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【書籍化】秋津皇国興亡記  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第四章 半島の暗雲編

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75 電信敷設交渉の行方

 七月十六日の夕刻、東平館にいた使節団一行が外務省へ請訓のため倭館へと戻ってきた。

 一方で、陽鮮側でも秋津側提案に対する協議や国王の判断を仰ぐ必要などがあるために、交渉は二日を空けて十九日から再開することになった。

 ちなみに、封建的ながらも律令制時代の二官八省を廃して内閣制度を置いた秋津皇国と違い、陽鮮王国の政治体制は建国当初からほとんど変化していなかった。

 陽鮮では国王の下に最高行政機関である「議政府」が置かれ、その下に実務を担当する「六曹」が存在している。

 六曹は、官制・人事を担当する吏曹、大蔵省に相当する戸曹、兵部省に相当する兵曹、司法省・警察に相当する刑曹、商工省に相当する工曹、宮内省と外務省、文部省を合わせたような礼曹からなる。大臣に相当する役職は判書であり、次官級は参判という。

 礼曹が宮中の庶務から教育、外交まで多岐にわたる分野を所轄するのは、華夷秩序に基づく外交体制、儒教思想に基づく国家体制であるために、そうした分野が不可分に結びついていたからである。礼曹の中で外交を担当するのは典客司であり、他に外交文書の管掌する承文院、通訳および翻訳を担当する司訳院が存在していた。

 そして陽鮮における行政は、六曹から議政府に稟請し、議政府における審議を経、議政府から国王に上奏し、国王が裁可して初めて遂行が可能となるものであった。

 約条で定められた定期的な秋津皇国からの使節の場合、礼曹の中で対応を行うのは局長級の参議、ないしは課長級の佐郎であるが、臨時の使節である差倭の場合、次官級の参判が行うこともある。また、回賜については戸曹、工曹も関わってくる。

 華夷秩序における外交手続きは非常に複雑であり、また規定通りに遂行されることが求められていた。

 しかし、そうした華夷思想に基づく外交関係が成立した当時には想定していなかった電信敷設交渉など、近代化に伴う諸問題が発生してくると従来通りの体制では対応出来ない外交案件が生じてくるようになる。

 秋津側としては、前回の電信敷設交渉の頃から外交の実務を司る礼曹判書が直接、外交交渉の場に出てくることを求めていたが、陽鮮側は前例がないとしてこれに応じていなかった。

 外交というのは洋の東西を問わず前例重視であるのだが、華夷秩序の下における外交では特にそれが顕著であった。

 しかし、やはり陽鮮側としても前例通りとはいかない外交案件の処理に苦慮したためか、礼曹判書の委任という形で設けられた臨時職である「講修官」が秋津皇国との外交交渉を担当するようになった。とはいえ、講修官はあくまでも臨時職という扱いであり、陽鮮が外交機関の抜本的な改革を行おうとする様子はなかった。

 おそらく、未だ前国王の政治的影響力が宮中に残っているために、国王がいかに開化派の人間であっても国内の大改革を行うことが出来ないのだろう。また、やはり斉との関係も考慮しているのだろう。

 斉がアヘン戦争の結果、西洋列強やヴィンランド合衆国との条約を結んだとはいえ、それでかの国が西洋式の外交関係の中に組み込まれたわけではない。

 斉自身が西洋との条約関係を一時的な外夷操縦の手段としか考えていない以上、陽鮮が斉を差し置いて皇国や西洋列強との条約関係を結ぶわけにはいかないのである。実際、先代国王・康祖の時代、フランクやヴィンランドとの通商条約の締結を拒絶し、艦隊を撃退した背景には、攘夷思想の他に斉との宗属関係があった。

