間、その場の空気が景紀を中心にして切り替わった。

 少年の顔から、一切の表情が消え去る。


「俺たちも今まで縛られていて、さっきやっと抜け出してきたところなんだ」


「死傷者は?」


 ぞっとするほど低く、不自然なほど冷静な声が、少年の口から出る。


「お、俺たちの中にはいない。宵姫様が抵抗しないよう言われて、それで、厨房で単に手足を縛られていただけだ」息を整えながら、その料理掛は続ける。「館長も、通訳と一緒に部屋で縛られていた」


 どうやら、宵が人質に取られてから一定程度の時間が経っていたらしい。こちらが即座に対応出来ないよう、宵以外の人間を拘束しておくなど、予め手を打っていたのだろう。


「宵を連れ去るとき、連中は何かを要求してきたか?」


「いや、連中は通訳を連れていなかった。ただ姫様を攫っていただけだ」


「……」


 宵を連れ去った理由を、景紀は考える。だが、考えるまでもなかった。

 仁宗国王たちは、秋津人から自分たちの身の安全を守るための人質が欲しかっただけに違いない。倭館を包囲された秋津人が、国王の身柄を取引材料に李欽政権と交渉をすることを恐れていたのだろう。

 そこまで、陽鮮側の秋津人不審は深刻だったというわけである。

 わざわざ倭館に逃げ込んできたのだから、多少は協調的になるだろうという考えは、甘すぎたといわざるを得ない。

 自身の迂闊さと内禁衛将らへの怒りで、景紀の口から不穏な呻きが漏れる。怒りのあまり噛みしめた口の中で、奥歯が砕けそうだった。

 翼龍による非戦闘員の避難と防衛戦の指揮で、完全に倭館内部のことを疎かにしていた。

 外務省警察や予備隊を南側の防衛に引き抜いてしまったことも、館内の警戒が緩んでしまった原因だろう。


「……中佐殿、一部の兵員を割いて対応いたしますか?」


 話を聞いていた若林曹長が、憤りを隠せずに問う。彼もまた、仁宗側の裏切りともとれる行為に怒りを覚えているらしい。


「先任曹長、射撃の手を休めるな」


 だが、低い声のまま、景紀は威圧的に命じた。


「各員は現在の配置のまま任務を継続せよ。穂積少佐、しばらく指揮は任せる」


「はい」


 神妙な口調で、貴通は頷いた。彼女はこの同期生の中に生まれた激しい怒りを理解しつつ、自分の役割を受入れた。景紀が宵姫を助けるために連れていくのは、自分ではないと確信していたからだ。

 だからこそ、貴通は景紀の代理として軍人としての役割を果たそうとする。それこそが、自分がこの同期生の幕下に加わった意義なのだから。


「八重も、正門の守備に参加しろ」


「了解よ」


 景紀の怒りに、さしもの八重も少しだけ気圧されたような表情になる。応じる声は、いつになく硬かった。


「穂積少佐、弾薬の消耗を抑制しつつ、敵への圧力も怠るな」


「了解です。お任せ下さい」


 そんな同期生の反応を見てから、景紀は気を落ち着けるように目を閉じ、深く息をついた。


「……冬花は、俺と一緒に来い」


「ええ」


 弓を持った白髪の少女は、静かに主君の言葉に応じた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 畳の床に倒れている宵の意識は、両足の痛みと夏の暑さに襲われていた。

 厨房の熱気で体の水分が出ていった所為だろう、徐々に意識がぼんやりとしていくのが自覚出来た。それでも意識を失っていないのは、足から伝わる痛みが常に彼女の意識を刺激し続けているからだ。

 それに、手を後ろに回されて親指同士を縛られた姿勢では、少し手に力を入れただけで親指が千切れそうなほどの激痛が走る。

 その痛みを利用して、少しでも意識を覚醒させておく。

 この上さらに暑気あたり(熱中症)で意識を失えば、景紀に余計に迷惑を掛けてしまう。それくらいならば、激痛に苛まれているほうが遥かにましだ。

 外からは、相変わらず激しい銃声が聞こえてくる。その影響かどうかは判らないが、武官たちは自分という人質を取った後もピリピリと殺気立っていた。

 王世子による簒奪を経験した仁宗国王側にとっては、これ以上、他者に裏切られるわけにはいかない立場だ。人質を欲する心情は理解出来る。

 そのような状況で、せっかく得た人質が逃げ出すようなことになれば、完全に秋津人から自分たちの身を守るすべが失われる。だからこそ、この連中は自分の両足の腱を切って、逃亡を防ごうとしたのだろう。