 このようにして、陽鮮王国は外交をあくまでも華夷秩序の内部に収めるための努力を続けていたのである。

 さて、肝心の秋津-陽鮮両国の電信敷設交渉であるが、交渉は初日から難問に出くわしてしまった。

 秋津側が東萊-帯城間の電信敷設権を求請したわけであるが、そもそもは陽鮮側が秋津側にそうするように事前の打ち合わせが行われていたので、回賜として東萊-帯城間の電信敷設権を秋津側が得ることについては、双方共に異論はなかった。

 そもそも陽鮮側には電信を架設する資金も技術力もないので、これは当然といえよう。

 問題は、架設を請け負う秋津人の扱いをどうするかということであった。当然ながら、陽鮮側は秋津人が国内で自由に活動することに難色を示していた。一方の秋津側は、架設工事期間中は秋津人が陽鮮側役人の監督の下で倭館敷地外でも活動出来るよう求めた。

 このため、陽鮮側は一つの解決策を提示した。

 それは、秋津人技術者を陽鮮側が官吏として雇うということである。こうした他国人を官吏として雇うことについては、半島や皇国の歴史で幾度も存在するため、前例のあるものといえた。

 例えば、半島では中華帝国の地域で戦乱が発生するたびに流民が押し寄せ、その中で文武に優れた者が官僚として取り立てられてきたという歴史がある。特に、中華帝国の地域に住む人々は半島よりも進んだ文化、技術を持っていたため、官僚として重宝されたという。

 一方の秋津皇国においても、古代の渡来人や戦国時代に漂着した南蛮人を官僚や技術者として雇ったという事例が存在している。

 その意味では、陽鮮側の提案は前例を踏襲しつつ、華夷秩序の範囲内で近代化を成し遂げようとする妙手であるといえた。

 しかし、これに対しては秋津側が難色を示した。

 陽鮮側の方法では、陽鮮政府に官僚として雇われた秋津人は陽鮮に帰化することが求められるため、祖国に戻ることが出来なくなるというのである。皇国はあくまでも、秋津人が秋津人として陽鮮国内で架設工事に従事することを求めた。

 さらに問題をややこしくしていたのは、皇国が陽鮮との通商条約の締結を提案したことであった。

 東萊-帯城間の電信が敷設された暁には陽鮮王国と秋津皇国の通信が容易となるため、これを期に両国間の通商を活発化させるべきだと秋津側使節団は主張し、通商条約の締結とそれに伴う開港、帯城への公使館設置などを提案したのである。

 秋津皇国は陽鮮を西洋式の条約関係の中に組み込むことで、陽鮮側が一方的に主導権を握ることの出来る約条関係を脱しようとしていた。

 しかし、条約を締結するとなると陽鮮王国側は秋津側の正式な国号「秋津皇国」、正式な君主の名「皇主」など、「皇」の字を認めることになる。それは華夷秩序という観点から不遜であるばかりでなく、「王」の字を使う陽鮮王国が秋津皇国の下に置かれることになる。当然ながら、条約の締結について陽鮮王国側はかなり消極的であった。

 こうして議論は平行線となり、秋津皇国の使節団は本国に交渉状況の報告と請訓のため、陽鮮王国も議政府や国王への報告と今後の対応についての判断を仰ぐため、交渉再会まで二日の時間を置くことになったのである。

 もちろん、電信敷設交渉の段階で交渉が停滞してしまっているため、秋津側軍事視察団の今後の予定についても、一切合意が形成出来ていない。事実上、軍事視察団の問題は宙に浮いた形となってしまった(もっとも、秋津側使節団は軍事視察団の本来の目的を知らされているため、電信敷設や通商条約の締結交渉ほどには、視察団の今後の予定について陽鮮側と協議する努力は払おうとしていなかった)。

 倭館に戻った使節団は、早速、本国への報告書と請訓の作成に取りかかった。

 そして当初の予定通り、この請訓の送信は冬花が呪術通信を用いて行うことになった。もちろん、回訓の受信も冬花が行うため、彼女の任務は重要であった。

 東萊倭館であれば電信が使えたのであるが、そうなると今度は陽鮮側担当者が東萊と帯城を行き来して議政府や国王の判断を仰がなくてはならない。そこにかかる時間を考えれば、冬花一人に負担がかかることになるものの、交渉の舞台を帯城にする方が双方にとって最も時間を取られずに済むのである。