 陽鮮側が狙っているのは、人質を取ることによる秋津側との膠着状態だ。秋津側が仁宗国王に手出し出来ないようにすることが、自分を捕らえた目的だろう。

 彼らは自分たちとの協調ではなく、人質を取ることによる緊張を選んだというわけか。

 少しだけぼんやりとした頭でも、その程度の思考は巡らせることが出来た。

 とにかく、今は激痛と思考を絶やさないようにしないといけない。少しでも油断すれば、水が飲みたいという本能的な欲求に思考が支配されてしまいそうになる。

 そうなれば、気が弱ってしまう。

 父に拐かされた時と同じように、景紀は絶対に来てくれるだろう。

 それまでは、耐える。

 幸い、耐えること、我慢することは得意だ。十六年の人生のほとんどを、自分はそうやって過ごしてきたのだから。


  ◇◇◇


「景紀の判断が、正しかったわ……」


 正門内陣地を後にすると、冬花が唇を噛んでそう言った。仁宗側との軋轢を避けるため、武装解除されて軟禁されていた武官・兵たちの解放を進言してしまったのは彼女だ。


「冬花」


 景紀が、固い声で自らのシキガミを呼ぶ。


「俺は自分の責任をお前に転嫁するつもりはない」


 冬花が責任を感じていようと、決断したのは景紀自身である。その結果について生じる責任も、景紀が負うものだ。


「……はい」


 悠長に責任の所在について問答している時ではない。冬花は頷き、納得することにした。

 今は、宵を助け出すことが何よりも先決だ。


「結城殿!」


 と、東館から深見真鋤館長が飛び出してきた。通訳官の外務省職員が、それに続いている。

 景紀は鬱陶しそうな視線を向けながらも、立ち止まった。


「不甲斐なくも、今まで私も通訳官と共に縛られていた。陽鮮の者たちは宵姫様を探していたようだったが、拙いことになったものだ」


 館長の言い方からすると、どうやら最初に陽鮮人武官らの襲撃を受けたのは館長室だったようだ。


「そうですか。お怪我がなくて、なによりですね」


 何の感情も込めず、むしろ追い払うような調子で景紀は言う。

 館長や通訳に怪我がないのも、恐らくは宵が料理掛に命じたように無抵抗を貫いたからだろう。どうやら、連中は当初から宵を人質に取ることだけを目指していたようだ。

 人質を取りつつ他の者を傷付けなかったのは、秋津側との完全な敵対を避けたいという陽鮮側の意思の表れだろう。

 こちらと敵対するにしても、いささか覚悟が足りない。いや、協調する覚悟も敵対する覚悟もないから、人質という手段に打って出たというべきか。


「宵姫様を解放する交渉は、外交官たる私の役目だ。貴殿は、防衛に専念するがよかろう」


 倭館の放棄が決定して以来、意気消沈しているように見えた深見館長の顔に、わずかながらも生気が戻っていた。


「いや、結構です」


 だが、そうした外交官らしい使命感を再び蘇らせている相手を、景紀は冷たく切り捨てた。


「結城殿、最悪、私が代わりに人質となってもよい」


 相応の覚悟を感じさせる声でもあったが、今の景紀の心にはまったく響かなかった。


「あなたに人質としての価値がないから、連中は宵を狙ったんですよ。俺を揺さぶるのに最適ですからね」


 吐き捨てるようにそう言って、以後、景紀は深見館長を完全に無視した。


「冬花」


「宵姫様は西館の広間。それと、奥の上座敷に国王らしい気配」


「助かる」


 妖狐としての聴力で、冬花はすぐに陽鮮人たちが宵を人質に立てこもる区画を特定した。


「いちいち通訳を通すのも面倒だ。そっちの術式も頼めるか?」


「了解。でも、交渉の余地なんてないと思うけど?」


 主君の様子から、少なくとも宵を攫った武官連中は皆殺しにするだろうと思っていたので、冬花は確認するように問うた。


「別に交渉なんてしない。ただ、連中が命乞いでもしてきたら聞いてやろうと思っているだけだ」


 剣呑な調子で答えた景紀に、聞くだけで受入れる気はさらさらないのだろうなと冬花は直感する。もっとも、彼女自身も同感であったが。






 足の腱を切られ、手も縛められた宵は、ただじっと状況が変化する時が訪れるのを待っていた。