 加えて、皇国としては王都での政変の予兆やその発生を即座に知りたいという思惑もあった。

 これもやはり、東萊にいては帯城の情報が届くまで数日はかかるであろうから、皇国として迅速な対応は出来ない。

 斉の軍事的動向にも注意を払わなければならない現状においては、情報伝達にかかる時間をいかに減らすかが皇国にとって課題となっていたのである。


  ◇◇◇


「お疲れ、冬花」


 夜、景紀は縁側に腰掛けて涼んでいるシキガミの少女を労った。麦茶の入った湯飲みを、冬花に差し出す。


「ありがと」


 景紀から受け取った湯飲みは、よく冷えていた。


「井戸で冷やしておいた」


「ふふっ、主君にやらせることじゃないわね」おかしそうに、冬花は微笑む。「でも、嬉しいわ」


 湯飲みに口を付け、冬花はごくりと麦茶を飲み干した。

 外は雨季らしく雨が降り始めており、雨音が静かな倭館内に響いていた。昼間の気温は初夏らしく高いものの、朝晩はそれほど暑くない。意外に湿度も低く、皇国の夏のように肌にまとわりつくようなじめじめとした暑さではなかった。

 それに、雨季とはいえ赤道直下ほど雨が降り続くことはない。皇国の梅雨のように、一定程度は晴れる日もあった。おおむね、月の半分は雨でもう半分は晴れるそうだ。


「ふぅ……」


 喉を駆け抜ける冷たさで、冬花は人心地ついた。


「通信自体は、六壬栻盤(りくじんちょくばん)(占術に使われる呪具)を改造したものを動かすだけだから、声を出していたわけじゃないんだけど、やっぱり自分が国家の命運を握る通信をしているって考えると、緊張して喉がカラカラになるわ。正直、景紀の隠居願望が少し判ったかも」


「ははっ、それじゃあ、これからは手抜きをしても見逃してくれると助かるな」


「それは景紀の補佐官としての本分に反するから、駄ぁ目」


 悪戯をしたがる子供をたしなめるようなおどけた調子で、冬花は言う。


「まったく、生真面目なシキガミ様で、ほんと助かるよ」


 戯れのように、景紀は辟易とした態度を示した。

 異国の地だというのに、いつも通りの他愛ない遣り取り。冬花にとっては、それだけで安心出来た。


「……ねぇ、ここに座って」


 ぽんぽんと、冬花は己の隣を手で叩いた。


「ああ」


 菓子をねだる子供のような仕草に少し微笑ましさを感じながら、景紀は冬花の隣に腰を下ろした。途端に、肩に少女が寄りかかってきた。


「ちょっと疲れたから、肩貸して」


「いいぜ」


 甘えるように言う冬花を、景紀はそっと受け止める。

 雨のお陰で少しひんやりとした夜の時間を、二人は互いの体温を感じながら過ごす。出来れば星空が見える時のほうが良かったなと、冬花は雨を降らす空を少しだけ恨んだ。


「……ねぇ、交渉はどうなると思う?」


 景紀の肩に頭を預けたまま、冬花は問う。


「さあな。現状じゃあ、かなり難しそうではあるな。条約の締結にしても、何か決定的な変化が起こらないと妥結にまでこぎ着けられないだろう」


「決定的な変化って、政変ってこと?」


「それも一つの要因だろう。現国王が上手くそれを鎮圧出来れば、政権内から前国王の影響力を排除出来るし、秋津人が国内で活動することに難癖を付けてくる旧守派官僚も一掃されて大人しくなるだろうしな」