 鷹前で終わりの見えない忍耐を強いられていた頃に比べれば、ほんの数十分耐えることなど、どうということはない。

 だというのに、その時間がひどく宵には長く感じられた。

 それはきっと、諦観以外の感情を自分が抱くようになってしまったからだろう。

 景紀の足を引っ張ってしまったことに申し訳ない気持ちを抱きながらも、どこか自分は期待しているのだ。あの廃寺の時と同じく、景紀が助けに来てくれることを。

 まったく、我ながら一年と経たない内に随分と変化してしまったものだと思う。

 足の激痛に冒され、喉の渇きに苛まれながらも、そんな自分自身をどこかおかしく感じてしまった。


「……気味の悪い小娘だな。この状況で、そんなに落ち着いていられるとは」


 鄭将軍が、いつかの佐薙成親と同じようなこと言っている。そのことに、どこか因果めいたものを覚えた。

 が、ふと違和感に気付く。

 今、自分は陽鮮語を理解出来ずとも、相手が何を言っているのかを頭が理解出来ている。

 変な感慨を抱く前に、気付くべきだった。痛みと渇きで、やはり頭の回転が鈍くなっているのだろう。

 これは、冬花の術式だ。

 そう思った次の瞬間、庭に面した障子が音を立てて倒れてきた。いや、正確には廊下で警戒していた兵士が部屋の中に倒れてきたのだ。障子が倒れたのは、彼に巻き込まれたからに過ぎない。

 その眉間には矢が突き刺さっていて、絶命していることは明らかだった。

 即座に反応したのは、鄭将軍だった。


「襖を盾にしろ!」


 室内には、他の部屋から外してきた襖があった。室内にいた残りの武官や兵士たちが、狼狽した調子で外した襖を持ち上げる。

 教導兵団や視察団の兵士たちを見てきた宵にしてみれば、どこか手際が悪いと感じてしまう動き。

 一方の内禁衛将は宵の親指の拘束を解き、両脇を二名の内禁衛武官に抱えて立ち上がらせた。

 もちろん、腱を切られた宵が自力で立ち上がれるわけがなく、逆に傷口に力がかかって新たな激痛を呼び起こした。


「むぅぅぅぅ……」


 宵はその激痛を、布を強く噛むことで耐えようとした。

 両脇を掴まれてようやく立っている少女の首筋に、抜き身の剣が添えられる。


「狡猾な倭奴め! この娘の血で部屋を汚すことになっても知らんぞ!」


 周囲に見せつけるように宵の首に剣をあてがっていたのは、鄭孝顕将軍であった。






 幻術を用いて自らの姿を隠しての狙撃。

 奇襲が上手くいくのは第一撃だけだろう。一人が殺されれば、相手は即座に警戒する。


「狡猾な倭奴め! この娘の血で部屋を汚すことになっても知らんぞ!」


 狙撃された兵士もろとも障子が倒れたお陰で部屋の内部の様子が確認出来た。


「あいつ、自分の足で立ててないぞ」


 捕縛される罪人のように両脇を掴まれて立たされている宵を見て、景紀の眼光が鋭さを増す。逃亡防止のために足の骨を折られたか、腱を切られたか……。いや、足に布が巻かれて、それが赤黒く染まっているということは、腱を切られたのか……。


「冬花」


 ただ一言、景紀は自らのシキガミの名を呼んだ。


「はい」


 それが自分への命令であると、陰陽師の少女は理解する。

 冬花は、束ねていた髪をするりと解いた。

 はらりと背中へと流れる、長く艶やかな白い髪。

 その何本かを指に絡め、ぷつりと引き抜く。


「……行くぞ」


 平坦な声で、景紀は己の従者に呼びかけた。冬花は弓を体に掛けると、硬い表情で静かに頷いた。

 幻術を解き、主従二人は遮蔽物にしていた木の影から勢いよく飛び出す。さっと景紀と冬花が腰の刀を抜き放った。


「なっ!?」


 飛び出してきた景紀と冬花を真っ先に見つけた武官が、狼狽の声を上げる。槍を構えようとするが、動きが遅い。

 一閃して構えようとした槍の柄を切断し、返す刀で袈裟に斬り捨てる。

 脇から景紀に剣を突き出してきた別の武官は、その腕を冬花の一閃で斬り飛ばされ、悲鳴を上げる間もなく首を刎ねられた。

 所詮は、下級の兵士たちに配給する給禄米を横領して私腹を肥やしていたような者たちだ。物心ついた頃から武家の跡取りとして武術を叩き込まれていた景紀や、彼の従者となるべく鍛錬を積んできた冬花にとっては与しやすい相手でしかなかった。