「ただ、現状では陽鮮政府内の情報が不足し過ぎているのよね?」


「ああ。政変の予兆を国王側がどこまで掴んでいるのか……まあ、俺らや連合王国まで嗅ぎつけているんだ、まるで気付いていないってことはないだろうが……それでどう対応しようとしているのか、まるで情報がない。攘夷派側についても、政変を起こすとしてどの程度の兵力を集めているのかが判る情報がない。俺たちは完全に蚊帳の外だ。まあ、他国のことだから当たり前っちゃ当たり前なんだが、もどかしいことには変わりがない」


「政変が起こったとして、景紀はどう対応するつもりなの?」


「倭館にいる邦人の保護。んで、状況が拙くなったらここを放棄して脱出する。一応、政変が発生したら館長が海軍に救援を求め、それに応じて海軍が居留民保護のために艦隊と陸戦隊を派遣する手筈になっている。それに収容してもらって帰国、って流れだな」


 あくまで交易の拠点という扱いの倭館であるが、皇国側ではこれを公使館、領事館的施設と位置付けている。外交の世界において、公使館、領事館の通常業務の中には、現地在留邦人の保護も含まれている。

 そして「領事官職務規則」では「領事官ハ其ノ職務上必要アル時ハ皇国軍艦ニ幇助ヲ求ムルコトヲ得」という規程があり、一方の海軍では「軍艦外務令」にて「指揮官ハ外国ニ駐在セル我外交官又ハ領事官ヨリ皇国臣民ノ保護又ハ公務ニ関スル助力ノ請求ヲ受クル時ハ自己ノ奉スル任務又ハ特別訓令ニ妨ナキ限リ努メテ之ニ応スヘシ」と規定していた。

 もともとこの規程は、東南アジア一帯に広がる皇国南洋特殊権益を他の列強諸国や現地の実力者から守るために定められたものであった。

 景紀は今回、この規程を利用しようとしているのである。

 なお、「軍艦外務令」では他に、「指揮官ハ皇国臣民ノ生命自由又ハ財産ニ非常ノ危害ヲ被ラムトシ其ノ国ノ政府之カ保護ノ任ヲ尽サス且我兵力ヲ用フル外他ニ保護ノ途ナキ時ニ限リ兵力ヲ用フルコトヲ得」という規程も存在する(ただし、この場合も出来る限り現地外交官・領事官と協議、ないしは現地国の承諾を得ることが望ましいとは規定されている)。

 いずれにせよ、景紀は海軍戦力を当てにしているのである。


「上手くいきそうなの?」


「さあな?」景紀は平然とした調子で答えた。「向こうの情報がなけりゃあ、これが妥当な作戦かどうかなんて判らん」


「その割りには、冷静そうだけど?」


 心配そうに、冬花は下から景紀の顔を覗き込んだ。主君たる少年の顔は、やはり声と同じく平静そのものであった。


「別に、俺が焦ろうが不安がろうが、それで状況が好転するわけでもないしな。それに、俺が不安がっていると他の連中にも伝播する。だったら平静でいる方がいいだろ」


 何でもないことのように言うが、それは相当の重圧だろうと冬花は思う。

 去年は結城家当主代理を務め、今年は異国の地で居留民の命を背負う。今年でようやく十八となる少年が担う責務として、それは果たして適切なのだろうか。そう、少年の従者たる少女は思う。

 景紀だからこそ任されているのだと思うと臣下である冬花としても誇らしいが、それでも心配になってしまう。

 従者でしかない冬花には、その重責を共に担うことは出来ない。それは、宵姫の役目だろう。あるいは、軍事であれば貴通か。そのことに、シキガミの少女はもどかしい思いを抱くこともある。