 二人が瞬時に斬り殺されたことで、陽鮮人たちが及び腰になる。情けなくも後退して景紀と冬花から距離を取ろうとする。


「動くな、倭奴ども! こちらにはこの娘がいるのだぞ!」


 だが、そんな中で内禁衛将たる武官だけは動揺することなく宵の首に剣を突き付けた姿勢を維持していた。

 その怒声で、景紀と冬花も、下がろうとしていた武官や兵士たちも動きを止めた。


「武器を捨てろ!」


 だが、景紀も冬花も刀を捨てることはなかった。鄭将軍の顔が、苛立ちと困惑の混じったものとなる。


「……そうだ、貴様らは我らの言葉が判らないのだったな」


「いや、あんたが何を言っているのかは判るぜ」


 冬花の術式が周囲に展開されているので、景紀はこの国王直属の武官が何を言っているのかを理解出来ている。

 そして、内禁衛将の方も景紀の言葉を理解出来たのだろう。耳で聞いた言葉と頭で理解した内容に断絶があることに一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、すぐに些細なことだと思い直したのだろう、鋭い視線で景紀と冬花を射貫く。


「ならば、早く武器を置け。この場から立ち去るのならば、我らもこの娘に手荒な真似はせん」


「はっ、足を切っておいて、よく言うな」


「逃走されは困るのでな」あまりにも当然のことのように、鄭将軍が答える。「さあ、武器を置いて立ち去れ。さもなくば、この娘がどうなっても知らんぞ」


 脅すように鄭孝顕は言う。

 景紀は、無理矢理に立たされたままの宵を見る。彼女は痛みに顔をわずかに歪めていたが、その瞳はいつものように動揺など感じさせないほどに凪いだまま、じっと景紀を見つめていた。

 それを確認して、一瞬だけ景紀は宵に微笑みかける。少女はかすかに頷き返した。

 そして、景紀は鄭将軍へと視線を戻す。


「あんたに、宵が殺せるのか?」


「何?」


「人質ってのは生きているからこそ価値があるんだ。そいつを殺せば、俺はお前らを躊躇なく皆殺しにしてやる。その覚悟があって、てめぇはそれを言っているのか?」


「……殺さずとも、傷付けることは出来よう。この娘は、貴様の妻なのだろう?」


 景紀の発する怒気に、さしもの内禁衛将も気圧されたようだった。反論の言葉に、一瞬の間があった。


「じゃあ、やってみれば良いさ。どっちにしろ、俺はてめぇらを生かしておくつもりなんてさらさらねぇがな」


 本気の殺気と怒気を込めた声に、幾人かの武官が怯えた表情になる。


「う、うぁぁぁ―――!」


 その殺気に耐えきれなくなったのだろう、一人の武官が喊声を上げて景紀に斬りかかってきた。


「よせ!」


 鄭将軍の制止の声と、その武官が景紀の刀に斬り捨てられるのは同時だった。一合も斬り結ぶことが出来ず、その武官は自らの血の中に沈んでいった。

 ひゅんと景紀が刀を振って血を払い、残りの武官たちを鋭い視線で射貫く。

 そして、そこまでが陽鮮人武官たちの限界だった。


「ひぃ……!」


 情けない声を上げて一人が逃げ出し、残りの者たちも庭と反対の方向に駆け出したのだ。全員が、王族付きの内禁衛武官ではなく、監営や詰め所から倭館に逃げ込んできた武官や兵士たちであった。

 だが、彼らが逃れることは許されなかった。


「ぎゃあぁぁぁぁ―――!」


「足が、足がぁぁぁ―――!」


「ああ、ああああっ―――!」


 逃走の姿勢を見せた者たちの口から、濁った絶叫が迸る。

 全員が、唐突に足首を切断されてその場に引き倒されたのだ。切断面から血が噴き出し、むっとする血の臭いがさらに濃くなった。


「……」


 足首から先を失った状態でのたうち回る者たちを、景紀はただ温度のない目で見ていた。彼は先ほどから一歩もその場を動いていない。


「貴様ぁ、何をした!?」


 味方である武官や兵士たちの無残な姿に、鄭孝顕は憤怒の叫びを上げる。


「言っただろう? 俺はてめぇらを生かしておくつもりはないって」


 だが、景紀はどこまでも冷ややかであった。その顔が床で狂ったように叫び声を上げ続ける者たちへと向かう。

 そして、ちらりと目だけで鄭孝顕を見、その唇が酷薄に歪んだ。


「待て、小僧。こちらには小娘が―――!」


 それだけで、この内禁衛将は次に何が起こるのかを察してしまった。だが、彼が最後まで警告を発することを、景紀は認めなかった。


「せめてもの慈悲だ、鄭将軍。部下たちのために、念仏でも唱えるといい」


 瞬間、武官たちの首が部屋に舞った。

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