 だが、だからといってシキガミとしての本分を忘れることは出来ない。

 自分は、この人を守るためにシキガミになったのだ。

 それは、異国の地にいようと変わらない。


「ねぇ、景紀」


 寄りかかっている景紀の腕を、冬花は両腕で抱きしめた。だが、そんな愛おしげな仕草に反して、彼女の口から出た言葉は剣呑そのものであった。


「私は、何があってもあなたを守るわ。例え、この身に代えても。だから、景紀は安心して任務に集中して」


「ははっ、そいつは心強いな」


 笑って、景紀は掴まれていない方の腕を冬花に回した。


「きゃっ」


 そして体を回し、少し強引に少女の体を引き寄せる。


 互いに縁側から足を下ろしていた体勢が変わり、白髪の少女の体が景紀の腕の中にすっぽりと収まった。


「だが、お前の命と引き換えに守られたくはないな」


 己のシキガミを抱きしめたまま、景紀は真剣な口調で言う。


「冬花が俺に忠誠を誓ってくれるのは嬉しいが、そのためにお前自身を犠牲にして欲しくない。お前が俺のシキガミならば、生きてその忠義を全うしてくれ」


「じゃあ、一つだけお願いを聞いて」


 景紀の肩に両手をやって、冬花はぐいと自分の身を起こす。膝立ちの状態で、シキガミの少女は景紀と向き合った。


「どんな状況になっても、無茶はしないで。どんな状況になっても、私をあなたの側にいさせて。私はここの人たちより、使節団よりも、景紀のことを守りたいの」


 膝立ちになった所為で自分よりも下にある主君の顔を、陰陽師の少女は真剣な表情で見つめた。


「判った」


 冬花の覚悟を、景紀は受け取った。


「お前は、俺の側にいろ」


 厳たる主君からの命に、白髪の少女は嬉しそうに顔をほころばせた。


「はい、若様」


  ◇◇◇


 七月十九日、二回目の交渉に赴くため、森田茂夫首席全権代表を始めとする使節団は再び帯城城内の東平館へと向かった。

 この間、城内で開化派と攘夷派の暗闘が繰り広げられているだろう陽鮮側と違い、倭館内部は至極平穏であった。

 相変わらず八重が暇を持て余して鉄之介を鍛錬に付き合わせ、宵は執務日誌などの資料を読み漁り、景紀と貴通は互いの鍛錬や視察団の下士官・兵卒の訓練を監督していた。冬花が式を飛ばして周辺の地形を調査したため、それに基づいた防衛陣地の構築計画なども練られている。


「しかし、実際に外に出て地形に合わせた訓練が行えないのが難点ですな」


 兵卒の訓練を監督しながら、若林曹長がもどかしそうに言った。陽鮮側を刺激するため、実包を使った訓練すら出来ない。

 基本的に、敷地内を走り込んだり、装填動作などの基本的な銃の扱いを反復したり、あとは銃剣で藁人形を突く訓練程度しか行えないのである。


「いっそ鉄之介や八重の鍛錬の意味も込めて、あいつらの操る式と俺たちで対抗演習でもしてみるか?」


「なるほど。それは面白いかもしれませんな」


 景紀の提案に、若林曹長は感心したように頷いた。


「じゃあ、僕がそっちの指揮をとって、景くんがこっちの指揮をとってみるというのはどうですか?」


 いかに多数の式を操るとはいえ、それが単なる烏合の衆と変わらない動きしか出来ないのであれば訓練の体をなさないだろう。貴通の言葉は、それを意図したものだった。


「おっ、いいな、それ」


 兵学寮時代を思い出したのか、景紀の顔には同期生への対抗心を秘めた笑みを浮かべていた。


「また賭けの対象が増えそうですな」


 そして、諧謔混じりに若林曹長がそんなことを言う。


「まあ、暇を持て余して士気が下がるよりはマシだ……ろ?」


 不意に、言葉の途中で景紀は駆け足でこちらに向かってくる冬花に気付いた。その表情には、緊張感が滲んでいた。


「景紀様に、緊急のご報告が」


 サッと景紀の前で片膝をつき、シキガミの少女は硬い口調で報告を口にする。


「先ほど、東平館に向かった使節団ですが、敦義門にて森田全権が門の守備兵に斬られました」


 それは、後に半島情勢を混沌に落とし込むことになる最初の事件の発生を知らせる第一報であった。

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